第25話『雪崩れ込み』


 三日後。雨は強さを増す。

 南西部の建築が地下深くに基礎を造るのをモニカは知っていた。延々と続く豪雨は地盤をぬかるませ、建物を卵のように不安定にする。

 強固な基礎とそれに耐える建材。その最高水準で造られたであろう教導舎の前に、合羽や油布をかぶった一団がたどり着いていた。

 人数はゆうに二十人以上。その先頭に、すっかりと洗い終わったドレスの裾を上げ合羽を被ったラピスの姿がある。カフィ、マーガレッタ、そしてモニカもあとに続いていた。

 ラピスがひとつ深呼吸して、扉を押す。硬い手応え。次いで、ドアノッカーを二度、三度、四度と鳴らした。


「……っひ、姫様!?」


 胡散げに開いたドアの隙間から注がれる視線に、ラピスはフードを取る。明らかに狼狽した教導官の様子をマーガレッタが一笑し、つられてラピスもくすりと声を漏らした。

 ぞろぞろと、水滴を垂らしながら講堂へ入ってきた一団を誰もが不安をもって迎える。

 だがそれを率いるのがラピスだと分かると半分は安堵に、また半分は驚愕に変わった。後者はラピスの行方不明を知る教導官たちで、後者は知らない避難民たちだ。


「これはラピス姫様。ご無事な姿を拝見し安堵で言葉もありません」


 柔和な笑みで人の間を抜け現れたキーハは、慇懃に腰を折った。ラピスが表情を硬くする。


「それで、このような折にどのような御用向きで?」

「セレジェイ=ナナエオウギ=ガウェンを引き渡していただきたく参りました」

「はぁ?」


 キーハは意外なような、それでいて嘲るような調子で聞き返した。ラピスはその目に悪意の欠片をみて、怯む。


「そ、そもそも不当な拘束です。ここは聖手国内でも、聖手教特地でもありません」

「ですからそれについては申し上げたでしょう。あの男は王族で……」

「だとしても、副務官であるあなたに異端審問権は無いはずです、キーハ副務官!」


 ぴくりとキーハの眉が震えた。穏やかな笑みがどこか歪に強ばる。


「もう……もう副務官ではないのですよ、姫様!」


 喜悦、優越。それらが無欲げな仮面の下から溢れだしていた。


「サトラン神父は背教者となりました、誰もそれに異を唱えることなく! ゆえに今はこの私が教導舎の長、異端審問権も私にあるというわけでしてね!」


 蛇のようだな、とラピスは思った。恐怖がないとは言わない。しかし何より生理的な嫌悪感で後じさりそうになるのを懸命に堪える。


「ええ、だからこそ不当だと言ったのです」


 ――兎を演じなさい、その豹変ぶりに相手が思考を止めるくらいに。


 マーガレッタに言われたその実践を今こそと、ラピスは声を張った。


「セレジェイさんの拘束は、サトラン神父の拘束よりも前でした。あの時点であなたに逮捕権限はありません!」


 不快げに歪んだキーハの顔が、思い出したように笑顔に取り繕われる。


「確かにわずかな行き違いがあったやもしれません。ですがこの状況を鑑みれば些末なこと。現に災厄を呼び入れた犯人を捕らえることができたのですからね!」


 目の据わったカフィが前に出ようとしたのを、マーガレッタが蹴り止めていた。


「そうでしょうか? わたしにはそうは思えません!」


 ラピスの声は、講堂の全員へ向けられたようだった。


「それに些末でもありませんキーハ副務官。セレジェイ=ナナエオウギについてはあの時、父が直々に取り調べている最中だったのですから」

「取り調べ……?」


 ラピスは偽装する。理路整然と道理を説き、その正当性でもってキーハ神父を打ち負かそうとする、そんな世間知らずウサギのような自分を。


「はい、わたしに不埒を働いた罪で事情を聞いているところでした。あなた方はあろうことかその身柄を略取し、自国の者だからという理由で匿っています。サトラン神父についても同様。彼が屋敷へと駆け込んだ際、町の方が一人突き飛ばされ怪我をされています。それについてまずはこちらで詮議するのが筋というものではないですか?」

「ふ、不埒な……怪我を……?」


 降ってわいたような理屈にキーハが混乱した様子を見せる。それは彼の背後にも広がっていくようだった。


「怪我については、証人がこちらにおりますわ」


 マーガレッタが一団の中から一人の男を連れ出した。


「いて~よ~」


 左腕を包帯で吊った男は迫真の演技でそれを抱える。

 それを見てやや平静を取り戻したキーハが怒鳴った。


「そんな、そんなはずはない! 我々が屋敷を辞した後、屋敷を出た者は姫様お一人だと聞いている!」


 もはや外聞もないその様子を、満足げに眺めてからマーガレッタは前に出る。


「確かに変ですわね。でも、だからこそ取り調べるのですわ。言っておきますけれど、罪人の隠匿は明るみに出た場合、重大な外交問題に発展しうる案件でしてよ」


 その一言にキーハは唸った。必死に考えを整理しようとしているのが分かる。

 無駄だ、とマーガレッタは唇を歪めた。そもそも全てが捏造なのだから、現状に筋道立てて組み入れようとしても上手くいかないに決まっている。混迷する状況にあって開き直った言い掛かりほど厄介なものもそうない。それに――


「な、何と言われようが身柄の引き渡しには応じられない! そう、私には人々の安全を守る義務がある、災厄の原因たる者たちを一時とて自由にするわけにはいかない!」

「勘違いなさらないで」


 キーハの啖呵を冷笑に付してマーガレッタは手で合図する。


「これは領主命令ですわ」


 ――それに、暴力が加わるならば尚更のこと。


 同時、控えていた一団全員が雨具を脱ぎ去った。男たちのみが集められた彼らの手にはノミ、ハンマー、そしてノコギリや包丁。それらは長さのまちまちな棒の先端に括りつけられ、簡易なウォーメイスやパイクのようになっている。キーハがたたらを踏んで後じさった。


「どっ、どういうことです姫様! このような、暴徒を引き連れて聖堂の扉を潜るなど!」

「暴徒? 違いますキーハ副務官。彼らは正しくわたしが雇用した衛兵、つまりシャーリク家の関係者です」


 ラピスは抱えていた布の包みを解いた。きらびやかな宝石箱の装飾に浮かび上がるのは、紛うことなきシャーリクの紋。


「わたしは今、父の代理として言葉を発しています。二人の身柄を今すぐ引き渡してください。でなければ……」


 ダン、と一団の誰かが床を踏みならす。面白がったカフィがそれに追従し、やがて唱和するような十余人分の足音が聖堂を揺るがした。

 理不尽にはより強い理不尽で。世の中が正論を下敷きにしたハッタリで回っているという事実をラピスは身をもって学習する。


「お、お待ちを姫様!」


 すっかり卑屈に転じた笑みを張り付けて、キーハはよろよろとへりくだった。


「お父上の代理などと……我らと領主様は長年協力して……ああいや、その、そのオモチャ箱をあらためさせていただけますかな」


 ふらりとその腕がラピスの手元へ伸びる。ラピスははっとして身を引いたが、遅かった。

 生温かい気配に、キーハは脇見する。肩に何かが乗っている。

 近すぎてぼけたその姿は小人のように映った。古甲冑を着た異様に太い胴に、短足短腕。だがすぐそうでないと知れる。白目の無いブドウを押しはめたような眼に、耳まで裂けた口。

 怪物が、振りかぶった斧をおのれの足元、つまりキーハの肩へと振り下ろし――


「ぁいひぎああぁッ!」


 宝石箱に触れたとたん、一人もんどりうって倒れたキーハを見て、モニカはわずかに同情の念を禁じ得なかった。


「うっ、うっ、腕があっ! わたしの腕がッッ!」


 うっかり妖精を怒らせると馬か御者台の足を取られると馬借は教わる。モニカは一度、荒野の魔狼に噛まれたという同業者と話したが、片足の膝から先がそれきりぴくりとも動かないと言っていた。


「不埒者! 取り押さえなさい!」


 マーガレッタの声で、男たちが殺到する。聞いたときはならず者のいちゃもんに近いと思ったが、やってみると輪をかけてひどい。屈強な男たちに縛られていくキーハを横目に見つつ、モニカは奥へと進んでいくラピスたちを追った。


「二人はどこですか?」


 ラピスにそう問われた教導官は慌てて中の扉を示した。



                  §



 船倉のように暗く湿った牢部屋に、一筋の明かりが差し込んだ。

 顔を向けて、セレジェイは目を細める。ほんの数日でも闇にさらせば人の目は己の存在意義を見失うらしかった。

 徐々に浮かんだのは、無様なものを見る目をしたマーガレッタ。


「……予定通り進んだか」

「そのざまでは何を言おうが格好がつきませんわ」


 目配せひとつで、二人の教導官がそれぞれ牢の鍵を開けにかかる。堂に入ったその様子にセレジェイは身内として何か言うべきか迷ったが、結局は口を噤んだ。

 手枷を外されると同時、ばさばさと衣装が投げ渡される。


「早く整えてしまいなさいな。仮にもレディと踊るのですから、むさくるしくしてはいけませんわ」


 最後に剃刀が、さすがにこれは手渡しで差し出された。受け取りながら、セレジェイは問う。


「エマは?」


 マーガレッタは避けるように目を脇にやり、肩をすくめた。


「今朝は目をさましませんでした。三日間ずっと皆の練習をみていましたから無理もありませんわ」

「……そうか」


 覚悟はしていたことだった。竜の呪いを解かない限りケガレは抜けず、山土の流入に伴って深化する。町をすぐに離れることが出来ない以上、大本の竜を抑えるほかない。


「ラピス、カフィ、モニカは万全か」

「上で準備を始めていますわ。どちらにしろ、信用するほかないのではなくて?」


 身も蓋もない意見に、確かにそうだと納得した。


「……じゃあ、よろしく頼む」

「ぞわっとしましたわ。柄にもないことを言わないで頂戴」


 にべもなく言い捨てて、背を向ける。

 セレジェイは自分の頬を一度強く叩いた。


                  §

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