さぁ、仕事に参ろうか!
『第四観察室』と名付けられた大して広くもない部屋は、中央あたりからガラスで二分割されており、用途も分からない機械が所狭しと置かれていた。まるで子供の頃にみた古い特撮の大道具をかき集めたかのようだ。
優紀は冷めた目で巨大なオープンリールを見つつ、誰に言うでもなく口を開いた。
「まさに悪のひみつ基地だわこりゃ。何に使うんだよ、こんなん」
「磁気テープですか?」
「うぉあ!」
脇からのぞき込んできた陽菜は、眉をしかめて、しー、のポーズをした。
「これは、録音に使ってるらしいですよ?」
「録音? なんなの? これ」
「だから磁気テープですよ。えっと、CDより前にあった記録装置で、いまは安定性を買われてデータバックアップとかでも使われてます――って、そんなこと話してもしかたないですよね。ここでの用途は録音ですし」
「良く分からないけど、こいつで録音するわけ? 部屋の音を? なんのために?」
「その辺りの理由は部長に聞かないと、ちょっと分からないです。でも多分、アナログとデジタルの両方で音源を取っておきたいから、とかじゃないですかね?」
「なんで?」
「ですから、私に聞かれても……。私、実験自体は、そんなに詳しくないんです」
顎に指をあてて唸りだした陽菜が、ぽん、と手を打った。
「あ、あれです! 多分、音質とかじゃないですか!?」
「音質て。アナログの方がいいわけ?」
「いいかどうか、という意味だと、どちらも長短あるとは思うんですけど、でもアナログなら音の波形はそのままですから、デジタルとは絶対に音は違うはずです。だからたとえば、変声機の開発とかに使ってるんじゃないですかね?」
「あぁ、なるほど……?」
適当に相槌をうってはみたものの、納得はいかなかった。
仮に音質が違うとして、変声機の開発に高音質が必要な理由が分からない。変声機としては声が変わればいいだけのはず。逆説的に、研究・開発するにあたって高音質が必要な理由がなにかある、ということになるが――。
研究員の女がわざとらしく咳ばらいをした。
「それで? お二人とも調整にいらしたんですよね?」
「おっと、すいませんね。そうです。って調整ってなにするんです? というか、観察室でできるって、意外とお手軽ですよね」
陽菜が優紀の脇腹をつついた。
「先輩。即時変身装置の開発は、ここでやってるんですよ? 調整するだけなら、きっと研究関連部局なら、どこでもできると思います」
「そんなもんなのか? だったらさっきの部屋でやってもらえばよかったのに」
「どこでも、というわけじゃありませんよ」
研究員がイラついた様子で腕を組んだ。
「開発時に細かい調整を行うので、そのための機器があるところなら、ということです。管理部の業務はあくまで報告の集積と今後の指針を決定することです。研究開発についても担当できるのは部長くらいです」
「ああ、部長さん。やっぱりあの人はなんでもできるんすね。って、すいません。調整とかいうの、しちゃいましょう。具体的に、俺はなにをすれば?」
「そこの椅子に座って、即時変身装置を出してください」
優紀は促されるままにパイプ椅子に腰かけ、新型の即時変身装置を取りだした。
研究員はそれを優紀の手から奪い取るかのようにして、卓上に置かれた円盤型の機器のソケットに差し込んだ。慣れた手つきで機器から伸びたコードを真四角の古びたトースターのような機械に接続する。続けて吸盤のついたコードを優紀の頭に、ベチン、と張りつけた。
けっこう痛い。
次々と張りつけてくる。
マジ痛い。
優紀が抗議しようと目を向けると、研究員はブツブツと文句を言っていた。おそらく通常業務を中断させられ、調整とやらにかりだされたのだろう。
「まったく……せっかく可愛い子を見つけたってのに……」
違った。得体のしれない少年愛的ななにかだった。
耳を澄まして損した。
げんなりした優紀の額に、思い切り強く、吸盤付きコードが叩きつけられた。
「痛いですって! もうちょっと丁寧にやってくださいよ!」
「それじゃあ、始めますね」
研究員の声はどこまでも事務的である。無表情のまま機器のスイッチを入れた。
トースターじみた機械の画面に、心電図のようにうねる曲線が二本走りだす。
手持無沙汰になった優紀は首を巡らせた。調整を見つめる陽菜は、両手を胸の前で合わせて、目をキラッキラさせていた。興味津々といった様子である。
――気まずい。
優紀は目を逸らしつつ、研究員に冗談をいった。
「えっと、やめろー、やめるんだー、とか、言った方がいいすかね?」
「無駄口聞くと時間がかかるので、やめてください。それと躰も動かさないように」
研究員の声音は、まだ下があったのかと思うほどに急速冷却されていた。
しばらくして。
微かな低周波音が唸り始めた。額にピリピリとした刺激。機器に映された二本の波形のうち、プライマリと書かれた方は微動だにしない。他方、セカンダリと書かれた波線は、プルプル震えながら高さと波の長さを変えている。
研究員が指先で機器のダイヤルをいじると、乱れた波形が整っていく。セカンダリと書かれた波形をプライマリの波形に近づけて、今度はプライマリの波の大きさを微調整する。
一連の操作はスイッチを切り替えつつ何度か行われ、波形がピタリと重なったところで研究員は短く息を吐きだした。
「ふぅ。終わりましたよ。調整完了です」
立ち上がり、優紀の頭からコードつきの吸盤を引っぺがしていく。剥された箇所が熱をもっているのか、軽い火傷をしたような感触があった。
優紀は凝り固まっていた肩を回して尋ねた。
「結局これ、なにしてたんです?」
「だから調整ですよ。脳波の」
「へぇ、脳波の。って脳波!? 俺の!? ジッポーの方じゃなく!?」
研究員は、とってつけたような笑顔になった。
んなばかな。
慌てて陽菜に救いを求める。真剣な顔でスマホをいじっている。頼りにはなりそうもない。再び研究員の方に向き直る。目の前にジッポーが差しだされていた。
研究員は無感情な笑顔を顔に張りつけ、小さくうなづいた。
――なに!? なにその曖昧なうなづきは!
混乱を極めた優紀は、呆然とジッポーを受け取り、力なく研究員の背を見送った。脱力してパイプ椅子に項垂れた。
そこに陽菜が声をかけた。
「先輩、部長から連絡きましたよ。観察対象者について、先輩に送るそうです!」
「元気だねぇ、ハナちゃんは」
「はい、元気です!」
優紀はフラフラするような気がしてきた頭を振って、立ち上がった。
一瞬、めまいがあった。きっと勘違いだろう。研究員の冗談に誘導されて、なんとなく不安になってるだけだ。そう、自分に言い聞かせる。
優紀はエレベーターに乗り込みつつ、隣でスマホをいじる陽菜に話しかけた。
「さすがに人の脳波をいじるなんて、そう簡単にはできないよね?」
「できますよぉ?」
「マジか」
衝撃の事実が、またひとつ増えた。
「え? どうやって? 脳波を外部から?」
「自律訓練法っていうのがあるんです。簡単に言うと催眠ですよね。自己暗示とか」
「いやいやいや。そりゃ物を考えたら脳波変わる、とかそういう話でしょ?」
陽菜は不思議そうな顔をして、優紀を見上げた。
「ご存じありませんか? その延長で、脳波計を見ながら、むむむ~ってやって、脳の特定の部位を意識的に活性化させる訓練とか、そんなのもあるんですよ?」
「えっ。なにそれ。こわい」
「怖いことないですよ? 冬のさむぅぅい日とか、手を見つめながら、あったかくなーれ、あったかくなーれ、って念じるんです。上手くいくと、手がぽかぽかしてくるんですよ? 原理は、あれと、ほとんど同じですから」
「へ、へぇ」
嘘だろ。絶対嘘だろ。てか、あったかくなーれて、手がぽかぽかて、子供か。
優紀の疑いの眼差しをうけて、陽菜は不思議そうに瞬いた。
子供じゃないけどアホの子だった。
たった二年の違いで、子供もなにもない。しかし優紀は、どうも陽菜の所作に子供っぽさを感じてしまっていたのだ。
――ペンポン
ふざけているかのようなエレベータの電子音に、追及する気勢がそがれた。
優紀は久方ぶりの地上の光に目を細めた。昨日の雨で大気どころか心の汚れまでもが全部流れていったらしい。呆れてしまうほどの快晴である。
停められた社用車の列も強い日差しをうけて、まるで洋菓子屋のショーケースのように輝き、すこぶる目に痛い。もっとも目が痛いのはひみつ基地が異常に暗かったからかもしれないが。
ポケットから鍵を取りだし運転席のドアに手をかけて、優紀は止まった。
「ハナちゃん、もしかして免許もってたりする?」
「あーっと、ごめんさない。持ってないんです。行っている暇がなくって」
陽菜は申し訳なさそうに横髪をいじりだした。
「えっと、運転教習って、けっこう、時間もお金かかるって聞いてて、その」
「ああ、まぁ、まだ十八になったばっかって言ってたしね。じゃ、助手席に乗って」
「は、はい! 分かりました!」
元気一番で陽菜が乗り込むのを見て、優紀は空を仰いだ。車の色より青い。
運転係は変わらずか。と、優紀は息をついた。
おもちゃのような外見のキャンディブルーな車を運転するのは、いまだに少し羞恥心を感じる。とはいえ、今日からナビシートに座るのはむさくるしい先輩ではない。むしろ年下で天然ぽわぽわ系エリートなハナちゃんだ。
――ぽわぽわ系エリートってなんだよ。
心中でツッコミつつ、優紀は車に乗り込み、鍵をツイストノブに置いた。
「そいじゃ、ハナちゃん、グローブボックス開けてくれぃ」
「? 分かりました」
言われるがままに陽菜がグローブボックスを開けた。出てきたのは液晶パネルと用途不明なメーターがいくつかついた、メカメカしい箱である。
陽菜は盛大に顔を歪めて尋ねた。
「えっと、なんですか? これ」
「あれ? 知らない? データベースにアクセスするための端末なんだよ。観察部に割り当てられてる全車両にくっついてるんだよ」
「なんでグローブボックスの中に?」
陽菜は端末のフレームを指先でなぞり、訝しげな目を優紀に向けた。
チャンスである。先輩らしさを取り戻す、絶好の機会到来である。
優紀は渋さを強調するため悠然と躰をシートに押しつけ、渾身のキメ顔をした。
「秘匿性さ。観察担当の計画者を追尾したり、隠密待機したりするからな。機械がでっぱなしだと、明らかに怪しいだろ? 観察部の仕事は市民には秘匿されてるし、バレたらコトだ」
キマった、と優紀は思った。
が、しかし。
陽菜は、はふぅ、とあきれたような息をつき、端末の電源スイッチを押した。
「普通にタブレットとかスマホじゃダメなんですかね。いまどき」
「えっ」
「えっ?」
「いやほらハナちゃんは分かるでしょ? 例えば電波を傍受されたりとかさ」
「やだなぁ先輩。それならタブレットでもこの端末でも同じじゃないですか」
陽菜はコロコロと笑った。
「まさか、この端末はスタンドアローンだぞ。みたいな冗談です?」
「あ、いや、そうね。まぁ、うん。きっと暗号化装置とか、そういうのも入ってるんじゃないかな? あ、あとほら、電波妨害系の装置とかさ」
陽菜は目を細かく瞬いて、ぶぉん、と起動した画面をつついた。
「でも端末から電波を飛ばしてるときには妨害しないでしょうし、むやみに妨害してたりしたら、この車両怪しい、とかなっちゃいそうですよね?」
「あぁ、うん。そうだね」
優紀は一般知識レベルが絡む話題についての威厳は、早々に放棄することにした。
高卒どまりの知識以前に、業務に興味を持たずに過ごしてきたツケであった。
ダメだわ。ほわほわエリート、強いわ。と優紀が思ったときだった。
すっとぼけた電信音が鳴った。端末の起動音だ。
陽菜の指先が液晶を叩く。
「出ました。えーと、『渋沢瞳(しぶさわひとみ)』さん。住所は――」
「カーナビの方に出して。それと現住所近くの観測点を観察部の方で照会してね」
「えっと、操作の仕方が、その」
「とりあず、ナビに出してくれればいいよ」
「は、はい!」
陽菜は真剣な顔をして液晶パネルをつっつきだした。
実務ならチャンスありかもしれない、と思いつつ、優紀は口元を緩めた。
ツイストノブを回すと小気味よいエンジン音が鳴りはじめ、メインパネルが点灯した。ガソリンは充分。電力は中途半端。ただし走行中に回復するだろう。
優紀はアクセルペダルを踏み込んだ。
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