回顧16-02 審判の時(下)




 苦しげな表情に、私は堪らず声を掛ける。


「ミコトくん、ごめんね。大丈夫。ミコトくんの呪いの事も、私がきちんと話をするから──」


 交渉の舵を取るべきである私たちが、ミコトくんを不安がらせているようではいけない。そんな想いと共に、裾を引くミコトくんの手を取る。しかしミコトくんは、私の手を握り返そうとはしなかった。

 少しだけ躊躇いがちにかぶりをふった後で、ミコトくんはどこか大人びた遠い横顔を見せて──凛とした瞳に確かな意志を宿して、私たちへと宣言したのだ。


「大丈夫だよ。僕は子供だけど──まだ全然大人に成れないけど、それでも自分のお願い事は自分で出来るから」


 その言葉には、強く一人立ちを望む切実な訴えと、大人たちが一方的に投げかけるおもんぱかりへの煩わしさが滲んでいた。そう、それはまるで、私が烏丸町の人々へと向けた理由無き拒絶のような──理由に乏しい自立心のような、無意味な焦燥感に彩られた感情が刺々しく光っていた。


 その感情を、私は知っている。

 まだ心許ない自分自身を突き刺すその苛立ちを、青臭い自分自身が周りの人たちを振り回してしまうその罪悪感を、私は知っている。

 ──そして、その罪悪感には微塵の価値さえも無い事を、私は知っているのだ。


「想いの力の強いわらべだね。果たしてその呪詛が先か、生まれながらのものか」


 ツクヨミ様は、袖口で口元を隠しながら「うふふ」と微笑んだ。その微笑みと同時に、降り注いでいた雨が途端に弱くなる。


「お見通しなら話が早えや。てなわけでツクヨミよ、鬼ごっこの前に一仕事頼むわ。その厄介な呪詛をちょちょいと消してやってくれ、消しゴムみたいによ」

「先生、果たして神様に消しゴムという言葉が通じますかね」

「あん? この町を草葉の陰からずっと見守ってるんだから、消しゴムくらい知ってるだろうよ」


 内灘さんと繰絡さんが、悪ふざけとしか取れないような会話を交わす。神様の御前でも夫婦漫才を繰り広げようとする二人の感覚は、正直なところ理解の範疇を超えていた。


「おいおい、草葉の陰って──死んだ人に使う言葉なんじゃないのか?」


 めずらしくアラタが正しい突っ込みをいれたものの、問題はそこじゃない。


「ちょっと、いい加減にしてください。ミコトくんがこんなに頑張ってるのに、ふざけて良い場面じゃないですよ。それにアラタも、二人に構わないで」


 声を荒げる私に、内灘さんは「すまね」と端的な謝罪を述べる。しかしながらその言葉には、僅かばかりの感情も込められていなかった。

 ここまで来て、内灘さんが本当に神様との交渉を纏める気があるのかが疑わしくなってくる。傍若無人なその態度も、それに付き合う繰絡さんも、どうかしているとしか思えない。


「赤い人、付き人のお嬢ちゃんが随分と苛立っているよ。それにそれ以上に、そこの童が腹を立てている」

「なっ、付き人って……」


 お嬢ちゃん扱いも然ることながら、よりによって内灘さんの付き人扱いされた事にショックを隠せない。けれど、ここで私まで冷静さを欠いてしまってはならないと、横目でミコトくんを見やる。


 ツクヨミ様の言う通り、ミコトくんの表情は怒気に満ちていた。いかにも子供らしく、拗ねたように頬を膨らましながらも、その目は真剣そのものだった。

 それもそのはずなのだ。『自分のお願い事は自分で出来る』と、必死の想いで宣言したにも関わらず、実の父親である内灘さんが、こうして茶化し立ててその覚悟を蔑ろにしてしまっているのだから──。


「お父さん、本当に黙ってて。怒るよ」


 ミコトくんの言葉は、幼い声色ながらも充分な迫力を宿していた。口元を尖らせて「へいへい」と不貞腐れる内灘さん──その大人気無い態度が、本当に情けなくなってくる。


「ミコトくん、私と一緒に言おう? 私と一緒に、ツクヨミ様にお願いしよう?」


 息巻くミコトくんへと呼びかけるも、ミコトくんは私に対しても同じように、「リサちゃんも黙ってて」と荒い声を上げた。予想外の反応に、私の心臓がとくん、と竦み上がる。

 ミコトくんは、小さく「ごめんね」と呟いてから、そして続けた。


「これは、僕の問題なんだから──。僕は僕のために、僕が願うんだから──」


 痛々しくもあるその姿を、アラタと繰絡さんが気遣わしげに見つめている。そして私も、何も言えないままにミコトくんを見つめるしかなかった。


「うふふ、面白い童だね。良いさ、言ってごらんよ。僕の御前で、自分の言葉で──君の願いを言うが良いさ。僕を呼び出した不手際を水に流したついでに、その願いこそを、僕の此度の存在理由としようじゃないか──」


 ツクヨミ様は、高らかにそう言い放った。私たちの目論見など、まるで最初からすべてお見通しだと言わんばかりに──高らかに笑った。

 その佇まいは、その姿こそは──私たちが思い描く神様のだった。悠然に立ち構え、寛容に満ち溢れ、粛々と佇みながら、それでも煌々と輝く──神様の姿だった。




 ミコトくんが、勇気を溜めるようにしてごくりと唾を飲み下す。

 神々しい神様の姿に見惚れながら、同時におののきながら、大きく息を吸い込んだ。

 そして、沈黙。

 そして、そして──。


 最後の畏怖を振り払いながら、ミコトくんは叫んだ。

 唯一の願いを、深刻な願いを──ミコトくんは叫んだ。


 けれど、けれども。

 ミコトくんの口から飛び出したのは、私たちの思いも寄らない願い事で──。




「神様、お願いします。どうか僕のお母さんを見つけてください。僕は……もう一度お母さんに会いたいんです──」




 言い終わるや否や、大地を揺るがす雷鳴が轟いた。

 この庭のすべてが、烏丸町のすべてが閃光に覆われる。

 そしてその瞬間──私は初めて、内灘さんの両目が鬼のように見開いたのを見たのだ。




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