第四章 眩惑 Stregare. (7) 告白
呪われた森と称されるこの北の外れの森、ちょうど入口にあたる部分には大規模な霊園がある。『異界への入り口』と称されるからには、この場所が死後に向かうとされる世界に最も近いと考えられていたのだろう。
夜間は当然他の墓守が管理にあたっているため、二人は明け方になるのを待ってから屋敷を出た。明け方から昼頃にかけて、一時的にだが監視の目がなくなる時間帯がある。レオは墓守だけあり、そういうところに関しては妙に詳しかった。
東の空が徐々に明るくなってゆく。その真新しい光は、肌を刺すような寒さと相まって非常に心地良い。
レオは屋敷を出てから、ずっと押し黙ったままだ。コルラードもなにか思うところがあったのだろう、それに対して敢えてなにも言わず、ただ淡々と彼の後ろを歩いている。その指には、かつて一度だけ身につけていた指輪が嵌められていた。
「――ベルナルドは、」
そのとき、ぽつりとレオが言った。大量に連なる石の十字架の中、彼が目指すものを見つけると、ぴたりと足を止める。
「ベルナルドは、おれが一番好きだったひとだ」
彼の眼前に迫る墓標。湿った土の上は、よく手入れされているのか雑草などこれっぽっちも生えていない。朽ちた形跡のない石の十字には、うっすらと霜が降りている。
「それは、どういう意味で?」
コルラードが尋ねた。レオは逡巡している様子でじっと押し黙っていたが、しばらくの間の後にのろのろと口を開いた。
「家族に対するもの……とは、ちょっと違うかもしれない」
曖昧に言葉を濁しながら、レオはその場にしゃがみこむ。その墓標に彼が崇拝する叔父が座っているのではないかと錯覚を起こすほど、実に優しい目線で真正面をじっと見つめている。
「この人はおれが生きるための技術を教えてくれた、一番の先生だ。だけど、当時のおれからしたら先生で留まるような人じゃなかったっていうのも確か。ブルーノはいつも忙しい人だったし、コルネリオも歳が離れていたから、ほとんど家にいなかったし。おれは学校にも行っていないから、この人しか外の世界を知らなかった」
だから、とレオはコルラードを仰いだ。その稲穂色の瞳には、コルラードが一度も見たことがない不思議な色に染まっていた。それを見て、コルラードは確信した。
この瞳に浮かんでいるものは恋情というやつだ、と。
「……夢を見る。今も」
そう思われていることにまったく気付かないレオは、囁くような声色で話を続ける。
「あのひとの?」
「そう。あのひとは今も、おれの目の前で灰になって消えていく。何度も何度も繰り返すんだ。残った灰から腐った肉の臭いがするんだよ。灰がぼろぼろに朽ちた肉塊になる、この手の中で」
それが人間の在り方だと分かってはいる。だが、全てを受け入れられるほどレオは大人でもなかった。子供の頃思い描いていた彼への憧憬は、本当にそれだけの気持ちだったのか。ただ己の語彙が足りなかったから、「すき」という単語を当てはめたというそれだけなのに、その二文字がなんだか傷口に塩を塗りたくるみたいにじりじりと痛めつけてくるのだ。
「おれはあのひとに捕らわれたまま、動けない」
だから『血狂い』を追い求めているのだ。
ただ単に、復讐がどうとか、彼の尻拭いとか、そういうことを抜きにして。『血狂い』をしとめれば、この呪縛から逃れられるのではないかと期待している自分がいた。
「――このひとの時間は止まっている。でも、君の時間は動いている。それらを同義にすることはいけないことだと思うよ」
コルラードの声に、レオはのろのろと頷いた。
「分かってる」
「分かってないから、そうやって……」
コルラードが無理やりレオを真正面へ向かい合うように引き寄せる。刹那、コルラードの喉元に何か堅いものがぶちあたった。さすがに驚き、コルラードは目を剥いた。
その正体はレオの短銃だった。いつも迷いがない銃口に、今日は微かな震えが宿っている。
「分かっているから、おれは、この銃しか愛せない」
稲穂色の瞳に、なにか煌めくものが溢れたかと思うと、つぅっと頬を伝って流れ落ちた。
「愛したくない……!」
レオが哮る。「どうしてお前は、そんなに優しいんだよ。見返りなんてないって分かってるくせに、どうして! カルナーレの血もやらない、愛してもやらない。形だけの婚姻なのに、どうしてそこまでするんだよ!」
二人の間を冷たい風が吹き抜けていく。一瞬の沈黙が、二人にはまるで永遠のように感じられた。
このまま時が止まってしまえばいいのに、とレオは思った。時が止まれば、もうこんなに苦しい思いをしなくて済む。そうすれば、今コルラードに対して感じた焦げ付くような痛みは忘れられるのに、と。
どうして神とやらはそうしてくれなかったのだろう。今まで休むことなく死した者を守ってきたのだから、一度くらい願い事を叶えてくれてもいいのに。
勿論、そんな無茶な願いが叶うはずはない。
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