誰だお前は

 エアーの抜ける音とともに、研究管理室の扉が斜めに割り開かれた。

 室内にいた白衣の研究員たちの視線が、一斉に優紀に集まる。

 優紀はさも当然という風に装い、部屋に足を踏み入れた。

 その足取りをねっとりとした視線が追った。不審者を見たときのそれではない。あるのは大多数の「補食対象を発見した」と言わんばかりの視線である。ほんの数人だけが興味なさげに仕事に戻った。


 ――好みの顔じゃなくてごめんなさいねぇ。


 心中で毒づいた優紀は、研究室の奥へと目を向けた。ガラス窓越しに管理部長と書かれたプレートがそびえるのが見えた。

 春風七海の姿はない。


 やはり、主犯は彼女か。

 新型の即時変身装置を開発者であり、研究のすべてを把握し、観察部員たちを手足のように扱う。それらを自らの権限で出来るのは、春風七海くらいのものだ。

 陽菜を拉致するにしても、相手はかつての部下だ。ただ呼び出すだけでいい。それなら部屋に争った形跡が無かったのも頷ける。

 

 ――あるいは、陽菜も味方か。

 

 どのみち見つければわかることだ。

 優紀は浮かび上がった疑念を保留し、研究員たちを流し見た。すぐに目を逸らされたのが一人。ムッツリタイプ特有の行動パターンである。

 構わず、不安げな少年を装いつつ、他の研究員にも聞こえるように声を張った。


「あの、質問してもいいですか?」

「えっ!? あっ、な、な、ななにかな!?」


 鼻息も荒く研究員が振り返った。実際に少年と接する機会は少ないらしく、必要以上に緊張しているのが丸見えである。

 悪の科学者の一味が相手なら、おねぇさナイザーの行使にも遠慮はいらない。


「あの、七海おねぇちゃんは、どこにいますか? 僕、このバッグをおねぇちゃんにもってきてくれっていわれて、でも、いなくて、こまっちゃって」

「七海おねぇちゃん!? くっそ、あの女、こんなショタを……っ!」


 おいおい聞こえてんぞ、という言葉を飲み込んで、優紀は言葉をつづけた。


「じゃあ、あの。バッグ、机のところにおいても、いいですか?」

「えっ、ええ! も、もちろん! でもあの、みんなお仕事してるから、ジャマしたらだめだよー? できるかな?」

「はい! ありがとうございます!」


 優紀は深々と頭を下げた。伏せられた顔には、邪まな笑みが浮かんでいた。

 あまりに簡単にコトが運んでいくため、なぜもっと早くこの手を使わなかったのかとすら思う。

 まとわりついていた他の研究員たちの視線は消えた。

 顔を上げると、話していた研究員の女は、同僚たちを相手どり、睥睨するかのように見回していた。

 

 さきほどまで感じていた多数の視線は、正面の研究員に移ったのだ。先ほどの『ジャマしたらダメだ』という文言は、優紀が他の研究員たちに接触するのを妨害するためだったのだろう。

 なんというあさましさか。

 騙されているとも知らずに。


 優紀は心中ほくそ笑み、七海のデスクへ向かった。

 関係する書類やメモの走り書きでもあることを期待していた。しかし整然とした机の上には、パソコン以外には何も置かれていない。

 

 ――まいったね。バレないといいんだが。


 優紀は野球帽のつばの影から、研究員たちを見回した。まだいくらかの人間がこちらを見ている。パソコンを操作するには、視線と注意を反らさねばならない。

 おねぇさナイザーが複数人に同時に効くのか試したことはない。しかし、今試すわけにもいかない。なにしろ相手は研究管理部員だ。彼女らは即時変身装置の開発に少なからず関わっている。試して効果がなければ、すぐに擬態は看破されるだろう。


 優紀は自らの経験の抽斗を開けて、ムッツリタイプの行動を思い返した。

 ムッツリなら、これか。

 と、優紀はちらちらと向けられる視線に対し、慌てた風を装い帽子を取った。


「ご、ごめんさい! 部屋の中にはいったら、帽子かぶってたらダメですよね?」


 誰に向けるでもなく、さらにボソりと呟く。追撃だ。


「気をつけないと、また怒られちゃうもんね」


 ヘラっと笑い、様子をうかがう。

 研究員たちの顔がだらしなく緩んだ。中には鼻を手で覆い隠して、そっぽを向く者までいる。相変わらず数人は唇の端を下げたままだが、こちらに注意を払っていないのであれば問題ではない。


 ――チョロいな。


 優紀は素早く七海のパソコンを操作した。

 サスペンド状態からの復帰。パスワードすらかかっていない。管理部長の端末だというのにセキュリティが甘すぎる。他の研究員が使用することもあるのだろうか。もしくは、ここに重要な情報は残していないのか。

 観察部ではゲゼワのデータがどこに送られているのかも把握していないのだから、ありえる話だ。


 気を取り直し、端末操作を続ける。

 必要なのは位置情報の追跡だけだ。重要機密が得られなくても救出に支障をきたすことはない。

 

「ん? あれ? 君、なにしてるの?」


 早々に気を持ち直した研究員の声がした。それに反応して興味なさげにしていた研究員の目もこちらに向いた。

 一瞬、動きを停めた優紀だったが、まだ二段構えの用意があった。


「ごめんなさい! 一応おねぇちゃんにメールを打っておこうと思って、僕、まだスマートホン? もってないんです!」


 口から出まかせの少年トークである。しかし、おねぇさナイザーの影響下にあるためか、はたまた優紀自身のボーイソプラノのせいか、室内にほんわかムードが漂った。

 予想以上の効果に動揺を憶えつつ、優紀は即時変身装置の追跡アプリを起動した。

 すぐさま『監査部員:高塚優紀』の位置情報を検索する。

 信号の最終観測地点は――。


 ――あねづきトレラントモール!?


 思えば、優紀が女性が尾行されていることに気づいたのは、モールだった。陽菜がモールにいるのなら、それも納得できる。尾行がはじまったのがモール内だったのだろう。言い換えれば春風七海とその一派は、モールを真のひみつ基地にしている。

 端末から離れた優紀は、礼儀正しい少年を装い、深く頭を下げた。


「ありがとうございました! それじゃ僕、かえりますね?」


 あらためて醸成されたほんわかムードの中、優紀は堂々と管理部の真ん中を突っ切って部屋を出ようとした。

 そこに、一人の研究員が声をかけた。


「ちょっと待ってくれるかな?」

「えっ?」


 振りむいた優紀は顔を強張らせた。

 研究員は、訝し気な目をして立ち上がった。


「あの春風部長がスマホを持たせないなんて、ありえないと思うんだけど?」

「え……っと、それは、その」


 優紀は動揺した。研究員の指摘はまったく正しい。

 オネショ研で研究管理業務の長を務めるような女が、未成年の身内にスマホを持たせておかないはずがない。

 部屋を満たしていた弛緩し淀んでいた空気が、俄かに引き締まっていく。

 目を鋭くした研究員は、優紀の頭からつま先まで眺めまわした。


「それに、君、どうやったここに入ってきたの? 一人?」

「えっと……その、お、おねぇちゃんに……」


 優紀はおねぇさナイザーの効力不足に焦っていた。数人には効果的に機能していたというのに、目の前の女には通用する気配がない。


「――あなた、ハル君の弟なの?」

「そ、そう! そうなんだ!」


 優紀は焦燥感に駆られて、間髪入れずに答えていた。

 しかし。

 研究員の女は、薄く笑った。


「ハル君に弟はいないわよ?」

 

 研究員の目が、ちらりと壁に備え付けられたボタンを見た。四角い縁取りは黄色と黒の縞模様でガラスのカバーの下に赤いボタン。どう見ても緊急時に鳴らすなにか。


少年擬態者クソガキ!」

「おねぇさナイザー!」


 研究員の叫びと優紀のおねぇさナイザーは、ほぼ同時に発声された。

 スイッチに向かおうとした研究員の躰が恍惚の表情で倒れていく。それを誰かが受け止めた。


「少年擬態者の襲撃よ!」

 

 誰かが叫んだその声を、優紀は背中で聞いた。

 エアロックが閉じられる音を聞くと同時に、赤く明滅する廊下を駆けだした。

 警報が廊下を突き抜け、そこら中で扉が割り開かれて研究員が顔を出す。

 もはや四の五の言っている場合ではなさそうだった。


「おねぇさナイザー! おねぇさナイザー! おねぇさナイザァァァァ!」


 完全に涙声である。前に出る研究員たちに片端から叫んでいく。

 パタパタと倒れていく少年好きの成れの果てを飛び越え、優紀は走った。

 急がないと陽菜の身が危ない。

 なにしろ相手は少年擬態者の量産疑惑がかかる連中である。たとえ計画者の補食圏ストライクゾーンに入っていないからといっても、油断はできない。


 転がるようにして飛び込んだエレベータの上昇は、今日に限ってやたらと遅く感じた。しかもアルミ扉が開くと、仮面をつけた観察部員たちが待ち受けていた。

 コワイ、と思うより早く、正面の観察部員が突っ込んできた。


「少年擬態者! 覚悟しろ!」

「ひぃっ!」


 と、悲鳴をあげつつ、優紀は拳をかいくぐる。

 いま捕まるわけにはいかない。説得して聞いてくれる連中でもない。しかもおねぇさナイザーも効かない。相手はいい年したオジサマで、おねぇさんではないのだ。

 観察部員たちは素早く優紀を取り囲んだ。

 優紀は首を巡らせ、舌打ちした。


「やりたかぁなかったが、これじゃしょうがねぇな。強化位相!」

『再使用まで残り十三分。強制発動しますか?』


 即座に脳内で響いた声は、どこまでも間が抜けていた。

 優紀は息を飲み込んだ。観察部員たちは顔を見合わせ、悠々近づいてくる。


「あぁぁ! 強制発動! 強化位相!」

『本当に発動しますか?』

「本当に発動します!」

『本当に本当ですか? どうなっても知りませんよ?』

「くっそ! まだ聞くか!?」


 観察部員たちは笑い合い、口々に吼えた。


「イカれてるとは思っていたが、ここまでとはな!」「藤堂君の居場所を教えてもらうぞ!」

 ――イカれてるとか思ってたのかよ!


 優紀は考えを改め、歯を食いしばった。強化外骨格による補助がないのなら、その耐久力で勝負する。幸い先の戦闘でも肉体へのダメージはゼロだ。見た目はただの服でも強化外骨格には違いない。


 優紀は初っ端の拳を床を滑って躱した。流れるように床を叩いて立ち上がり、そこで一瞬止まった。

 あえて背中を蹴らせてやる。

 ど、とキツイ衝撃があった。

 首がちぎれて躰だけ飛んでったんじゃないかと疑うほどだ。


 優紀の小さな躰は、猛烈な圧力によって吹き飛ばされた。

 しかし、予想通り胴体に痛みはない。

 息が詰まるのとムチウチを失念していたこと以外は、大正解だった。


 優紀は吹き飛ばされた勢いそのままに躰を投げ出し前転する。足が地に着くと同時に全力で逃げ出した。軋む首を手で押さえて走り続けた。

 しかしただ走っているだけでは追いつかれるのも時間の問題である。扉が目につけば開き放ち、ゴミ箱があれば蹴倒し、気配を察すれば振り向いででも強化外骨格で打撃を受ける。

 角を曲がり切るころには、優紀は頭痛と目眩と手指の擦り傷で涙目だった。


 ――もうやだ! もうやだ! あいつらあとで絶対ぶっ飛ばす!


 滲む視界の向こうに、ガラス扉が見えた。外から照明の光が差し込んでいる。

 優紀は躰ごと扉にぶつかり、ようやく外へと飛びだした。

 建物がライトアップされていることで、ビルの外周はより闇が深くなっている。紛れ込むには絶好の状況だ。

 優紀は月夜と照明が作る陰の狭間に身を溶かし、ビルの裏手へと回った。

 怯えながらも走っていると、ふいに声が聞こえた。


「こっちだよ。高塚くん」

「えぁ!?」


 優紀は驚き叫んで停止した。建物の隙間と言われれば信じてしまいそうな細い通路の先で、誰かが手招きしている。

 優紀は迷わず躰を滑り込ませた。

 少年の姿であってもギリギリの細さである。仮に追手が気づいたとしても、う回路を探すほかにはないだろう。


 するすると隙間を滑っていくと、わずかに開けたスペースに出た。元の用途は不明だが、ステンレス製の箱型をした灰皿が二つ立っている。使ったことはないが、所内禁煙として野外に押しやられた喫煙スペースだろう。

 暗がりの中から、楽しげな男の声がした。


「やぁ、高塚優紀くん。災難だったね」


 研究機構所長、神林武彦かんばやしたけひこである。

 優紀は両手を肩の高さまで引き上げ、ファイティングポーズを取った。


「な、なんで所長がここに!?」

「こらこら、声が大きいよ。聞かれたらまずいだろ?」


 神林は頭を掻きつつ、カエルのようにニマっと笑った。


「なんでかっていうと、やることないから監視カメラの映像を見てたんだな」

「は、はぁ。ってそうじゃなくて! なんで俺を助けるんだ!?」

「そりゃ君、春風くんの計画を知って、どうしたもんかと思ってたからさ。悲しいことに、僕が所内でできることって少ないんだよね。なんか気づいたら内規がいっぱい変更されてるしさ。まぁお飾りみたいなもんだし、しょうがないとは思うんだけど」

「仕事、してませんもんね」

「痛いこと言うね高塚くん。ま、その通りだけどね。僕、こんな仕事したくないし」


 そう言って、神林は肩を揺らした。

 実際、優紀の知る限りでは、おねショ研の所長に据えられて以降、所内では目立った仕事をなに一つしていない男である。

 もっとも、神林は魚類学者であり、たまたま書いた生物学の本が少子化対策委員長である笹岡環の目に止まり、半強制的に招聘されただけだという。

 それが真実なのだとしたら、なにもしないというより、できないのかもしれない。


「でもまぁ、その、助かりました。ありがとうございます」

「いや、いいってことだよ。むしろ仕事をするチャンスをくれて、ありがとうだね」

「いえあの、こちらこそ?」


 優紀の返答に、神林は試すような目つきで答えた。


「ふん。それより急がないとね。君が頑張ってくれないとね、僕が困るんだ」

「どういうことですか?」

「僕は痛いのは嫌だ。車まで案内するよ。運転もしてあげよう。そこから先は――」


 神林は薄笑いを浮かべ、そこから先は自分でなんとかしてくれ、と言わんばかりに優紀をつついた。最後まで言い切らないのは、優紀が春風七海の確保に失敗した場合は、尻尾きりに使いたいからかもしれない。


 ――悪のひみつ基地の戦闘員って、悲しい組織人だったのか……。


 優紀はやるせない思いに囚われた。しかし、いまは海端の提案に乗る以外の手はない。下手をすると断った途端に手のひらを返して、観察部に突きだす可能性もある。

 優紀は不承不承、右手を差しだした。


「分かりました。たしかに時間もないですし。協力、感謝します」

「うん、いい判断だね。君、出世早いよ。きっとね」


 神林は咥えていたタバコを灰皿に押しつけて、優紀の手を握り返した。

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