計画者

 一夜明け、晴れ渡る青空の下。

 優紀と陽菜はオネショ研ビルの足元に立っていた。

 三度見上げる波打つビルは、朝日をうけてガラスの躯体を輝かせていた。


「さて行くか、ハナちゃん。準備はできてる?」

「は、はい! でも、ほんとに大丈夫なんですか?」

「七海さんが言ってただろ? 大丈夫だよ。あとはハナちゃんの頑張り次第だ」

「うぅ……私、あんまり自信ないですよぅ」


 そう言って、陽菜はもじもじと指先を遊ばせている。どうやら拉致されたのが、かなり効いているらしい。

 優紀は、大したことではない、と鼻を鳴らした。少年ボディのせいで、いまいち様にならない。仕方なく言葉を添える。


「観察部にきて三日。もう大丈夫さ。自分が信じられないなら、俺を信じろ」

「……適当に言ってません? ホントですか? 信じますよ?」

「ああ。昨日のおねぇさんとボク作戦じゃ、完璧だったろ? 大丈夫だ」


 優紀は胸を張り、陽菜の手を取った。しっかりと握り返してくる感触に安堵の息をつき、ビルの中へと入っていった。目指すは最上階、所長室だ。

 所長室の無駄に固そうな木製扉の前で足を止める。

 優紀は深く息を吸い込み、高まる鼓動を落ち着けた。陽菜も自らの胸に手を当てて、ぷひゅう、と息を吐きだした。

 

「さぁ、やるぞ」


 二人は視線を合わせ、力強くうなづき合った。ドアに手をかけ引き開ける。

 入ってすぐに目につく。青い絨毯の上に、小さなアルミ製のバケツがあった。

 ぱこん、と間の抜けた音がし、バケツの中に釣り糸のついたルアーが飛び込んだ。

 糸の続く先には、研究所には不釣り合いなほどに重そうなアンティーク机が一脚見える。机の背後にある巨大な窓から光が射しこんでいた。

 神林は逆光に姿を隠し、釣竿片手に座っていた。


「やぁ。アポなし訪問とはたまげたね。なんの用だい、高塚くん」

「ちょっとばかし、お話しがありましてね」

「へぇ、僕にかい」


 神林は優紀のことなど全く気にしていないのか、悠然と釣り糸を巻き取り、再び投げた。ぱこん、と針が見事にバケツの中へと吸い込まれる。


「どうぞ? 入りなよ。そこじゃ遠いんだ。爺さんに声張らせるんじゃないよ」

「失礼します」


 優紀は陽菜の脇腹をつつき、ともに所長室へと足を踏み入れた。

 途端。

 盛大なハウリング音が部屋の隅に付けられたスピーカーから鳴った。


「うぉっ?」

「せ、先輩?」


 優紀は舌打ちし、神林を睨みつけた。


「盗聴防止、ってことですか」


 神林は小さくうなづき、冷笑するかのように薄く笑った。


「そりゃそうだよねぇ。ここ所長室だよ? スパイとかいたら、困るじゃん。例えばほら、高塚くんとか、藤堂くんとか、まぁようするに、君たちみたいなさ」


 そう言いながら、神林は床に置かれたバケツを指さした。


「さ、そこのバケツに出してくれるかい? もちろん、電話もね?」

「先輩、どうしたら?」


 両手を胸の前で握りしめた陽菜が、不安げに目を泳がせた。

 なかなか真に迫った演技だ。

 優紀は鼻で息をつき、スマートホンをバケツに入れた。


「ハナちゃん。しょうがない。捨てよう」


 陽菜は渋々といった様子で頷いた。

 優紀と陽菜は盗聴器も外し、スマートホンと一緒にバケツの中に放り込んだ。

 神林は満足そうに笑みを浮かべて、竿を巧みに操り中身ごとバケツを釣りあげた。


「わざわざこんなの仕込んできたってことは、なにか思うところがあるってことだよねぇ? 手伝ってあげたってのに、ちょっと酷くはないかい?」

「酷いってのは、こっちの台詞ですよ。見てください。このザマだ。おかげでまだしばらくはガキンチョのままなんですよ?」


 優紀は無造作に足を進め、神林のデスクの前で止まった。逆光が眩しい。どうしても目線が上にいくせいだ。それもこれも、計画について教えてくれなかったからなのだ。そして、陽菜に身の危険はないことも。


「なんだって、俺をあそこに送り込んだんです?」

「だから春風君の計画を知って、まずいと思ったからだよ。そう言ったろう?」

「だったら、なぜプレゼンを受けたときに、許可なんてだしたんです?」

「さぁてなぁ。どうだったかな。そのときは、危ないことやってんなーなんて、思わなかった。とか、そんなところじゃないかなぁ。覚えてないよ。そんな昔のこと」


 神林はいけしゃあしゃあと言ってのけ、高笑いをした。


「でもよかったじゃないか。ほらそこの、藤堂くん、だっけ? 無事だったんでしょ? 君みたいに、なかなか元の躰に戻れません、なんて困るだろう」

「へぇ? 計画自体は知っていたのに、中身までは知らなかったわけですか。随分とまぁ都合のいい頭をお持ちでいらっしゃる」


 釣竿を撫でていた神林の手が止まった。竿を丁寧に机の上に置き、まるで優紀を値踏みするかのように躰をのけ反らせる。

 上等そうな椅子が、ぎしりと軋んだ。


「いやいや、君ねぇ。言葉遣いには気をつけた方がいいって、僕、言ったよな」

「さて、どうでしたっけ。俺もなかなか都合のいい頭を持ってるみたいだ」


 バン、と机が蹴られる音がした。

 神林は薄笑いを浮かべたまま、椅子を回して優紀たちに背を向けた。

 優紀は陽菜に目で合図を送った。作戦開始だ。

 二人は神林の座る椅子を左右から挟み込むように回り込む。


 神林の見つめる窓を、優紀も同じように覗き込んだ。

 窓の先に見えるはずの病院は、観察部の窓から見るよりも随分と低い。磨き抜かれたガラスに、少年姿の優紀がおぼろげに映っている。

 陽菜が深呼吸をして、眉を寄せる神林に尋ねた。


「なんで計画を失敗させようとしたんですか? 佐伯先生に頼まれたお仕事なんですよね? 佐伯先生が私にここを紹介してくれたんですよ? なんでですか?」


 神林は詰問する陽菜を一瞥し、肘置きに片肘をついた。


「個人的な仲のよさとは別なんだわなぁ、研究ってのはさ。僕ぁ、冗談のつもりで言ったんだよ。それに彼のアイディアだって嫌いじゃなかったんだ。だけどさ、ほんとにこんなドデかいものをこさえるなんて正気じゃないよ? そうだろ、藤堂くん」

「たしかに、変わったことをしていると思います。観察したりとか、女性に理想の男性を作らせるとか、倫理的にもすごく問題があると思います。でも――」


 陽菜は神林の横にしゃがみ込んだ。


「やりすぎです。研究の暴走を止めるのが、先生のお仕事でしょう? めっ、です」


 神林はついていた片肘を滑らせ、苦笑いしながら陽菜の方へと首を振った。

 陽菜は目線の高さを合わせ、実に真剣そうな顔をし、繰り返した。


「めっ!」

「なに言ってんだ君は」


 口ではそう言いつつも神林の顔はだらしなく緩んだ。

 効いてるじゃないか。

 と、優紀は唇の片端をあげ、ポケットの中で拳を握りしめた。


「所長。どうせ盗聴器もスマホも取りあげたんです。ハナちゃんに免じて、なんで研究を潰したのかくらい、教えてもらえませんか?」


 神林が顔を引き締め、驚いたように振り向こうとした。

 その瞬間、陽菜は神林の顔を両手で挟み、止めた。


「先生? ちゃんと教えてください! じゃないと、めっ、します」

「だから何をいってんだい、君は」


 ますます神林の頬が緩む。鼻の下が伸びていく。

 優紀は首を傾け、囁くようにいった。


「先生。この部屋は完全防備ができているじゃないですか。録音もない。盗聴も防いだ。俺らの完敗ですよ。お願いします。ここで聞いたところで、何にもできない」

「まぁねぇ……しょうがない。ハナちゃんには教えてあげようか」


 神林は満足そうに椅子に座り直し、陽菜に語り掛けるように話し始めた。 


「僕の専門は魚類なんだ。生物学なんて知ったこっちゃないしさ。大体ほら、ハナちゃんとこの、佐伯くんだよ。彼が言い出しっぺだろ? なんで僕が所長? たまんないよ。時間拘束がきつくて自分の研究はできないし、もうウンザリでさぁ」


 陽菜はうんうんと頷いて、神林の手を両手で握った。


「分かります。大変ですよね。自分の研究ができないんて、困っちゃいます」

「そう。困っちゃうんだよ。分かる? ハナちゃん。分かってくれる?」

「でもそれだけで、人の研究潰しちゃうって、めっですよ」

「めっ、かぁ、怒られちゃったかぁ」


 神林はでれでれとした笑顔を浮かべ、頭を掻いた。

 陽菜はあやすように笑いかけつつ、優紀をちらと見た。いきます、という合図だ。

 優紀は小さく首を縦に振った。

 陽菜のやる気に満ちた瞳が、仄かに光った。


「全部、正直に言ってくださいね? ほんとに神林先生がやっちゃったんですか?」

「んんぅ。まぁ、いいか。そうだよ。僕がやった。また、怒られちゃうかな?」


 神林の口が滑らかになっていく。第一の言質は取れた。

 優紀は二人のやりとりを横目で見つつ、窓の外に見える病院――その角部屋の窓を見つめた。先輩の病室だ。米粒並みに小さな点でしかないが、人影が動いていた。


「先生、ほんとは全部知ってたんでしょう」


 と、陽菜は頬を膨らませ、まるで子供が新しいおもちゃをねだるときのように上目遣いまでしてみせている。それが陽菜の罠――、

 いわば、おじさナイザーだ。

 そうとも知らず、会話を続けた神林は、完全に調子づいているようだった。 


「知ってた。だはぁ。まぁ、そりゃ知ってるよね。でもほら、あの計画は佐伯くんが所長の頃に組まれた仕事だからさ。潰れても僕の責任にはならないからね。こりゃ丁度いいやって。だって彼、ここを作った功績とかって言ってさ。随分エラくなっちゃって。美味しいとこだけ持ってって、あとはお願いします、ってそりゃないよなぁ」


 神林の手が伸び、陽菜の手に重なる。


「ここで起きた色々な問題は、ぜぇんぶ、佐伯が研究者を暴走させたせいだ、って報告すればいいわけ。僕、頭いいだろ?」

「でも、先生が七海さんの研究にゴーサインを出しちゃったんだから、バレちゃいませんか?」

「バレないバレない! だってほら、記録なんか全部消しちゃったし」


 神林は舐めるような眼差しを陽菜に向け、そのまま首を回して優紀を見上げた。


「記録、残ってなかっただろ?」

「たしかに、なかったみたいです。出てきたのは全部、七海さん名義でしたよ」

「だろぉ~? 僕、結構うまいんだから。ぜぇんぶ、書き換えてもらったんだ」


 神林は満足そうにそう言い、陽菜に向けた目を、いやらしく歪めた。

 陽菜の眉が寄る。これまでになく怒っている。

 そのとき、がががががが、とバケツが振動した。振動の発生源は優紀のスマートホンだ。鳴り始めたスマートホンは、ツーコールで静かになった。

 神林はバケツの振動に気づくこともなく、甘えだしていた。


「めっ、ってされちゃうかなぁ、僕」

「いえ」


 返答したのは優紀だった。

 陽菜に代わり、神林の不気味な猫なで声に、冷たい声で応答する。


「国家プロジェクトですからね。先生の追及は警察の領分でしょうよ」


 そう言って、優紀は陽菜に小さく頷いてみせた。

 頷き返した陽菜は、するりと手を引き抜いた。さきほどまでの神林を篭絡するかのような表情は消えうせている。真顔だ。

 神林は、急変した陽菜の態度に動揺したらしい。二人の顔を交互に見て言った。


「ハナちゃん? どうしたんだい? いったい……」

「ハナちゃんはやめてください。先生に呼ばれると鳥肌立っちゃいます」

 

 陽菜の辛辣な一言を受け、神林は初めて薄笑いを消した。

 神林は狼狽した様子で優紀を仰ぎ見た。


「ちょっと待ってくれよ。警察? 何の容疑で? 証拠はどこにあるんだい?」


 優紀は神林の肩を叩いて、窓の外を指さした。


「見えますか、あの病院。あそこにね、俺の先輩と七海さんがいるんですよ」

「はぁ? それがどうしたんだ? 傷害なら春風くんを捕まえなよ」

「まぁまぁ。急がないでください。さっきスマホが鳴ったでしょ? あれが合図なんです。言質が取れました、自白になってます。って言うね」


 神林は弾かれたように振り向き、バケツをひっつかんだ。膝の上に置いたバケツの中で、優紀のスマートホンが光っている。その画面は、七海からの着信があったことを示していた。


「これが合図だって? 言質? どうやって。盗聴器はダメになってるだろ?」

「だから、あの病室ですよ。あそこにはね、ゲゼワ二が置いてあるんです。病室の窓からこっちを狙ってる。先生、ご存じないでしょう。内規が変更されてから入った新装備ですからね」

 

 優紀はバケツの中からスマートホンを取りだし、ポケットにしまい込んだ。


「――それで、新しいゲゼワなんですが、超指向性集音機がついているんです。今日は珍しく晴れてて気温も高いでしょう? このくらいの距離だったら、楽勝で集音できるらしいですよ。もっとも――」


 優紀は窓ガラスをそっと撫でた。


「音があればガラスが振動しますからね。ゲゼワ二は振動から音声を抽出することだってできる。ほんと、便利な道具ができたもんですよ」


 ごくり、と唾を飲み込む音がした。

 神林だ。

 陽菜がふぅ、とため息をついた。ポケットから取りだしたウェットティッシュで手を拭い、呆れたように言った。


「それだけじゃないんです。あのちょっと変態さんな装置、音も映像も記録して、好きなところに送れるんです。いまごろは先代所長の佐伯先生とか、委員会の人たちとか、信頼できる方に先ほどの発言が送信されてるんです」


 優紀は勝利を確信し、首を回した。

 いつもならコキン、鳴るのだが、少年ボディの関節は柔軟で、音はなかった。やはり、様にならない。

 咳ばらいをひとついれた優紀は、陽菜の後を継いだ。


「嫌な仕事とはいっても、内規いじられちゃうくらい仕事しないってのは、さすがにマズいったですね。俺だって最低限のことはしてますからね」

「よく言うよなぁ」


 神林は背もたれに全体重を預け、片手で目元を覆った。

 優紀はポケットからタバコを取りだした。


「お吸いになります?」

「いや。僕ぁいいよ。そこらに来客用の灰皿おいてあるから、吸っていいよ」

「では失礼して」


 優紀はタバコのボックスから一本取りだし咥え、ジッポーに火を灯した。火を移しつつ深く吸い込む。味など何もしない。けれど妙な爽快感がある。

 優紀は天井でがなりたてはじめた空気清浄機に向かって、煙を吐いた。


「今回のは、ちょっと美味いな」


 すかさず鼻をつまんだ陽菜が、心底いやそうに言った。


「先輩、その一本だけにしてくださいよ?」

「固いこと言うなよ」


 神林は遠い目を窓の外に向け、呆けたように呟いた。


「釣り、行けるようになるかなぁ?」

「どうですかね。牢屋の中のトイレに魚がいるなら、別かもしれませんが」


 優紀は意気揚々と煙を吹いた。

 神林がボソリと呟いた。


「そのタバコ、マズくしてやろうか」

「はい? どうやって? 負け惜しみはやめてくださいよ」

「僕には協力者がいる。偽装連絡のやり方なんて知らないからね。誰だと思う?」


 神林は薄笑いを浮かべた。しかし目はまったく笑っていない。


「観察部の部長さんだ」


 意趣返ししてやると言わんばかりに、そう言った。

 ……。


「んな!? はぁ!? どういうことだそれ!」

「役立たずな部下はいらねぇって、言ってたぜ? 逃げられる前に追いかけな。あいつは僕より腹黒いぞぉ? なんせほら、小料理屋に網張ってたらしいから。君らの事も教えてくれたよ。いまだって、どっかで聞いてるかもしれない」

「くっそ、あのハゲじじい! ハナちゃん! すぐ行くぞ!」

「ふぇっ!? は、はい!」


 優紀はすぐさまに走り出し、タバコを応接テーブルの上の灰皿に押しつけた。


「所長さんよ、逃げんじゃねぇぞ?」

「逃げやしないよ。追っかけられたら負けるし。でも、タバコはマズくなったろ?」


 優紀と陽菜は、神林の高笑いを背にうけて、観察部目指して駆けだした。


 ――もうタバコ、やめよう。


 優紀は固く心に誓った。

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