最終話 狼の帰還

 『ワールド』には厳然たる勝者と敗者がいた。

 勝者は天を仰ぎ、敗者は地を睨む。

「おつかれさま」

 貴文は『ワールド』に倒れて立てずにいる教え子達に優しく声をかけた。

 試合中は色々あったが、終われば良い試合だった。彼らを責める気は毛頭なかった。

「ちくしょう!」

 春樹が『ワールド』にこぶしを突き立てる。

「もっともっともっと練習してたら勝てたかもしれないのに!」

「……そうだね」

 秋雄は頷いた。

「もっと早くザバルを始めていたら……」

「もっと体力をつけていたら」

「もっと……」

 誰もが負けたことより、自分の力を伸ばせなかったことを悔しがっている。

 これなら余計なことを言う必要もないかと、貴文は思った。

「ほら立て、試合後の挨拶は済んでないぞ」

 貴文は教え子達を強引に立たせた。


「互いに礼!」

『これからもどうぞよろしくおねがいします!』

 両者の挨拶で試合は完全に終わる。

 結果は予想通り、『芸術点』を加えてもあと『トレイン』一本分の『実得点』が足りなかった。

 意気消沈で戻ってくる教え子の背後から、対照的に喜色満面といった風な表情で近づいてくる招かれざる女。

「ふん! 惨めに負けた気持ちはどう?」

 洋子は勝ち誇った表情で言った。

 貴文はため息を吐く。

「さあ、私にはさっぱり分かりませんね」

「負け惜しみかしら?」

「負けはしましたが惨めどころか、誇れる戦いをしてくれました。彼らに対して今の私は感謝しかありません」

『監督……』

 真っ赤に目を腫らした教え子達の涙腺が再び緩む。

 それと同時に、すさまじいシャッター音が鳴った。

 自分の勝ちを見せびらかしたかったのか、洋子はマスメディアも引き連れてわざわざやってきたらしい。

 しかし、貴文のあまりの堂々とした態度に、逆に自分が負けたような気持ちになる。

「あなた負けて私は勝った! それが全てよ!」

「でしたら貴方はそう思っていて下さい。私は試合に勝っても誤りがあれば部員を叱りますし、負けても全力を出し切ったのなら褒めます。私にはそういう教え方しかできません。それにこの試合は負けましたが、まだ勝負は終わってませんよ」

「この減らず口を……」

「あのちょっとよろしいですか」

 唐突に貴文と洋子の間に、初老の男が割って入る。

 貴文はこのアバズレの行き遅れと話してるよりははるかにマシと判断し、すぐに応対した。

「なんでしょう?」

「実は私、東京サバンナのスカウトをしている者なのですが、是非監督としての内田さんと改めてお話がしたいのですが……」

 そう言って名刺を渡す。

 東京サバンナは日本のプロザバルチームで、歴史は浅いが今売り出し中のチームだ。まさか大学1年で、いきなりスカウトの話をされるとは夢にも思わなかった。

 それから次々にスカウトが貴文の元に集まり、名刺を渡される。

 洋子はそれを離れた場所で呆然と見ていた。


「……なによ! 勝ったのは私なのよ!?」

 

 その声は誰の耳にも届くことはなかった……。



  試合前までは選手や監督の声で賑わっていた練習場も、今は数人の部員達が三々五々軽く流しているだけで、静かなものだった。

 あの激闘から3日後――。

 沙織は未だ入院中、グリーンは疲労による風邪で寝込んでしまい、陽介も頭に包帯を巻いて今日からようやく大学に来たほどだ。しかも、マスコミ対応があるのか、貴文も滅多に『ワールド』に姿を見せなくなり、まるであの試合が幻だったかのようなだらけきった日々を過ごしていた。

「しかし、あのジョンソンもそんな悪いやつじゃなかったよな」

 春樹は秋雄と一緒に柔軟をしなが呟く。

「いや、それはたんに買収されたんじゃ……」

「あの肉うまかったなあ……」

 春樹は兄弟の言葉は一切聞かず、その日のことを思いだした。

 試合の翌日、帰国するジョンソンから貴文に最後に会いたいと連絡があり、せっかくだからと貴文は教え子達も連れ行った。あとで部員達は貴文に聞いたが、これはジョンソンにより高く奢らせようという、悪質な嫌がらせによるものだったらしい。貴文は「それでチャラにしてやるんだから安い物だろ」と、非常に嫌な笑顔で笑っていた。

 ザバル部一行が招待されたのは都内でも有名な高級焼き肉店ディオ園で、到着と同時に歓迎したジョナサンに対し、「全部お前のおごりな」と貴文は確約させた。

 ジョナサンと貴文が食事中何を話したのかは、部員たちには分からない。小声の上英語で、野生児的に耳の良い部員は肉に夢中だった。ただ2人は終始穏やかで、貴文は良く苦笑していた。

 また、ジョナサンは貴文を通訳として間に入れ、部員達にも個々にアドバイスをした。「オフィシャルで頼んだらうん百万円はするんだから、今のうちに初体験の年なりハリウッド女優の携帯番号なりなんでも聞いとけ!」と酒の入った貴文からオヤジギャグ全開で言われたが、さすがにそれを実戦した部員はいなかった。

「でもやっぱりトッププロだけあってすごい的確だったね。僕の弱点も完璧に見抜かれてたよ」

 隆も会話に割って入る。

「……うん」

 未央も加わったが何故か妙に顔が赤かった。

「どうしたんだ?」

「え、いや、なんでも」

「アレですわ、藤井さんはジョンソン選手にされたキスを思いだしているのでしょう。まあ私もされましたけど、ほっぺたのキスなどパリでは日常茶飯事ですから、なんとも思いませんでしたわ」

「うっそだあ! 聡美高崎達磨みたいに真っ赤になってたっぺ!」

「な、なにいうんだァ!?」

「俺はプレーより、初対面の人間にキスして嫌われない方法知りたかった……」

 翔は心からの声で言った。

「とりあえず帰るときに、「背中が、古傷の背中が痛い!」と言いながらタクシー代まで要求したら、もてないと思うよ」

 秋雄はその時の恩師の痴態に呆れながら言った。それと同時に、絶対に敵に回してはいけないとも。

 後日貴文にその時かかった費用を聞いたところ、貴文は何も言わず笑顔で指を一本立てた。単位は藪の中だ。

「はあ、やっぱり人間生まれ持ったもんで左右されるよな。それよりお前も来たのは意外だったわ」

「……悪かったな」

 松之助は翔の皮肉にそっぽを向く。

「まあまあ。監督だって普通に話してたんだから。尾崎君もあんなに構えなくても良かったのに」

「……そんなことはいいんだよ! それより真面目に練習するぞ!」

「そうそうその通り!」

 不在の間、貴文から監督代理を再び指名された広子が、張り切って部員達を追い立てる。以前ほどプレッシャーもなく、現在これといった目標もないので、彼女もだいぶ様になってきた。

「うう、監督のいない日は楽になると思ったら全然楽にならねーし」

「着々とコーチ化計画が進んでるね」

「はいそこの兄弟無駄口叩かない! 今日は今までだらけてたぶん――」

 そう言いかけたとき、不意に広子のメールに着信入る。

 広子が確認すると送信相手は貴文からだった。

 曰く「今からテレビをつけろ」というものだった。

「何だろこれ……」

 広子は練習中のため、皆に伝えようか悩んだが、結局監督指示を優先し、スマートホンのテレビをつけ、全員に見せる。

「ザバルの試合だね。関東リーグの試合みたいだけど、テレビで放映されるのは珍しいわ。しかもこれ海青の試合だから3部だ。例の無理矢理延期させた試合かな」

「なんでこんな試合見るように言ったんだろ監督?」

 広子と隆は首をかしげる。

 そうしている間にも、テレビ局の解説は流れていく。


『晴天に恵まれたこの昭和記念公園競技場。本日は延期された関東3部リーグの最終戦が行われます』


「なんか見ててむかつくよなー。AVに変えてくんね?」

 暴言を言った兄弟を秋雄は無言で殴る。


『青海大学は『龍起杯』の出場権を得ましたが、まだリーグ戦の順位が確定していません』

『本来ならそういうことはあり得ないんですが、試合が延期しましたからね』

『そして今日青海大学が勝てば1位が確定しますが、負ければ逆転で3位に転落します。その場合、『龍起杯』の出場権は準々決勝で負けた振興大学へと移ります。本来なら準々決勝に分かる日程なのですが、延期がありましたから……』

『いやあ、あの準々決勝は素晴らしい試合でした。まさかあのライオンハート・ジョンソンが大学生の試合に参加するなんて前代未聞ですよ。しかもそれを大学生だけのチームが追い詰めたんですから』


「お、褒められてる! これで俺のファンが増えたりは……」

「いい加減諦めたら?」

「……いいよな尾崎は、目が潤んでるだけでもてるし」

 翔はその巨体を丸め、『ワールド』を転がりながらいじける。そんなことしてるからもてないんだよと、松之助は心の底から思った。


『あの試合は感動しました。特に『スターリー』の小森君と『シッカリ』の三上君は素晴らしかったですね。本当に紙一重の試合でした』


「な、名指しで褒められた!? これはすごいよ! とりあえず小森君にも伝え……ようと思ったけど授業中だし、スマホ持ってないんだよね……」

「格安のやつあとで教えてあげようね」

 隆と未央は相変わらず平和だ。


『さて、それでは今日の試合について。下馬評では圧倒的に青海大学が有利ですが?』

『相手の公治大学はチームの中心『スターリー』が、出場出来ず、チーム力が大幅にダウンしています。ですが今年からできたあの特別ルールを使って、非常に強力な助っ人を連れて来ることに成功しました』

『振興大に非常に深い関わりのある助っ人ですね』

『私、実は興奮で昨日から眠れませんでしたよ』


「うちと関係がある人間って誰ですの?」

「うーん、小見川君は寝込んでるし近藤さんは病院だし、小森君は授業中だし……」

 聡美にも広子にも思い当たる人間が誰一人としていなかった。


『それではさっそく『ワールド』の様子を見てみましょう。レポートの平井さん』

『はい平井です。見て下さい、彼がついに『ワールド』に帰ってきました。あの内田貴文が!』


『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?????????????』


 インタビューの時に会った女子アナの言葉に、その場にいた全員が驚く。

 いや、驚かない方がおかしい。

 貴文がユニフォームを着て『ワールド』に立っていたのだから。

 広子はあまりの衝撃にスマートフォンを握りつぶしそうになった。


『内田選手、日本中が期待していたカムバックです』

『いえ、あくまでこの試合限定ですよ。監督と昔からの知り合いで、

 しれっと答える貴文に、部員一同「絶対に自分からねじ込んだな」と確信した。

 それにしても別の大学のユニフォームを着ている貴文の違和感は、すさまじかった。振興大学のユニフォームが届いてからも、「せっかく買ったから」と億を稼いでいたとは思えない小市民ぶりで、市販のユニフォームを着続けていたというのに。

 もっとも、貴文にしれてみればがあればどんなユニフォームも同じだったが。

『延期戦ということが無ければ、私も出場はなかったと思います。準々決勝の前は断るつもりだったんですよ。ですが、教え子達のプレーを見て、こみ上げるザバル熱を抑えることができなくなり、話を受けることに決めました』

「あの日試合見に行ったときめっちゃ悪そうな顔してたの、これが理由だったんだ……」

「そういえば準決勝前から昨日までよく姿を消してたな……」

 広子と松之助当時を思いだし、ようやく全てに合点がいった。度々練習を抜けていたのは、公治大学で選手として練習していたためだったのだ。本来なら洋子も事前に察知出来ただろうが、ジョンソンとの契約や試合後のごたごたで、勝ちが見えている格下の公治大学に気を配る余裕が全くなかった。

「それにしてもチームを壊す云々いってた割には、平気で他人のチームには入るんだね……」

「まあ監督も監督で現役時時代からやるときは容赦しない人だから……。立つ鳥跡を濁さずって言葉を鼻で笑ってるし」

 広子の呟きに松之助が乾いた笑いを浮かべた。どんなに尊敬していても、どうしても尊敬出来ないところもある。

『『龍起杯』では逆にジョンソン選手を使われましたが、その意趣返し的な意味もあるのでしょうか?』

『そうですね。ジョンソン選手とは今までわだかまりもありましたが、今は含むところもありません。それよりも私は何より教え子達に、諦めない姿勢という者を教えたいのです。そして――』

 貴文は青海のベンチを指さす。

 その先には怒りで顔を真っ赤にし、ハンカチを引きちぎらんばかりに噛んでいる洋子がいた。



『狼の牙はまだ戦いを求めていることを伝えたくて、ね』



 そして試合開始の笛は鳴る。



 狼は眠らず、振興大学の暑い夏はまだ始まったばかりであった。



                                     了

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