第四章 眩惑 Stregare. (8) もう『遊戯』なんて言わない
コルラードがバレルにそっと触れた。両手で祈るようにそれを覆うと、彼は掠れた声で呟いた。
「それなら、その銃に向ける愛情を俺が奪ってあげる」
「えっ……?」
「どんなに時間をかけても、君が俺しか見えなくなるようにすればいい。俺にはそれだけの時間がある。ほぼ無限と言ってもいい時間が」
そのために、とコルラードは冷たい一言を吐き出した。「そのために、わざわざ初恋の人のところまでやってきて、そんな告白までしたんでしょう。君は莫迦だな、本当に」
レオは開いた口が塞がらず、ただぽかんとしたまま彼の表情を見つめていた。今までに見たこともないような、紛れもない本気の目だ。先程血の臭いによったときのものとは明らかに異なる。
それよりも、この男は今なんと言ったか。
「はつ、こい……?」
「そう、初恋」
なんでそんなことも気付かないの、とコルラードは冷たい言葉を吐き捨てた。
「君が宣戦布告するなら、俺も宣戦布告する。君を、自力で俺のものにする。カルナーレの降嫁も、これきりにする。もう『遊戯』なんて言わない。君が『血狂い』をしとめるまでに、俺は君をものにする」
これでおあいこだろう、とコルラードは言い放ち、レオを突き離した。
因習もなにもかも、彼が今まで培ったものを、このひとりのカルナーレのために捨てると言い切った。コルラードがなにを言っているのか、レオはよく理解できなかった。ただひとつだけ、自分の行動が彼に火をつけたことだけはやんわりと理解できた。
そんなことをしてもらうほど、己は素晴らしい人間ではない。
レオは自嘲気味に口角を吊り上げると、
「そこまでする価値が、おれにあるのか」
それに対し、コルラードはきっぱりと言い放った。
「君は自分の価値を過小評価し過ぎているよ。それに、俺は君がカルナーレだから花嫁に指名した訳じゃない」
それはどういうことだ、というレオの問いに、コルラードは一切答えようとしなかった。絶対に目を合わせず、淡々と言葉を紡ぎ出している。怒りとはまた毛色の違う口調に、レオは思わず眉間に皺を寄せた。
「ひとりで、帰れるね?」
その問いに、レオは肯く。「じゃあ、もう帰った方がいい。なんだか空気が騒がしい」
なにか言いかけたレオの背を、コルラードは無理やり押した。つんのめりそうになりながら前へ二、三歩足を進めたレオは、仕返しのごとく小さく舌打ちをし、その場を離れて行った。
彼の姿が見えなくなったところで、コルラードはひとつ息をついた。伸びてきた前髪を後ろに撫でつけるように掻きあげると、落ち着けと言わんばかりに両の目を閉じる。
「――平気か」
突如ぬうっと姿を現した灰色の髪の男に気が付き、コルラードは「ああ」と頷いた。
相変わらず、彼は神出鬼没である。別に義務ではないのに、放っておくとコルラードを近くで監視していたりする。最近は勝手に外出中のレオに付いていたりすることもあるらしい。そのあたりについては、レオ本人が「あれはお前の仲間?」と聞いてきたので、「殺さないであげてね」と釘を刺しておくに至った。
それはともかく、どうしてこうも絶妙なタイミングで出てくるのか。否、大体どちらかについているのだから、それは当然か。
コルラードは思案し、敢えて茶化す方向で話を進めることにしたらしい。張り付いたようなわざとらしい笑みを浮かべ、オーバーに肩をすくめて見せた。
「別に撃たれてないし、あれくらいのじゃれつきはいつものことだ。可愛いだろう、愛するものをわざわざ俺に突きつけてくるんだぞ。あれではまるで玩具だ」
「そうじゃない」
彼の言葉に、コルラードはぴたりと動きを止めた。どうせ、この男には嘘はつけないのだ。
観念したコルラードが、眼前でじっとたたずんでいる墓石を見下ろした。こんなちっぽけな十字架が生きている者を苦しめているのだとしたら、相当、否かなり憎らしい。お前にそんな権限はないだろうと罵ってやりたくなるほどだ。
「……もともと、こんな風習はそう長く続けるべきじゃないと思っていた。カルナーレの血が必要なほど、今の世の中はひどくない。今後は人間たちが己の力でどうにかするべきだろう」
そもそものきっかけは自分の気まぐれだった。それだけは認めなければなるまい。
レオがいつまでも死んだ人に捕らわれ続けることは愚かだと「分かってる」と敢えて前置きした上で、「それでも手放せない記憶なのだ」と言ったのは、それと近しい感情があるのだ。
彼の言葉をまねる訳ではないが、「分かってる」。
今、あの花嫁はジレンマに陥っているのだ。自分が出来ることはといえば、迷い苦しむ彼に手本を見せてやることだけなのだ。
「そこまでして、どうしてお前はあれに執着する? あれは浅はかで、愚かだ。お前がわざわざ手をかけるほどの人間ではないだろうに」
男が心底面倒そうな表情を浮かべながら尋ねる。それに反応し、コルラードはぴくんと肩を震わせた。
そうか、話したことがなかったか、とぼんやり呟きながら。
「――彼が唯一、俺を拒まなかったからだ」
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