第24話『前進的逃走』

 領主館のホールは避難してきた町の人々でごった返していた。

 加えて、彼らを監督する役目をおった教導官が何人か。彼らはみなサトラン神父と特に懇意だった者たちで、キーハ副務官によって体よく蚊帳の外に置かれていた。

 とんとんと、階段を鳴らして降りてきたのはラピス。その顔はわずかに上気して赤い。

 階段前に立っていた教導官の一人がそれに気づいて声をかけた。


「ラピス姫様、どうかなさいましたか?」


 生真面目そうな女性教導官。ラピスは胸に手を当て、気を落ちつけるように息を吸った。


「あの……部屋に大きな虫がいて。普段はお手伝いの方にお願いするんですけど……」

「なるほど、それは大変ですね」


 教導官は親身になって顔をしかめる。かといって自分が行くのは持ち場を離れることになると考えたのか、それとも単に自分も嫌いなのか、きょろきょろとホールを見回した。その時。

 暗褐色の塊が、階段を駆け下りた。

 気付いたときには数メートル前に迫ったその物体に教導官が怯む。ひぃ、と息をのんだのが聞こえたと同時、ラピスもまたホールを突っ切って走り出していた。


「ひっ、姫様!? どちらへ!?」

「ごめんなさい、通してください!」


 油布に身を包み、先駆けを切っていたカフィが突然踵を返した。


「戻って! 正面はダメだ!」


 つんのめるラピスの腰を抱き、手を取って一階の奥へと走り出す。ラピスが返り見ると、玄関で儀杖持ちの男たちが数人腰を浮かせたところだった。


「賊だッ! 姫様がさらわれたぞ!」


 怒号に追い立てられるように、中廊下にでる扉へ飛び込んだ。


「ほかに出られそうな場所は!?」


 カフィが腰から手を離して聞く。


「突き当たりの窓が簡単に開きます!」


 スカートの前を思い切りたくし上げて走りながらラピスが答えた。


「あれか、ラピス、先に行って!」


 ラピスは頷き、蝶つがいのゆるくなった両開きの窓を叩き開ける。縁に足をかけたとき、背後から迫る足音がした。


「お姫様がどうなってもいいのかーっ!」


 カフィが追っ手に向けて叫ぶ。地面へ飛び降りながらラピスも呼応した。


「そうですっ、どうなってもいいんですか!?」


 ガンッ、と窓から出ようとしたカフィが窓枠に頭をぶつける。


「ちょっと、こんな時に笑わせないでよ!」

「お、おかしかったですか?」


 ラピスにしてみれば最大限の機転だったのだが。

 着地して膝をついたカフィは、腰に結んでいた土笛を取り出して思い切り吹き鳴らす。けたたましい鳥の鳴き声に似た音が響いた。


「もうちょい走るよ!」


 カフィが手を引く。ラピスもスカート裾を上げなおした。


「どこまで行くんですか!?」

「王子様の迎えまで!」


 いくらも走らぬうちにそれは聞こえた。ぬかるんだ地面すら打ち鳴らす、逞しい馬蹄の音。


「カフィさん! ラピスさん!」


 手綱と乗り手の全身を使った制止に、馬が足を突っ張って止まる。二人をみとめたモニカは手綱をひとまとめにすると、空いた片手をラピスへ差し出した。


「乗って!」


 カフィに背中とお尻を押され、モニカに引かれてラピスはその後ろへ跨った。続けてリスのような身の軽さでカフィが飛び乗り、驚いた馬が走り出す。

 都合三人を乗せた馬は、しかしそれがどうしたと言わんばかりに馬速を上げた。背後に今更の喧噪が起こるがもう遅い。


「お二人とも、無事でよかった!」

「あったり前じゃん! あっはは、バクバクして笑いしか出ない!」

「すごい……わたし、お話の中にいるみたい!」


 カフィとラピスは興奮を抑えきれずにそれぞれ前の背中へしがみつく。

モニカは安堵の苦笑を浮かべて前を向いた。


(正直まだ、不安はありますけど……)


 それでも今、この馬を駆ったことは自分にとって永い誇りとなるだろうと思う。ふたつの笑顔と、その肩が背負ったもの。きっとこれまで運んだどんな荷よりも重い。


「……っ」


 ぶるりと背がふるえた。寒さではない。


「モニカさん、どうかしましたか?」


 ラピスが気遣わしげに言うのに努めて明るい声で返した。


「いえ、なんだか僕も笑いたくなってきました」


 言いながら口元を引き締める。二人の戦いはまだ先で、であれば今は自分が彼女たちを守らねばならないだろう。

 それは自分にしかできないことだと、モニカは一瞬だけ目を笑みの形に細めた。



                  ◇



 思わぬ来訪に、集会所は一時騒然となった。


「お姫様!?」

「ラピス姫様、どうしてここに?」

「まあ、そんなずぶ濡れになって!」


 八方から浴びせられる言葉に首を竦めてから、ラピスは背筋を伸ばして言った。


「皆さん、どうかそのままにしていてください。わたしも皆さんにお話したいことが……っくしゅ」


 我先にと毛布や替えの服、スープなどが差し出される。奥の一角から男どもが叩き出され、しばらくすると幾分簡素な装いとなったラピスがさっぱりとした顔で現れた。


「サトラン神父が捕まったって!?」


 屋敷で起きたことを順を追って話すうち、それまでになかった憤激が人々の間から起こった。


「とんでもないことだ、あんなに親切なお方は他にいねえ」

「そう、あたしもあの人のお陰で針子の仕事をもらえたもの」

「あの腰巾着のキーハってやつはどうも好きになれないと思ってたのさ」


 ラピスはその全てに真剣な表情で頷きながら、静かになるのを待って言った。


「私はサトラン神父と、踊り一座の座頭セレジェイさんを助けたいと思っています。……まだ、方法は分かりませんが」


 決意のこもった宣言に、皆がそれぞれに腕組みし頭を捻ったそのとき。


「方法ならありますわよ」


 少し離れて目を閉じていたマーガレッタが、普段と変わらぬ冷やかさで請け合った。


「ただし、あなたには矢面に立ってもらわなければなりませんけれど」


                  ◇


 便箋を読んで、エマは顔をしかめる。


「これ……?」


 視線を受けたカフィが少し居心地悪そうに応じた。


「セレジェイが、今は休むことに専念してくれって」

「…………そう」


 エマはやがてふっと笑う。


「セレが私以外を踊り子に立てるなんてね。カフィちゃん、馬車からシンゲツ藻の瓶を取ってきてちょうだい。私も、少し身体を伸ばさないと……ッ」

「わっ、だ、駄目だよエマ姐様! ちゃんと休んでなきゃ……っ!」


 立ち上がろうとしてよろめくエマ。その両脇を支えようとしたカフィは、踏みとどまった彼女の峻烈な表情に思わず息をのんだ。


「いいから。早く行って」

「はっ、ひゃい!」


 文字通り飛ぶように駆けていったカフィを見送って、エマはほうと息を吐く。


「……いやだわ、小姑ってこんな感じなのかしら」


 妖精に身体を貸すことは常に危険を伴う。エマとて初めて香をのんだ時の記憶は定かでなく、気づいたら義姉妹しまいの腕に抱かれていた。

 故に万全を期さなければならない。三日は訓練期間としては短すぎる。その因はおそらく自分だろう。


「こんな無茶ぶりして、セレってば寝かさないつもりね」


 やることがあるのはありがたかった。ただ座っていると意識を保てない。

 少しくらい無理をしよう。カフィを、新しい家族を、自分のせいで危険に晒すわけにはいかない。

 身体をひきずるように、エマはラピスたちのいる中央へと歩いていく。ぱらぱらと硬化した皮膚が剥がれ落ちて床を鳴らした。


「うわっ」


 避けるように、人垣が割れていく。気付いたラピスが慌てて立ち上がる。


「エマさん、大丈夫なんですか!?」


 駆け寄って支えようとするが、上背のあるエマをラピス一人では無理があった。


「…………?」


 両脇へ差し込まれたしっかりとした手のひらに、エマはぼんやりと顔を上げる。

 カリルだった。そこにいた人々の中で唯一残った彼女は、エマを抱えるようにして立っていた。


「……ありがとう、ございます」


 くてん、と正面のラピスに頭をもたせかけるようにエマがお辞儀する。


「ふん」


 カリルは何も返さなかったが、その腕はさらに深くしっかりと差し込まれた。


「ラピス、ちゃん。宝石を貸してもらえる?」

「ふぁ、は、はい!」


 耳元の熱っぽい声に若干あたふたとしながら、ラピスが頷く。エマは億劫そうに頭を上げると、カリルへ振り返った。


「カリルさん。ルフさんにお願いしたいことがあります。構いませんか?」


 ふいと顔を逸らすカリル。きょろきょろと視線を巡らせると、人垣の向こうへ向けて大声で怒鳴った。


「あんた! 仕事だってさ!」


 人垣の向こうで、ポンと膝を打つ音がした。あぐらをかいたルフ老人が手をあげてにっと笑う。


「おう、何でもやろうとも。三人もの姫さんの頼みとあれば、な」


 それまでラピスとエマ、二人に注がれる視線には温度差があった。けれど今、老人の言葉をきっかけにその全てが暖かなものに変わっていくのをラピスは感じた。

 それが堪らなく、泣いてしまいそうなほど嬉しくて、ラピスはエマに抱きついた。それは支えるというよりはぶらさがるような有様だったが、カリルは文句も言わずに二人分の体重を両手で引き受けていた。

 恐怖がラピスの脳裏をよぎる。

 それは今ここにある全てが喪われてしまう未来。目を逸らすことが出来ないほど間近に迫った予感を前に、ラピスは一人心を決めた。

 やれる限りのことをやろう。無力で世間知らずな自分でも、動けなくなるまで駆けずり回って倒れれば、きっとそこには自分だけの役がある。


(それくらいしなきゃ、わたしは箱入り姫のまま)


 しっかりと両の足で地面を掴む。今まで当然にあったはずのその感触が、ひどく心細いものに思えた。


                  ◇

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