プロローグ


 純白のドレスは細めのシルエット。

 こうたくあるそのには、金とこんの伝統的なしゆうがほどこされている。

 うえに羽織るのは、さらにみつな刺繡がうつくしいながそでのボレロだ。

 高地民族ツェルト・ウーリの夏の正装。

 王都の貴族たちが着るドレスともっともちがうのは、ドレスのわきに大きなスリットが入っている点だ。しゆりようと放牧を生業なりわいとするツェルト・ウーリのたみは、いついかなるときでもじゆうにまたがれる服装でなければならない。

 長いかみを編み上げて、くずれないように神鳥の羽根をあしらったボンネットをつける。

 身につけるそうしよく品はすべて神鳥をモチーフにしたものだ。

 息を深く吸って深くき、ツェルト・ウーリ族長のむすめユーリアは、きのうまで降りつづいた雨でぬかるむ地面にかたひざをついた。

 しっかりと前を見すえた夜空色のひとみが、あさもやのなか、こちらへと向かってくる隊列をとらえる。ユーリアはぜんと顔をあげて、列がやってくるのを待った。

「──なにごとだ!」

 大型の騎獣でめられた隊列は、ユーリアの予想よりもずっと近くで歩みを止めた。

く道を空けよ! われらが第二王子殿でんと、その騎士団だと知っての無礼か!」

 もちろん知っている。

 四頭立てのごうしやな白い馬車をくのは、銀のたてがみをもつ一角馬。取り巻く騎士がまたがるのは、はがねの《うろこ》をそなえた銀の《りん》。──国民ならだれもが知る、第二王子の馬車とその騎士団だ。

 知っているからこそ、こうして膝をついてお成り道をふさいでいる。

 ユーリアは深呼吸のあと、りんと声をひびかせた。

「私はツェルト・ウーリ族のユーリア・ツェルト・エンドリッヒと申します。殿下にお取り次ぎを願いたい! 新たにオーバーラント公となられる殿下に、この地のきゆうじようを知っていただきたいのです」

「高地民族の娘ごときが、分をわきまえろ! しかも殿下に会わせろなど……!」

 早くどけよ、ぜんを血でけがしたくない、おろかな──そんな声が上がった。

「直接お言葉をわさずともよいのです! 私の首と引きえでもかまいません。この書状を!」

 ユーリアはひるむことなく、ひとつの書状を差し出した。

 これは大きなけだった。

 酒好きにして女好き、二十一歳にもなる第二王子でありながら、国務のいっさいを手伝うこともなく、ひきこもったきゆうでただ楽をかなで女をはべらせる毎日を送っているという殿下が、ついにユーリアの暮らす北辺の聖地、オーバーラントの公にほうぜられた。

 そのしらせを族長である父から聞いたときには、またかと思った。

 また、オーバーラントは事実上の〝島流し〟の地として使われるのだ。

じようだんではない!)

 変えなければ。オーバーラントを治めるおさの意識を変えなければ。強く、そう思った。

 この首が、そのきっかけになるのなら……!

 いあがってきそうなきようを、てんけんほうに並んだ墓標を思いかべることでふりはらう。

 そのとき、並んでいた馬が左右にわれた。

 視界がひらけた先で、馬車からひとりの青年がおりてくる。

 ユーリアは息をのんだ。

 礼拝堂でなんども目にしてきたひようりゆうおうのレリーフが、そのしゆんかんに思い起こされた。

 がみヴァルナのうつくしきけんぞく──氷竜王。

 まさにあれと同じ、人ならざる氷のぼうをもった青年が、騎士たちの制止もきかずにユーリアの前まで歩いてくる。

(これが、このかたが、〝ひようりゆうおう〟ヴァルディール殿下……)

 氷竜王と同じ、せんれつなアイスブルーの瞳がユーリアをく。そのこしには剣がさげられていた。

(王子殿下自ら死をたまわるのか……)

 どうか、われらオーバーラントの民の気持ちが伝わりますように……。

 ゆっくりと目を閉じようとしたユーリアだったが、次の瞬間、逆に目を見開くことになった。

 長い指が、ユーリアの髪をひとふさやさしくつかみ、もてあそんでいた。

「用意が足らぬ」

 は?

 むつごとのように甘くささやかれたその言葉に、わが耳を疑った。

「首と引き換えでも、といったか。──だが、血を洗い流し、清めるための聖水も、むくろを納めるためのひつぎも見えぬな。その棺を運ぶための人手も見えぬ。墓穴はすでにったのであろうな?」

 おどろきに固まっていたユーリアは、言葉の意味を理解すると同時に、いかりで顔を赤くした。

 最悪首をねられることをかくしてのじきに、この王子さまは血で道を穢された後の始末しか思うところは無かったのだ!

(なんてこと。これはうわさにたがわぬぼんくら王子だわ!)

 直訴はムダに終わった。また、無能な王族がオーバーラントの血税できようらくふける。

 怒りとともに絶望が支配した。

 うなだれて、まぶたを閉じる。そのまま首を刎ねられるのだろうと思った。

「娘。用意が足らぬのは、覚悟が足らぬがゆえではないか。気が向いたら、ぬかりなくやり直せ。次こそ首を刎ねてくれよう」

 足音がはなれてゆく。

 ぼう然とするユーリアを騎士たちがかたにどかし、ふたたび音をたてて馬車が動き出した。

 まぼろしのように朝靄のなかへと消えてゆく隊列を見送りながら、ユーリアはただ、くやしさに奥歯をみしめていた。



一章


 午後のざしが差しこむろうは、げんそう的なまでにきらきらとかがやいていた。

 高いてんじようえがかれるのは、かつくうする氷竜の群れと、創国のえいゆうたちの勇姿。それを支える列柱には、ここオーバーラントのシンボル、青いハイルペンリリーのしようが刻まれている。

 かべにならんだしよくだいは、どれもれんな雪の精をかたどっていた。

 どこもかしこもまばゆい気がするのは、なにも豪奢な内装や装飾品のせいばかりではない。

 青すいしようをふくんだ『りつせつこう』という、この地でとれる最高級の石材が用いられているからだ。

 ぜいくして建てられた、青くそうれいな城──オーバーラント城。

 その毛足の長いじゆうたんの上を『白銀の騎士団』の団員数名が、ひとりの少女を取り囲みながら歩いていた。

 背の高い少女だった。

 胸を張り、さつそうおおまたで歩くその姿は、騎士団の一員といわれてもかんがない。

 しかし当の少女ユーリアは、しげなその表情とは裏腹に、いまだかつてないほどに混乱しきっていた。

(これはいったい、どういうこと……!?)

 自分の置かれているじようきようがのみこめず、のひとりをうかがい見る。

 彼らがやってきたのは今朝のことだ。

 ユーリアが暮らす集落へととつぜんあらわれ、同行を求められた。

 父や仲間たちは驚いていたけれど、心当たりのあったユーリアはなにをくこともなく、なおに従ってここまでやってきたのだ。けれど。

(私は、しよけいされるのではないの!?)

 原因は、ひとつきほど前にやらかしたことだ。

 ユーリアは、新たにオーバーラント公に封ぜられてやってきた、第二王子殿下の行列をさえぎった。

 目的は、書状をわたすこと。

 王族のお成り道を、貴族でもなんでもないただの少女が故意にふさぐのだ。最悪、表向きに『かく』のレッテルをられたうえで、首を刎ねられる覚悟もしていた。

 真実、命をかけての直訴だった。

(でも、失敗した……)

 書状は受けとってもらえなかった。しかもただ無下にされただけではなく、王子殿下じきじきに「用意が足らぬ」などといういちゃもんをつけられたのだ。

 だが結果的に、王子のあのセリフは、決死の覚悟でのぞんでいたユーリアの心に火をつけることとなった。

 去って行く彼らをぼう然と見送ったあと、急いでじゆうにまたがりけ抜けて、言われたとおりかんぺきに、『首を刎ねられたあとの片付け準備』を整えて、ふたたびお成り道をふさいでやったのだ。

 つぶさに思いだして、ユーリアはひそかにくちびるをふるわせる。

(なのに、けっきょく書状は受けとってもらえなかった!)

 二度目は「日が悪い」の一言であしらわれ、三度目は「また会おう」とノンストップでけて通られた。

 そこまで言うならまたやってやる! と先回りの努力はしたが、けっきょく、あざ笑うかのように速度を上げた彼らに追いつくことなく、第二王子一行はオーバーラント城までたどり着いてしまったのだった。

 警備が厳重な城に入られてしまっては、あきらめるしかない。

 悔しさを嚙みしめながらも、もとの生活にもどって一月。「むかえに来た」と騎士がおとずれたのだから、おそまきながら不敬罪でのしよばつなのだとしか思わなかった。

 ──それなのに、だ!

(なぜろうじゃなく、上層階に向かっているの!?)

 それもすでに四階を歩いていた。

 おかしいと思った時点ですぐに声をかければよかったのだが、いまいましいほどごうしやな回廊にあつとうされているうちに、ここまで来てしまった。それに彼らの行進だって、やたらと速すぎる。

 それでも意を決して声をかけようとしたとき、ずんずんと風を切って歩いていた騎士たちの足がとつぜん止まり、ユーリアは前を歩いていた騎士の肩に、おもいっきり顔面を打ちつけてしまった。

「おっと失礼。こちらですよ、ひめぎみ

「すみま……ひ、ひめぎみ!?」

「あれ、身元調査では、高地民族ツェルト・ウーリの姫君だと。まちがいだったかい?」

 騎士たちの中心人物らしき男性が、ユーリアの顔をじっとのぞきこむ。

 年のころは二十代後半ほど。背が高いうえに顔の左に無残なきずあとがあるせいで、こわい人物を想像していたけれど、口を開いてみれば親しみやすそうなふんだった。

「いえ、まちがいでは。ただ姫君だなんて呼ばれ方はしたことがなかったもので」

 そもそも高地民族の姫という立場は、王家の姫君とはぜんぜんちがう。尊重こそされるが、みんながかしずいてくれるわけでもない。呼ばれ方もだいたい「おじよう」で、年寄りがたまに「ひいさん」と呼んでくるぐらいのものだった。

「そうかい? いやなら改めるけど。まあそれはともかく、さっさと中に入ろうか」

 ちょいちょいと彼が指差したのは、衛兵が守るひときわじゆうこうとびらだった。

「ちょっとまって下さい、処刑じゃないなら連行の理由を先に……」

「失礼いたします! エルンストが、ユーリア姫をお連れしました!」

 ていこうしようとしたユーリアの目の前で扉が開く。「あ、ここ、ヴァルディール殿でんの部屋ね」と耳もとでささやかれて、ユーリアはぎょっとした。

(殿下の……なぜ!?)

 しゆくしゆくと処罰を受けるために歩いて来たのに、なぜ王子さまの私室なんかに?

 まっ白になりかけた頭のまま、騎士にうながされて部屋に入る。

「早かったな」

 窓から外をながめていた人物が、白銀のかみをゆらしてふり返るのが見えた。顔を見るまでもなく、ヴァルディールその人なのだとわかる。

 ユーリアはあわててひざをついて、わずかにおもてせた。つっ立っていていいような身分は持ち合わせていない。

 エルンストはとても騎士とは思えない気安さで、安楽へとどっかとこしを下ろした。

「いえ姫君がですね、ドレスにえたいだの、湯あみしておきたいだの言って身じたくに時間をかけることがなかったもんで、ささっと着きましたよ。おかげでちょいとよごれてますが」

 ユーリアは着の身着のままの自分を見おろして、密かにうめいた。

 騎士が訪れたとき、ユーリアは集落でちくの世話をしているところだったのだ。くり返すようだが処罰されるのだと思った。まさか王子さまにお目通りするだなんて想像もしていなかったので、れい上最低限の身じたくも整えておらず、おそろしいほど質素で汚れている。しかもくさい。

「まあでも、かざった方がお好みなら、今からでも準備させますよ? 俺的にも、前会った時のようなだいたんなドレスの方が好みだな」

 長い足を組みながら、もものあたりに手をあててスリットを示してみせる。ユーリアは反射的にまゆをひそめた。

 夏の正装のスリットは、そのままでも騎獣にまたがれるようにつくられた実用的なものだ。腰回りは毛織りの腰巻で、足はひざ上までがブーツにおおわれている。

 ツェルトのたみにとって大胆だの色気どうこうといったものではないのだが、山の外で暮らす人間にはそういういやらしい考えで見る者が多く、ユーリアはそういうやからが大きらいだった。

 しかしヴァルディールはうっとうしげに手をった。

「不要だ。はべらせたいわけではない」

「おや、では何用で? ていちようく連れて来よとしかたまわりませんで」

 エルンストはちらりとこちらを見てから、近くにあったばんじようゲームのこまを勝手に動かしはじめた。まるで我が部屋のようなくつろぎっぷりだ。

 しかしそれはいつものことなのか、とがめる様子もなく、ヴァルディールはゆっくりとこちらへとやってくる。

 面を伏せたユーリアの視界に、すらりとびた長い足がこれでもかというほどめいっぱいに映ったころ、低く心地ここちいい美声が降った。



なんじ、ユーリア・ツェルト・エンドリッヒ。今日この時よりおぬしを我がかんに任ずる。我が目、我が耳、我が手、そして文字となりよく仕えよ」





 ユーリアは、しばらくそのまま放心していたようだった。

 補佐官という言葉が頭のなかでぐるぐる回る。

 補佐官? 任ずる? 仕えよ? だれがだれに……? ぽかんと口が開き、はっとした。

(わ、私!? 私に言ってるっ!?)

 いったいなんのじようだん! ユーリアは思わず顔をあげて──こおりついた。

 大量のあせが背筋をつたう。もはやこれが冷や汗なのかあぶらあせなのかもわからない。

 面を上げよ、と声をかけられる前にうっかりご尊顔を拝してしまったことははやどうでもよくなっていた。いや、実際どうでもよくはないのだが、それほどユーリアはしようげきを受けていた。

(ど、ど、ど…………っっ)

 見上げたヴァルディールの姿から、目がらせない。

「どうした? 補佐官とした以上、自由に発言を許す」

 完全にこうちよくしたユーリアに、ヴァルディールはげんそうに首をかたむけた。

 ひようりゆうおうしんと見まごうほどのぼう、〝氷竜王子〟とあだ名されるだけあって、そんなささいなしぐさも一級の美術品のように見える。

 だが一級だろうが二級だろうがもうどうでもいい。ユーリアはなまつばをのみこんで、おそるおそる口を開いた。

 ぎようしているのは、ヴァルディールの首に巻かれた美しい毛皮──もとい、生のケモノだ!

「……せんえつながら、大変よくお似合いではございますが、その、ナマモノを首に巻かれるのはいかがなものかと」

 ヴァルディールは首に毛皮ではなく、なんと生きたはくろうを巻いているのだ。しかもでかい!

 なでる手の動きに合わせて、しっぽがふさふさとれている。喜んでいるのか、ハッハッとあらい息づかいまで聞こえた。まことに残念なことに、夢でもさつかくでもないようだった。

(ど、どうしよう! 一級の変人だわ!)

 変な汗が止まらない。

 しかしどうようするユーリアに対して、ふたりはまったく気にする様子がない。ご乱心の殿でんはともかく、はなんか言えよと思うが、エルンストは楽しそうに笑っている始末だった。

「心配せずともよい。まぬ。──ただあえて言うならそうだな、重くてややかたがこるか。こいつはときおりとおえもするしな」

 そういう問題じゃない! とゆかをばんばんたたきたい気分だった。

「きちんと清潔にも保っているぞ。王都クレモリッツ育ちの私には、高地オーバーラントは夏とはいえ寒すぎる。こいつはあたたかくてよい」

 どうだ、と言わんばかりの氷の美貌に、ああもう、とユーリアは内心で頭をかかえた。

(オーバーラントは終わった……! よりによって、ご乱心変人殿下が領主となるなんて)

 ユーリアがまっ白な顔をしていると、ついにエルンストがき出した。

「くっ、はははっ、そりゃそうだ! そういう顔にもなる! ですからおやめになった方が、と俺も言ったんですよ」

 どうやら騎士も一応言ったらしい。ややなみだになったエルンストは、今度はユーリアへと向き直った。

ひめぎみ、これには深い理由がある。殿下の肩には長年、美女たちの白くなめらかなうでが巻かれ、しなだれかかっていた」

 思わず不快に眉を寄せそうになって、なんとかこらえた。


 それなら知っている。ひきこもったきゆうで酒と女におぼれているという、第二王子ヴァルディールのほうとうぶりは、王都から遠くはなれたここオーバーラントにまで届いていた。

(酒好きにして女好きというのは事実ということね。お成り道でお見かけしたときには酒のにおいもしなかったし、女の気配もなかったから、少し安心しかけてたけど)

 言いたいことがバーセル河の雪解け水のように、とめどなくあふれてきた。それをなんとかくちびるを引き結んでこらえる。エルンストはつづけた。

「それがこのほうに下るちゆうで、馬車に連れ込んでいた美女に暗殺されかかってからというもの、まあすっかりりたようでね。お気に入りの美女たちをみんなおはらばこにしてしまったんだよ。やわらかなえりまきがなくなって、殿下も肩がおさびしい、というわけだ」

 どういうわけだ! とさけびたい。

「うむ。はじめは毛皮のローブで代わりをと思ったのだが、しっくりこなかったのだ。同じ毛皮なら、こいつを巻いていた方がよほどよい。なでると反応があるしな」

 ああなるほど。美女には反応があり、ただの毛皮には反応はないですよね、といつしゆんなつとくしかけて、いやいやとユーリアはかぶりを振った。

「……おそれながら、いくら調教がされているとはいえ、ケモノはケモノ。ちがいでおんを傷つけることがないとも言いきれません。その白狼の世話をする者が買収され、暗殺を仕込まれてしまう可能性がないとも限らないかと」

「よい。もふっと死ぬるのであればほんもう

「…………」

 どうしよう。このぼんくら王子。

「なに言ってんです。俺が以前、『暗殺を仕込まれた女が送りこまれてくるかも』と忠告差し上げた際にも、『美女の口づけで死ぬるなら本望』とかぬかしていた気がするんですがね。おく違いでしたかね」

 ヴァルディールは、エルンストの言葉で大変かいなことを思いだしたとでも言うように、無言でけんに深いシワをよせた。

 少し落ち着こう、とユーリアは静かに深呼吸をくり返す。

(なんの、これくらいのこと……想定をちょっとえたぼんくらだったってだけの話……)

 ここオーバーラントは、領主にほとんどめぐまれたことがない。

 建国のえいゆうがみヴァルナと出会い、加護のけいやくを結んだ聖地であるにもかかわらず、だ。

 重要な聖地であるから必ず王族が治めるように、と定めたのは建国の英雄──初代の王であるという。しかしオーバーラントが重要視されたのは、建国からわずか数代の間だけだった。

 その原因のひとつはオーバーラントの地形にある。

 オーバーラントはホルン王国ずいいちの面積をほこるものの、その大部分を神なるひようりゆう山脈がめている。氷河をたたえる険しいさんがく地帯だ。気候条件は厳しく、実りは少ない。

 王族が治めなくてはならない、貧しく、こくな辺境。──それはいつからか、政治的なおもわくに利用されるようになってしまったのだ。

 すなわち、王位けいしよう争いに敗れた王族男子を、生かさず殺さず、しかしめいを守りつつ閉じ込めるためのおりとして。

 そしてていよく都落ちさせられた王族男子は、そのやり場のないいかりやうつくつをぶつけるかのように、オーバーラントできようらくの限りをくすのだ。その、くり返し。

 ユーリアは最後に短く息をはき、強いまなざしでヴァルディールを見上げた。

(させない。もうこれ以上、放置するわけにはいかない)

 ちくりと胸が痛む。差しこんだのは冷たい冷気のようでもあった。

「オーバーラント公」

 ヴァルディール殿下とは、あえて呼ばなかった。

 ユーリアにとって、いや、オーバーラントのたみにとって彼はもはや、放蕩ざんまいを許される第二王子ではないのだから。

 ユーリアを見つめ返すアイスブルーのひとみは、冷たくえとした色で、けれどどこか彼女の態度を楽しんでいるようにも見えた。

「なんだ」

「話をもとへともどさせていただきますが、まことでしょうか。ウソやじようだんなどではなく、まことに、私を公のかんに?」

いつわりを言ってどうする」

「……任命の理由をおたずねしてもよろしいですか?」

「逆にくが、おぬしは私にこの地のきゆうじようを知れと言ったな。だが、私がそれを知ったとしてどうなる? 劇的にオーバーラントの現状が改まるとでも?」

 では、改める気がないのか。ユーリアはそう言い返したい気持ちをおさえて、ヴァルディールがなにを言わんとしているのかをし量ろうと、じっと待った。

「首をかけてただうつたえるだけでは、首のだ。どうせひとつしかない首をかけるのなら、それ相応に実のあることをせよ」

「……つまり、領政にたずさわる機会をあたえてくださるかわり、失策をした場合には首をねる、という話でしょうか」

 ヴァルディールは少しちがうな、とていせいを入れた。

「補佐官の職務はほぼ雑務といっていい。だが、護衛やじゆうをのぞけば、もっとも私のそばに仕える時間が長い職だ。その補佐官となれば、四六時中、私のそばでオーバーラントの窮状とやらをたれ流すことができよう。読むか読まぬかもわからぬ書状をわたすより、よほど効果があるとは思わぬか」

「首をかける、というのは?」

「先も、暗殺すいの話をしたな。私のそばに仕えるということは、相応の危険があるということだ。首を刎ねられるより恐ろしい目にうやもしれぬ、ある意味、命がけの職務となろう」

(──これが、こんどの〝島流し王子〟……)

 オーバーラント公に封ぜられた王子は、人々にそうされる。

(私が、その補佐官に……?)

「納得がいったか? ユーリア」

(納得ですって?)

 ユーリアは今年の春、王都の学所を卒業してきた。

 わざわざはるか遠い王都の学所を選んだのは、知識を身につけてオーバーラントへと戻り、領政に携わりたいと志したからだった。

 けれど結局、はやる思いで故郷へと帰ってきたユーリアは、現実をきつけられることとなった。利権にみちたこの地では、いかなる学問を修めようと、と裏金がないかぎり道がひらけることはなかったのだ。

 そんなユーリアにとって、これはとつじよ転がり落ちてきた幸運とも言えた。

 でも、納得はできない。試験を受けたわけでも、ゆうしゆうな者からのすいせんを受けたわけでもなく──どう考えたってご乱心殿下のまさにご乱心のたまものとしか思えないからだ。

(けれど、補佐官になれば、この〝島流し王子〟がオーバーラントと向き合うよう、つねに見張りかんげんができるということね……?)

 それならば、答えは決まっている。

「身に余る光栄ながら、このユーリア、身命をしてその任をうけたまわります」

 ひざをついたまま、ユーリアは深くこうべを垂れた。

 すると、

(──ひゃっ……っ!)

 とつぜんヴァルディールの手が、ユーリアの首にれた。

(や、な……なに!?)

 深く頭を垂れているので、ヴァルディールがユーリアに向かってかがみこんでいることしかわからない。

 どうようこうちよくしていると、そのままあたたかな指先は、のどあたりからうなじにかけてをそっとなぞるように移動する。

 ぞわりとするようなくすぐったさに、悲鳴を上げてしまいそうだった。

「──あ、あの……っ」

おもてを上げよ」

 おもわず飛び退すさるように身を起こす。そして気がついた。首に、なにかがある。

「よく、似合っている」

 満足そうに微笑ほほえむヴァルディールを見て、さらに一歩下がる。

ひめぎみ、そんなおびえなくとも」

 エルンストが笑いをかみ殺した顔で、ユーリアに手鏡を差し出した。

「それが、我が補佐官であるというあかしだ」

 いつの間にかユーリアの首には、記章のついたチョーカーがつけられていたのだった。





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