一章 島流し王子の補佐官就任_1


「これは、氷?」

「氷っていうひともいるし、クリスタルだっていうひともいるよ」

「すごいね」

「きれーい」

 四人の子どもたちは、しっかりと身につけられた防寒具から細く目だけを出して、それを見あげていた。

 三月のはじまりの日。氷竜山脈はまだ深い雪と氷におおわれていた。

 まばゆい白銀の世界の中に、それは静かにそびえ立つ。せいれいのつくった氷だとも、数多あまたようせいの命がけつしようとなったクリスタルだともいわれる、ガラスのようにとうめいしん殿でんだ。

 ユーリアは、ためしに神殿の門柱をごしごしとこすってみた。けれど、氷なのかクリスタルなのか、やっぱりわからなかった。

 そもそも、まぶしい雪原をずっと歩いてきたせいで目がちかちかとしていた。雪目だ。しばらくはよく見えそうにない。

「ほら、中にはいるよ!」

「おいでおいで!」

 ブーツに取りつけていたあしぞりを手早くはずし、姉さまと『大兄さま』が先にけ出した。

 ユーリアと『兄さま』も、手をつないであわてて後を追う。

 透明な神殿は、かべてんじようも太陽の光をかし、反射して、白く、青く、そしてにじいろかがやいていた。しかも風がないせいか、ふしぎとあたたかかった。

「見て!」

「すごいよ!」

 姉さまと『大兄さま』は、さいだんの後ろに立つ大きなちようぞうを見あげていた。

「すてき。ひようりゆうおうの立像だわ」

 その立像もまた透明な氷、もしくはクリスタルによってつくられていた。

 ただほかとはちがい、瞳にだけ宝石がめられていて、アイスブルーの瞳がいろあざやかに四人を見おろしていた。

「きてよかったね」

 ふと思いたって、ユーリアは口もとの防寒具をはずし、立像の足にみついてみた。

「ちょっと、あんたなにしてるの!」

「嚙んでみれば、氷かクリスタルかわかるかなって思って……。すごくかたいね、これ」

「もう、なにバカなこと言ってんの。氷だとしたって、ふつうの氷じゃないんだってば。精霊のつくった氷だから、とけないの! こわれないし!」

 姉さまにめよられて、ユーリアはしょんぼりした。

「もういいわ。さあ、目的のものを探しましょ!」

 姉さまはユーリアとちがってこれらがなにでできているのかなんて気にならないようで、さっさと聖堂の中をたんさくしはじめる。

「さ、僕たちも探そう?」

 兄さまたちふたりがユーリアの手を引いてくれた。

 けれど、ユーリアは動かなかった。「どうしたの」と問うふたりに、ユーリアはこんわくした顔で、口をぱっかりと開けてみせた。

「ああ! それ……!」

 ふたりが手をはなしてくれたので、口のなかの異物を取りだしてみる。

 指の先ほどの大きさの、氷のようなクリスタルのような、かたくてきれいな雪の結晶。

 ぶくろのうえで、妖精の命の結晶がきらりと輝いていた。






「おい、起きろ! 聞こえているだろう!」

 ユーリアはがえりをうちながら、ゆっくりと目を開いた。夏の間だけ使われる集落の、なじみ深い自分の部屋だった。

 目を閉じ、細く息をはく。

 夢を見ていた。子どものころの冬のおくだ。

 なつかしくて、大切な思い出。窓からなにやらさけんでいる父の声がするけれど、聞こえなかった事にしてまたねむってしまいたい。もう一度、夢でもいいから彼らに会いたい。

 そう思いながらもユーリアはしぶしぶ起き上がった。あの父をほうっておくのも心配で、神経上よろしくないのだ。

 ユーリアが部屋を出ると、ちょうどごうやしたらしき父がげんかんから駆けこんできたところだった。

「やっと起き……って、お前、そりゃなんたる格好だ。もうすぐ来るぞ! そんな格好で出る気か!? だめだろう、だめだだめだ!」

 ユーリアの姿を見るなり、父はおろおろと右往左往する。いったいどうしたのだろう。さっぱりわからないが、あわて者の父にはよくある光景だった。

「来るとはだれがです? 父さまのお客ですか?」

 慣れきったユーリアが冷静にたずねると、「それなんだ!」と父は突如すがりついてくる。

「来るんだぞ、むかえに、王子さまが!」

 王子さま?

 ぱっと思いかんだのは、ヴァルディールの顔だった。この国で王子と呼ばれるのは彼と、その兄フェルディナント王太子のふたりしかいない。

 王太子ははるか遠くに離れた王都で、いつしようがいかかわりもないまま終わりそうだが、幸か不幸かヴァルディールには面識を得ていた。どころか、つい先だって、彼のかんに任命されたばかりだった。

けいこくわたって来るのを見たのだ! だからほら、さっさと正装しろ! いやせいそうか? ああ、母さんが不在の時にかぎってこんな。いったいどんな宝石を身につけさせればいい? それともそういうのは王子さまがあたえてくださるから身ひとつで……?」

 父は血の気を失った顔でひたすらうろうろした。これでツェルト・ウーリの族長なのだから、支える母の苦労を思うと遠い目になってしまう。

「父さま、落ち着いてください。まず、えます。父さまは放してあるレイックスたちをきゆうしやに入れてください」

 しようさいを聞き出そうとすればムダに時間をくう。渓谷を渡ってくるのが王子であれなんであれ、寝巻きのままではいられない。

 ユーリアは足早に部屋へともどり、身じたくを始めた。

「たしか、三日後に案内を申しつけておく、とは言ってたけど」

 城にとつぜん呼ばれ、任官を受けてから三日がっていた。

 補佐官はほかの家職や官と同じように、城内に住まいを用意される。

 ユーリアは一度家に帰り、荷物などのたくをする時間をあたえられていたのだが、直接本人が来るのでは「申しつけておく」とはちがう気がする。

 だれか使いの者が案内してくれるにしたって、せいぜい城門あたりからだと思っていた。

 まさか山の中腹にあるツェルト・ウーリの集落まで、しかもヴァルディール自身が直接出向いてくるなど、そんなことがあるだろうか。

 おかしい、と思いながら寝巻きをぎ、支給されていた制服にすばやくそでを通す。

 それは神官のローブともよく似ていた。より動きやすいようにつくられてはいるものの、聖地の内政に関わる者もまた聖職者とされるからだ。したがって、ヴァルディールはオーバーラント公であると同時にオーバーラント大神官でもあった。

(さあ、ぐずぐずしていられないわ)

 渓谷からこの集落まではすぐだ。ユーリアは長いかみを手早くまとめあげ、最後の仕上げに記章のついたチョーカーをつけた。

 チョーカーのとめ金を留めるとき、いつしゆんだけヴァルディールの指のかんしよくを思いだして、ユーリアはあわててかぶりをふって打ち消したのだった。





「──で、だれ?」

 身じたくを整え、家の外で〝王子さま〟を迎えたユーリアは、開口一番に父に向かってそう口走った。

 だれだこの人。見たことない。

「おはよう。きみがユーリアだね?」

 まっ白な馬から流れる動作でおりた人物は、ゆうに一礼してみせた。

「僕はオーバーラント公から補佐官を拝命している、シモン・アマン。どうぞよろしく」

 シモンと名乗った人物は、ユーリアと同じ年ごろの青年だった。

 人の目をひきつけるはなやかな顔立ちで、たたずまいには指の先まで品が感じられる。身長はユーリアとあまり変わりないくらいだが、これはユーリアの背が女性にしては高すぎるので仕方がない。なんにしても、絵本にえがかれる優美な『王子さま』がそのまま飛びだしてきたような人だった。

 ユーリアは横目で父を軽くにらんだ。

(なるほど、『王子さま』を見た、ね)

 たしかに見ためだけで言えば王子さまにちがいない。氷竜王子といわれるヴァルディールとは、似ても似つかぬタイプだけれど。

「ユーリア・ツェルト・エンドリッヒです。こちらこそよろしくお願いします」

 礼を返して、父に小さく「別人!」とささやいた。

 父は悪びれることなく、なあんだ、とからりと笑う。

「いやいや、俺はてっきり王子さまが迎えに来たのかと。すみませんね、シモンさんがあんまりにもこう、貴人然としてたもんで!」

「父さま、たしかにこの辺では見ないような品ある人だけど、ふつうに考えればわかります。王族がどうして貴族でもない山むすめを迎えに来るんです」

 高地民族は、ホルン建国以前から氷りゆう山脈でくらす歴史ある民族だ。けれど、どんなにその民族内での地位が高くてもしやくがあるわけではなく、貴族であったこともない。

 エルンストは『ひめぎみ』などと呼んだけれど、ユーリアだって身分で言えば平民。たんなる山娘に過ぎないのだ。

 しかし父はものすごくふしぎそうな顔で、とんでもないことを言い出した。

「なぜだ? ない話じゃないだろう。お前はちようになったのだからな」

 は?

 ユーリアは一瞬絶句した。寵姫、と言った?

「と、父さま、いったいどこをどうまちがったら、『補佐官になりました』が『寵姫になりました』になるんです!? 城へ上がるのは職をたまわったためです! だいたい寵姫だなんて、自分の娘の顔のよし悪しくらい、たとえっててもわかりますよね?」

「なにを言う、親の欲目で二割増し、酔っていれば三割増しだ。それにしらふだって、お前はハンサムと評判だろう!」

「それはぜんっぜんめ言葉ではありませんっ。遠まわしに『やーいやーい女装男~』と言われてるだけです!」

 女装男──。女子としては顔立ちに甘さややわらかさの足りない、たいへん不本意なことにしい系の顔立ちをしているユーリアは、小さいころから集落の男子たちにそうからかわれてきた。おかげさまで女装男という言葉はいまだに心に深くつきさっているのだ。くそう、なんていやひびき。

 ユーリアは額に手をあててうなだれた。

「もういいです、父さま。とにかく私はこれから城へ向かいます。母さまが帰ったらよろしく伝えてください。時間があったらラウラ姉さまにも。寵姫ではなく、補佐官になったのです。雑務係だそうですよ」

 補佐官になった、を強調して言ったのだが、父はまだなつとくいかない顔であごをさすった。

「だがなあ、お前が王子の寵姫になったというのは、もう有名な話だぞ?」

 ……。なんですと?

 ふと、ユーリアは周囲を見わたした。

 点在する集落の家々、そのどの窓からも見知った顔がこちらをうかがっていた。

 窓だけではない。ごつごつときだした岩場のかげからは子どもたちが。緑のひろがるしやめんからはちくを放す大人たちが。いかにもきようしんしんといったまなざしでユーリアを、そしてシモンを見つめていた。

「まさかこれは、そういうふうに……?」

 ぼう然としていると、とつぜん、岩場から男女の幼い子どもが飛びだしてきた。

 ふたりは手にしていたハイルペンリリーの花束を、がちがちにきんちようした顔でシモンに手渡し、ユーリアの頭に手づくりの花輪をのせて、げるように去って行った。

「おめでとう、娘よ。今日はかどだ! ばんざーい、ばんざーい!」

「だから、ちがいます!!」

 ユーリアのさけびは、やまびことなって響きわたった。

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