異世界で竜が許嫁です／山崎里佳

偽りの恋人_１

　町は高い塀（へい）で囲われていた。門の前には入町手続き待ちの行列ができていたけれど、ルイスが車の中から顔を出して声をかけると顔パスで列をスルーして通ってしまった。ルイスは遊園地でよくあるファストパス・チケットの類（たぐい）を持っていたのだろうか。

　うとうとしているとホテルのような場所に到（とう）着（ちやく）したらしい。外にいたおじさんにやんわり促（うなが）され、私は眠（ねむ）い目をこすりながら降りた。もう日が落ちてから数時間経（た）っている気がする。乗せてくれたタツノオトシゴ（仮）の首をよしよしと撫（な）でたらパチッとウィンクされた。可愛（かわい）い。

　屋（や）敷（しき）のような建物の大きな門の前では背筋の伸（の）びた老（ろう）紳（しん）士（し）って雰（ふん）囲（い）気（き）のおじさんがランプを掲（かか）げながら、眠さのせいか青ざめた笑（え）みを浮（う）かべていた。

「シュテルーン様、我らが領主様──そしてお連れ様を、この度（たび）我が家にお迎（むか）えできますことは光栄の至りでございます」

「世辞はいい」

　ルイスは低く響（ひび）くような声で言った。ルイスの声から、すごく機（き）嫌（げん）が悪そうだってわかった。

　ううん、タツノオトシゴ（仮）に乗っていた時からルイスの機嫌が悪いのはわかっていた。

　あの車の中で、ルイスと私はいくつかの実験をしたのだ。

　その結果、ルイスは私に触（ふ）れていないと力を引き出すことができないと発覚した。

　狭（せま）い車の中で手首を摑（つか）まれてびっくりしたけれど、竜族は力がなくちゃ生きられなくて、その力が私の中にあるというのだから仕方がない。変に恥（は）ずかしがるのも悪い気がして、私はずっと明後日（あさつて）の方を見ていた。

　触れていれば、その間、私の中にある源から湧（わ）き出る力を引き出して、ルイスの中に溜（た）めることはできるみたい。けれど、少ししか溜められないし、生きるだけでも力は消費しているとかで、竜族特有の能力を使おうとするとすぐになくなってしまうらしい。つまり私は充（じゆう）電（でん）器（き）で、ルイスは長持ちしないバッテリーのような状態なのだ。

　ルイスが生きる上でかなり不便な状態みたいで、実験を終えた後から目つきが凶（きよう）悪（あく）になった。

「すみません、ルイス眠いみたいだから、早く部屋に案内してください」

「おい、押すな！」

「イライラしないで」

　私だってしばらく異世界にいなくちゃいけないことで落ち込んでいるのだから。まごついているおじさんを促して、私たちは部屋へ案内してもらった。入った部屋は大きかったけれど、キングサイズのベッドが一つしかない。

「……私の部屋はどこ？」

「ここだ。おまえから目を離（はな）すつもりはない」

　ルイスは平然として言った。

「おまえが俺の力を握（にぎ）っている以上は、そうするより他にない」

　それにしたって、よく知らない男の人と同じ部屋で寝（ね）なくちゃいけないだなんて、どうしてこんなことになったんだろうって思う。ルイスが平気な顔をしているのが憎（にく）たらしい。わああって叫（さけ）んじゃいたい私がおかしいみたい。

　でもルイスの大事なものを持っているのは確かだし、ここは私が大人になるべきなんだろう。

「わかった……ルイスがベッドを使うといいよ。お姉ちゃんはソファで大丈夫だからね」

「貴様のような姉を持った覚えはない」

　ルイスの律（りち）儀（ぎ）なツッコミを聞き流してソファに横になると、すぐに眠（ねむ）気（け）が押し寄せてきた。

　眠りながら頭の隅（すみ）でお腹（なか）が減ったなあと思っていたら、やがて、息苦しくて、あんまり寝た気がしない内に目が覚めてしまった。

「う、うう……息、が」

　喉（のど）に手を伸ばすと、顎（あご）肉（にく）が、硬（かた）い。重い。大きくて、どかせられない。

　いや、顎肉はどかせられないか──。

「っ……何？」

「何が目的でルイス様のお部屋に忍（しの）び入った……!?」

　顎肉がしゃべった、と思った瞬（しゆん）間（かん）、顎肉がもげた。

「ぐはっ、ルイス、様!?」

　顎肉が吹（ふ）っ飛んだ。いや、それは私にのしかかっていた、人だった。

　暗（くら）闇（やみ）の中、すぐ近くからルイスの声が聞こえてきた。

「これはどういうことだ、ヨアヒム！」

「ルイス様のお部屋に忍び入る曲（くせ）者（もの）がおりまして……っ、始末、しようと」

「殺そうとしたのか……」

　ルイスの苦々しい声が聞こえたかと思うと、暗い部屋がフワッと明るくなる。ルイスがランプを掲げて私を見た。咳（せ）き込む私の肩（かた）を抱（だ）いて、ルイスが色を失い顔を覗（のぞ）き込んできた。

「おい、死ぬなよ！　呼吸はできるか？」

　呼吸なら、余（よ）裕（ゆう）でできてるから大丈夫。

　ルイスにバシバシと叩（たた）かれて多少困難になってはいるけれど……。咳き込んでいると、ルイスは私の首を絞（し）めていたらしい男の方に近づいた。

「ヨアヒム、余計なことをしてくれたな」

　ヨアヒムと呼ばれた男は、私の上から突（つ）き飛ばされた恰（かつ）好（こう）のまま絨（じゆう）毯（たん）の上に転がっていた。途（と）方（ほう）に暮れた顔をした彼の青い髪（かみ）を見て、私はびっくりした。なんでそんな色に染めたの？　不良なのかな？　盗（ぬす）んだバイクで走り出すの？　うちの弟妹に近づかないでください。

「人間なんぞ同じ空間で呼吸をすることすらご不快だとおっしゃっていたではありませんか！」

「呼吸しないと死んじゃう……」

　びっくりして呟（つぶや）くと、ルイスが赤い目をカッと見開いた。

「死ぬな!!　おまえに死なれたら俺は……！」

　力を失ってしまうか、悪ければ死んでしまう、のだと思う。

　けれどそれを知られないようにだろう、ルイスは言葉を吞（の）み込んだ。

「……こちらに来い、エミ」

　首を絞められていたとはっきり理解すると恐（こわ）くなった。差し出されたルイスの腕（うで）にしがみつく勢いで近づいた。ルイスの手が私の腕を摑むと、身体（からだ）がじわりと熱くなった。

　いや、熱くなったのは、私の身体の中にある何かだ。この熱が私の中にあるルイスの力なのだろう。触れているところから、その熱は元あったところにじわりじわりと戻（もど）ろうとするかのごとく、ルイスの方へ流れていく。

「まさか……ルイス様、その人間の女は」

　青い髪の男が、何かに気づいたかのように息を吞んだ。

　私が触れていないと、力を発揮できなくなっている。ルイスはそのことを絶対に誰（だれ）にも悟（さと）られないようにしたいと言っていた。それなのに、早（さつ）速（そく）バレてしまったのだろうか。

「その人間の女と、ルイス様……まさか恋（こい）仲（なか）なのではないでしょうな!?」

「…………ふぁ？」

　詰（つ）めていた息が、へろっと出てきた。

　ルイスを見上げたら、愕（がく）然（ぜん）とした顔をしていた。その顔のまま私を見下ろした後、すぐに抗（こう）議（ぎ）するように顔を上げた。

「そんなわけが……ッ！」

「それでは何故（なぜ）そのようにぴったりとくっついておられるのですか！」

　ルイスは一（いつ）瞬（しゆん）私の手を離そうとしたみたいだけれど、思い直した。ルイスのバッテリーは今、空に近い状態なんだろう。私を離したら力を使えないのかもしれない。

　とはいえ、そんなに強い力を込めて握らなくてもいいよね!?

「い、痛いよルイス」

「痛い？」

　ルイスは意味がわからない、という顔をして私を見下ろした。なんで伝わらないの、本当に痛いんだよ。涙（なみだ）さえにじんできた私を見て、ルイスは狼狽（うろた）えた。

「確かに人間はすぐ壊（こわ）れる……骨が折れたか!?」

　ただ青（あお）痣（あざ）になりそうなぐらいだよ。それでも十分痛いけどね。

　私たちのやり取りを見て、青い髪の男は誤解をますます深めたらしい。

「このヨアヒム、生（しよう）涯（がい）を通じてルイス様にお仕えすると誓（ちか）いましたが、それとこれとは話が別です！　人間の小（こ）娘（むすめ）にうつつを抜（ぬ）かすなど許されないことですよ！　ルイス様に限ってそのようなことはないと思っておりましたのに……!!」

「違（ちが）う、誤解するなヨアヒム、これは」

「何が誤解なのですか？　もしやその女を抱いているのには深い事情がおありとか──？」

　ルイスが言葉を切り絶句した。

　その通り、事情があるんだと説明しないっていうことは、やっぱり……この青い髪の男の人も、犯人の可能性があるってことなんだ。

　つい先ほどまで味わっていた息苦しさを思い出して、改めてゾッとした。

　私はただ巻き込まれただけだから、元の世界に帰っちゃえば日常に戻るけれど、ルイスは本当に誰かに命を狙（ねら）われているんだ……！

　突（とつ）飛（ぴ）すぎて真（しん）剣（けん）に考えてなかったけれど、目の前にいるこの人が犯人で、ルイスに力がないってわかったら、どうなっちゃうんだろう？

「……俺とこの女は、確かに恋仲だ！」

　ルイスはやけくそ気味に言った。

　秘密にしたい事情に理解を示しかけた青い髪の人を前に、ルイスは即（そく）座（ざ）に前言を撤（てつ）回（かい）したのだ。ついでに私の肩を抱いたルイスを見て、彼は額に青筋を走らせた。

「竜（りゆう）族（ぞく）の四公（こう）爵（しやく）家が一、シュテルーンの長（おさ）ともあろうお方がなんということをおっしゃるんです!?　次期王座すら望めるお方の恋人が、人間の女!?　前（ぜん）代（だい）未（み）聞（もん）です！　あり得ません！　領地主たちが聞いたらなんとおっしゃるか!!」

「す、好いてしまったものは仕方がなかろう！」

「この世のすべての竜族の娘が嘆（なげ）き悲しみますよ!!」

「放（ほう）っておけ!!　この女と共にいないと俺は生きられないのだからな！」

　叫びながら、ルイスはくっと喉を鳴らして赤い瞳（ひとみ）を潤（うる）ませた。そんなに嫌（いや）がるなんて失礼じゃないだろうか。

　ルイスと青い髪の男の不毛な言い争いを聞きながら、私はルイスに寄りかかって目を閉じた。

　なんだかもう、今日はすごく疲（つか）れてしまった。

　明日（あした）から頑（がん）張（ば）ろう。明日から、色んなことにちゃんと向き合って、犯人をさっさと見つけちゃって、弟（てい）妹（まい）たちのいる家に早く、帰らないと──。

「おい、起きろ……起きろエミ！」

　名前を呼ばれたけれど、瞼（まぶた）が重くて上手（うま）く開かなかった。

　昨日、泣いたっけ？　そんな覚えはないのに、瞼が腫（は）れぼったい。

「……ルイス？」

「今医者を呼んでいるところだ。頼（たの）むから死んでくれるなよ……！」

　寝（ね）て起きても夢が覚めない。ううん、これは夢なんかじゃないってことだ。

　なんとか瞼を開くと、私が横になっているベッドの脇（わき）で、ルイスが整った顔を歪（ゆが）めているのが見えた。そんな顔をさせてごめんね、と心の中で謝る。弟妹の顔を見たいなと視線を巡（めぐ）らせたら目が合ったのは青い髪の人、ヨアヒムさんの険しい目だった。いつの間にか、窓の外に日がのぼり、部屋の中はぼんやりと明るくなっていた。暗い部屋だとよくわからなかったけれど、明るい日の下で見る彼の目は緑色だった。

　身体がだるくて、起き上がれない。

「……私、風邪（かぜ）、ひいちゃった？」

　喉（のど）が痛くて声が掠（かす）れた。頭が重いのも視界が微（び）妙（みよう）に潤んでいるのも熱のせいみたいだ。

「ああ、そのようだな。……なぜそんなものをひいた」

　ルイスが責める口調で言った。大きな声を出さないで欲しい。頭がガンガンと痛む。

「うう……」

　呻（うめ）いた私を見て、ルイスが蒼（そう）白（はく）になる。

「おい、やめろ。おまえが死んで──失ったら！　俺は一体どうしたらいい!?」

　ルイスが恋人を心配する彼氏にしか見えないせいで、ヨアヒムさんが咳（せき）払（ばら）いをした。

「恐（おそ）らく、上（うわ）掛（が）けもかけずに寝ていたからでしょう。あと、夕食をとらせていなかったとおっしゃっていたので、それも原因かと」

　あと、水に濡（ぬ）れた服のままでいたのもよくなかったと思う。

「一体何が問題だ？」

「人間はすぐに死ぬ生き物です。食事を一回抜くだけでも死に大きく近づくそうです」

　それはいくらなんでも大げさだ。

　訂（てい）正（せい）しようとしたら、咳（せ）き込んでしまった。変な風に唾（つば）を飲み込んじゃったらしくて、大きな咳が中々止まらなくなった。

「お、おい……医者はまだか!?　ヨアヒム、俺に何かできることはないか！」

「暖かくさせておくこと……でしょうか。以前、買った人間を家の中に一晩置いておいたところ、凍（とう）死（し）していたという話を聞いたことがあります」

「おまえ……凍死するのか……？」

　その家はどれほど寒いんだろうか。

　びっくり顔をしているルイスに私はびっくりしたい。冷蔵庫の中にでも入れられなければ凍死はしないと思うよ、たぶん。

　ルイスは着ていた上着を脱（ぬ）いで私の上にバサッと載（の）せた。今はお布（ふ）団（とん）の中にいるから暖かいけれど、その気持ちはちゃんと受け取ろう。

「ありがとう。もしよければ、あの、水を……」

　喉が渇（かわ）いたから、もらえないかなと聞いてみたら、ルイスがヨアヒムさんを見た。

「水？　これは与（あた）えてもいいのか、ヨアヒム！」

「水は人間にとって重要なものらしいです。水を欠かすと人間は干（ひ）からびるそうです」

「干からびるのか……」

　そんなに簡単には干からびないはずだ。

　ルイスが口の中に水差しを思いきり突（つ）っ込んできたから、危（あや）うく溺（おぼ）れて死にかけた。実は、ルイスが私を殺そうとしている……!?

「げほっ、かは、ごほっ……！」

「そんな、エミ、おい死ぬのはやめてくれ、エミ！」

　私はなんとか呼吸を整えて、大（だい）丈（じよう）夫（ぶ）だよと小さな声で囁（ささや）いた。ただの風邪ならゆっくり休めば治るだろう。

「ヨアヒム、医者を急がせろ！　迎（むか）えに行け」

「……かしこまりました。ルイス様のご命令とあらば」

　不服そうな顔をしながらも、スッとお辞（じ）儀（ぎ）をしてヨアヒムさんがいなくなると、ルイスは恐る恐るといった手つきで私の手を取った。持ち上げられて見えた私の腕（うで）には、昨晩ルイスに摑（つか）まれてできた青痣がある。それを見て、ルイスは目を瞠（みは）った。