回顧05-02 疾走と失踪(下)




 そんなこんなで、様々な感情が綯い交ぜになった複雑な気持ちを抱えながら、アラタの自転車の後ろに立ち乗りしている私。オンボロのママチャリの後輪部分に取り付けられた金属製のステップは、法的に言えば違法改造である。そもそもこんな自転車を、山道の木陰へと予め仕込んでいたアラタは、やはり最初からこの計画を企んでいたのだろう。本気というか、何というか、執念にも似た気迫を感じる。


 ──外の世界を見るんなら、ネットやテレビで良いじゃない。


 そんな言葉を飲み下しながら、上りとは違うルートの山道を、風を感じながら下っていく。

 要するに、この烏丸の外へと向かって──烏丸町からの脱出を試みて、私たちは猛スピードで疾走する。


「ちょ、ちょっと、アラタ。早すぎる! 怖いっ怖いってば」


 そして寒い。私は七分丈のTシャツに、薄手のパーカーを一枚羽織っただけという軽装だった。目の前のアラタはといえば、袴からの着替えをとうに終え、夜風対策としてのウインドブレーカーをちゃっかりと羽織っている。


「わりぃ、リサ。やっぱり先に言っとけば良かったな。寒いだろ」


 私の気持ちが言外に伝わる事は珍しい。少なくとも、アラタに伝わる事は極めて稀である。


「うん、すっごく寒い。その格好、最初からこういうつもりだったのね」


 用意周到にウインドブレーカーを羽織ったアラタへと、嫌味たっぷりにそう言ってやった。アラタは悪びれるわけでもなく、「へへ、まぁね」と端的に答える。

 用意周到と言えば、アラタは竹刀までも用意していた。木陰に隠されていたのは、ママチャリだけではなかったのだ。アラタの竹刀は、目下返却予定の一本の刀と共に、一袋にまとめて私の右肩へと担がれている。


「胴着でもないのにこんなもの持ち歩いたら、それこそお巡りさんに捕まるわよ」

「リサだってそうだろ? お師匠さんの刀を四本も担いで、水主神社まで歩いたじゃねーか。俺の四倍捕まるぜ」

「それはそうだけど……でも、どうして竹刀なんか持っていくわけ?」


 会話に夢中になっているせいか、自転車の速度が少しだけ落ちる。


「だってよー、リサ。もしもだぜ? もしもいつも通りだったら──いつも通り、神様が見逃してくれなかったら、必要だろ?」

「その『俺はいつも通りを知ってるぜ』って物言いが腹立つんだけど」


 いつも通りだったら、『烏丸返し』に遭うだけ。私たちは、自宅へと強制送還される。ある意味では、全く問題の無い結末だ。特に、刀を間違えてしまった責任を果たすべきである私にとっては、自宅へと強制送還して頂けるのならば、それはそれで有り難いのではなかろうか。


「俺は馬鹿だけどさ、ただの馬鹿じゃないんだぜ。だから気付いたんだ。武装も必要って事に」

「武装? アラタ、あんたまさか──」


 私の彼氏は、筋金入りの大馬鹿者で、尚且つ筋金入りの罰当たりだった。巷間に伝え聞く森のお巡りさんは、神様の遣いだと云う。それらとやり合うなんていう発想が、一体どこから湧いて出るのだろうか。


「リサ、俺さ、今回で四回目なんだわ。これが四回目の脱走劇」

「そんなに? ホントに懲りないね」


 興奮冷めやらぬ口調で、何度か話をされた事がある。「ついに『烏丸返し』を経験した」とか、「今回もまた連れ戻されちまった」とか──それを私は、どこか遠い目をして聞いていた。話半分に聞いていた。そう、それこそ対岸の火事でも眺めるように。私には全く関係の無い話のように。


「一回目は不意打ちで呆気なく捕まって、二回目は全力で逃走したけど捕まった。三回目は素手で立ち向かったけれどやられちまって、そしてこれが、四回目の正直ってわけ」


 飄々とした様子であっても、アラタの言葉には微かな悔しさが見え隠れしていた。今の話によると、アラタは前回の脱走時に、既にお巡りさんと一戦交えているようだ。もしかすると私は、そんなとんでもない武勇伝もうわの空で聞いていたのだろうか。だとすれば私は、どこまで無神経で最悪な人間なのだろう。


「ちなみにその三回目の時な、部屋で目覚めたらおねしょしてて参ったぜ」

「……それはナイショでよくない?」


 戯けるように笑うアラタと、困り顔でそれを窘める私。「子供でごめんね」と口に出さずに呟くと、アラタの両肩に置いた私の手に、少しだけ力がこもった。


「なぁ、寝る前に考えた事あんだけどさ、古知梨沙って響きが悪いよな。名前に締まりが無いっつーかさ」

「いきなり何の話よ」

「いや、ちょっと駆け落ちみたいなだなと思って」


 確かに私も、駆け落ちみたいだなって少し思ったけれど──それよりも何よりも、「考えた事がある」という告白が嬉しくないわけでもなかった。それに結婚した後の名前の響きを考えるなんて、そんな少女の妄想みたいな事をアラタがしてたっていうのが心底意外だ。


「やっぱり俺が養子に入るか。屶鋼新太。悪くないじゃん。跡継ぎ問題もそれで解決」

「駆け落ちするのに跡継ぎ問題。完全に矛盾してるわね」

「確かに。こいつは一本取られたぜ」


 この状況のせいなのか、それとも深夜ならではのハイテンションなのか。アラタは際どい発言を平然と放り投げる。冷静を装って躱したものの、内心ではかなり動揺していた。


 アラタの言葉が、もちろん嬉しくもある。私が忌避している話題に、こうして自然に触れてくれるアラタを愛おしくも思う。けれど私は、出来る限りずっと目を伏せていたいのだろう。内灘さんが言うところの、「子供には耳の痛い話」に、「見たくも聞きたくもない現実の話」に──アラタと一緒でさえも向かい合う勇気が無いのだろう。


「リサ、あんまり思い詰めんなよ。烏丸だけがこの世界の全てじゃないんだ。俺が今からそれを証明するんだから、ちゃんと見てろよ」


 ふいに私は、アラタがこの町を出ようと躍起になっている理由に気付いてしまった──その理由を知ってしまった。同時に、この脱走劇に私を付き合わせた理由も。そして、底知れないアラタの優しさも。


「……たまにはカッコいいじゃん」

「お前もたまには可愛くなれよ。獣道に入るぞ──しっかり掴まってろ」


 アラタが左に急ハンドルを切り、大きな振動と共に上体が揺れた。振り落とされないように、身体の重心をよりアラタに近付ける。


「リスクの大きい近道ね」

「近道っていうか、道なりに行ってたら出れないからな」


 考えるまでもなく、アラタの言う事はもっともだった。このまま道なりに進んでいては、いつまで経っても烏丸の外には出られない。烏丸の性質は──閉鎖的という性格は、そういった構造上の問題にも及んでいる。外部に繋がる経路が──どこまでも続く道路が、極端に少ないのだ。

 閉鎖的だからそうしたのか、そうした造りだったから閉鎖的になったのかは分からない。しかし事実、ほとんどの道は環状に敷かれ、例に漏れずこの山道さえも、ただ辿って行くだけでは外部には出られない。


 道無き道を、ママチャリが突き進む。何度か転びそうになりながらも、その速度は一定以上に保たれていた。そもそも二人乗りなのだ。アラタの脚力じゃなければ、とっくに木の根に勢いを殺されて転倒しているに違いない。


「そろそろ、来ると思う」

「来るって……森のお巡りさん?」

「ああ。そんなに可愛いもんじゃないけどな」


 怪談でもするかのように、凄みを聞かせてアラタが言った。もしかするとアラタは、私を怖がらせたいのだろうか。世間一般的な、濃紺色の警官服に身を包んだお巡りさんの姿を頭に浮かべてみる。国家権力の象徴であるその姿は、堅苦しくはあっても物騒ではない。


 アラタが「ほら来た」と呟くのと同時に、目の前の地面がぼこりと盛り上がった。アラタの夜目の鋭さに感心すべきか、土地勘の鋭さに関心すべきか。


 ──いや、っていうか何あれ。


 私たちの進行方向を妨げるように、ぼこりっ、ぼこりっ、と大地が次々に隆起していく。そして驚くべき事に、にわかには信じがたい事に、盛り上がった土壌から、人の腕のようなものが──否、明らかに人の腕が、にょきりにょきりと生えてくるのだ。


「なんだよ今日は土遁の術かよ」


 急ハンドルで地面の隆起を──生え揃った腕の隙間をジグザグに躱しながら、アラタがそう吐き捨てた。何だか楽しそうにさえ見えるアラタと、その後ろで声にならない悲鳴を上げる私。

 しかし軽快なハンドル捌きも虚しく、次の瞬間には重たい衝撃が車体を襲い、私たちは中空へと投げ出されてしまった。視界の片隅に、前輪を謎の腕にがっしりと捕まえられた、絶体絶命のママチャリの姿が横切る。


「わりぃ、しくじった」


 幸いにも私たちは、枯れ葉の上へと落下した。何とか受け身を取れた事も手伝って、ダメージはほとんど見られなかった。追いかけっこからの脱落にも、アラタは全く動じた様子を見せず、「リサ、竹刀出して」と手のひらを差し出した。その立ち直りの早さに、頼もしさを感じずにはいられない。


 包みから竹刀を抜き出し、手早くアラタへと手渡す。私たちは申し合わせたかのような動きで、一本の幹を背にした。なるべく死角が出来ないように寄り添って陣取り、薄闇の中を注視していく。


 ぼこり、ぼこりぼこりぼこりっ。


 次々と地中から腕が生え揃い、私たちは瞬く間に取り囲まれた。何本もの腕が蠢いて、「おいでおいで」と手招きをする。アラタは私を背にするように位置を取り直し、無言のままに竹刀を構えた──剣道のそれではなく、剣術の構えで。


 そして私は、遅まきながらにやっと気付いた。地中から伸びた無数の腕が、それぞれ右左と対を成している事に。つまりあの腕の下には──。


 私の理解と同時に、悪い予感は現実のものとなった。両の腕がその地面を突っ張りあげて、地中から本体が現れたのだ。ホラー映画の世界で、埋葬された死人しびとがゾンビとなって蘇るかの如く、森のお巡りさんが、次々とその姿を現していく。


 ──森のお巡りさん? そんな可愛らしい表現を吹聴した奴を、私は全力で殴りたい。


 それは、確かに人の形をしていた。けれどそれは、決して人の動きではない。全身の関節があり得ない方向へぐきぐきと曲がり、自重を支えるのも難しそうに小刻みに震えている。中には四肢がもげ落ちて、すでに五体満足でない個体も確認出来た。

 そして何よりも、人の色をしていない。有り体に表現するならば、それは泥人形だ。濁った黄土色をした剥き出しでグロテスクな皮膚。生気を感じられないひび割れた土気色の顔。光を宿さない混濁した褐色の瞳。


「正直に言うね。アラタについてきた事、ものすごく後悔してる」

「ざっと数えて十二体。こっちが二人だと、歓迎も二倍ってわけか」


 少しも有り難くない丁重なお招きに、私は目眩を覚えた。


「あれに捕まったらアウト?」

「ああ、ステータス異常『暗闇』みたいな状態になるぞ」

「アラタはテレビゲームのやり過ぎね」


 そして自宅へ強制送還というわけか。『烏丸返し』のカラクリが、今ここに判明した。心底意味不明で、理解に苦しむ怪奇現象でありながらも──結局は歴とした物理現象というわけだ。

 じりじりと躙り寄る泥人形の一体がアラタの間合いに入り、アラタは躊躇なく斬りかかった。鈍い音と共に泥人形の首から上が消し飛び、文字通り土に還るようにその場へと倒れ込む。もげた断面から血が吹き出す様子もなく、崩れた泥団子みたくぼろぼろと砂の粒子が溢れていく。


「さて、あと十一体」


 アラタが恍惚とした笑みを浮かべて言った。その脳内には今、大量のアドレナリンが駆け巡っているに違いない。神様の遣いとされる森のお巡りさん──もとい泥人形へと向けて、こうも遠慮なく渾身の一撃を与えられるとは、ある意味で尊敬にも値すると思う。


「リサ、見ての通りこいつらは、動きも鈍ければ賢くもない。殺傷能力すらもないただの木偶の坊だ」

「そ、そう。じゃあ後は頑張ってね」


 実を言うと私は、地中から泥人形たちが這い出て来た時点で、恐怖のあまりに腰が抜けていた。けれど素直にそう告げる事も出来ず、アラタの後ろで高みの見物を気取ってみる。


「姫様、拙者の活躍をちゃんと見てるでござるよ」


 戯けた口調でアラタはそう言い残し、泥人形の群れへと突っ込んでいく。良い意味でも悪い意味でも調子に乗っているアラタは、時代劇の殺陣みたく、泥人形たちを右へ左へばたばたと薙ぎ倒していく。


 四度目の正直──彼の武装作戦は、この上なく功を奏していた。見る見るうちに死体の山──もとい泥人形の山を積み上げるアラタ。彼が見せるそれは、剣舞の動きだ。跳躍と静止。躍動と沈静。お気に入りの玩具と戯れる子供のように、実に生き生きとした表情で泥人形を蹴散らしていく。爽快なまでに、清々しいほどに。


 その光景を前に、私は思う。無言のままに薙ぎ倒される泥人形を見て──痛覚さえも持たないであろうその姿を見て、心の底から薄気味が悪いと、心の底から不気味で仕方ないと。

 人の形をしていても、人の姿を成していないその存在は、私たちが神様を畏怖する念と、確かに同質の感情をいだかせた。人外と呼ぶべき、醜悪なる存在。理解の範疇を超えた、醜怪なる存在。


「うっし。討伐完了っ! アラタはレベルが上がった」


 アラタは瞬く間に十二体の泥人形を破壊し、歌うように口遊くちずさんだ。やはりテレビゲームのやり過ぎのようだ。「ふぅ」と一息ついてから、腰の抜けた私に右手を差し伸べる。

 ──やっぱりお見通しか。足手まといで本当に申し訳ない。

 アラタの右手を両手で掴む。照れを隠すように視線を上方へ外し、腰の抜けた私がよろよろと立ち上が──ろうとしたその瞬間。


「アラタ、上っ!」


 私の瞳は、十三体目の泥人形が、突貫作戦よろしく私たちに向けて落下する姿を捉えた。

 数え損ねていた十三体目の泥人形。木の上へと潜んでいたであろう十三体目の泥人形──その刹那、全身にどんよりとした衝撃を感じ、私とアラタの意識が瞬時に遠退いていく。




 消え行く意識の中で私は思った。

 アラタの分析は間違っていた。

「賢くもない」という部分が決定的に間違っていた。

 不義理にも心のどこかで恨めしく思ってしまう。

 更にもう一つ、間違っていた事がある。


 ──ステータス異常『暗闇』じゃなくて、ステータス異常『睡眠』じゃないか。




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