上司のご機嫌を窺いつつ脱出せよ

 優紀は神林の背中に隠れ、おっかなびっくり駐車場を目指していた。

 偽装のためにと手を繋いで歩くのは理解の内だ。しかし、まさか堂々と所内を抜けるとは思っていなかった。

 

 未だ所内の各所で観察部員たちが血眼になって優紀を探しているはず。姿を見られれば即座に戦闘に持ち込まれるのは必至である。

 いったい何を考えてるんだこの昼行燈は、と思わずにはいられない。

 そんな優紀を無視するように、神林は飄々として歩き続ける。


「そんなにビビるこたぁないよ、高塚君。所長といっしょなんだよ? 所長と」

「で、でも、お飾りだって、ご自分で仰ってましたよね?」

「はぁっはっはっはぁ!」


 呵々大笑の神林は、驚く優紀の顔を一瞥した。


「君ね、謙遜って言葉を知ってるかい? 知らないなら辞書で調べておくといい。世の中ねぇ、僕みたいに人がいいやつばっかりじゃないんだぞ? 君はまだ若いんだから、気を付けたまえよ」

 ――いい人は自分でいい人、なんて言わねぇだろうよ。


 など言えるはずもなく、優紀は素直に頭をさげた。


「えと、なんか、すいません」

「いいんだよ、いいんだよ。僕はたしかにお飾りなんだから」


 そう言って神林は口の端を、にまり、とあげて、優紀の顔を覗き込んだ。

 そういうことか、と優紀は作り笑顔を顔に張りつけた。


「いえいえ、そんな。神林先生がいなかったら、俺なんかすぐ捕まっちゃいます」

「そうかぁ? そうかなぁ? そうかもしれないなぁ! はぁっはっはっは!」


 満足そうに高笑いする神林の背を眺め、優紀はため息をついた。


 ――めんどくせぇ。めんどくせぇよ! このオッサン!

 

 ふつふつとこみ上げる怒りは、腹の内から吹き零れることはなかった。

 

「おっと、来たね」

「は、はい?」


 優紀が聞き返すとほぼ同時。廊下の奥から観察部員と思しき声があった。


「そこにいやがったか! 少年擬態者!」


 優紀が神林の背中から顔を覗かせる。

 観察部員がこちらを指さしていた。


「や、やばい」

「大丈夫だよ」


 神林は優紀の頭に手を置き、背中に隠した。


「君の名前は、いまから人見知りのマリンくんだ」

「えっ?」


 意味が分からないままに、優紀は人見知りの少年っぽく神林の足にしがみつく。

 足音が廊下を駆けてくる。

 観察部員が目の前まできたところで、神林が大声をだした。


「やめろバカものがぁ! 僕の孫が怯えるだろう!」

「ま、孫!?」「はぁ?」


 神林の剣幕に威圧されたか観察部員は盛大に尻餅をつき、優紀は頓狂な声をあげていた。禍々しい仮面が困惑した様子で二人を見比べた。

 無理もない。

 カエルにも似た神林と少年ボディの優紀の間に、血縁を想起させる点はない。

 神林は優紀を背中に隠したまま、なだめるような声をだした。


「大丈夫だぞー、マリン。怖くないぞー」


 神林は、廊下に座り込み呆然とする観察部員を、指さした。


「あのおじさんはね、今、お仕事の練習中なんだ。避難訓練ってあるだろう? あれと同じだよ。学校でもやってるだろー?」


 まるで中身のないデマカセである。しかし、胸を張り自信たっぷりにいう神林の態度には妙な説得力があった。

 優紀は若干の感動を憶えつつ、神林の顔を見上げた。カエルのように唇の片端をあげる人の悪そうな笑顔だ。

 優紀は人見知り少年らしく、あざとく、小さく、うなづいた。と同時に、すぐに背中に隠れる。


「ほらみろ! 怖がっちゃったじゃないか! せっかくこんな遅くまで待っててくれたのに!」

「い、いえ、その、所長! そいつは少年擬態者で……」

「ふざけるんじゃないよ君ぃ! この子は僕が名付け親になった大切な孫なんだよ!? 海月くらげと書いてマリン! いい名前だろう!?」


 なんという言い訳だと思う。

 観察部員の仮面を通して、狼狽する声がした。


「えっ、その、えっ!?」

 ――本気なのか? このオッサン!


 おそらくそのとき、優紀と観察部員の心は、ひとつになっていた。

 神林はm動揺する優紀と観察部員を無視し、恫喝するかのように言葉をつづけた。


「とにかく、君はいますぐあの紛らわしい少年擬態者を捕まえに上に行くんだ!」


 観察部員の禍々しい仮面の目が、青く明滅した。困惑しているのだ。


「あの、所長? 少年擬態者は上に行ったんですか?」

「いちいち確認するんじゃないよ、察しが悪い奴だなぁ。君の名前は? 管理部に文句言ってやる!」

「い、いますぐ行きます! 申し訳ありませんでした!」

「ほかの連中にも知らせるんだよ? 言われなきゃできないんなら、管理部に――」

「いえ! 分かっております! いますぐやります!」


 観察部員は神林の横を通り抜け、優紀に向かって言った。


「ご、ごめんね、マリンくん! 脅かすつもりじゃ」

 ――ヤバい、バレる!


 優紀は慌ててシャツの裾を引っ張った。

 察してくれたか、神林の怒声が観察部員に投げつけられた。


「その仮面がおっかないんだよ! 分かりなよ! ほんとに怒るよ!?」

「も、申し訳ありません! 今すぐ行きます!」


 謝罪の言葉を置き去りにして、観察部員の足音が遠ざかっていく。

 優紀はその背を見つめた。


「悲しき戦闘員の日常、か」


 思わず、そう呟いていた。

 神林の手が伸び、背中から優紀を引きはがした。


「ほらほら、いつまでもくっついてるなよ。僕はそっちの趣味はないんだからさ」

「えぇと、ありがとうございます。……さすがですね」

「そうかぁ? そうかなぁ? そうだろうなぁ。はぁっはっはっは!」 

 ――あいつが戦闘員なら、こいつが親玉なのか。


 笑う神林と観察部員が走って行った廊下を見比べ、優紀は小さな肩を落とした。



 夜空に浮かぶ月と街灯に照らされた駐車場では、黄金のライトバンが待っていた。

 海だの魚だの言っている割に車はショッキングイエローかよ、と思いつつ、優紀は助手席に乗り込んだ。


 神林が、やれやれ、と呟きイグニッションキーを回した。

 姉月市では珍しい太いエンジン音が鳴り響く。車はゆっくりと滑りだした。空きの目立つ駐車場を一周回って、ゲートを抜ける。

 あねづきトレラントモールを目指し、人気のない街道を行く。

 ふいに、神林が楽しげに言った。


「いまごろ研究所は大騒ぎだろうなぁ。なにせ所内にいない人間をあっちこっちひっかきまわして探してんだろうしなぁ」

「……えっと、いいんですか? あとで問題になりません?」

「いや、ならないだろぉ。だってほら、僕は所長だしさ。なにを問題にして、なにを不問にするのか、決めるのは僕なんだから」

「そうは言っても、弾劾じゃないですけど、他所から怒られたりしないんですか?」


 神林はふん、と鼻を鳴らした。


「文句を言われる筋合いはないって言ってやるさ。なんせほら、こんな仕事は誰もやりたがらなかったんだ。僕だって嫌だといったんだ。したらどうだい、あんたが言いだしっぺなんだから一回くらいは所長やってくれ、とか言いだす始末さ。僕ぁ適当に言っただなのにだよ? 会議が停滞してるみたいだったから、ちょっとばかし極論を言ってやるかってね。まったく、酷い話だと思わないかい?」

 

 会議を冷やかすために極論を吐くのと、言いだしっぺなんだからという理屈と、どちらが酷い話だというのだろうか。

 優紀は機嫌を損ねないように、とは思いつつも、ちくりと刺してやりたくなった。


「でも、給料とか出るんですよね?」

「はぁっはっはっ! 若いね、考え方が! 大してでやしないさ! ほとんど名誉職みたいなもん。肩書だけ。やだよねぇ、お役所も上の方には大金払うくせしてさぁ。まいっちゃうよ。研究もできないし、魚釣りにもいけないんだよ? そのくせ専門以外の研究を管理してくれって言われてもさ、やる気起きないよねぇ」

 ――知らねぇよ。


 優紀は、残り僅かになっていた愛社精神的な何かが、急速に消え失せていくのを感じた。神林本人はマジメに怒っていそうなところが、余計に腹立たしかった。


「じゃあ、なんでこんな仕事を引き受けたんです? 強制はできないでしょう?」

「いや、断ったんだよ。断ったんだけど、佐伯くんもしつこくてさ。他に引き受け手がいなかったし、一年でいいって言われたから受けたんだよ」

「あれ? 神林先生って、初代所長じゃないんですか」

「違うよぉ! 勘弁してよ。僕は二人目。最初は佐伯くんがやっててさ。で、僕が引き受けてから、そろそろ四年目かな? まったく、勘弁してもらいたいよ。任期はあと二年残ってますよ、とか言っててさ。冗談じゃないよ」

「先生、ちょっとまってください」


 神林は怪訝な顔をして、ちらと優紀を見た。


「なんだい?」

「俺、所長が二人目って知らなかったんですが」

「あ、そうなんだ? でも僕が所長ってことは知ってたじゃん?」

「それは――」

「あ、今度はこっちがタンマ、当てるから」


 神林は片手を優紀にかざして唸りだした。

 いまはクイズをしている場合ではない。しかし機嫌を損ない、ここで降りてと言われても困る。

 何かを思いついたのか、神林がハンドルから両手を離し、手を打った。


「あれだ! 高塚くん、入ったの二年前だから、知らないんだ! どう!?」

「――そうですけどちょっとぉ!」


 優紀は慌ててハンドルに手を伸ばした。すかさずその手は打ち払われる。代わりに神林の手がハンドルを掴みなおした。


「大丈夫だよ。大して出してるわけじゃないんだからさぁ。気が小さすぎるぞ?」


 神林の口調には不満が色濃く表れている。

 いつまでご機嫌取りしないといけないのか。

 さすがに今度は、ため息を飲み込む気力もない。


「勉強になります。精進します」

「お、だいぶ話が分かるようになってきたじゃないか君ぃ! はぁっはっはっは!」


 神林の高笑いと優紀の微かな舌打ちを乗せ、車は走り続けた。

 あねづきトレラントモール手前で止まったのは、午後八時十五分のことだった。田舎特有の早すぎる閉店時間から、すでに一時間と十五分が経っている。


「あの、神林先生」

「なんだい? 行かないのかい?」

「いえ、行きます。行きますけど、なんでこんな路上で停めるんです?」

「そりゃ、君。最初に言ったじゃないか。僕は痛いのは嫌だからね。もう年だし」


 神林はカエルのように口の端を吊りあげて笑った。

 暗い車中でみる笑顔は、もはや妖怪ジジイと呼ぶのがふさわしい。

 失敗したら全ての責任を優紀に押し付ける。そのためには、あねづきトレラントモールに近づきすぎて監視カメラに映像が残ったらまずい。そういうことなのだろう。

 優紀は短く息を吐きだし、神林に手を差し出した。


「ありがとうございました。ご協力、感謝します。行ってきます」

「はい、行ってらっしゃい」


 神林の手が、がっちりと握り返し――何かを持たされた。

 観測点のマンション扉を開けるのにも使用した、登録式のマスターキーだ。

 神林はハンドルに片肘をつき、顎先であねづきトレラントモールを示した。


「あねづきトレラントモールの搬入口の、従業員扉にセットしといたよ」

「何から何まで……ありがとうございます!」


 カードキーをポケットにしまい込み、優紀は頭をさげた。すぐに車を降りてスマホでGPSマップを開く。


「それじゃ、結果に期待しているよ。高塚君」


 神林は運転席から身を乗りだし手を振って、応答するよりも早く引っ込んだ。

 優紀は苦笑いで走り去る車を見送り、現在座標と研究所で覚えた座標を対照しながら、あねづきトレラントモールの敷地に足を踏み入れた。

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