あくのひみつきち

 おねショ研地下三階、研究管理部のフロアは、歩いても歩いても外観に変化が現れない。どこまでもメタリックな廊下と壁と、中央に円形のロックボルトのようなものがついた扉が続く。

 扉はなんのために斜めに開くのか、そしてなぜに、そこまで厳重にエアロックするのか。細菌兵器を扱うわけでもあるまいし、納得のいく理由は思いつかない。

 分かることといえば、研究管理部の通称『ひみつ基地』は、悪のひみつ基地を指しているらしい、ということだけだ。

 

 『管理部』と書かれたプレートのついた扉の前で陽菜が足を止めた。再び部員証を取りだしリーダーに通して――、

 蹴った。

 がつん、と。扉の下方を。


 ――蹴るのかよ! しかも革靴のつま先トゥーで!


 予想外の光景に困惑する優紀の前で、扉のロックボルトが、がしゅん、と鳴って回転し、斜めに扉が開かれた。

 すぐに目に入ってきたのは、白衣の群れだ。正確には、白衣を着た女性の群れ。


「なんでみんな、白衣着てんの?」


 振り向いた陽菜が、不思議そうに首を傾けた。


「管理だけじゃなくて、研究開発もやってますからね。おかしいですか?」

「実験とか、してなくない?」

「それはそうですよ。ここ、管理部だし」

 ――だったらなんで白衣着てんだよ!


 優紀渾身のツッコミは、胸裏に押し込められたままだ。

 しかし、黙ってしまったことで、却ってウズウズしてくる。促されるままに歩きながら白衣の連中の仕事を横目で覗く。

 管理部の研究員たちは、各々、好き勝手に活動しているようにしかみえなかった。


 どの研究もモニターで意味不明な映像を見ている。

 たとえば、得体のしれない心電図のように波打つグラフ。たとえば、どこかの監視カメラなのか定点による白黒カメラ映像を。それも四×四で十六枚同時に。あるいは半裸で遊ぶ少年の笑顔を。超高画質で。

 チラ見えした『おねぇさんに抱っこされて赤面する少年の写真』くらいが、オネショ研の実態に、もっとも相応しいような気すらしてくる。


 趣味なのだか研究なのだか分からない作業に満ちたオフィスを抜けて、陽菜は、慣れ親しんでいるかのように部長室と書かれた部屋の扉を開けた。

 ノーノックで。

 マジか、と思いはしたが、止めるほどの時間はなかった。


「ななみさぁん! どんな御用ですかぁ?」

 ――声、デカすぎんだろ。


 優紀は声を出すのも憚れるような気がしていた。というか、ついさきほど大声だすのはマズいと言ったのは、陽菜の方だ。なぜ言い出しっぺが破るのかと思う。

 部長室のデスクの脇には、極太のサインペンで部長と雑に書き殴られた立て札がそびえていた。なぜ立て札なのか。やはり答えは出ない。


 座っているのは黒髪ロングの白衣の女だ。それどこで売ってんすか? 案件にもちこみたくなるような丸眼鏡をかけていた。しかも先ほど陽菜が発した大音量に対して目もくれず、十八インチはありそうなモニター四枚を冷たい目で睨んでいた。

 端的に言って、怖い。コワイ系BBAババアであった。


「え、えっと、辞令を受けてきたんですが……」

「知ってるわよ。出したの私だし」


 冷たいハスキーボイスである。なんとなく酒焼けのようにも思える。

 切れ長で少し吊り上がった目が優紀を見据えた。目線を一切外すことなく、ゆるりと躰を揺らして、背もたれに体重を預けた。

 女は、右の眉をピクリと跳ねあげ、薄っぺらい笑みを顔に張りつけた。目はまったく笑っていない。


「高塚優紀くん、だったわね。春風七海はるかぜななみよ。よろしく」

 ――よろしくなんかしたくねぇ!


 などと強気なことは言えるわけもなく。


「よ、よろしくお願いします……」


 優紀は真っ当な返事を返すくらいしかできなかった。

 七海はつまらなそうに鼻を鳴らして、銀色のジッポーライターを取りだした。


「これ、新開発の即時変身装置なのだけど、調整フィッティングしておいてもらえるかしら?」


 優紀と陽菜の視線が、机の上の新型即時変身装置とやらに向いた。

 表面の絵は、例のごとく、ヒーローものの主人公のマスクだ。ただし今度のは優紀も子供の頃に見たことがあり、よく知っている。

 とはいえ、傍目にはただの柄つきステンレスジッポーであり、外見だけでは旧型との判別は難しいだろう。


「えーと……もしかして、これを渡すためだけに呼んだ、とかですか?」

「そうよ?」


 簡潔すぎる七海女史の回答に、優紀は肩を落とした。

 冷たい声が補足を加える。


「新しい装備を試すチャンスだと思っただけよ。あなたは相棒を一時的に失うことになったし、最近の少年擬態者の活動は目に余る。逆紫の上計画観察計画の全容解明のためにも、新装備を試すなら早い方がいい、そう思っただけ。おかしいかしら?」

 ――おかしいだろ。


 相変わらず悪態は口から出ない。

 しかし、優紀はそう思わずにはいられなかった。

 七海の論旨には飛躍がある気がする。本来は失った相棒の代わりが研究管理部員から補填されること自体が異常だ。加えて新装備のテストは観察部の仕事ではない。


 換言すれば、七海の言葉は「今日から優紀くんは研究管理部ウチ実験動物ラットね」という意味である。

 さらに最悪なことに相手は上司で、優紀の進退どころか、下手をすれば給料まで自由自在にコントロールしかねないのである。

 明らかな無茶振りであっても退路はなかった。

 優紀は首を左右に傾け骨を鳴らし、机の上のジッポーを手に取った。


「調整って、どこですればいいんですか?」

「そうね」


 七海はモニターを見つめ、マウスを滑らせた。


「いまなら、第四観察室が空いているから、そこでやってちょうだい」

「第四観察室、ですか」


 完全にモルモット、あるいはハツカネズミ、いわゆる実験動物という扱いである。

 手持無沙汰だったのか、陽菜がおずおずと手をあげた。


「あの、七海さん、私はなにをすれば?」

「七海さん、じゃなくて、部長、って呼ぶように。そう言ったわよね? 私」

「ま、まだ慣れてなくて、じゃなくて。私には、何かないんですか?」

「無いわ」

「えっ」

「――というわけでもないから、安心して。優紀くんの観察。それが今日からあなたの仕事になるわ。調整についてもそうだけど、観察部員としても新しい仕事に挑戦してもらうことになるから、記録は完ぺきにね。研究管理部のホープとして、期待しているわよ?」

「は、はい!」

 ――本人目の前にして観察しろって。しかもそれをあっさり受け入れるって。 


 優紀は笑顔をひきつらせつつも、新型を受け取った。

 ポケットの中で昨日まで使っていた旧型とぶつかり、かちり、と微かに音がした。

指先で地肌を撫でてみると、質感が微妙に違う。新型はより柔らかい肌触りで、旧型は使い込んだゆえの滑らかさがある。触れば目視せずに判別できそうだ。


 これまで使用していたものは返却するべきなのだろうか。と優紀は思った。

 優秀な観察部員であれば戦闘経験=使用経験も少なく、抵抗感はないだろう。しかし、優紀は決して優秀ではない。

 すでに変身装置の使用回数は数十回を数え、またタバコを吸うために使用しているのもあり、いまでは愛着すら湧いていた。


 ――ま、言われてから返却で、いいか。


 そう決めてはみたものの、どこか後ろめたい。

 優紀は頭を掻いて誤魔化した。

 七海はその姿を品定めするかのよう目で見つめ、指先で銀縁眼鏡を押し上げた。まん丸の細いフレームが妖しく光る。


「それじゃあ、第四観察室へどうぞ。後々の動きはハナちゃんに連絡するから」

「え、俺じゃなくてですか?」

「観察部との連携を私が調整するのよ? 連絡する相手はあなたとハナちゃん、どっちが適当だと思う?」


 優紀は七海と陽菜を交互に見比べた。

 七海は悪の組織に必ずまぎれている女幹部のごとく、唇の端だけをあげている

 陽菜の方は不思議そうに小首をかしげている。溢れるプレーリードッグ感。

 直接やりとりするなら、どちらがいいか。迷う必要はなかった。


「了解しました。それじゃあ、俺らはこれで」

「はい。頑張って。私はあなたにも期待しているの。失望させないようにね」

「善処します」


 優紀は一礼して、陽菜に顔を向けた。


「それじゃハナちゃん。第四観察室ってとこまで案内してもらえる?」

「はい! 分かりました!」


 言いつつ、陽菜は、両手をぎゅっと握りしめた。癖なのだろうか。

 

 ――まぁ面白いし、このままでいいか。


 優紀は陽菜の後を追った。

 相変わらずの薄暗い廊下はどこか肌寒く感じる。だというのに前をてってこ歩く陽菜の背中に不安は全く感じられない。まるで子供のお使いを眺めているかのようだ。


 ――だとすれば、陽菜がおねぇさん役か。


 優紀の脳裏に、この二年間でいやというほど見てきた、計画者の姿がよぎった。

 ほとんどの計画者は、昨日の早乙女真奈美もそうであったように、どこか計算高さが見え隠れする。たとえば彼女は、計画対象者に対して甘ったるい声で話しかけ、補食圏ストライクゾーンの外にいる人物に対しては金切り声をあげていた。

 その意味では、鼻歌でも混じりそうな歩調の陽菜は、とても計画者にはみえない。少々背が低く子供っぽいところのある、一般的なおねぇさんである。


 ――どうせ、おねぇさんを守るなら、こういう天然系がいいなぁ。


 優紀は心中でそう呟いた。

 ふいに陽菜が立ち止まり、さび付いた歯車かのようにギギギと振りむく。


「な、なに、気持ち悪いこと、言ってるんですか?」


 口から出ていたらしい。

 そう気づいた瞬間、優紀は慌てて両手を振った。


「ちがう! あれだ! 普段ほら、仕事で! 結構こわい子ばっか見てるから!」

「そ、そうですか」


 陽菜は両腕で自分の躰を抱きしめ、前に出ろ、と言わんばかりに顎をしゃくった。

 どう好意的に考えてみても、誤解されているに違いない。むしろ先に口にだしてしまった以上、誤解ではないともいえる。しかし、優紀は少年擬態者のようなエキセントリックな嗜好はない。

 優紀は慌てて陽菜の横に並び、笑いかけた。


「そ、そういえばさ。ハナちゃん、いまいくつなの?」

「えっ」

「えっ?」


 陽菜の顔が強張る。血の気が引いていく。

 さらなる誤解が生まれた証である。

 気持ち悪い発言をした先輩が、ヘラヘラ笑いながら年齢を聞いた。傍から見れば完全にセクシュアルハラスメントであり、彼女はそう理解しているに違いない。

 優紀はぐっと生唾を飲み込み、弁明をした。


「ちがうんだよ。ほら、研究部って学歴とか、試験とか、ちょっと俺とかとは格が違いそうだなぁって思って。でもそれにしてはハナちゃん若いし。高卒でここの研究管理部に入ったとしたら実はもうベテランかもと思ったんだけど、リクルートスーツのままじゃん? ってことは入って間もないかなーっておもうでしょ? だけどもそれにしては、外見、じゃない、なんだ、えっと……」


 しどろもどろである。

 実のところ、優紀が年下の女性と話すのは、実に二年ぶりのことであった。その事実に気づいた時点で、優紀の会話能力は喪失していた。当たり障りのない正解と地雷原との判別など、できるわけもなかった。

 優紀の身振り手振りを交えた言い訳を眺めて、陽菜はむふんと鼻を鳴らした。


「私、これでも飛びスキップしてますから」

「へぇ飛び級。って飛び級!? なに、超エリートじゃんか!」


 陽菜はにへっとだらしく頬を緩め、片手を腰に、ピースサインをつくった。


「すごいでしょう。私、早生まれなので、もう大学二年生なんですよ」

「二年生って、大学の? 学生のままで、ウチにきてるの?」

「はい。私、福祉環境科学が専門なんですけど、一年終わったところで、特に教えることもないって言われちゃって。どうしようって思ってたら、佐伯先生が、せっかくだから興味ある分野を覗いてみるかって、ここを紹介してくれまして」

「で、ウチなの? なんで!? エリートなのにもったいない!」


 もったいないという単語に反応し、陽菜の目が敵意を込めてきゅっと細まる。

 優紀はそのジト目に口をつぐみ、そっぽを向いた。


「えーと、福祉? 環境科学? ってのが、ウチとカンケーしてるってことかな?」

「大体そんなところです。私は児童心理とか児童福祉が専門なので、ちょうどいいかもなぁって思って」

「あぁ、だから人口増加研究開発機構ってことなんだ」

「はい。でも」


 陽菜は伏し目がちになり、ほう、と小さく息をついた。


「なんだか思ってたのとちょっと違ってて、私の専門だけじゃ、ぜんぜん業務内容に合ってないかな、って感じなんですよね。部長は未来のホープって持ち上げてくれるんですけど、どっちかっていうと、向いてないかもなぁって」

「ああ、まぁ、ねぇ?」


 残念ながら、高卒で肉体労働中心の観察部員となった優紀には、陽菜の悩みの根本が理解できなかった。

 しかし、悩める後輩には優しくしてやるべき、という思いだけはある。

 なにより、相槌を最後に会話を終えるなどしたら。


 はじめてできた可愛い天然系後輩ちゃんに『コミュ障かこいつ』などと思われかねない。それだけは絶対に避けねばならなかっい。

 優紀は、エリートの行動には必ず意味があるはず、と偏見交じりの見当をつけ、どうとられても会話を回せそうな話題を考えた。


「それで、観察部に異動したいって? そういう感じ?」


 結果として、尋常でないくらいにフワっとした話題が形成されていた。

 それでも陽菜の暗くなった顔に光が射した。ラッキーパンチである。


「はい。そうなんです! 観察部の活動の方にも同行させてもらえば、アイデアも出そうだし、それに私は児童も専門にしてますし、少しは貢献できるんじゃないかなって、そう思ったんです!」

 ――ハナちゃんは、アホの子じゃなくて、チョロイ子なんだね。


 キラッキラに光り輝く陽菜の目をみて、優紀は、そう直観した。

 その目には好きなことを探求する輝きや未来への希望が大量に詰まっている。先輩が出産の知らせを受けたときの目に似ており、優紀とはきっと違う――。


「のわぁ!」


 訪れかけた憂鬱な気分は、とうとつな脇腹のくすぐったさに吹き飛ばされた。どうやら脇腹をつつかれたらしい。

 頓狂な声をあげて飛び退いた優紀を、陽菜が目を丸くして見ていた。やがて眉が楽しげにまがって、口元を隠してクスクスと笑いだす。

 


「つつかれたら誰だって驚くって」

「プッ……ク、ご、ゴメンナサイ。でも、声、面白くて……っ!」


 陽菜はこらえきれなくなったのか、声をだして笑いだした。

 廊下に反響する明るい声を遮るように、エアロックの解かれる音がした。扉から姿を現した不満げな研究員は、口元に指をあて、お静かに、と小声で言った。

 二人は顔を見合わせ頭をさげ――。

 陽菜が思いだしたように勢いよく顔をあげた。


「あ、先輩! ここ、ここです!」

「あの、静かにって。私、言いましたよね?」

「ご、ごめんなさい!」


 けたたましい陽菜の謝罪の言葉に、研究員がガクリと肩を落とした。

 優紀は苦笑しつつ『第四観察室』と書かれたプレートを見上げた。味も素っ気もない字体であった。

 旧型ではしなかった調整。いったい、中で何が行われるというのだろうか。

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