回顧02-02 鬼の面と天邪鬼(下)




 周囲を見渡すと、神楽囃子を奏でていたお爺さんたちが、いつの間にか広場へと移動していた。人の群れを取り囲むように立ち構え、眉間にシワを寄せながらそれぞれの音色を奏で始めたお爺さんたち。


 律動する太鼓の音を追いかけるように、手平鉦てひらがねの軽快な鳴りがしゃんしゃんと響き、それに絡み付くようにして、龍笛の調べが交わる。心音を思わせる確かな振動と、軽佻けいちょうに騒ぎ立てる金属音と、それらを縫い上げる龍笛の調べ。

 戯れ合うように奏で合うその旋律が、名も知らぬ家族を連想させる。私の知らないあたたかさ──父親、子供、母親が戯れ合うその姿。


 社殿の方角を見やると、四人の舞い手たちが歩を進める姿が確認出来た。居合の足捌きのように重心を落とし、草鞋わらじの底を地面に這いずらせて、一歩ずつ、一歩ずつこちらへと向かってくる。白い袴姿に能面を被り、その腰元に爺じの刀剣を携えて──。


 異様な舞い手の姿が、自然と人々の視線をさらった。焚き木で暖を取っていた人々は、予め示し合わせたかのようにスペースを作る。やがてその中心へ舞い手が辿り着くと、舞い手を囲むように円状の人集りが再構築された。

 奇跡的にも私の位置は絶妙で、剣舞を鑑賞するにおいて視界を遮るものは一つも無かった。太鼓の音に紛れて、私の鼓動が早鐘を打っている。


 宵の闇が、黄金色の月が、立ち昇る煙が、弾け飛ぶ火の粉が、囃し立てる調べが、吹き止んだ風が、そしてそれらの全てが──神妙、いや、霊妙と呼ぶに相応しいそんな雰囲気を醸し出していた。


 四人の舞い手がそれぞれに被っている能面は、確か神楽面とかいう名称だったように思う。うろ覚えの浅はかな知識しか持ち合わせのない私だったけれど、狐のようで、天狗のようで、それでいてあくまでも人間の表情だと認識出来るその神楽面が、それぞれに『喜怒哀楽』を表現している事は明白だった。


 『喜』の面は、大きな鉤鼻ににんまり目尻で。

 『怒』の面は、二本の角に耳元まで張り裂けた口で。

 『哀』の面は、閉じた瞳に垂れ下がる乱れ髪で。

 『楽』の面は、腫れた頬に豊かな髭を蓄えて。


 私から見て左前方、『怒』の仮面を身に着けている舞い手、それがアラタだ。舞い手の中でも飛び抜けて若い彼だったけれど、元よりの背丈に角の長さが加わって、誰よりも長身になっていた。

 時に強く、そして時に弱く、不安定に明暗を繰り返す焔のせいか、その躰付きが思ったよりも強健に見えた。少なくとも子供と呼ばれるには──間違えても少年と呼ばれるには忍びない躰付きだ。

 まったく、無意味に腹が立つ。私を残して、また勝手に大人になったのか──思わず零れそうになった嘆息を、無理矢理に呑み込む私だった。


 人集りの中央で静止したままの彼らに、人々の視線が更に集まっていく。間近に眺めるその姿形は、もちろん人間でこそあったけれど、まるで天から遣わされた使徒のように、異形の空気を身に纏っていた。


 四人がそれぞれの構えを取ると、祭囃子の演奏がぴたりと止んだ。静寂の中に響き渡るのは、ばちばちと弾け飛ぶ火の粉の破裂音、ただそれだけとなり──やがて、一斉に上がった猛々しい雄叫びが、そして共に打ち鳴らされた荒々しい旋律が、沈黙を切り裂いて剣舞の始まりを告げた。


 大地を蹴って、跳躍。

 しなる筋肉の動きで、回転。

 宙を貫く、躍動。

 流線を描いて、抜刀。


 太刀筋が描く半円、静止──再び躍動。

 足捌きは剛。体捌きは柔。

 縦横無尽、各人各様の動きで。


 『喜』が跳ね、『怒』が貫き、『哀』は崩折れ、『楽』が踊る。


 刹那、時間が止まり、囃子の隙間を突き抜ける音は、舞い手たちの咆哮。

 刹那、一陣の風が吹き抜け、中心の焔が、燃え盛る業火へと変わる。


 雲を焼き払うように。天を捉えるように。

 伸びる、伸びていく火柱。

 大地から天へ。それとも、天から大地へ。

 神に捧げるその何かが、今、空気を震わせている。


 足捌きは柔。体捌きは剛。

 疾風迅雷、一斉一同の動き。


 刀の切っ先が、喜怒哀楽の太刀筋が──ただただ美しく。

 狙い澄ましたか、定められていたか。

 それとも呼応か、本能か。


 四本の切っ先が、業火の中心で巡り会い、

 その美しさが、業火の中心で交わった。

 生まれた鍛冶場の焔へと還るように。

 そしてもう一度、生まれるように。


 静止。静止。静止。静止。

 躍動。躍動。躍動。躍動。


 振り上げた刀剣が、火柱を潜り抜けて、

 振り下ろした刀剣が、深淵の闇を刳り抜いて、

 空の向こうで対峙する、金色の月を斬り裂いた。


 猛々しく、神々しく、禍々しく。

 交じり合い、混じり合わせ、彼らは舞った。


 ──そうか、これが祈りか。


 体現された祈りの姿が、人々の心を奪っていく。

 そして私の目線は、やがてアラタヘ。

 その焦点は、自ずとアラタヘ。


 吸い込まれるようにして、呑み込まれ、

 呪われるようにして、縛られて。


 裂けた口の、『怒』の神楽面の向こう。

 猛り狂った、『怒』の神楽面の向こう。

 あいつはきっと、笑っている。

 そんな確信が、私の体躯を今一度震わせる。


 どん、どどん、と太鼓が。

 しゃん、しゃしゃんと手平鉦が。

 ぴぃー、ひゅるりと龍笛が。

 絡み合い、絡み合って──宵の闇に溶けていく。


 私の瞳は、最早アラタだけを見つめていた。

 私の中では、最早アラタだけが舞っていた。


 溜め息さえも忘れた私は、焼け焦げた焦燥と、確かな憧憬を同時に噛みしめる。


 私は天邪鬼あまのじゃくか。それともへそ曲がりか。恐ろしく不器用で、不格好な不純物の塊。

 息苦しさに潜んだ甘やかな恋心を、一体誰に恥じているのだろう。無意味な伝統を守るため、だとか、ちっぽけプライドを守るため、だとか──いちいちそんな理屈を述べなければ、山道の一つも上れないのだとしたら、この町に残されたどんなしきたりよりも七面倒な女だ。


 アラタに剣舞を舞わせるため、その晴れ姿をこの目に焼き付けるため──ただそれだけの理由があれば、私はいつだって同じ行動を取っただろうし、ただそれだけの理由が無ければ、私はいつだって何も行動せずにいただろう。

 軽やかな足取りを邪魔するものが、私のプライドであるならば、それこそ何よりも無意味だし、それこそ何よりもちっぽけなものだ。


 纏わりついた様々な知恵が、私の行動を制限する。無闇矢鱈むやみやたらに纏わりついて、私の出鼻を挫きたがる。ここの所、そんな機会が増えてきたように思う。


 もしもそれが思春期というものならば、もしもそれが青春というものならば──今宵のどさくさに紛れて、一緒くたに神様に奉納してしまおう。決して信心深くはない私だけれど──決して信心深くはない私だからこそ、そんな横着もきっと許されるだろう。


 益体やくたいも無い考えを巡らせながら、私は瞳を閉じる。すると瞼の裏には、空に貼り付けられた飛行機雲のように、剣舞が描いた刀剣の流れが、そのきらびやかな流線の尾鰭おひれが、まざまざと在り在りと焼き付いていた。


 『リサに分かるように華麗に舞ってみせる』


 誰にも聞かれないように、アラタの言葉を小さく反芻する。

 アラタの言葉に嘘は無かった。アラタは嘘偽りなくその言葉を真実とした。いやそれどころか今までだって、一度たりともアラタは嘘を吐いた事がない。少なくとも私の知る限り──少なくとも私に対しては。


「リサ、ただいま。どうよどうよ、惚れ直したか?」


 延々と巡る私の物思いが、アラタの事について差し掛かったまさにその時、狙っていたんじゃないかと思うくらいのタイミングでアラタの声が飛び込んできた。その陽気な声に目を開けたけれど、目の前はまだ暗いままだ。ああ、目隠しをされているのか、とすぐに理解して振り返る。


「さっきも言ったと思うけれど、人前でスキンシップはやめてくれる?」

「ん? そんなこと言ってたっけか? 言ってないと思うぞ。それにほら、ぎりぎり触れてない」


 あれ、言ってないのかな。そう言われると言葉にはしていなかったかもしれない。けれど、わざわざ言葉にする事でもないだろう。触れてないというアラタの屁理屈も、厳密に言えば間違っていないけれど。

 意地悪く「いひひ」と笑う子供じみたアラタから一歩分距離をとって、「まぁとにかくお疲れ様」と、素っ気ない言葉を送って仕切り直す私だった。


「おう。で、どうよ。惚れ直したか?」

「そもそもまだ惚れてない」

「げげ、それはないだろ? 自信無くしちゃうよ俺」

「あんたは少しくらい自信を無くした方が良いって」


 と、まぁいつものそんなやり取りが、いつもと同じように続いていく。いつもどころか十年以上も前から、私とアラタの間にはずっとこんなやり取りが続いている。


「はいはい……っていうかリサ。町長がびびってたぜ。何が気に触ったんだ?」

「ん? 町長って誰」

「マジか。リサ、相変わらずだな。町長が、『屶鋼さんのお孫さんを役員席に案内しようとしたら、剣呑な眼で睨まれてしまった』って──心当たりあるんだろ?」

「……さぁ」


 もちろん、心当たりがありまくりだったけれど、大袈裟に首を傾げておく事にした。町長ならば町長らしく、誰の目にも分かりやすい出で立ちをしてほしいものだと思う。


「リサ、お前って面白いよな。そういう所、俺は好きだぜ」

「だから、人前でそうゆうのやめてって」

「うけけ、俺はリサの顔とおっぱいとひねくれた性格が好き」


 戯けるアラタのみぞおち辺りに正拳突きをお見舞いする。拳一つ分ほどアラタの方が身長が高いせいで、私の拳は良い具合にクリーンヒットした。苦しげにお腹を押さえながらアラタは、


「正直に言ったのに殴る事ないじゃん」


 と顔を歪ませる。けれど何処となく嬉しそうなその様子から察するに、アラタは殴られて喜ぶ変態なのかもしれない。


「何でも正直に言えば良いってもんじゃないわ」

「たまには正直になっても良いと思うぜ」


 アラタに背を向けて帰路に着こうとした私だったけれど、すぐさま彼に呼び止められた。


「リサ、ちょっと待った。お役目がまだ終わってない。ほら、これ」


 アラタに手渡されたのは、古ぼけた鍵、としか表現のしようがない古ぼけた鍵だった。腐食した赤茶色の金属の粉が、私の手のひらを汚す。


「何これ」

「何って、鍵だよ」


 アラタの説明が要領を得ないのはいつもの事だったので、私は黙って次の言葉を待つことにする。


「それな、宝物庫の鍵だって。町長いわく、お師匠さんの刀を宝物庫に片付けるまでが、屶鋼の人間の役目らしいぞ。ったく、リサが強面こわもてだから渡してこいって頼まれちまった」

「強面の使い方、合ってる?」

「ん? 仏頂面とかぶっきらぼうとかの方が良かったか?」


 いや、そうじゃなくてアラタの言い方だと、私が二十四時間体制で強面みたいじゃないか──そう思ったけれど、きりがないのでこれ以上は突っ込むまい。


「分かったわよ。もう何でも良いわ。で、どこにあるの? その宝物庫とやらは」

「社殿の脇を道なりに行くとある。ちなみに刀は拝殿の入り口に束ねてきた」


 社殿の方角に目をやりながらアラタが答えた。私は鍵の根本に付いている金属の輪っかに人差し指を通し、ぐるんぐるんと回しながら出来る限り気怠い感じを装って答える。


「じゃ、行ってくるわ」

「おう、毒を食らわば皿までだな」

「…………」


 私が一体いつ悪事に手を染めたというのか。せめてこの場合は、『尾を踏まば頭まで』と言った方が近い気がするけれど、それにしたって適切とまではいくまい。


「まぁ、乗りかかった船だしね」


 正解とおぼしきことわざを小声で呟きながら、宝物庫とやらへ向けて歩き出すと、私の背中に向けてアラタが叫んだ。


「リサ! 俺、近くで待ってるから! 一緒に帰ろうぜ!」


 賑わいのピークは過ぎたとはいえ、まだまだ広場には人が大勢居る。ここで振り向くのも気恥ずかしく思い、そのまま右手を上げてもう一度くるん、と鍵を回す私。

 ──私ってば、どうして無駄に男前なんだろう。

 振り返るまでもなく、私に向けてぶんぶんと手を振るアラタの姿が容易に想像出来た。さすがの私も、思わず口元が緩んでしまう。

 ──ああ、本当にやれやれだ。あいつの真っ直ぐさも、私のひねくれ加減も。


『たまには正直になっても良いと思うぜ』


 今しがた聞いたばかりのアラタの言葉は、もしかすると私にぴったりな助言なのかもしれない。けれど、最後まで振り返る事の出来ない私は、やっぱり天邪鬼でへそ曲がりで、どんなしきたりよりも七面倒な女なのだった。



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