“幻の五話目”は、どこにあるのか?

──人を愛せない主人公、小鳥遊優斗は帰宅の途中、誰かに導かれるように“知らない道”へと歩をすすめる。その先で見つけたものは白い壁の家と白い椅子、揺れるブランコ。そして、ひとりの少女……白い出で立ちであらわれた彼女との出会いは運命だったのか? 穏やかな春から灼熱の夏へと季節がうつろうなか、真白と名乗った少女にひかれた優斗は、夢中で彼女に化粧をほどこす。自身の心の奥に生まれた“未知の感情”の答えを見つけるかのように……



“白”って、どんなイメージなんだろう?

この作品を読んだあと、ふと考えググってみたら純粋清潔清純無垢、等々いろいろと出てきた。それらは、もともと自分が持っていた印象と合致しているせいか、意外性は感じない。白黒つけるとか、清廉潔白など良い方向にとらえやすい色だろうか? もっとも、これらはプラスのイメージであり、冷淡、薄情といった負のイメージも持つらしい。

本作『五色の糸に、願いをのせて』における“白”は美しさの表現を助長するイメージカラーともいえるが、“無”や“原点”、“基礎”の象徴でもあるようだ。主人公、優斗が“何もつけていない食パン”に強い価値観を示すところが端的な例だが、シンプルを極美とするフシは作中、ところどころに見られる。

“僕は今からキミに魔法をかけます”

そう語り、優斗が真白にメイクをほどこすシーン。そこはかとないエロスを感じたのは私だけだろうか? もちろん、そういった方面に期待する作品ではないし、作者、太陽てら氏の執筆意図とは異なるのだろうが、無垢な少女を自分好みに作り変えていく様子は文学的な性愛の描写に通ずるところがあり、どこかエロティックだ。むきたまごのような天性の美肌を人工的に汚す罪悪感を承知しながらも手を止めぬ優斗の姿は、この作品が実は秘められた精神官能を流麗な文章でバリケードしたオトナのプラトニックラブ小説だった、という証なのではないか、と思えるのだがどうだろう?

え? “おまえの考えすぎだろ”、ですって? うーん、やっぱそうなのか。カン繰りすぎましたかね。私が俗物だからそう思ったのかもしれない。てらさん、スマンm(_ _)m

一万五千字の短編であり、手にとった方はわりとすぐ、物語の真相点にたどり着くことができるので、そこから先にはなるべく触れないでおくが、ひとつだけ……

作中、別れと再会の両方に関わるのが“七夕”。真白と優斗の関係は織姫と彦星の話に着想を得たに違いない。だから優斗(彦星)は努力して、東京行きの切符を掴んだのだ。真白に、もう一度会うために……

その主人公、小鳥遊優斗は真白と出会う前……

“自分から好きになるという感覚がよく分からない”

“学校で一番綺麗だと言われていた女子に告白されて付き合ったことがある。けど、続かなかった”

“なんでこれほどまで人を好きになれないのか分からない”

“好きなタイプと聞かれると、んー……。悩んでしまう”

“恋をすることなんて、もうとっくの昔に諦めていた”

などと強気の発言を連発する。あげくの果てに……

“僕はたぶんこのまま誰かを好きになることなく死んでいくのだと、僅か十八歳にして悟ったのだ“

とも言っている。いやいや、その若さで悟りすぎだろ! つーか、この男、結構リア充じゃねぇか! “よくある展開”だと、この手の作品の主人公は非リア充のはずだ(私の偏見か?)。なのにこいつは友人にもルックスにも恵まれ、モテる上に、ヘアメイクアーティストになりたい、という立派な将来のビジョンまで持ってやがる。チキショー!

かと言って、厨ニっぽくて性格が悪いか、と問われればンなこたァない。むしろイイヤツだったりする。そりゃあモテますわ。ひがんだ私が悪かった。てらさん、重ね重ねスマン(_ _;)

太陽てら氏渾身の文章は、かろやかで流麗。それでいて短編らしい一定のスピード感があるのだが、本作では要所に息が止まるような美しい場面を仕込んでいる。宮崎を舞台にしたノスタルジックさと相まって、ときおり項をめくる指が心地よく止まる。また、タイトルの“五色”のうち四色は人間力の向上、先祖への感謝、友情、約束を意味するが、これらを回収している点も見事だ。学業を示す“黒”だけがサブタイトルから省かれているが、優斗の目標が達成されていないのだから、これでいいということになる。深いなぁ……



優斗と真白、ふたりのその後にあたる“幻の五話目”は読者の頭の中に生まれるのかもしれません。あなたも本作を読んで、描かれなかった“黒”を夢想してみませんか? かきたてられるものがたくさんある作品です。

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