第8話 幕間 4 八坂神社・宮崎友禅斎宅跡

 都座と八坂神社は、とても縁がある。

 毎月の月次祭(つきなみさい)には、八坂神社から宮司が来て、屋上にあるお社(やしろ)での祝詞(のりと)が行われる。

 今月の大入りと、劇場、舞台安全などの祝詞と祈念がされる。

 また舞台での宙乗りなどの危険を伴う興行などでは、それに加えて、舞台稽古を始める前に、舞台に祭壇を組み、俗にいう「修祓式(しゅうばつしき)」が行われる。

 そういった一連の行事も八坂神社から、宮司が来た。


「ちょっと、今から八坂さんへお参りに行きましょう」

 と発案したのは例によって美香だった。

 九月下旬の事だった。

 京の都に、ぬめっと張り付いた湿気の多い夏は、ようやく徐々にはがされて、その隙間から、秋の風が爽やかに汗ばんだ顔を通り過ぎて行く。確かに夏の足音が長い滞留からようやく、腰を上げて去り出した。そしてゆっくりと秋の足跡が、それを迫っていた。

 十月はここ最近急激に増えた観光客のために、都座の舞台体験ツアーと称して、実際にお客様に舞台に上がって貰い、回り舞台や、セリに乗って奈落へ降りる、楽屋探訪もある体験もの公演だった。

 美香の道行きに参加したのは、今回は案内全員で、醍醐も参加していた。

 まずは八坂神社にてお参り。

「ここは本殿と拝殿が一つの造りになってます。これを祇園造りと云います」

「美香さんは京都観光ガイドしても、はんなりしてて似合うなあ」

 醍醐が褒めた。

 由梨も同じような事を感じた。

「はい有難うございます。次は案内さんが必ず喜ぶお社へお参りです」

 とにこやかに云った。

「チーフ、お参り好きですねえ」

 和美が云うと、他の案内係は、笑った。和美の言葉で、由梨は安井金毘羅さんの美香の真剣な表情で拝む表情がフラッシュバックした。

「そう、大好きです。信じる者は救われるんです」

 さらに笑いのさざ波が増加した。

 美香が一行を連れて行ったのは、八坂神社の分社である、美の神様を祭る、(美御前社・うつくしごぜんしゃ)だった。

 小さなお社の隣りに、(身も心も美しく 美容水)と小豆色の石に、白文字が刻まれていた。その前から水が湧き出ていた。

「この水を顔に塗ると、さらに美人になります」

 美香の言葉に、案内係は、競って顔に水をつけてはしゃいでいた。

「祇園の舞妓さん、芸妓さんもよくお参りされて、顔に水をつけてはるそうです」

「道理で美人が多いはずかあ」

 由梨はそうつぶやいた。

「男がつけると、男前になるのかなあ」

 醍醐が聞いた。

「さあ、男はんには、効かないような気がします」

 最後に美香が、何度も顔に水をかけて熱心に拝んでいた。

「チーフ、それ以上美しくなってどうするんですか」

 拝んで目を開けた美香に、由梨は冷やかしの言葉をかけた。

「いえ、美は油断すると逃げて行くもんなのよ」

「チーフの言葉、体験的お言葉で、こころに沁みます」

「嵐山さんら、あなた達は今は若いからわからないでしょうけど・・・」

 そこで美香は言葉を閉ざす。

「その続きは」

 由梨は催促した。

「チーフ教えて下さい」

 一呼吸置いて、美香が大きな声で宣言した。

「美人でも、皆老いて、ばばあになる!」

 聞いた瞬間、由梨らは、その迫力に何も云えず、ただその場で口をぽかんと開けたままだった。

「チーフってやはりすごいんですね」

 由梨はやっとの思いで感想を述べた。

 次に美香は、円山公園の北側に出て知恩院を目指していた。

 大きな山門が見えて来た。徳川二代将軍徳川秀忠が建立してと云われる世界最大の木造の山門である。

 山門の前は階段になっており、階段状に人が並び、写真を撮っていた。

 山門の柱と柱から、男坂と呼ばれる急な階段が顔を覗かせていた。

「チーフ知恩院行くんですか」

「私、あの階段苦手」

「見ただけで足と腰ががくがくになって来た」

「私、ここで待ってます」

「私もそうします」

 案内係が口々に、やんわりと拒否を口にし始めた。

「はいはい、男坂は登りません。知恩院さんも行きません」

「じゃあどこへ行くんですか」

「まあついていらっしゃい」

 美香は、山門横のなだらかな階段になっていない坂を登り始めた。通称「女坂」である。

 京都には、もう一つ有名な女坂がある。

 七条の国立博物館前の、東大路から、京都女子大学、高校へ通じる坂がそうである。通学時間は、女子大生、女子高生で道一杯に占領される。

 男が通るには、かなり勇気が必要で、嫌な視線を浴びる。

 美香は、女坂の途中にある所で立ち止まる。

「ここです」

「ここは何ですか」

「皆、着物の友禅染って知ってるよね」

「はい知ってます」

「あの友禅染を発明した、宮崎友禅斎が住んでたと云われる邸宅跡がここなんよ」

「知恩院知っててもここは知りませんでした」

「えっ、友禅って人の名前やったん?全然知らんかった」

「チーフ、すごい!」

「明日から、観光バスガイド出来る」

「チーフ美香さんの観光バスガイド乗ってみたい」

「乗る乗る!絶対に乗る!」

 案内係は口々に感想を述べた。

 醍醐が皆の分、まとめて入場料を払ってくれた。

 中は、公園になっていた。入ってすぐに池があった。左手、奥には茶室もある。

 右手の方に行くと、宮崎友禅斎の座った銅像があった。

「友禅斎は、扇絵師として有名で、晩年は住み慣れた京都を離れて、金沢へ引っ越します」

「金沢もいい街ですよね」

「だから京友禅に対して、加賀友禅と云うんですね」

 由梨は着物好きな家族に囲まれていたが、今の美香の解説は初めて聞いた。

 ここはあまり人がいなくて、由梨らの貸切だった。

「人がいませんね」

「知恩院は、皆知っててもここはあまり知らない人が多いのよ」

 美香はそう云うと、友禅斎の銅像に向かって目を閉じて拝んでいた。

 由梨はその姿に、慌てて自分も手を合わせた。

 美香は一体何を願掛けしているのだろうか。

 由梨は、ただ手を合わせるだけで、こころの文言は思い浮かばなかった。








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