おねぇちゃんの真実

 優紀が発したおねぇさナイザーは、ほぼ同位置にいた二人の陽菜に届いた。

 しかし、謎技術『おねぇさナイザーキャンセラー』を使用した陽菜ワンは無事。陽菜ツーの鼻からは一筋の鼻血が伝った。

 陽菜ツー、もとい藤堂陽菜は鼻血を拭い、指先に残る鮮血を虚ろな目でみつめた。


「あ、あれ? 鼻血が……なんで?」


 陽菜は唇の片端を引きつらせ、優紀に尋ねた。


「先輩、いま、なんて言いました? なんだか、すごく、気持ち悪いことを……」

「気持ち悪いことじゃないよ。ハナちゃん。ハナちゃんは計画者の素質があるのさ」


 陽菜の眉間に、バキバキと深い皺が刻まれた。


「は、はい?」

「俺が使ったのは指向性の催眠音波だ。特定の性的嗜好があるやつにしか効かない」


 優紀は陽菜ワン、もとい、春風七海に目を向けた。


「そうですよね。春風七海さん」


 七海は諦めたように薄く笑い、前髪を掻き上げた。


「そうよ。高塚くん。計画者の素養、つまり年下好き、少年愛、そういったものを持っている人間にしか効かない、催眠音波よ」

「うええぇぇ!?」


 陽菜は頓狂な声をあげた。無理もない。彼女にはおねぇさナイザーの情報は知らされていない。今になって新たな変態的技術の存在をを知ったのだ。あまつさえ、自分も計画者としての素質があると言われたのである。

 陽菜は、ぱくぱくと口を震わせながら、七海を見た。

 七海はそんな陽菜は無視し、優紀の方へ、ゆらり、と首を傾けた。


「おねぇさナイザーを使うとは思わなかったわ。いい判断をしてるわね」

「観察部で二年。伊達じゃありませんよ。計画者については、よく知ってる」

「それでこそ――それでこそあなたは、私の計画対象者ショタに相応しい」

「どういうことです?」

「あなたは、いまから、私の理想の計画対象者になる。そういうことよ」

「あ、あの!」


 ぎゅっと目を瞑った陽菜が、目いっぱい腕を伸ばして、手を挙げていた。


「わ、私のこと、無視しないでいただけませんか!?」


 一秒、二秒、三秒……およそ、十秒ほどの沈黙があった。

 七海は冷たい声で優紀に言った。


「高塚くん。陽菜ちゃんは、今のあなたにとって理想の計画者おねぇちゃんだったでしょう?」

「そうかもな。けど俺は、計画対象者ショタにはならない。もちろん少年擬態者クソガキにも」

「なんで無視するんですか!?」


 虚しく響く陽菜の声には、泣きが入っていた。

 優紀は敢えて陽菜を無視して、七海に問いただす。


「なぜ、こんなことを?」

笹岡環ささおかたまき


 突然飛びだした名前に、陽菜が驚きの声をあげた。


「それって、少子化対策委員会の!?」

「どういうことだ?」


 優紀の問いに、七海は微苦笑を浮かべた。


「あの女はね、私から弟を奪ったのよ。あの子は私の大事な、大事な、たった一人の可愛い可愛い天使みたいな弟だったのよ」


 七海の語気が強くなる。


「お姉ちゃん、お姉ちゃんって、いつも言ってくれていたのに! あの女が横取りして! 結婚までして! お姉ちゃん許しませんって言ったのに! なのに!」

 ――ほっといてやれよ。


 優紀は心の中だけでツッコミを入れた。

 七海のヒステリックな怒声は、さらに大きくなっていく。


「だいたい、なんなの!? なんであんなおばさん!? お姉ちゃんが居るのに! なんであんなババアにすり寄ったの!? 知ってる? あの子ね、結婚してからこっち、ほとんど連絡くれなくなったのよ!? 前は毎日ハグしてって言ってたのに! もう結婚したからって言って!」


 あまりにもあまりな七海の叫び。

 優紀は助けを請おうと、無視してきた陽菜に目配せした。

 ダメだった。

 陽菜もぽかんと口を開いて、思考停止していた。話をしてもらおうと思ったのに。

 仕方なく、優紀は重くなる一方の口を開いた。


「知らないっすよ。弟さんが一人立ちして、よかったじゃないですか」

「よくないわよ! 私は誰にお姉ちゃんって言ってもらえばいいの!?」

 ――しらねぇよ。


 優紀はモチベーションが急激に減衰していくのを肌で感じた。心底どうでもいい理由に、なにをどうすればいいのか分からなくなる。

 しかし、七海の方はどこまでも本気らしい。

 怒りに燃える瞳を優紀に向けた。


「だから私は、理想の弟をつくることに決めたの。この街で、この計画の中で、あの女も、あの子も羨んで嫉妬しちゃうような、理想の弟を創ることにしたのよ!」

「……えっ?」


 理想の弟を創る?

 優紀の消えかけたモチベーションの機関部に、再び火が灯った。


「弟って、あんた、弟を作ろうとしてたのか!?」

「もちろん本物の弟じゃないわ。結婚できないから。お姉ちゃんって慕ってくれる、十歳は下の可愛い男の子、これがマスト! そして暴力的じゃなく、恥ずかしがりで、でもちょっとえっちなことにも興味があったりして、でもでもモジモジしちゃったりして――」


 優紀は滔々と語られる七海の理想の弟像に目眩を憶えた。先輩もそうだったが、なぜ揃いも揃ってオネショ研の連中はこうもこじらせているのか。

 優紀は延々と続く一人妄想垂れ流し大会を聞き流し、視線を彷徨わせた。

 得体の知れない両手足を拘束できる椅子、奥にはPCやオネショ研でも見かけたトースター型の機械。壁には時計もついて、観察室とよく似て――。


「あ、やべ。時間が」


 戦闘位相でいられる時間が、残り二分を切っていた。


「おい春風七海!」


 優紀は、とりあえずこれだけは聞いておこう、と思っていた問いをした。


「なんで俺を新型の対象にした!」

「可愛かったからよ!」

「えっ」「えっ!?」


 聞いた優紀と茫然としていた陽菜の、驚愕の声が重なった。

 動揺する二人を捨て置いて、七海が続ける。


「あなたが面接にきたときにビビビときたの。この子は絶対、昔は可愛かったって、他のクソガキとは違うはずだって、そう思ったのよ! 調べたら案の定、可愛かった。昔のあの子そっくりだった。だからあなたを新型のテスターにして、ハナちゃんをつけた。ハナちゃんは昔の私そっくりだったから!」


 優紀は、開いた口がふさがらなかった。陽菜も同様だ。

 つきつけられた真実が理解不能だ。そもそも昔の七海の弟に似ていて可愛いというのが薄ら怖い。陽菜にしたって、昔の自分に似てたからと言われて、はいそうですかとはいかないだろう。

 七海は、呆れて顔を見合わせる二人に、血走った目を向けた。


「やめなさいよ! そうやって見せつけないで!」

「見せつける!?」


 優紀は驚き振りむいた。

 七海が涙声で叫ぶ。


「そうよ! あなたが新型つかってくれないから、誘導までさせたのよ!? 使ったら使ったで、なんなの? あなたたち! 私がしたかったことを全部やりやがってるじゃない! ぎゅってしたりすんすんしたり! モニタリングしてたら二人でユウくん、ハナちゃんって、ああもう! そういうことをしたいのは私の方なのに!」

「なんだ……なんなんだそりゃ……」


 優紀はモニタリングされていた時間を思い返し、頬を赤く染めた。陽菜に目を向ける。ちょうど視線が交錯する。

 優紀と陽菜は急いで視線を外し、二人して俯いた。


「だからやめてってば! そういうのは私として!? ほら!」


 七海は優紀に向けて、両手を広げて受け入れ態勢を取った。


「いまは、私がハナちゃんよ! 私が、私があなたの計画者おねぇちゃんよ!」

 ――早すぎたんだ。計画を実行するには。いや、遅すぎたのか、恋愛に焦るのが。


 優紀はもじもじしている陽菜と七海を見比べ、鼻を鳴らした。


「お姉ちゃん? 違うよ。あんた、ロリババアだ。しかも、中途途半端な、な」

「バ、ババア!? その顔でなんてこというの!?」

「先輩!?」

 ――かわいい後輩のためだ。仕方ない。


 優紀は陽菜を指さして、自らのプライドごと吐き捨てた。


「僕のおねぇちゃんはあっちだよ?」


 優紀はあざとく小首をかしげ、言葉の刃を突きだす。


「おばさん、大丈夫?」

「なん、です、って……?」


 七海はわなわなと震えだし、憎々しげに陽菜を睨んだ。

 優紀は、そうなる瞬間を待っていたのだ。


「ハナちゃん!」

「ふぇっ!?」

「隠れろ!」


 優紀は叫んで駆けだした。スニーカー様耐衝撃ブーツが鉄床に食いつき、小さな躰を前へ前へと押しだしていく。

 目を見開いた七海は左足を引き、飛び込む優紀を待ち受けていた。


 優紀の蹴りがフェイントを交えて躰にへばりつく空気を切り裂く。

 七海はつられることなく、前腕で受け止めた。

 爆発音じみた音が部屋に響いた。

 蹴りを受け止めきれなかったのか、七海は、二歩、横に歩かされていた。

 生じた隙を優紀が見逃すはずもない。全力全開の拳で追撃をかけ――。


「ストップ! すとぉぉぉっぷ!」


 唐突な陽菜の叫びによって、優紀の拳は空転した。勢いを殺しきれずにスッ転び、床で弾んで壁際の機械につっこんだ。

 壁際で逆立ち状態になった優紀は、ほんとにどんがらがっしゃんって音がするんだな、と思った。

 崩れた機械の一部が滑り落ちる。足の間を擦り抜け――。

 優紀は、短い悲鳴をあげた。


「……なにすんだよ、ハナちゃん」


 真っ赤になった鼻を擦りつつ、優紀は立ち上がった。


「やっぱりハナちゃん、春風なな――」

「先輩、酷いです! おばさんとか、それに女性を蹴るなんて、どうかしてます!」

 

 陽菜は両手をぎゅっと握りしめ、非難するかのように叫んだ。

 

「いやいやいや! 俺、こんなガキンチョの姿にされてるんだけど!? それに俺の先輩だって病院送りになってるし、ハナちゃんだって攫われてんですけど!?」

「だって部長、泣いてます!」


 陽菜がピンと伸ばした指の先には、しゃがみ込む七海がいた。

 蹴られた左腕を握りしめ、さめざめと涙を流している。痛みのせいじゃないだろと言いたくなる。

 しかしそれでも、優紀の胸はちくりと痛んだ。


 ――ハナちゃんの格好で泣くのは、卑怯だろ。


 優紀の脳裏に中学時代に同じクラスだった女の子がよぎった。

 ちょっと叩かれたことでイラっとして、思わず叩き返した。軽くだ。その子は泣き出した。当時の優紀は慌てて泣き止ませようと、慰め、なだめ、オロオロしていた。その子が言った。

「ぷぷぷ~、うっそでーす!」


 過去の記憶といまの状況が重なり、優紀は一瞬ブチ切れかけた。

 が。

 大きく息を吐きだした。


「えっと、大丈夫すか?」


 怒れば加害者、おたつけば羞恥。それだけは、あの日、学習していたのだ。

 涙目の七海こと陽菜ワンは、金切り声をあげた。


「あなたいま、戦闘位相でしょ!? 本気で蹴る!? 死ぬかと思った! 私、死ぬかと思った! それにそれに、ばば、ば、ば、ババアって!」


 陽菜が泣き崩れた七海の肩を抱き、優紀にジト目を向けた。


「先輩! ほら、とにかく謝ってあげて!」

 ――ガチ泣きなのかよ。そのパターンも加害者になるのかよ! 勉強になります!


 優紀の心中では、混乱の嵐が吹き荒れていた。

 棒立ち状態の優紀に、陽菜が吼えた。


「ユウくん! 男の子でしょ!? ちゃんとあやまりなさい!」

「えっ。ええぇぇぇ!? だって、そんな――」

「ユウくん!」


 陽菜の叱責には、義母並の抗いがたい迫力があった。

 優紀は目を逸らしたまま、七海に頭を下げた。


「ご、ごめんなさい」

「ユウくん? 悪いことをしたら、ちゃんと相手の方を見て謝るの」

 

 今度は慈母の声色である。飴と鞭なのである。

 優紀はふぬぬ、と唸って抗議した。

 

「あ、謝ったじゃんか!」

「ユウくん? おねぇちゃん、ほんとに怒るよ?」

「ぐっ……わ、分かったよ……」


 優紀は陽菜ワンな七海の前で腰を屈め、頭を丁寧に下げた。


「蹴ったりして、ごめんなさい」


 なんで俺が、という思いが強まる。しかし逆らって怒られるのは、もっと嫌だ。

 陽菜が下げられた優紀の頭に手を乗せ、髪の毛をくしゃくしゃと掻き回した。


「よしよし。ユウくん、ちゃんとできるじゃない」


 陽菜は慰めるように七海の背中を撫でさする。


「部長、これで許してあげてもらえませんか? ユウくんもちゃんと謝ってるし、悪いことだってわかったと思います。ね?」


 七海がすんすんと鼻をすすった。


「わかった……許す……」


 優紀はその外見だけは陽菜な三十六歳管理職の姿に、少しイラっとした。少しだ。


「てか、七海さん。拉致した計画対象者たちはどこに? まさか――」

「返したわよ! 返して、家族ごと転勤なりなんなりで街から出ていくように仕向けるだけ。殺したりなんかしないわ。怖いこと言わないで。だから嫌なのよ、男って」

「はぁ? なんでいきなり男の話になんの?」


 優紀の言葉に七海の眉がまたも歪む。陽菜のジト目が心を突き刺してくる。

 なんでだよ、と思いつつ、優紀は聞き直した。


「どういうことですか? 男がなに?」


 七海は震える両手を見つめた。


「私が新型の変身装置を作った目的は、あくまで人口増加研究のため。元から計画対象者の数なんて全然足りない。だから数が必要だった。でも、失敗だった」


 七海は目を伏せ、手を強く握りしめた。


「最初のうちはちゃんと少年らしく振舞っていても、結局、中身は男なのよ。ケダモノなのよ! 最初はただのスキシップでも、どんどん限度を超えていくの。とけぼた振りをして胸を触るようになり、お尻を撫でて、しまいには――」


 顔を覆い、うなだれる。


「この街にいるのはショタ好きの女ばかりで、ショタに警戒心をもたないから、みんな騙されてしまう。集めた対象者は、みんなショタの暗黒面に墜ちていった」


 七海の目尻から、また一つ水滴が流れ落ちた。

 小さくなって揺れる背中を、陽菜がなだめるようにさすった。


「それで、観察部に武器を供給し始めたんですね?」

「そう。少年化の機能だけオミットして少年擬態者の回収を始めた。でも――」


 静かに語っていた七海の語気に、再び怒りの色が乗りはじめる。

 優紀はそれを爆発させまいと、言葉を遮った。


「弟さんを笹岡環に取られた」

「そうよ! あの女、あの女さえ――」


 再び始まった七海の怒りの吐露に、優紀は深くため息をついた。


「だからあんたも、ショタの暗黒面とやらに墜ちたってわけだ」


 七海は、顔を振り上げた。

 陽菜へ目を滑らせると、静かにうなづいていた。

 優紀は強く目を瞑り、言葉を選んだ。


「陽菜の姿形を奪って、なりきって。俺とか、少年とか、意のままにしようとしたんだろ? そんなの、あんたの嫌いな少年擬態者どもと、まったく同じじゃないか」

「……っ! ふぅっ……うあ、うあぁぁ……」


 七海は再び声をあげて泣きだした。しかし、今度の涙は痛みによるものでも、怒りによるものでもないだろう。

 願わくば、後悔であってほしい。


 結局のところ、春風七海は被害者の一人でもあったのだ。数多の逆光源氏計画を観察し続けることができたのは、自身に溺愛する弟がいたからだった。それが絵図を描いた笹岡環の手により失われたことで、ただの観察に私情が混じった。

 そのとき春風七海は、いわば計画者の暗黒面に墜ちた。


 計画者という存在自体が、すでにいたいけな少年に対してあれやこれやしたいという、不純な動機を多分に含む。春風七海は元が純粋なお姉さんだっただけに、その反動は大きかった、ということなのだろう。

 優紀は小声で呟いた。


「通常位相」


 優紀の脳内に響いた春風七海の『のーまるふぇーず』という声は、楽しげに聞こえた。まるで、純粋に弟とヒーローごっこに興じる、お姉ちゃんのように。

 ようやく泣き止んだ七海が、小さな声で優紀に聞いた。


「それで、私をどうするの? 捕まえるの?」


 いまにもさらさらと砂になってしまいそうな姿には同情を禁じえない。かける言葉が見つからない。ただ、してもらわなければならないことだけはあった。


「まずは、俺を元に戻してくれよ。いつまでもガキンチョの躰じゃ、調子悪いんだ」

「しばらくは無理ね。ここの機材が壊れてしまったから。でもすぐに直して――」


 続きの言葉は、優紀の耳には入らなかった。


 ――なんてことだ。なんてことなんだ。


 心折れた優紀はその場に崩れ落ちた。自らがしでかした行動により、元に戻れなくなったのだ。

 立ち上がる気力を失った優紀の後ろ頭を、陽菜がぽんぽん叩いた。


「大丈夫、大丈夫ですよ、先輩」

「ほ、ほんとうに……? ほんとうに戻れると思う?」

「大丈夫です! もし戻れなかったときは、私がお世話しちゃいますよ!」

「えっ」


 陽菜は頬をほんのりと染め、自信ありげに胸を張っていた。まだおねぇサナイザーの影響下にあるのかもしれない。


「そういうことじゃねぇし、大丈夫ではねぇよ……」


 優紀はヨシヨシされながら、涙目で七海を見た。


「じゃあ、せめて俺についてる誤解を解いてくれます? 俺、少年擬態者に間違われて、観察部員に追われまくったんだ。せめてそれだけでも」

「少年擬態者に? それはまずいわね。分かった、すぐにやるわ」


 立ち上がった七海は、部屋の隅でかろうじて動いている端末を操作した。


「とりあえず『高塚優紀が少年擬態者だというのは誤認である』と流しておいたわ。すぐに追跡も止まるでしょう。それに処理班を呼んで、ここもなんとかしないとね」

「ああ、そうか。てか、あんたの部下、一人も来なかったけど、どうなってんの?」

「逃がしたわよ」

「はぁ!?」


 優紀は素っ頓狂な声をあげて立ちあがった。悪のひみつ基地にいた戦闘員が全員逃げたとはどういうことだ。

 大声にたじろいだようだった七海だが、すぐに言葉を継いだ。


「みんな女の子よ? 喧嘩なんてできないし、事故かと思ったし、逃がすわよ」


 至極、真っ当な回答である。

 優紀は虚脱感に気が遠くなった。頭に柔らかい感触があった。目を向ければクロスノットがあり、上へと滑らせると陽菜が満面の笑みを浮かべていた。

 陽菜は指先で優紀の髪の毛を梳いた。


「えらいえらい。ユウくん、頑張ったね」

「……ハナちゃん、俺、これでも先輩なんだけど」

「知ってますけど、もうちょっと付き合ってくださいよぅ。私、一人っ子なので、弟とかずぅっと、欲しかったんです!」

「知らんけど――ぅお!」


 陽菜は優紀の頭を引き寄せ、抱き締めた。


「来てくれて、ありがとうございます。結構、怖かったんです」


 頭上から降ってくる声は、幽かに震えていた。

 優紀は手を伸ばして陽菜の背中に回し、強く引き寄せた。


「そりゃ来るよ。可愛い後輩だし」


 頭を抱える力が少しだけ強くなる。まるで口説いているかのようではないか。

 赤面した優紀は、ぐりぐりと頭をこじり、胸の間から顔を覗かせた。


「んじゃ、とりあえず祝杯あげよっか。あの小料理屋行ってさ」


 陽菜は丸い目をさらに丸くして、ぱたぱたと瞬き、優紀の頭に頬を寄せた。


「はい!」


 その顔は、緩み切っていた。


「……くそっ!」


 七海の顔だけは、怒りで歪んでいた。

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