観戦記

分身

第1話

 大学の後輩のS君が面白いものを見せてくれるというので湘南新宿ラインに乗って新宿まで出かけた。軽く昼食を済ませて約束の十二時に南口前でぼーっと立って居るとニット帽を被り両手をスカジャンに突っ込んだS君が「毎度」と挨拶をしながらやって来た。そういえば風が少し強い。「寒いね」と声をかけると「冬だから当たり前でしょう」と真顔で言ってくる。何か言い返そうとしたが寒いので止した。「一体何処へ行くんだい」と尋ねると「ちょっと裏道をごちゃごちゃ行きますから離れて迷子にならないでくださいね」といきなり偉そうな口を利く。随分な扱いだが、こっちは新宿に不案内だから黙ってついて行くしかない。歩き始めるとS君は後ろも振り返らずにずんずん人混みを掻き分けて行く。私は少し不安になりながら後をついて行くが時々S君を見失いかける。こういう時S君が木偶の坊で良かったと思う。ゆらゆら揺れているニット帽を目指して歩けばナビ代わりになるからだ。そうやって十分も歩いているとだんだん人混みもまばらになってS君にも追いついて歩いて行けるようになった。とはいってもS君は大股でのしのしと歩いていて、北風に逆らうような前傾姿勢だから、ついて行くのは楽ではない。あまりに早足だから「急ぐのかい」と顔を覗き込んで尋ねるとS君はぴたっと立ち止まり、仏頂面で「んーまあ」と目をパチパチしながら「入場に少し手間取るんです」と言った。「入場?」私は怪訝に聞き返した。「いい加減教えてくれよ。何処に何をしに行くんだい?秘密にすることはないだろう」S君は再び歩きだすと「いや秘密にするつもりはないんですが、説明が難しくて」と困ったような声で言った。それで「風俗かい?」と鎌をかけてみると「いやいや、すごく健全ですよ。スポーツですよ」とS君は真面目に否定した。「今ね、ヨーロッパで流行ってるんですよ。○○○っていうスポーツです」丁度その時風が強くて○○○の部分がよく聞こえなかった。バウデスとも聞こえた。マランガとも聞こえた。「S君ごめん、何て名前だって?よく聞こえなかったから」「○○○です」今度はデリッヒとも聞こえたがセンプルとも聞こえた。まあ要するに知らない単語は聞き取れないということだ。恥ずかしいから後で調べておくことにした。別に若者の流行りなんか知らなくていいのだけど、なんとなく悔しい感じがする。世の中には知らなくても生きていけることが多い。むしろ殆どのことは知らなくてもいい。実際電話帳を見れば分かる。大事なのは電話帳で電話番号が調べられることなのだ。しかし若い内はそれが分からない。周りが知っていることは当然知っていなくてはならないという強迫観念に囚われて迂遠な廻り道をする。まあいい。それでそのなんちゃらとかいうスポーツとはどういうスポーツなのか聞こうと口を開きかけて、ついさっき説明が難しいとS君が言っていたのを思い出したので、ではS君はどういう経緯でそのスポーツを知ったのかと尋ねてみた。やはり流行の発信源はインターネットで、ネットではこのスポーツの話題で持ちきりだという。とにかく超高度な戦術性がマニアックな人気を呼んでいるそうな。日本では極一部の熱狂的なファンがつき始めたところで、今日は日本初のパブリックビューが行われるため、S君はその取材をし私は同伴者。要は物好きな人が集まって皆で見て騒ぐので二人で見物しに行きましょう、という話。「なんだ簡単な話じゃないか」と私が茶化すと「記事にするのは楽じゃないんですよ」とS君がぼやいた。まあ知らない人に難しいスポーツの記事を書くのは難しかろう。というかS君はゲーム雑誌の編集者じゃなかったかな。最近のゲーム雑誌はなんでも記事にしなきゃならんのか大変だなぁ。どうでも好いけどよく歩くなぁ、などとつらつら考えていたら行列が見えてきた。平日の昼間何処からどう集まってきたのか、まあ学生だろうけど若者が立ったり座ったり、野郎ばかりで女っ気はゼロだ。プロレスみたいな格闘技なのか?とS君に聞くと、いやいやちゃんとボールを使った球技だと言う。それでよく見ると青色のユニフォームと黄色のユニフォームを着ている奴がいることがわかった。サポーターということか。パッと見てやや黄色の人数が多い。まあ黄色のチームが人気なんだろう。当たり前だけど。S君と私は短い行列を後にして関係者以外立ち入り禁止の柵の所で係の人を呼び止め、S君がなんやらかんやらやっているとプレス用の入場許可証を持ってきてくれた。こいつを首からぶら下げて奥に案内され、マスコミ専用席(と言っても大したことはない)に着くと席の割には取材陣の数はまばらであった。正面のスクリーンにはサッカーのようなユニフォームを着た選手がスローモーションでピッチの上を駆け回ったり跳ねたりしている。今一瞬でんぐり返りをした気がする。ゴールを決めた後のパフォーマンスか何かか。BGMにはファンファーレのような勇壮な音楽が流れており試合開始前の雰囲気を盛り上げている。全体的にはサッカーに似ているような印象がある。S君は私をほったらかしにして一眼レフ片手に取材を始めている。今は偉いさんの話を聞いているのだろう。不意に後ろが騒がしくなったので振り返ると一般席の入場が始まっていた。席取りを争わないところを見ると全席指定らしい。人が流れ込んで来たので改めてぐるっと会場全体を見渡すと中学校の体育館ぐらいの大きさである。席は全部で三百席程度。ライブハウスというか多目的ホールというか、公共施設だろうか。よく分からない。ここは普段何に使ってる施設なんだろう。入り口をよく見ておけば良かった。見過ごしてしまった。開場が始まったのでよく考えて見ると、まだ二時じゃないか。普通コンサートとかは六時半開演じゃないか。仮にこれから三時になんちゃらとかいうスポーツの試合が始まるとして夕方には終わるだろうに。時差の関係か?いや日本が昼ならヨーロッパは夜のはずだが。そもそもまだ名前も知られてないようなマイナースポーツが衛星生中継されるのか。全くよく分からない。するとえらく張りのある男の声で場内アナウンスが流れ始めた。英語でなんやら客席を煽っているらしいが音響が悪いのかさっぱり聞き取れない。それに反して客席はいちいちワーとかウォーとか盛り上がっている。手を叩いたりタオルを振り回している奴もいる。こちらとは無関係にどんどん盛り上がっていく。これだけ人がいるのに自分一人だけ状況が把握できていないというのは非常にいらいらする。


「そろそろ始まりますよ」とS君が教えてくれた。会場は地響きのようなオーッという歓声に揺れていた。盛り上がりは絶頂に達して暴動寸前だ。いや冗談じゃなくて。こいつら笑いに飢えてるムショ暮らしかと思う位盛り上がっている。と正面スクリーンにBlack Swan vs Pink Flamingo と表示された。おいおい青と黄色とちゃうんかいと心の中でツッコミを入れてると選手が入場して来た。なんかゾロゾロ長い列だな。1チーム何人いるんだ?「1チーム46人です」とS君が教えてくれた。めっちゃ多いやん。バケツリレーでもそんな人数要らんぞ。選手が向かい合うと主審がボールを持ってきた。すると青チームのキャプテンにボールを手渡した。「あれハンドじゃないの」とS君に尋ねると「この球技はラグビーみたいにボールを手で持ってプレーするんですよ」と教えてくれた。紛らわしい。すると青チームの6人がバレーボールのトスを始めた。「あれはイミグレーションという技です」とS君が教えてくれた。「一点入りました」すると電光掲示板に1ー0と表示された。おいおいホントに一点入っちゃったよ。今度は主審が黄色チームにボールを手渡した。するとキャプテンがボールを枕にして横になった。「出た!」S君が叫んだ。「タターロ・モンゴル・ヨークです」「何点入るんだい?」「熟睡すると3点入ります」「ねえゴールキーパーの意味あるのかい?」「あれはダンサーです」

 私がツッコむ気力を失って呆れてスクリーンを見ていると青チームの6人がでんぐり返しをした。「ゲット・アロング・トゥギャザーです。23点です」「どうでもいいや。これのどこが高度な戦術なんだい?」「麻雀みたいに裏ドラが乗るんですよ。どの技が裏ドラなのか推理しながら演技するんです」「それはスポーツじゃないだろう」「欧州ではマインドスポーツっていうんです。チェスやバックギャモンの仲間です」とS君がドヤ顔をした。だいたいS君という奴は香川生まれでうどんしか食ったことがない癖に「スパゲティじゃなくてパスタ」とか「アルデンテは耳たぶの固さ」とか知ったような口を利いて、ドヤ顔という日本語が出来る遥か前の前世からドヤ顔をしていた男だ。絶対に適当なことを言っている。類は友を呼ぶ。ここに集まってきた奴も「イクラってロシア語っしょ」とか言い出す北海道民とかそんなのばっかりに違いない。付和雷同烏合の衆。周りに合わせてアーとかウーとか騒いでいただけだろう。時間を返せ馬鹿野郎め。私はS君にもう帰る、と言い捨てて憤然と会場を抜け出し、入り口で入場許可証を投げ捨てて宵闇の新宿へ突き進んで行った。雑踏の中をがむしゃらに突っ切り何人かにぶつかったような覚えもある。何処をどう歩いて行ったのかは知らないが新宿駅には迷わず着いた。駅前で適当に酒を飲んで電車に乗り横浜で降りて家に帰ったら午前様だった。


 それからしばらくしてニュースで聞いた限りでは、そのなんちゃらというスポーツはスポンサーが撤退したとかなんとかいうことで、アマチュアで細々やってるらしい。日本では殆ど耳にしない。というか知る気も起こらない。

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観戦記 分身 @kazumasa7140

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