一章 島流し王子の補佐官就任_2



 結局、ユーリアは集落じゅうをあいさつしてまわるはめになった。「これから城で働くことになりましたので、どうぞ家族をよろしく」と。

 ついでに「このかたが仕事のせんぱいです」とシモンもしようかいしておいた。これでトンデモなウワサもしようめつしたことだろう。

 朝からつかれた、とため息をつきながら、レイックスのづなる。

 今日はよく晴れている。

 高地特有のみがきあげたサファイアのような空が、めいっぱいに広がっていた。

 大木が自生できる標高をえているために、視界をさえぎるものはほとんどない。

 空を切りとるのはただ、やりさきに似た氷竜山脈のみねみねだけだ。空をつき刺すようにそびえるやまはだには、氷河の白がかがやいていた。

 対して、山の中腹であるここ一帯は一面、緑の斜面だ。

 ときおり思いだしたように岩肌がしゆつしているものの、視界に入るしきさいは空の青、雪の白、夏草の緑だけといっても過言ではない。

 ──ああ、なんていい季節。

 この夏の時期に、オーバーラントはもっともうつくしく輝くのだ。

「とても気持ちのいい天気だね」

 感じる風と、山の夏景色に夢中になっていたユーリアは、とつぜんけられた声にはっとしてふり返った。

「いやあ、うれしいな。まさかツェルト・ウーリの宝、レイックスに乗れる日が来るなんて」

 少し興奮気味に微笑ほほえむシモンの顔が、おどろくほど近い。

 反射的に身を引きかけて、なんとかそれをこらえた。

 近いのも当然だ。──あいさつ回りのぶん生じたおくれを、レイックスに同乗してもらうことで取りもどそうと提案したのはユーリア自身だった。

 レイックスはツェルト・ウーリ族がもつじゆうの一種で、ねじれた長い角を持ち、ヤギやシカによく似ているがずっと大きい。シモンが乗ってきたような馬は山道に向いていないのに対して、レイックスは険しいさんがく地帯を得意としているからだった。

 ただ合理的に考えて同乗を提案したユーリアは、異性との相乗りをいまさらながら意識した。──ものすごく心地ごこちが悪い。

「あ、あの、すみません。ちょっと飛ばしすぎましたね。もっとゆっくり走ります」

「いいよ。この、がけから飛び降りるんじゃないかと思うようなちようやく、ちょっとくせになるね。馬にはないものだから楽しい」

「そ、そうですか……」

 正直レイックスは乗り心地がいいほうではないのだが、シモンはまるで意にかいさず、貴族のお茶会にでもいるような、ゆうみをかべて見せた。

「僕の馬も、ちょっとはなれてはいるけどついて来ているみたいだし、このようすだと思ったよりずっと早く着きそうだね」

「ごめいわくおかけしてすみません」

「気にしないで。むしろ、とつぜんの訪問でこちらこそ迷惑をかけたよ。驚いたよね?」

「迷惑なんてとんでもない。ただ、少し驚きはしましたが……。案内があるとはうかがってましたけど、まさか集落からとは思わなくて」

「うん。ヴァルディールさまからは城門で待つように言われてたんだけど、こうしんで集落まで押しかけてしまったんだ。ごめん」

 好奇心? ユーリアは首をかしげた。

「うちの集落になにかおもしろいものなんてありましたか?」

 たずねると、少しだけ答えをためらうような気配があった。なんだかイヤな予感がする。

 シモンは困ったように笑んだ。

「いやあ……なにせ、高地民族ツェルト・ウーリの姫君がヴァルディールさまの『寵姫』だっていうから、早く見てみたくて……って、ほら、あぶない! ちゃんと前見て! 落ち着いて!」

 どうようして、あやうくレイックスを崖に直行させるところだった。

「そ、そのウワサ、うちの集落だけじゃないんですか?」

 なんとか手綱を繰りなおしてくと、シモンは同情をにじませて「うん」とうなずいた。

「事実無根です!」

「んー、たぶんきっと、タイミングが悪かったんだろうね」

「タイミング、ですか?」

「そう。ひとつき前、ヴァルディールさまがオーバーラント入りされた時のことなんだけど……」

 シモンが言うに、当初の予定ではヴァルディールは、王宮で囲っていたお気に入りの美女たちもぞろぞろと引き連れてオーバーラント入りを果たすはずだったのだという。ところが道中、とつぜん彼女たちを解散させてしまい、城で美女たちの住まいを整えて待っていただれもがそれに驚き、首をかしげたのだとか。

 ユーリアはああ、と思う。その話はエルンストから聞いていた。

 美女にかくがまぎれ込んでいて、殺されかけたのだ。それで女にりたとかなんとかという話だった。おおやけにはされていなかったらしい。

「みんなが変だと思っているところへ、三日前になって急にひとりの女性をそばに置くことにしただろう? だからみんな、なるほどと思ったんだよ。『ヴァルディールさまは意中のあいしようむかえるために、派手な女性関係を清算したんだ』ってね」

「あの、そばに置く、ではなく、かんに任命していただいただけなんですが」

「『お相手は貴族ではないことから、そばに置くには補佐官とするしかなかった』らしいよ」

「…………こじつけですね」

 全力で突っしたい。

 たしかに、ぼうの若い王子がやってきたのだから、いろいろとせんさくするなりもうそうするなりしたくなる気持ちもわからなくはないが、だったらもっと人を選べと言いたくなる。もっといるはずだ、こう、どっかにちようっぽい感じのだれかが! 言いたいどころかそう叫びたい。

「ま、気にしなくてだいじょうぶだよ。きみがじっさいに働いている姿を見せていけば、こんなうわさもすぐに消えるさ」

「当然です!」

 父は親の欲目で二割増しなどとのたまったが、ユーリアは自分の容姿を客観的によく理解している。

 女性にしては高すぎる身長にくわえて、顔立ちも女性らしいまろやかさや甘さとはほど遠い。小さいころから、集落のなかでユーリアを名前で呼ぶ男の子はいなかった。たいがい「そこの女装男!」だったのだ。

 寵姫だと信じて、物見高くユーリアの登城をひそかに見物している連中も、一目見れば「あの顔で寵姫なワケあるかいっ!」と実に正しいけいがんを発揮してくれることだろう。

「今日の登城で必ずや、だれの目にもガッカリされるようなこの容姿を見せつけてやりますから!」

「う、うん……?」

 ユーリアはふんぜんとオーバーラント城を目指して山道を下って行った。






 ユーリアたちは順調に城へとたどり着いた。むしろ、予定時刻よりも早すぎたくらいだった。

 騎乗が許される城の前庭は、より人目を引くようレイックスに乗ったままひづめの音高くかつした。希少種レイックスに乗る者はふもとにまずいないうえ、族長のむすめであるユーリアの相棒は特に立派だ。予想以上にしっかりと目立つことができた。

 ところが、だ。

 どうだ! と期待に胸をふくらませ、周囲のようすをうかがったところでがくぜんとした。えんていや衛兵たちは、レイックスばかりを熱心に見つめていたのだ。しかもうわさの大部分にかかわるであろう城めの女性たちに至っては、いつしよにいる『王子さま顔』のシモンばかりにれているありさまだった。

(く、失敗した……。下山した時点で、シモンさんには白馬にもどってもらえばよかった!)

 その女性たちの視線はときどきユーリアにも流れてきたが、どう考えてもシモンへのうっとりを引きずっているような、熱っぽいまなざしでユーリアを見ていて、『なんだコイツ寵姫じゃねーや』と鼻でわらうようすはいっさい見られなかった。

 前庭をけた先はレイックスのづなを引いて歩いたが、けっきょく案内のシモンがならんで歩くのでおなじことだった。

 ときおり敵意をこめてにらまれることもあったけれど、それが果たして『寵姫』に対するしつなのか、見ため王子さまシモンを連れて歩いていることへのそれなのか、いまいち判別がつかない。もう、がっかりしたなんてものではなかった。



ひめぎみは、なんだかおつかれのようすだね」

 レイックスをきゆうしやに預け、荷物を従僕にたのんでから、ふたりはしつ室へとあいさつにおとずれた。応対してくれたのはエルンストだった。

「問題ありません。明日あしたからよろしくお願いします」

「あいさつは殿でんがみえてからでいいから。ふたりとも座ったらいい」

 言って、エルンストは執務机にこしかけた。ではなく、机の方である。くせなのかしゆなのか、長い足をまんしたいのかはわからない。

 着席をすすめられたが、今は仕事をしに来たのではない。とりあえず立ったまま、ユーリアは室内を観察した。

 ちょうど席を外しているのか、広い執務室にヴァルディールの姿はない。室内に置かれている執務机は三つ。窓辺の一段と立派なものが、城主であるヴァルディールの席だろう。

(あまり使用感がなさそうに見えるのは……気のせいだといいんだけど)

 対して、左右に置かれている机には、山のように書類が積みあがっていた。いったいなんのじようだんかという量だ。

「──待たせたな」

 思わずぎようしていたところで、とびらが開いた。

 ヴァルディールの登場だ。あいもかわらずえとした氷の美貌だが、そのかたにはきよだいはくろうがストールのごとく羽織られ……いや、のしかかっている。

 ユーリアはみような気持ちになりながらもひざをつこうとして、シモンに止められた。ヴァルディールがかすかに笑う。

「補佐官にいちいち膝をつかれたのでは時間のゆえ、ほうめんする」

 ヴァルディールは執務机ではなく、ゆったりとしたアームチェアへと腰を下ろした。

「ユーリア、明日からの働きに期待する。あらためてしようかいしておくが、そこの無礼なが私の騎士団長けんきん、エルンスト・ツヴィングリーだ。この若さですでにとくいでいるのだが、乳母うばの子ゆえどうにも態度がゆるい困り者だ」

 名を聞いてユーリアはおどろいた。ツヴィングリーといえばしやく家だ。家督を継いでいるのなら、この机にしりをのせる男がツヴィングリー子爵ということになる。貴族の品性よどこ行った。

「顔の傷は幼少期の事故によるものゆえ、けんうでを心配せずともよい。むしろ腕は立つ。身の危険の際にはこやつをたてにしてよい」

「よろしく、姫君」

 紹介を受けて、エルンストはようやく机から立ち上がり、ゆうな礼をとって見せた。

 ユーリアが礼を返したところで、つぎに、とヴァルディールはシモンへと視線を移す。

「先代オーバーラント公──つまりは私の叔父おじ君が任命した補佐官、シモン・アマン。もとはきゆういんだったが、叔父君の目に留まったのだという。実績もあり、有能と判断したゆえ、けいぞくして働いてもらうことにした。おぬしのひとつ上、十九歳だ。仕事に関してはこの者から学ぶように」

 十九歳、とユーリアは驚いた。年もたったひとつしか変わらないのに、すでに実績をあげているとはすごい。

「よろしく。こうはいができてうれしいよ」

「精いっぱいがんりますので、指導よろしくお願いします」

 シモンとはあくしゆわす。


 そこへ、ろうから入室の許可を求める声がかかった。

 許可とともに入ってきたのは、神官ローブをまとった初老の男性だ。すそそでしゆうが金糸であることから、神官長なのだとわかる。正直、いかにもへんくつそうな顔立ちという印象をうけた。

「ちょうどよい、こちらも紹介しておこう。オーバーラント大神殿神官長、ヒンギスだ。若いころより叔父君の腹心として仕え、この聖地へも共に下ってきた。昨年叔父君がこうきよされてから私が来るまでの、の三百日のあいだは城代として領地を支えてくれた。口うるさいじじいだが、ある程度しんらいしてよい」

「ある程度のご信頼、じじいはまことに光栄でございます」

 完全不服な顔で礼をとり、ヒンギスは書類の束をシモンにわたす。それからユーリアへみするような視線を向けた。

「ふん、ツェルト・ウーリ族長の娘だそうだな。だがたとえ族長の娘といえど、平民は平民。運よく殿下のかんとなれたからといって、くだらぬうわさにかれて図に乗るでないぞ」

「はい!」

 冷たい態度だったが、かえってうれしいとユーリアは思った。ちようというウワサをまるで信じていない。すばらしい慧眼の持ち主ではないか!

 おもわず前のめりになって手をにぎると、ヒンギスは気味が悪いとでも言いたげな顔で身をひるがえし、退室していった。

「──では明日より、そのいのちをかけて働いてもらおうか。ユーリア」

 ヴァルディールはなぜそんなにも楽しげな顔をするのだろう。ユーリアが説教する気満々なことをもう忘れたのだろうか。

 ふしぎに思いながらも、ユーリアはあらためて表情を引きめた。

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