第四章 眩惑 Stregare. (6) ホット・バタード・ラム

 屋敷に戻ると、レオは黒の外套を居間のソファにかけた。同時に革製のショルダー・タイプのホルスターが露わになる。レオはそこから短銃を抜き、先程組み敷かれた際にフレームが歪まなかったかどうかを目視した。異常なし。きちんとした整備は後ほどやることにして、再びそれを収めた。


 コルラードはと言えば、一度厨房へ引っ込んだかと思いきや、瓶やらカップやらを持ち出してきた。奥では湯を沸かしているらしく、微かに薪が爆ぜる音が聞こえる。


 それらを彼は一旦テーブルへと置き、続いて角砂糖とバターを持ち出してきた。瓶のラベルにはダーク・ラムと記されている。

 黙々と作業を始めたコルラードに、レオはそっと声をかけた。


「いつから気付いていた? おれが『血狂い』をしとめようとしているって」

「君を花嫁に指名するちょっと前から」


 優しげに微笑み、コルラードはカップに沸かしたばかりの湯とダーク・ラムを注ぎ入れた。その中に角砂糖とバターを落とし、マドラーを差す。ホット・バタード・ラムだ。冷えた身体を温めてやろうという、コルラードのさりげない心遣いだった。


「カルナーレがさもないノスフェラトゥに喰われた話は聞いていたからね。カルナーレがわざわざプレダトーレになる理由と言ったら、それしか思いつかなかった」


 それはまさしく、叔父のことだ。レオはぴくんと反応し、思わず彼にじっと目線を向けてしまった。コルラードの手元でゆっくりと溶けてゆくバター。甘い香りに、レオはゆっくりと息をついた。


「あれは君の親類だろう?」

「……叔父だ」


 無言で手渡されたカップを受け取ると、レオはその手元の水面に目を落とした。


第一等級グラダーレ・トゥリープロのプレダトーレだった」


 知っている、とコルラードは頷き、自分の分もゆっくりとした手つきで混ぜ始める。


 レオはそっと手元の液体を見つめた。そこには表情のない自分の顔が映り込んでいる。稲穂色の瞳が、こちらをじっと見つめて離れない。

 冷めないうちに飲んで、と彼が促したので、そっと口をつけた。口内に流れ落ちる微かな酒気。疲れが溜まっていたのか、喉がカッと焼けるように熱くなる。


「――君の場合、教皇庁からのお達し? それとも私怨?」

「両方だ」

 レオは短く返した。「カルナーレの犯した失態は、カルナーレが対応しなければと……そう思う」

「だから、君は俺の元に嫁ぐことにしたんだろう?」


 その問いには、なにも答えられなかった。じっと押し黙るレオのことを、コルラードは肯定も否定もしなかった。ただ、にこにこと微笑むだけ。その笑顔の裏側に潜むものを、レオははっきりと読み取ることができなかった。


 初めから、彼は知っていたのだ。


 レオが降嫁を認めた理由。ひとつは、エゼクラート領を守るため。そしてもうひとつが、『血狂い』をしとめるためだったことを。


 利用されているだけだということを知りながら、この男はレオに対し全霊をかけて愛情を向けてきた。報われないことも、薄々感じていただろう。


 なんてことをしてしまったんだ、とレオは胸の内で自責の念に駆られてしまった。だが、ひとつだけ彼に知っておいて欲しいことがある。

 レオは無理やり口を開き、声を絞り出した。


「今は……ちょっと、違う」


 その一言に、コルラードは嬉しそうに微笑んだ。それこそ全てお見通し、といった風な笑い方だったが、不思議とレオはそんな顔を見ても全く苛つかなかった。むしろ、心のどこかで安心している自分がいた。


 この感情は一体なんだろう。レオの知らない気持ちが胸の内に湧きあがってくる。


 少しだけ酒が入ったからだろうか。そういうことにして、レオは一旦カップをテーブルの上に置いた。


 おや、とコルラードがこちらへ目を向けてくる。


 先程嫌われたくないと言われたが、それはレオも同じだった。だが、どうしても話しておかなければならないことがある。しばらくそのまま逡巡し、レオはようやく口を開いた。


「コルラード。ちょっと出かけたいんだけど、いいかな」


 コルラードはきょとんとしながらも首を縦に動かした。

 何故今更そんな許可を求めたのか。甚だ疑問ではあるが、勝手にいなくなるよりはいいか。そう判断してのことだったのだが、レオはまだ何かを言いたげに俯いている。


「どうしたの?」


 尋ねると、彼は歯切れの悪い口調で続けた。


「……あの、さ。できれば、嫌でなければ。一緒に来てくれないか」

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