第8話銀髪の双子はバイクを造る

「シャフトのトルクは」

「えーと……10」


 ポーラの言葉に頷き、ニックはトルクレンチの数値を図る。ボルトを締め終わると、ニックは一旦工具を置いた。

「あともうちょっとだね」


 ポーラがニックに声をかけた。しかし彼は聖メアリ広場の石床に描かれた設計図を眺めて打ち震えていた。

「ねえ、ポーラ。これ、何なの」


 指を差したのはバイクフロント部分。そこに不可解なブレーキシステムの図面が載っていた。しかしポーラは首を傾げて言う。

「何って……ディスクブレーキだけど」

「ディ、ディスクブレーキって……何言ってんだよ。そんなのできるわけないじゃないかっ!」

「やってみなきゃわかんないじゃない」


 ニックは絶望し、天を仰いだ。

 もっと注意深く、ポーラの設計に目を通しておくべきだったと後悔した。パラツインエンジン・バイクはすでに車体フレームにエンジンを載せてキャブレター、オイル&エアのエレメント、ホイールにチューブタイヤを履かせ、タンクやシートにステップにシフトとキックペダルなど各種部品を換装済み、完成は間近である。


 前後のサスペンションはフロントフォークのインナーチューブに点錆びが見られるくらいでほぼ完調、リアサスには強度のあるバネを取りつけた。しかし二人はブレーキにまったく手をつけていなかったのだ。


 ちなみにディスクブレーキとは、タイヤのホイールに平行する形で円盤を取りつけてそれを両側、もしくは片側から挟み込むことで減速させるブレーキシステムのことである。


「だって仕方ないじゃない。前後のサスのバランスを考えてフロントフォークのバネとオイルを硬くしたせいでコーナーリングがきついのよ。せめてブレーキだけでも強くしておかないと減速できないまま曲がるとまた転ぶじゃないの」


 ハンドルから前輪タイヤまで伸びたフロントフォークと呼ばれる円筒状の部品は内部をオイルで満たされている。その中にバネを入れることで、搭乗者の負荷を吸収している。

 つまり中のバネが硬くなっているとハンドルに体重を預けても反発してしまい、体重移動が難しくなる。


 ポーラの言はつまり、うまく体重移動ができるくらいにフロントフォークの沈み込みができていればコーナーを上手く曲がることができる。が、そうなっていないのだからせめてブレーキを良くして減速をした状態で曲がらなければ危険だという意味だ。


「だからってディスクにすることないだろっ、シビアすぎるよ。何も今こんなブレーキにする必要ないじゃないかっ!」

 ディスクブレーキは精巧に造られた円盤でなければうまく挟み込むことができない。技術的には大変に難しいことだった。


 やや技術的に高望みではあるが道中の安全を取るポーラ、一方で極力実現可能な車体を望むニックという二人の対立だった。


「こんな、こんなって言ったわねっ。できるったらできるのっ、ニックのバカバカバカバカバカ、間抜け、あんぽんたんっ」

「あーあんぽんたんって言ったなっ! そっちこそあんぽんたんじゃないかっ!」

「どういう理屈よ、だいたいバイクを作るときはディスクにしようねカッコいいからって言ったのはそっちでしょっ!」

「言ったけど……何もこんなレースに出るってときにディスクにする必要ないじゃないかっ!」

「このわからずやっ!」

「ポーラのほうがわからずやだよっ!」


 二人は聖メアリ広場の隅で周囲に憚ることなく怒声を交わし、にらみ合う。ニックは職工で、ポーラは設計士である。ゆえに時折、実務家と夢想家の衝突が起きてしまうのは必然であり、ニックは当初からバイクのブレーキにはドラム式を用いるべきだと主張していた。


 ドラム式とは、丸いホイールの内側から円筒状の部品をバネで拡張することで外側のホイールと摩擦を起こして減速するシステムで造りも簡単だった。

 ニックがドラム式を主張するのはそれだけではない。マカダム舗装が増えたと言っても、まだ郊外はでこぼこの畦道である。悪路にディスクブレーキは不適切であるというのがニックの考えであった。


「僕がレースにはドラムのほうがいいって言ってるのはコース上の悪路でディスクが歪むからだよ。ポーラは設計士なのにそんなこともわかんないのっ!!」

「何言ってんのよ、バカニックっ。悪路のことよりも雨のほうが心配じゃないのよ。ドラムなんて水に濡れたら全然使えないじゃないっ!!」


 ドラム式は中の円筒状の部品が濡れると、ホイールを抑え込めずに滑ってしまう。しかしディスク式はほとんど円盤と挟み込む部品とが密着しているため、雨で濡れてもドラム式よりは利きがよかった。


 数十分を経過してもどちらが先に折れることもなく、やがてニックとポーラは喧嘩に飽きて、バイクを隔てて互いに背中合わせに座った。レースはとっくに始まっている。時間だけが過ぎていくことを思うとため息が出た。


 ガス燈が点灯した。夜を迎えたウェインスタに夜店の棚が並び始める。

 産業博覧会の期間には毎夜、夜祭が開かれて酒を抱えた人々が聖メアリ広場に集う。彼らが聖メアリ広場に積み重なった屑鉄の山に、職工たちの破れた夢の跡を観て笑いながらダンスを踊っている。


 ガソリンにまみれた屑鉄に火が放たれて、小さなたき火のような炎がいくつも立ち上っている。その幻想的な炎の連なりをニックは綺麗だと思った。


「ねえポーラ。前をディスクにして後ろをドラムにしよう」とニックは呟いた。

「私も、今そう言おうと思ってたところだったの」と続けてポーラは呟いた。

 二人は工具を持ち、立ち上がった。炎のおかげで辺りは明るく、作業は夜通しやっても問題はなさそうだ。工具を持ち、二人は部品を探しに燃える鉄屑の山に突入しようとしたそのときである。背後から声をかける者があった。


「あの……この場所を僕たちに使わせてもらってもよろしいですか」

 それは使用人にしては幼すぎるメイドであった。ブルネットの髪の毛を後ろに束ねた少女はしかしその眼の奥にターコイズの大人びた輝きを持っていた。


 この場所と言っても、聖メアリ広場の隅を勝手に占拠しているのはポーラとニックである。断ることのできる立場ではなかった。


「う、うん。どうぞ。私たちの広場じゃないし」

 頷くニックに向かってブルネット髪の少女は微笑み返した。

「パパ。大丈夫だそうよ」

 闇の奥に声をかけ、ガラガラと鉄を引く音が聞こえた。現れたのは、麻縄で壊れた車体を引く老人であった。


「ブルネット……あまり騒がしくしてはいけないよ」

「だって、僕楽しみなんだもの。こんな祭りがあったなんて」

 壊れた車体は一見、異様であった。ポーラは眉を顰める。それは車の形をしているが、とても動くとは思えない。ニックたちのように、部品が欠けていて、鉄屑の山から部品を取るというものでもない。


 そもそも後輪のタイヤがなかった。車格を見ると、おそらくサイドカー付の三輪車輌であるはずが、その後輪が外されている。

 だが車体はむしろ完成している。その完成型が異様なのだ。

 ただリアを引きずるための台車に乗っているだけだ。しかしその代わり、二本の巨大なノズルがついている。エンジンは空冷だがクランクケースに当たる部分が小さい。


 ニックにはそれが何であるのか判別がつかなかった。まるで理解できないのだ。本来このような奇天烈なエンジンは壊れる運命にある。

 蒸気機関やガソリンエンジンを旧時代の遺物と嘲笑する連中ほど飛びつきやすい。しかし何十年も走ってきたそれらに新たな動力機関がかなうことなどそうありはしなかった。


 ロータリーエンジンなどがそのいい例だ。幾度となく実験と開発、設計が続けられていて、理論上可能だが造ってみると走らない。ついにはエンジン詐欺とも呼ばれる始末。

 だがニックの身体に痺れるような感覚がよぎった。

 動く、という予感だ。このエンジンは動く。ニックは三輪のハンドルを握る老人の顔を見た。その瞬間、ニックに得心がいった。


「ああ……だからか」

「どうしたの?」

 三輪の後部には荷台がついており、サイドカーに座る人間は荷台に積み込まれた麻袋の中身を燃焼室に放り込む必要がある。ブルネット髪の少女がその役目を担っていた。


 ニックのエンジン構造の解読が進む。

 おそらく、燃料は微粉炭を燃やしてガスを燃焼させる。車体下部の圧縮機についたペダルを回すことでエンジンが始動する作りになっているはずだ。


 ヒィィィ――……ンというピストンを用いない手法のエンジン始動音が聞こえる。レースにこれから参加するつもりなのか、少女は最後の挨拶のために、はにかみつつニックの袖を引く。

「それでは、また会いましょう」


 ニックは頷いて、グレースに渡された永久機関を少女の手のひらに乗せた。しかし少女は不思議そうに首を傾げている。

「これは……」

「あの人のものだからさ。それに僕は永久に動くエンジンなんて好きじゃない」

 少女は不思議そうに、手に持った永久機関を見つめている。ニックはそっと少女を三輪車輌へと振り向かせて、背中を押した。老人はまっすぐ前を見据えている。矮躯にロングコート、地肌の見えるオールバック、落ち窪んだ眼球に老いを見て取れるが、たしかにそうだ。忘れるわけがないのだ。


「シン藩王様によろしくね」

「はい」

 走り去る女の子に手を振るニックの横で、ポーラはようやく老人の正体に気が付いたのか口を開けて、

「うええええええええええっ!!」と工具を地面に落とし叫び声を上げている。

 車体のノズルから排気が噴き出す。ブルネット髪の少女は、サイドカーに座ると粉末状の微粉炭を燃焼器に注ぎ込んでいる。


 ガスタービン・エンジン。

 その発想は奇抜にして絶巧、天賦の才と技量を持ち合わせたシン藩王が最後に世に送り出したレシプロ(内燃機関)・エンジン。独立大戦時に機械王と呼ばれた藩王国の王が愛したワンオフ車輌である。


 エンジンは、ガスタービン特有の静かな制動とともに巨大なマフラーから排気を噴き出す。この推進力によって三輪は進む。そして後部タイヤがない理由は、リアの尻が持ち上がるからだ。

 燃焼室で一度、爆音が起きそれとともに藩王の駆るサイドカー付ガスタービン三輪車輌は走りだした。その速度は凄まじく、あっという間に屑鉄の山の間を抜きながら聖メアリ広場を横断した。


「ちょっと、どういうことなの。どうしてシン藩王様がこんなところにいるのよっ」

「知らないよ。でも僕らも早く完成させなくちゃ。負けるわけにはいかないからね」

「え……まさか、あのエンジンに勝つつもりっ!? うそでしょっ! だって機械王が作った車輌なのよっ?」

「当たり前じゃないか。ポーラ、何度も言うようだけどあのエンジンよりも僕らのパラツインエンジンの方が優れている。世界で一番、このエンジンがすごいんだ」

「はいはい……あー……ただの里帰りのはずだったのになあ……どうしてこうなっちゃったんだろう」


 うなだれるポーラを他所に、ニックは手近のバイクからブレーキホースを引き抜いている。

 そしてわずか一夜でニックとポーラのパラツインエンジンは完成し、一日遅れで二人のバイクは走りだした。彼らのスタートが最も遅く、しかしこれでレースにすべての車輌が吸い込まれたのだ。レースコースを走る車輌は、スタートと同時に始動したものが29台。


 そして、ポーラニック組、ウィンザー卿ローディック中佐組、シン藩王ブルネット組の3台を合わせ、32台。

 それはニックが予想した台数とまったく同じであった。


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機械仕掛けの聖骸―――A CLOCKWORK HOLY 東城 恵介 @toujyou

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