おわりに

 1943年はソ連にとって戦局の転換点となった。

 ソ連の「戦争マシーン」はレニングラードとウクライナのほぼ全域を解放した。この過程で、5万個もの部隊を有したドイツ軍は16個師団が包囲と損耗のために地図上から消滅し、それ以外にも60個師団の戦力が形骸化してしまった。成し遂げた軍事的成果に強い誇りを憶えたスターリンは米英連合国に対して、初めて首脳会談に応じることを伝えた。

 1943年11月、ダグラス輸送機が一機、英米外交使節との会談に臨むソ連外交団を乗せて、モスクワからイランの首都テヘランへ向かった。

 搭乗者の1人はヴァレンティン・ベレシコフ。独ソ開戦の直前に、ベルリンで駐独ソ連大使デカノゾフの通訳を務めた人物である。ベレシコフは上空からスターリングラードの廃墟を見つめ、こう記した。

「我々は無言で、窓に顔を押しつけていた。雪の中に点在する家々が最初に、視野に飛び込んでくる。やがて、信じがたいほどに無茶苦茶な光景が広がった。半ば倒壊した建物や塀の残骸、がらくたの山。煙突ばかりがあちこちにぽつんと立っている」

 スターリンは英首相チャーチル、米大統領ルーズベルトと会談に臨んだ。会談が始まる前、チャーチルは国王ジョージ六世が注文して製作した「スターリングラードの剣」を「ソ連人民」に贈呈する。刀身には、次のような献呈の辞が刻まれていた。

「英国国民の敬意のしるしとして、鉄の意志を持つスターリングラード市民に捧ぐ」

 両手で剣を受け取ったスターリンは、押し戴くようにしてその鞘に口づけした。次いで剣を同行のヴォロシーロフ元帥に渡す。

 会談では、この先の戦争に関する連合国の戦略が検討された。スターリンは1944年春に米英連合国が主力をヨーロッパの北西部に充て、第2戦線を展開することを今ここで確約すべきだと述べた。赤軍の損害とロシアの国民が味わった恐ろしい苦しみの故に、スターリンはいつでも「流血の罪」をタネに米英連合国を脅すことができた。米英連合国の損害はソ連の犠牲に比べれば、微々たるものだったからである。

 チャーチルは持説を展開した。現在、米英連合軍が注力すべきは枢軸国を離脱したイタリア領内におけるドイツ軍の掃討、トルコの参戦を含む補助的な地中海作戦などであると述べた。しかし、スターリンはチャーチルの意見に満足せず、議論は平行線を辿った。

 ルーズベルトはチャーチルの意見を退けて、2人の議論を終了させた。米英連合軍がフランスへの上陸―「オーヴァーロード」作戦を実行することを約束する。期日は翌44年5月までに実行すると回答した。

 スターリンはルーズベルトの要請に応じて、こう明言した。連合軍の上陸作戦が開始された後すぐに、赤軍も東部戦線で大規模な攻勢に打って出る。スターリンの戦略によればソ連は今後、ヨーロッパの東側を攻め続けることになる。中欧とバルカン半島は、完全に赤軍の手中に掌握される。

 チャーチルはスターリンの戦略がもたらす結果を強く懸念し、大統領の言動が結果的に、ソ連がポーランドに共産主義政権を樹立する助けになっていると訴えた。ルーズベルトはチャーチルの意見を気にも留めなかった。ルーズベルトが考えていたのは戦後秩序に向けた「国際連合」の設立であり、その設立にはソ連の協力は不可欠だった。

 スターリンはテヘランから帰国すると、自身が議長を務める国家防衛委員会を招集した。この会議で次の攻勢を実施する戦域が検討され、プリピャチ沼沢地以北からバルト海に至る戦域に焦点があてられた。

 中央軍集団がいた戦域は比較的安定していたが、その作戦地域は東方に向かって巨大な突出部を形成し、戦略予備の大半をはぎ取られていた。ドイツ軍の注目が南部戦域に向けられていることに乗じて、「最高司令部」は「バルバロッサ」作戦以来の仇敵である中央軍集団をきっぱりと処理する準備に取りかかった。

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巨人たちの戦争 第6部:凋落編 伊藤 薫 @tayki

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