第6話 幕間3 祇園祭・宵々山

 四条エリ公演は、七月公演である。

 京都の都座で、昔から七月はどんな出し物を持って来ても、客が入らないと云うジンクスが存在していた。

 何故なら京都の七月は、まるまる一か月、祇園祭で町衆の身体もこころも骨の髄まで費やされるからである。

 しかし、予想に反して大入りが続いた。

 他府県の人、特に大阪の人は祇園祭は十七日の前祭(さきのまつり)、二十四日の後祭(あとのまつり)の山鉾(やまほこ)巡行だけだと思い込んでいる。

 しかし一日の吉符入り(打ち合わせ)、二日のくじ取り式(山鉾の順番)から始まり、三十一日の八坂神社での夏越しのはらい(茅の輪くぐり)まで、一か月続く全国的に見ても珍しい祭なのである。

「ねえ嵐山さん、屏風飾り見に行こうか」

 と美香が十五日の祇園祭・宵々山の日に誘って来た。

「いいですねえ」

「無理せんでもええよ。デートやったら私の事なんか、ほっといてよ」

 美香の心配りの言葉に感心した。

 同じ京都人でありながら、由梨は、そこが自分と美香との違いだと認めた。

 あれから蛸蔵からは、何の連絡もなかった。

 よしんば、祇園祭を二人で過ごす事を夢見ていた由梨だったので、いささか意気消沈の日々でもあった。さらに、美香の提案で浴衣で出かける事にした。

「浴衣、自分で着れる?」

 心配性の美香が聞いて来た。

「はい」

 もう祖母の時代から着物は日常生活に入り込んでいた。

 祖母も母も、ほとんど着物姿だった。

 由梨が幼い頃。たまに母が洋服を着ると、その姿を見た途端、由梨は海老ぞりになって、泣きじゃくったそうだ。

「そりゃあ、あんさん、化け物に会ったように、顔を真っ赤にして泣いてはりました」

 祖母が事ある事に、その出来事を話した。しかし、もちろん由梨にはその記憶がない。

 この日から、十七日の山鉾巡行の日まで、昼一回公演が続く。

 昼の部が終わるのが二時半。

 それからお客様の退場を見送って、仕事が終わるのが三時だった。

 本来なら案内控室で浴衣に着替えて出かけるのが、一番楽である。しかし、あえてそれをしなかった。他の案内さんに見られたくないからだ。

 由梨と美香は時間差で都座を出た。

 二人は、四条河原町の高島屋の一階女子トイレで着替えた。

 一階のロビーは、毎度の事ながら、祇園祭のお囃子のテープを流し続けた。

 地下の阪急電車、四条河原町駅のホームも同じお囃子が鳴り響いていた。

 普段下げている後ろ髪をアップにして、洋服から浴衣へ、ハイヒールから下駄へ変える。人には、変身願望があると云う。

 日本人女性は、こうして安価に気軽に返信出来るのが、外国人からしたら羨ましい事なのだ。

 その証拠に二人が連れ添って歩くと、外国人観光客が、周りから湧き出て来て、盛んにスマホ、アイパッド、デジカメのシャッターを二人に向けて押していた。

 由梨らが向かったのは、四条烏丸通りから、南へ少し下がった所にある町家である。入り口で入場料千五百円を支払う。

 毎年祇園祭の宵々山(十五日)から、山鉾巡行(十七日)まで屛風飾りと称して町家内部が一般公開される。公開される町家はごく一部である。非公開で、時価総額数百億円もする屏風がさらりと飾られる。

 でも大阪人のように、

「これ、二百億円もする屛風やでええ!」

 等と、声高に云ったりは決してしない。

 そこが京都人の奥ゆかしさでもあり、京都の底力でもある。

「知ってる人、分かってる人だけ見たらよろしい」

 一見突き放した感覚だが、京都の学ばない人への線引き化もしれない。

 京都の町家は古く感じられるが、実はその大半は明治になってからのものである。

 と云うのも、幕末、「蛤御門の変」で、市中の大半が焼けてしまったせいである。

 表向きは、年に一度の公開とうたっているが、関係者の間では、色々な行事の度に使用されていた。

「嵐山さんは、ここは初めて」

「いえ、何回か」

「そうなんや。ごめんね」

「いえ、小さい時やったから」

「嵐山さんは、家はどこなん」

「今は、京都御所の西側、平安女学院大学の近くです」

「町家なんでしょう」

「いえ、町家をリフォームした普通の家です」

 近頃町家ブームらしい。

 しかし由梨にとっては、町家は冬は寒いし、夏は冷房が効かない不便な代物なのだ。

 台所と食べるところが、フラットでないのが苦痛だった。

 年老いた母はついに腰をいわした。

 そこで思い切って、普通の家にリフォームした。

 外観や天井に昔の面影が残る。その快適さに、心底満足した。

 一方何か、大きなものを失った気もしたのも事実だ。

「ここの町家の天井は低いねえ」

 と美香が見上げながら云った。確かにそうだ。二メートルぐらいしかない。

 身長の高い外国人には住めない。

「ほんの少しなのに、圧迫感ひしひし」

 と由梨が感想を述べた。

 当時の日本人の平均身長は、百五十センチだから、当時としてはそんなに低くはなかったはずだろう。

 部屋にはエアコンがない。その代わりに各部屋には、高さ一メートルほどの氷柱がたらいに入れられていた。

 街の中なのに、庭が広い。坪庭が三か所もある。

 夏のしつらえの御簾の戸、屛風、床は夏用のゴザが敷き詰められている。

 床の間、柱のあちこちに竹で編んだ花器がかけてあり、そこには青い朝顔が顔を覗かせていた。軒下には、吊りようミニ葭簀が巻かれていた。

 離れの茶室には、天窓があり、今は夏のきつい日差しが照る。

「ここ暑い茶室やねえ」

「今は一般公開で開けてますけど、暑い日や大雨の時は閉じます」

 係員が説明した。

「閉じるて、どんな風にどすか」

 美香がよそ行きの声を出した。

「こうします」

 係員は、竹の棒で、天窓の四隅のつっかえを突いた。すぐにばしゃんと鈍い音を立てて閉まった。

「いやあ簡単に閉まるんやあ」

「開ける方が大変なんです」

 と云いながら、天窓向けてマグライトを照らした。

「こうせんと留め金見えないんです」

 と幾分弁解した。

 そこを出て、再び四条通りを目指して歩いてる時だった。

 目の前を和美と蛸蔵の二人が仲良く手をつないで笑いながら横切った。

「あれっ蛸蔵さん」

「和美さん」

 由梨と美香は慌てて追いかけた。しかし四条通りに出た時は、二人の姿はなかった。

「確かに和美と蛸蔵でしたね」

 由梨は、美香に確認を求めた。

「はい、その二人でした」

「あいつ!」

 由梨は足の指先に力を入れて、勢いつけて歩き出す。

 ぷちっと鈍い音を立てて、下駄の鼻緒が切れる。

「鼻緒が切れたん?」

 悠長な美香の声。

「私のこころもぶち切れました」

 それにも苛立ちを見せた由梨だった。

「下駄の鼻緒と同じくあいつの鼻も切ってやる。もう!」

「お手柔らかに」

 どこまでも、呑気で心優しい美香の声が、今度は安らぎの声に聞こえた。

(少し情緒不安定かも)と由梨は、沈殿するこころの奥底で思い始めていた。















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