回顧15-02 真実の輪郭(下)




「ツクヨミの力を借りて、『現滅化』の願いを『現存化』の願いで相殺する──俺の目論見は以前に話したと思うんだが、その際に伴う神様の消耗について、俺は語り損ねている」

「故意に伏せている事を、語り損ねているとは言わねーよ」


 投げやりなアラタの指摘が、虚しささえも伴って響いた。相も変わらずに偽悪的な役柄を貫こうとする内灘さんの姿を、私は複雑な心中で眺める。偽悪的なだけだと思い込む事で、自分の決意を保とうとしているのかもしれない。


「ふはは、まぁ今からする話は、危惧する価値も無い僅かな可能性の話さ──いいか? 俺たちはミコトを救うにあたって、偉大なるツクヨミ様に縋るわけだ。そしてそれは同時に、ツクヨミが遣わされた理由そのものとなる。梨沙ちゃんからすれば後付けの理由ではあるが、ツクヨミからすれば知るよしもない話さ。ミコトは救われ、ツクヨミは役目を果たす。一石二鳥コングラチュレーションズ。完全無欠の解決方法だ」

「なんだよ、良い事尽くめじゃねーか」

「先生。この私にも特に不都合は見当たらないように思います」


 人指し指を立てた内灘さんが、ちっちっと指を二度左右に振った。


「言っただろ? 『役目を果たす』んだぜ。俺が言いたいのは、完全無欠のその先だ」


 私たちの目線が、先を急かすように内灘さんへと集まる。さして動じるふうでもなく、いつもの調子で内灘さんは語り続けた。


「一仕事終われば、誰だって眠りに就くだろうよ。俺だって梨沙ちゃんだって、動物だって皆同じさ。そりゃあ神様だって、眠るだろうよ」


 神様が眠りに就く──私はその状態を、頭の中に思い描いた。それはつまり、私がツクヨミ様を呼び覚ましてしまう前の状態だろう。そこに在るのは、安息と安穏に満ちた、平和そのものの烏丸町だ。内灘さんの言う『リスク』を、いつもの烏丸町の姿に見つける事は出来なかった。


「梨沙ちゃん、良いか? 今までの烏丸町は、ツクヨミに見守られた状態だった──要するにそれは、神様が起きている状態だ。しかし、そのツクヨミが役目を果たし眠りに就いてしまえば、見守る者は居なくなる。『神格化の原則』によって、ツクヨミが消滅する事は決して無くとも、烏丸町を見守る産土神は眠りに就く──居なくなるのさ」


『神格化の原則』──同じ言葉を、以前に繰絡さんも使っていた。すべての人の心から忘れ去られない限り、神様は死なないといった屁理屈のような理屈──繰絡さんはたしかそれを、『神格化の原則』だなんて表現していたはずだ。

 しかし居なくなるとは、一体どういった事だろう。産土神の不在──つまりそれが、大成功した後のリスクだとして──。神様が不在だと、何が起きるのだ? 神様が不在なんて、むしろ殆どの人にとっては当たり前の現実じゃないか。


「内灘さん、質問です。『現滅化』と『現存化』の願いが、プラマイゼロの状態を奇跡的に作れたとして──あるいはそれに近い状態に持っていけたとして、ツクヨミ様が無事にお役目を終えたとしましょう。それで、何が起きるんですか? 産土神が不在だと、私たちにどんな不都合があるんですか?」


 私は何とももどかしい気持ちで、催促するように問いかけた。すると内灘さんは、両手を力の限り広げ、秋晴れの空を仰ぎながら答える。


「さてな、さっぱり分からん」


 私が大仰な溜め息をこれ見よがしに見せつけると、アラタも大きく肩を竦めてみせた。助けを求めるように繰絡さんを見やるも、さすがの繰絡さんも「えへへ」と苦笑いを浮かべるだけだった。


「俺にだって、分からん事はあるさ。何故なら神様なんて、そこに居るのが当たり前だからだ。全ての土地には産土神様が、全ての民には氏神様が、まるで空気のように寄り添っている。それがデフォルトなんだから、イレギュラーな状態なんて想像もつかんよ」


 悪い冗談でも囁くかのような、芝居がかった声が告げる。身を固くして立ち尽くす私たちへ、内灘さんは滔々と持論を並べていく。


「ふははは、俺が想像するに、神様不在のそのツケを、いつか誰かが払う羽目になるんだろうな。それは明日かもしれないし、一年後かもしれない。十年後かもしれないし、百年後かもしれない──いずれにしても、神様不在のこの地に人が生きる限り、いつか破綻する時が来るのだろう、と俺は予想している」


 苛立つアラタが、勢い良く地面を蹴り飛ばした。表層の雑草が抉れ、数センチ程度の窪みが出来る。決して褒められた行為ではないけれど、人様の家の庭を傷付けてしまう気持ちも、分からなくはない。


「ったく、何が『危惧する価値も無い僅かな可能性の話』だよ。ツケを払う時期が未定なだけで、いつかは払わなくちゃならないってんなら、僅かじゃなくて百パーセントの可能性だろうが」

「新太くん、先に言っただろう? イレギュラーな状態なんて、想像もつかないんだよ。だから俺は、憶測で物を言っているに過ぎないのさ。だからこそすべては、僅かな可能性の話に過ぎないんだぜ」


 睨み合う二人の間に、慌てて繰絡さんが割って入る。これから神様と謁見するというのに、私たちにはつゆほどの結束も無かった。


「俺は新太くんに敬意を表して、ありのままを伝えただけだ。俺は君たちの保護者じゃないんだ。至らない部分を責められる筋合いは無いなぁ」


 挑発的な目線がアラタを凄み、アラタも負けじと啖呵を切る。


「こっちは黙って利用されてやるって言ってんだよ。少しは態度と言葉を選べねーのか」


 一触即発の空気が場をひりつかせる中、私はどこか冷めた気持ちでそれらを眺めていた。

 何故だろう、こうして目の前でアラタが語気を荒げている事さえも、内灘さんが思い描いたシナリオの一部のように感じてしまう。『黙って利用されてやる』──アラタのその言葉が、しこりのように私の中に引っかかった。


 もしもの話だけれど──内灘さんが思い描いたシナリオに設けられた、チェックポイントの一つがここなのだとしたら? もしもの話に過ぎないのだけれど──この葛藤さえもが、内灘さんの考えているシナリオの通過点に過ぎないのだとしたら?

 取り留めもなくそんな事を考える私は、きっとどうかしている。


「内灘さん、あの──」


 三人の視線を一手に引き受け、私は一瞬言い淀む。すっと一呼吸を挟んでから、縋るようにして言葉を繋いだ。


「もう一度言います。黒幕なら黒幕らしく、きちんと最後まで面倒を見てください──黒幕なら黒幕らしく、最後まで無慈悲で居てください」


 内灘さんは目を見開いて、驚きの感情を露わにした。かつてない手応えを感じた私は、畳み掛けるように言い放つ。


「何度試したところで、私たちは引き下がりはしません。そして、思い直したりもしません。ミコトくんを救いたいんでしょう? その一心でここまで来たんだったら、そんな事では困ります。内灘さんが迷っているようでは──躊躇っているようでは困ります」


 アラタがはっとした表情で私を見る。戸惑いながら視線を戻すアラタは、「猿芝居なんて勘弁してくれよ」と小さく独りごちた。


「先生、どうやら私たちは、素敵なご縁に恵まれたようですよ」


 しみじみと告げる繰絡さんに頷いてから、内灘さんは感傷に耽るように黙りこくった。


「もしかしたら最初から、梨沙ちゃんに包み隠さずお話するべきでしたかね」


 「えへへ」とはにかむ繰絡さんに、私はかぶりを振って答える。


「繰絡さん、それは違います。アラタはともかくとして、私はそんなに出来た人間じゃありません。おそらくは内灘さんのやり方でしか、こんな馬鹿げた話を信じるなんて事はなかったと思います」


 宝物庫の闇を知らなければ、八景鏡塚の闇を知らなければ、ミコトくんの闇を知らなければ、内灘さんの闇を知らなければ──あらゆる何もかもを知らなければ、私はこの判断を下していなかった。何の疑いも無く、心からそう断言出来る。そういった意味で、内灘さんは何も間違ってはいない。


「俺はリサみたいにひねくれちゃいないけど、リサみたいにお人好しじゃないぜ」


 悪ぶって吐き捨てるアラタを、微笑ましい気持ちで眺める。もしもアラタ一人だったら、無条件に何の算段も無しに、内灘さんに協力していたくせに──そんな確信を胸に秘めながら。


「さて、先生の猿芝居が看破されたところで、ミコトさんがお目見えですよ。随分と可愛らしいお姿ですね。もぎ頃かもしれません」


 背筋の凍るような冗談を零しながら、繰絡さんが微笑んだ。その視線の先から、純白の輪袈裟わげさに身を包んだミコトくんが歩いてくる。後方には、心配そうな眼差しで見守る螢子さんの姿があった。


「ミコトさんも準備は万端ですね。何事も形から入ってみれば、心は後からついてくるものです」

「……あんまりジロジロ見ないでほしいな。なんか女の子みたいなカッコだよね」

「いえいえ、一部の女子から確実な需要がありますよ」


 繰絡さんの闇を垣間見ながら、私はミコトくんに声を掛ける。


「似合ってるよ、ミコトくん。すごく可愛い。可愛いと言っても、これは褒め言葉」


 頭上の笠を深々と被り直して、露骨な照れ笑いを浮かべるミコトくん。すべすべのほっぺたが、見る見るうちに桜色に染まっていく。


「さて、随分と遠回りをしちまったが、始めるとするか。ミコト、踏ん張り時だぜ。お前の呪いを解くためだけに、今やこの烏丸町は危機に晒されてるんだからな」


 あんまりにもあんまりな言い方で、内灘さんが発破を掛ける。けれど、こういった無神経な発言の一言一言が実は計算尽くで、私たちはその結果として今ここに立っているのだろう。


「内灘さん、当たり前の事を言いますけど、ミコトくんに罪はありませんからね」


 ならばこれは、一体誰の罪なのか──その答えを言葉にしてしまえば、私も無神経の仲間入りだ。七面倒くさそうに眉をひそめながらも、内灘さんは「分かってるよ」と短く吐き捨てた。


「おっさん、人生の反省会なら、すべてが終わってからだ。俺で良ければ、反省会までちゃんと付き合ってやるよ」

「ったく、ガキが知ったような口を利いてくれるぜ」

「へへ、やっぱり俺は抜きん出てるだろ?」

「まったくだ。お前は大したガキだよ」


 少年のような笑顔が二つ、私の前に並んだ。目の前で繰り広げられているこれが、男同士の友情というものなのだろうか。理解に苦しむけれど、決して悪い気分じゃない。


「繰絡さん、私たちも何か出来ませんかね」

「と、申しますと?」

「ほら、今みたいな会話ですよ。仲が良いのか悪いのか分からないやつです」


 繰絡さんとミコトくんが、二人して首を傾げて答える。


「おやまぁ、嫉妬ですか? 梨沙ちゃん」

「大人の人ってさ、ケンカしたいのか仲良くしたいのかどっちなの?」


 それはまぁ、出来れば仲良くしたいに決まってる。けれど仲が良いにも色々あって、そのこだわりが強すぎるがゆえに、私はこんなにひねくれた性格なのだろう。このニュアンスをうまく伝えられない自分が、もどかしくて仕方ない。

 言い淀む私を他所に、アラタと内灘さんが、祟り石に巻かれた注連縄に同時に手を掛けた。この家に来た初日に繰絡さんが言っていた、『簡単に神様に見つからない工夫』とはつまり、この祟り石に施された術式の効果によるものらしい。どんな理屈か知らないけれど、それこそオカルトチックだと呆れ半分に思う。


「んじゃおっさん、せーので行くぞ」


 何故か場を仕切るアラタに、内灘さんが苦笑しながら頷く。

 注連縄はかなりきつく巻かれていたようで、二人の苦戦するその姿はさながら、『大きなカブ』の一場面のようで滑稽だった。手伝いに入ろうとするミコトくんを、「逆に危ないよ」と慌てて引き留める私。


「おっさん、ゴツいのは見た目だけで案外頼りないな」

「新太くんこそ、梨沙ちゃんの前で良いところ見せ損ねたんじゃないのか?」


 大人げないそんな会話の果てに、注連縄が上方に引き抜かれた。勢い良く引き抜かれたカブのように、引き千切るようにして力任せに──今、賽は投げられた。







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