戦い終わった気がして

 酔客が騒ぐ小料理屋の店内で、優紀は困り果てていた。

 陽菜がノンアルコールビールで酔っぱらったのは許す。うにゃうにゃと猫の真似をして面白いから。

 気づいたら膝の上に座らせられていたのも許可しよう。なんか少し嬉しいから。

 酒を頼むことができないのも我慢はできる。少年の姿のままで来たわけだし、少年擬態者のことは一般市民に秘匿されているからだ。


 しかし。

 なぜ春風七海が対面にいるのか。

 なぜ、七海の巻に巻いてるクダを聞かなければいけないのか。

 理解できないし、許しがたい。テーブルに突っ伏し涙ながらに愚痴りまくる七海(陽菜ボディ)を見ていると、優紀の眉は自然と寄ってしまう。

 ふいに陽菜が優紀の顔を覗きこみ、頬をみにょり、と引っ張った。


「こぉ~らぁ~。ユウく~ん、こわいおかおになってるぞぉ?」

「ハナちゃん酔いすぎ。酒飲んでないんだから」


 口では冷めたことを言いつつも、優紀は即座に七海の同席を許す気になった。

 あまり先輩の頭をなでくりするのはどうなのか。そんな苦言も頭の後ろの柔らかなドキドキ感の前には無に等しい。気を抜けばショタの暗黒面に墜ちそうだ。理性の箍を閉めっぱなしにできるという意味で、酒を飲めないのは僥倖だった。

 七海が未練がましくテーブルを叩いた。識別用に右手首に巻いたタイが揺れる。


「いいなぁ、いいなぁ。ハナちゃん。私にもユウくん貸してよぉ」

「いや、貸し出されないですから、俺」

「いけずねぇ。ほんとにいけずぅねぇ」


 いつの時代の言葉なんだよ、と思いつつ、優紀は再び始まりそうな愚痴の気配を敏感に察知していた。

 回避の基本は、機先を制することにある。


「んなことより、聞きたいことがあるんですけど」

「なによぉ。もう私のこといぢめないでよぉ」

「イジメてないですよ。あのモールの地下施設、いつ作ったんです?」


 七海はグラスの梅酒をグビっと煽り、唇を突きだした。


「ちゅーしてくれたら教えてあげるぅ」

「怒りますよ?」

 

 優紀は、自分でも驚くほどに速く答えていた。七海の目がにわかに潤む。

 頭の上から舌ったらずな叱責が降ってくる。


「ユウく~ん。おこっちゃだめでしょおぉ?」


 続けて、陽菜は優紀の頭を抱きかかえて、七海に言った。


「でぇもぉ、ユウくんのちゅーはあげませーん」

「ハナちゃん。ちょっと落ち着こうか」


 優紀は微かな頭痛に眉を寄せつつ、質問を繰り返した。


「だいたい、資金はどうしたんです? あの設備、ありえない規模ですよ」

「アソコはオネショ研が借り受けてる観察室だもん」

「は?」


 拗ねたように言った七海の言葉は、理解するのに数秒を要した。

 優紀は自ら口にしておいて、失念していたのだ。ショッピングモールの地下に研究施設をこさえるのは一朝一夕では無理だということを。

 それを可能にするには、街の計画段階から組み込むしかないはずなのだ。

 七海はつまみを箸でつつきつつ、小声で言った。


「ちゃんと許可だって取ったし、資金だって研究所から出てるもん」

「ちょ、ちょっと七海さん、なにが『もん』だ、じゃなくて、そんな大それたこと、誰が許可なんか出したんですか?」

「所長に決まってるじゃない。まぁ、許可を取ったときは、まだ佐伯先生だったけどね。それでも今回の実験だってちゃんと神林先生にも話を通してあるもん」

「マジですか。やっぱコワイところですね、ここ……。って、話を通した!?」

「ふわぁ!?」「な、なに!?」


 優紀の頭の上で眠っていた陽菜は後ろに転びかけ、テーブルに伏せていた七海も飛び起きた。


「ど、どうしたの? ユウくん?」「なに? なんなの!?」

「ハナちゃん、ちょっとまって」


 優紀は神林の話を逆順に再生していった。

 車で送ってもらったとき。所内で孫の振りをさせられたとき。そして、初めてあったとき――。


「神林先生は、新型とか、今回のこととか、全部知ってた?」


 七海が訝しげに眉を寄せ、再びグラスを手に取った。


「もちろん。直接会って、逆光源氏計画観察計画の一部としてプレゼンしたもの」

「あいつ、んなこと全然言ってなかった」

「あ、あの、先輩。私、話が見えないんですけど?」


 さきほどのズッコケで陽菜の酔いは冷めたらしい。ぐでぐでお姉ちゃん感は無くなっていた。代わりに、優紀を抱きしめる手に力が入っていた。

 優紀は顎をあげて陽菜の顔を見上げた。


「所長、いや、神林のおっさん、それなら、なんで俺に協力したんだ?」

「ふぇっ?」「はぁ?」


 七海は口に運びかけたグラスをテーブルに戻した。


「どういうこと? 私、許可は取ったって言ったわよね?」


 優紀は小さくうなづいた。


「神林は、俺が初めてこの躰で会ったとき、驚きもしなかったし、すぐに俺だと気付いた。車も出してくれたし、トレラントモールの従業員出入り口に行くよう言った。そのくせ、俺には計画の話をしなかったんだ」

「……つまり、あの人は、私の立てた計画を潰そうとした?」


 七海の震える声に、優紀は静かに頷いた。

 店内の喧騒は、嘘のように小さくなっていた。カウンター越しに見える調理場のおっちゃんとおばちゃんは、まるで客などいないかのように黙々と作業を続けている。

 陽菜が声のトーンを落として、優紀に続きを促した。


「つ、つまり?」

「あのおっさん、七海さんの逆光源氏計画観察計画を潰そうとしやがったんだ」

「所長さんがですか? なんのために?」

「さぁな。ただ俺は、そのせいでしばらくジャリガキボディだ。理由を聞けねぇと、納得なんざ、できやしないね」


 優紀は陽菜の膝から降りて、七海の目を見た。


「あんたの秘密主義と、強引な研究計画の所為せいなんだ。手伝ってもらおうか。神林が使った観察部への連絡経路、抑えておかねぇと、消されちまう」


 七海も席を立ち、諦めたように首を縦に振った。


「分かったわ。もしそうなら、私も理由が知りたいし。手伝ってあげる」

「え、えと。先輩、だったらその、私は、何かお手伝いできることありますか?」


 不安げに尋ねる陽菜に、優紀は笑って答えた。


「もちろん、手伝ってもらうよ、ハナちゃん、七海さんのこと助けたいだろ? 今のままだと、七海さんもどうなるのか分からない。それに神林が言ってたよ。『何を問題として、なにを不問とするのかは、俺が決める』ってな。フザケてるだろ?」


 陽菜は七海の顔をちらと見て、悲しそうに俯いてしまった。

 からり、と引き戸が開く音がして、客の一人が帰っていった。

 その背中を目だけで見送った陽菜は、小さく、しかし力強く、頷いた。


「はい。私、なんとかしてあげたいです」

「なら頑張ってもらわないとな。さぁ、それじゃ、準備に取り掛かろうか?」

「はい!」


 両手を握りしめた陽菜は、元気あふるる声で答えた。

 少しほっとした優紀は、七海と陽菜を引き連れ、足早に店を後にした。

 神林がすべての絵図を書いていたなら力押しではだめだ。確実に逆手に取られる。しかし時間の猶予はそう多くない。少ないリソースで手を考えなければ――。


 ――まったく、食えない爺さんだぜ。


 優紀はタバコを咥え、陽菜に返してもらったジッポーで火を灯した。

 ぱふっ、と頭を叩かれた。


「先輩。歩きタバコはダメです!」

「一本くらい勘弁してよ」


 そう言いつつも、優紀は煙草を携帯灰皿に押し込んだ。

 もう、めっ、なんて叱られ方は、したくなかった。

 泣きたくなるから。

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