第四章 眩惑 Stregare. (3) あなたを裏切りそうになった
陽が大分高くなった頃、ようやくレオは目を覚ました。
確かコルラードとほとんど同じタイミングで布団にもぐりこんだはずなのだが、広いベッドに残されていたのはレオだけだった。
のっそりと起き上がり、その異変について思案する。
この時間帯、あのノスフェラトゥは大抵爆睡中なのである。
どうしたものか、と思いながら別室で着替えた。いつものシャツに、茶色のベスト。肩にはおなじみのショルダー・ホルスターを引っ提げ、その左脇下には愛銃が収まる。
一階へ降りると、居間ではコルラードが一人掛けのソファに座り黙々と新聞を読んでいた。レオはその一面の見出しに気がつき、思わずはっと目を見開いた。
そこには、例の『血狂い』による被害の拡大が記されていたのである。ひと月前にも似たような記事が掲載されていたはずだが、この様子からするとまた犠牲が増えたのだろう。
レオも長らくコルラードの目を盗んで情報を集めているが、決め手となる情報は依然として手に入らない。そして、『血狂い』に出くわしたことも今のところない。
「ああ、おはよう」
そこでコルラードはようやくレオの姿に気がつき、一旦新聞を畳んだ。「随分遅いお目覚めだね」
「悪い。ちょっと疲れていたみたいだ」
「いや、責めてはいないよ。ただ珍しいと言いたいだけだ」
コルラードは微笑み、己の横に置いていた一通の封書を手に取る。「他人の気配も気付かないほど、消耗していたのかい?」
「なに?」
露骨に不機嫌そうな声色で問いかけると、コルラードはくすくすと笑いながらそれを差し出してきた。
「君の部下から。さっき玄関先で直接会った」
レオは瞠目しながらそれを受け取る。
少々大きめの封筒にはしっかりと己の名が記されていた。赤いシーリングは、確かにクレメンティ家のものだ。この几帳面な字面から察するに、アルベルトの仕業か。
「もう連絡するなって言ったのに」
溜息をつきながら、レオはベストの内側に仕込んでいる短剣で封を開けた。
「君はクレメンティの御子息でしょう。怪しまれないよう、彼なりに考えたんだろう。いい部下を持ったね」
「ああ。あいつはおれの自慢だからな」
中身を取り出しながら、レオはちらりとコルラードへ目を向けた。「あいつ、元気そうだった?」
「うん、とても」
コルラードは頷いた。
それは間違いなく保証できる。あとから、彼が無事森を抜けたという連絡も受けた。これだけ手を尽くせば、まず元気でないはずがない。
「なら、いい」
中には、それとは別の封筒が一通と、流麗な字で綴られた手紙が入っていた。
まずは手紙の方に目を通し、次に封筒へと目を向ける。厳しい面持ちでその封筒を開けると、中には非常に簡素な令状が一枚。
「――なるほど。こりゃあ、アルベルトが動く訳だ」
ちらりと見ただけで、レオはそれらをさっさと火が燃える暖炉の中に放り込んでしまった。
手紙と一緒に同封されていたもう一通の封筒は、教皇庁からのお達しだった。レオがノスフェラトゥのもとへ降嫁したことについては事前にコルラードが話をつけている。だが、それを知り且つ黙認してくれているのはほんの一握りの人間だけだ。だから、事情を知らない者がこうして令状を発行してしまったのである。それを充分に考慮した上で、アルベルトはこっそりと送付しようとしたのだろう。本当に、彼には頭が上がらない。
お達しそのものは実にさっぱりとしていた。『血狂い』のノスフェラトゥをしとめること――久しぶりにレオに与えられた仕事は、思いの外大きなものだった。
本当ならば、好機だと喜ぶところだ。レオはこのためにプレダトーレになったようなものだし、この狩りを成功させれば公私ともに満足を得る結果となる。
しかしながら、内心レオは困惑していた。
――もうそんな悲しい思いをしなくてもいい。
そう言ったコルラードの表情が脳裏に焼き付いたまま離れない。彼はレオと同じように『狩る者』だからこそ、その辛さを誰よりも分かっていた。同族から裏切られることの辛さを、裏切る側の人間だからこそ痛いほどに分かっていた。
ほんの少しだけ、信じてみようかと思ってしまった自分がいた。
本当に、ノスフェラトゥを狩る必要はあるのだろうか。
愚かにも、そんなことを考えるようにすらなっていた。
しかしながら、現実はそれほど甘くはないと嫌でも分かってしまった。実際『血狂い』のせいで被害は拡大している。それ以外にも、むごいやり方で血を求めるノスフェラトゥも大勢いる。
すべてが悪い訳ではないけれど、やはり、これは必要なことなのだ。
レオは頭によぎる叔父の姿を思い起こすと、短く「ごめんなさい」と呟いた。
一瞬、あなたのことを、裏切りそうになった。
どうしてもこの短銃だけは手放す訳にはいかない。例えそれが自分の思いを否定することになろうとも、絶対に手放してはならなかった。
燃える令状を思案顔で眺めるレオの姿を、コルラードは悲痛な面持ちで見つめていた。
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