第17話 偉大なる獅子の戦場 後編 

「良く耐えた!」

 選手控え室まで戻って来た教え子達を、貴文はこれ以上ないほど賞賛を籠めた言葉で迎えた。

「監督……俺……」

「俺の言いたかったことはもう理解したな」

「はい」

 松之助は頷く。

「結局俺はジョンソンしか見ていない以前に、ジョンソンの周りだけで試合が成立していると思ってたんですね……」

「口で言えば簡単だ。だがそれをお前自身が心底理解出来なければ、砂漠にじょうろで水を注ぐようなものだ。三上だけじゃない。お前がそこだけしか見ていない間に、近藤や他の連中だって、死ぬ気で戦ってたんだよ」

「……悪い」

 松之助は戻ってきたチームメイトに頭を下げる。

「後半は絶対にジョンソンだけ見たりはしない。もっとチームのために動く!」

「そういうセリフは前半開始直後に言いなさいよ」

 沙織がわざとらしくため息を吐いた。

 そしてすぐに顔を歪ませる。

「さすがにもう無理か?」

「やれと言われりゃやりますけどね」

「ふっ、まさか初対面で楽したいと言っていたお前が、一番根性見せるとはな。だが交代だ。これ以上無理はさせられん」

 『アジールタイム』直後は少しだった靴下の赤い染みが、今では足首を覆うほど広がっている。貴文にしたら、フル出場どころか前半最後まで持ってくれただけで充分だった。

「後半は『芸術点』を捨てていく。小森――」

「お待ちになって下さい!」

「丸山……言っておくがお前を『スターリー』として今入れるつもりはないぞ。近藤抜きじゃはっきり言って役に立たん」

「いいえ」

 聡美は首をゆっくり振った。


「私が近藤さんの変わりに『マネ』として出ますわ」


「な……!?」

 貴文は絶句した。他の部員達も、まさかそんなセリフが出るとは思わず、唖然としている。

 一番驚いているのは沙織だ。

「ど……どういう風の吹き回し!? お嬢『マネ』で出る気無いって言ったやん!」

「ええ、言いましたわ。ですがそれは愚かな考えでした。私は心の底で、『マネ』は『スターリー』より劣る存在だと思っていました。仲間の力が無ければ美を作れない『マネ』より、一人でも完成した美をを作れる『スターリー』の方が上だと」

「まあ否定はできないわね」

「しかし今日の近藤さんのプレーは、私が今までしてきたどんなプレーと比べても美しかった。それを私の下らない意地で終演させるなんて、許されることではありませんわ!」

「……丸山!」

 貴文は思わず聡美の肩を掴んだ。

「お前本当に……この野郎!」

「なにが言いたいのか分かりませんが、離して下さいまし!」

「あの、監督!」

 強い調子で広子が貴文を呼んだ。

 貴文も表情を変え、すぐに反応する。

「どうした?」

「小見川君がかなり疲れているみたいです……」

 言われて、貴文はグリーンの方を見る。

 グリーンは控え室に戻ってからも他の選手と違って座らずに、うろうろと歩き回っていた。

 貴文はなぜグリーンがこんなことをしているのか、選手時代の経験からすぐに察した。

「椅子に座ったらもう二度と立てそうに無い、か?」

「うう……」

 グリーンにしては珍しく深刻そうな表情で、返事すらしなかった。

「……まだいけるでござる」

 それだけ答えるだけでも精一杯だ。

「さすがに前半無理させすぎたか。小森、後半開始から」

「待って下さい!」

『!?』

 低く、部屋に響くような大きな声だった。

 全員の視線が声の主に一斉に集まる。

「あ……え……その……なんだべ……」

 声の主――未央は一瞬しどろもどろになったが、自分を奮い立たせるように強くこぶしを握ると、顔を上げてはっきり言った。

「ま、まだ小見川君代えんのは早えと思うんです! その、口ではうまく説明できねえんだけど、なにか変なんです。このまま小森君を入れるても、勝てるようには思えなくて……。おれ今日はもう出番がないのはわかってるんすけど、だからベンチから死ぬ気で戦ってきました! お願いします!」

「しかしこれ以上は小見川が――」

「拙者なら問題ないでござる!」

 グリーンが力強く答える。

 見れば全身ずぶ濡れだった。おそらく水を頭からぶっかけたのだろう。貴文も現役時代にそれで自分を奮い立たせたことがあった。

「私からもお願いします!」

「大石お前まで。むしろお前が気付かなかったのなら……」

「違うんです! 今までも未央ちゃんには色々協力して貰ってたんです! 以前提出したレポートも、未央ちゃんと一緒に書いたんです! 未央ちゃんは『ペットン』として、誰よりも選手を観察している選手なんです! その未央ちゃんがここまで言うのならそれがきっと正しいんです!」

「うむ……」

 貴文はすぐには返事ができなかった。

 どんなにやる気でも、グリーンの状態はかなり悪い。まるで燃え尽きる前のろうそくだ。それに未央の話も曖昧で、どこを信じればいいのか分からない。ここは教え子の話を聞くより、選手としての経験から破綻が生じないうちに早めに交代すべきではないのか。

「あの、監督」

 不意に陽介が手をあげる。

「どうした小森?」

「俺が入ったと仮定した場合、どう攻めれば良いんですか?」

「そりゃ言うまでもなく、練習通り隙を見て攻めるんだよ」

「その、こう言うとなんですけど、俺には隙らしき物が見えないんですけど」

「・・・・・・」

 本気で言っているのか分からない。

 だが、未央の話を聞いた方が良いという陽介の意志は伝わった。

 貴文はため息を吐いた。

「……わかった。小森の交代はしばらく待つ。だが小森が無理だと思ったらすぐに交代する。藤井もすぐにそのを見つけろ!」

『はい!』

 3人は大きく返事をした。

(しかし藤井と小森がな……)

 未央の話に疑問を抱く一方で、その成長に喜びも感じていた。

 以前の未央なら、こうして皆の前ではっきりと自分の考えを口に出すことはできなかった。未だに股を全開にしてがさつな方言でしゃべってくれることはないが、意思疎通をしっかりとろうと努力している。それは陽介も同じで、入部当時の陽介なら未央を弁護しようとはしなかったはずだ。場違いと分かっていても教え子の成長に貴文は嬉しくなる。

「監督、どうしました?」

「いや……。少し年を取ったなと」

「四捨五入すれば四十なんだからそんなのあたりま――」

「お前はいつまでも控え室にいないでとっとと病院生け。タクシー代は自腹な」

「ひでえ!」

 少ししんみりし空気が沙織によって一瞬で変わる。

 これがこのチームの強さなのだろう。

 貴文はそんなことを思った。


 やがて、審判が後半が始まることを告げにやってきた。

 河川敷の試合では控え室もないので選手達が勝手に判断するが、競技場ではわざわざ審判が教えに来た。

「行くぞお前ら! まだまだ勝負はついていない!」

『おおー!!!!!!!』

 今度は誰に言われるでもなく貴文が檄を飛ばし、部員はそれに答える。

 

 そして、その年の全てを決める1時間にも満たない後半戦が始まった――。


 開始直後、隆が前半の鬱憤を晴らすかのようにジョンソンにへばりつく。

 ジョンソンは今までのように動くことができなくなり、また前半のように他の選手が攻め、振興側がほぼ全員で守るという展開が始まる。

 ただし、前半と違う点が2つあった。

 1つは松之助が、しっかりと全体を見て的確に攻めるようになったこと。そのため、海青側も守りに人を割かねばならず、前半と比べると攻撃に明らかに迫力がなかった。それどころか、松之助が『実得点』を奪うチャンスさえあった。

 そして聡美の存在だ。

 同じポジションでも沙織と聡美のプレーはまるで違った。一言で表すなら沙織は協力、聡美は支配である。味方全員のプレーをチームの作品に利用する沙織と違い、聡美は味方どころか敵さえも使って自らの美を完成させようとする。

 もちろん聡美のプレーが全て成功したわけではない。

 リーグ戦の時は相手が格下であったため、思うがままに操れたが、さすがに今回は相手が相手である。しかし成功したときの『芸術点』は、平均的に『芸術点』をかせいだ沙織をはるかに凌いだ。聡美らしい太く短い、一瞬の美しさを求める華のようなプレーである。

 前半も後半も、『芸術点』においては振興大学が圧倒的に勝っていた。


 それでも足りない。


「……このまま小見川がバテたら守備は崩壊する。ここまでジョンソンを封じているのに、青海はなんでまだ連携が崩壊しないんだ。ジョンソンの指示無しでここまで自由に攻めていたら、フォーメーションも崩れるはずだろ」

 貴文は爪を噛んだ。

 今まで爪を噛むと碌なことが無かったため我慢していたが、自然とそうしてしまった。

 貴文は視線を横に向ける。

 未央は難しそうな顔をしているだけで、何か思いついた風ではなかった。


 このままでは負ける。

 それだけははっきりしていた。

「小森、準備しろ。もう小見川は限界だ」

「……はい」

 陽介も状況を把握したのか、反論はなかった。

「隙が無いのなら自分で作れ。お前は昔のジョンソンのように自分でガンガン行く方が合っている。今のお前ならそれでもチームプレーができるはずだ。まあどんなに良いプレーをしようが、あのジョンソンが大学生を意識したりはしないだろうがな」

 最後の一言は、緊張をほぐすための冗談で言ったつもりだった。

 しかしその一言で未央の顔色が変わる。

「監督! ジョンソンさんのこと嫌いですか!?」

「え、いきなり何を……」

「いいから答えて!」

「まあ好き嫌いで言えばそりゃ嫌いだろ。もともと傲慢なヤツだったし怪我させられてから親交もなかったし……」

「違和感の正体が分かりました!」

『!?』

 ベンチの全員が顔色を変える。

「私達は監督と同じでジョンソンさんを嫌っていました。だから傲慢で、チームメイトの大学生なんてばかにしてると思ってました。そこが大きな間違いだったんです!」

「しかしそうでないとしたらなんだっていうんだ。心構えぐらいじゃ――」

「違うんだべ! 指示出してる人間が!」

 未央は興奮しすぎて、また地の方言が出てしまう。だが今回は直さず、その勢いのまま言い続けた。

「あの人ァ指示すんじゃなくて、される方だったんだっぺ! 英語でしゃべってるのも日本語も全部嘘っ子だぁ! だからァ封じてもチームが崩れなかったんだべ!」

「つまりあのジョンソンが大学生の指示で動いてたっていうのか!?」

 貴文には想像出来ない話だった。

 だが――。

「藤井」

「はい!」

「じゃあ指示を出しているのは誰だ?」

「多分あの口の軽かった関西弁の人だと思うんす。ジョンソンさんの次に一番しゃべってたから」

「……くそ!」

 貴文は自分の迂闊さを呪った。

 ジョンソンが大学生の指示で動くという考えなど、頭の片隅にもなかった。だが、それならいくらジョンソンを封じても、チームが崩壊しなかった説明もつく。

 ここまではっきりと現実を突きつけられては、未央の考えを退けることなどできない。そもそも遠回しに目が曇っていると言われた自分に、何が言い返せるというのか。

「小森」

「はい」

「尾崎に小見川のポジションまで下がるように伝えろ、そして藤井の話をチーム全体に伝え、あの関西弁に気をつけるように言え」

「はい!」

 陽介は力強く頷くと交代用紙を持って、ベンチを出る。

 審判の笛でプレーが中断したと同時にグリーンと交代で入った陽介は、いそいでチームメイトを集め貴文の指示を伝えた。

 ベンチにいる貴文にも彼らが困惑している姿が見えたが、反論を言うものは一人もいなかった。どうやら教え子の方が、自分よりはるかに利口らしい。

「本当に嫌になるぜ全く……」

 貴文は顔を押さえながら、這々の体でベンチに戻って来たグリーンを迎える。


 その口元はわずかに笑っていた。


 その頃観客席では――。

「あなたの秘蔵っ子が入りましたな」

「は、ただおしめを替えてやっただけさ。それよりあの様子だとようやく気付いたようだね」

「気付いた、といいますと?」

「相変わらずデカイだけで鈍い頭だ。いちいち説明すんのも面倒くさい。自分で考えな。まあ気付いたのは本人じゃなく、教え子の方みたいだが」

「……青は藍より出でて藍より青し、ですか」

「アタシからしたらどっちも同じひよこさ」

 そう言った老婆も、貴文と同じように笑っていた……。


 陽介の交代で試合は更に表情を変える。

 今までは青海が攻める一方だったが、今度は振興が一気に攻めに転じた。

「おりゃあ!」

 その中心は当然陽介だ。

 陽介は無謀とも言える攻めで、強引に『ライン』を引いていく。

 今までとは全く違う攻撃に、青海守備陣もすぐには対応出来ず、混乱した。

 さらに陽介投入で生じた守備の乱れが収まらないよう、松之助が司令塔の選手を徹底的に潰す。前半マークしたジョンソンと比べれば、天国と地獄だ。マークしながら松之助は、隆の優秀さを改めて思い知らされた。

 陽介のプレーで他の選手も活気づく。

 全員に勝とうという気持ちが伝染していった。

「小森君の交代でここまでチームが変わったのが私には不思議でしょうがありません。いつも以上にチームプレー無視の強引なプレーのはずなのに」

「まあお前みたいに実戦経験がない人間が客観的に分析すればそうだろうな」

 貴文は広子の話を一部肯定した。ちなみに交代したグリーンはベンチに座ると同時に熟睡した。その姿はあまりに眠れる森の美女という表現がぴったりだったので、二人ともなるべく見ないようにしていた。

「だが今のアイツのプレーこそまさにチームプレーだ。いまのチームに必要なのは、どんなことをしても勝つという意志と、それを体現した行為だ。奴が作ってるのは得点するためのラインじゃない、勝つためのロードだ!」

「・・・・・・!」

 広子は貴文のこどばに感動し、試合中だというのにぼろぼろと涙を流し始めた。

 一方の貴文は、いい歳して青臭いこと言ったなと少し後悔したが、それでも胸の内からこみ上げる熱さを抑えきることはできなかった。

「いけえ!!!」

 貴文は思わず立ち上がり応援する。

 そこには元日本代表選手の影はなく、ただ純粋にチームを勝たせようとする監督がいた。


 そしてついに天秤が傾く。


「よ――」

「いよっしゃああああああああああああああ!!!」

 陽介が叫ぶ前に、監督の貴文が絶叫した。

 陽介の描いた『ライン』に完璧な『ラピッド』が促された。『芸術点』を加味してもまだ大差で負けていたが、それが振興大学の反撃の狼煙であることは誰の目にも明らかだった。

「すんまへん、オレらが不甲斐ないばかりに」

「ダイジョーブヨー。マダカッテルネ」

 関西弁の選手の言葉にジョンソンは気軽に答える。

「ていうかあのババアのせいで、ジョンソンさんにこんな試合に出てもらった上、俺達の指示まで聞いて貰うなんて、ホンマ謝っても謝りきれません。ソーリーですよ」

「ノーノー、コレモワタシニトッテ大事ナEXPERIENCE。ワタシモ貴文ニ会ワナカッタラ、ダメダメデスグニRETIREシテタヨ。今日ハ貴文ニ、成長シタワタシヲ見テホシカッタ。ソレガワタシノアリガトウトゴメンナサイ」

「ジョンソンさん……。それにしても結局内田さんは出なかったですね。出てたら多分逆転されてたかも……」

「ソレモNOヨ。タカフミハ絶対ニ出ナイ。ナゼナラ彼ハGOOD PLAYERデナクGOOD COACHダカラ」

「……そうっすね」

「ワタシタチモサイゴマデガンバロウ!」

「……はい!」

 関西弁の選手はポジションに戻っていった。

 その背中に向かって、

「デモスゴク怒ッテタカラ、GAMEノアトハワカラナイケドネ」

 と茶目っ気たっぷりに言った。


 今までの鬱憤を晴らすかのように、振興大学の選手達は躍動する。

 『ライン』の数では未だに青海大学がはるかに多い。マーク対象を増やしたことで、ジョンソンのマークが甘くなり、隙を突かれて失点することもあった。隆も一流プロであるジョンソンにはスタミナで大きく後れを取り、ミスも増えている。

 ただし、それ以上に振興大学は得点を重ねていく。

 陽介は後方のチームメイトを信じ、ただがむしゃらに『ライン』を進む。

 少ない『ライン』は雲の糸だ。しかしそれを束ねれば糸も頑丈な綱になる。その綱の先には勝利の二文字が待っていた。

「くそっ!」

「!?」

 相手の『フラッター』が陽介を止めきれず、思わず手を出し陽介は顔面から倒れる。

「てめぇ!」

 悪質なファールに貴文は反射的にベンチを飛び出した。

 チームメイトも倒した『フラッター』の元に近づき、一触即発の空気が訪れる。

 だが、それを制したのは他ならぬ陽介だった。

「大丈夫。これで勝ちがかなり近づいた」

 額から血を流しながら陽介は笑った。

 今のような見苦しくかつ危険なプレーは、『HJ』や『反省文』より更に厳しい『キョウザメ』扱いになる。言うまでもなく『キョウザメ』を喰らえば、それまでの『芸術点』は全て剥奪される。

 ただ審判が買収されていたら、軽い『HJ』だけで終わってしまう。

 しかし、審判はしっかりと腕で鮫が獲物を獲るポーズをし、審判団に『キョウザメ』処分を伝えた。

 青海ベンチでは、この試合で審判を買収出来なかった洋子が歯ぎしりをしていた。

「俺は今が最高に楽しいです」

 一旦ベンチに下がり、広子に包帯で処置を受けながら陽介は貴文に言った。

「腹は立つし、きついし、痛いし、怪我はするわで最悪だけど、今最高に生きてるって気がするんです。ぶっちゃけそれまでの俺は死んでました。生きることを諦めていました。監督、今まで言う機会なかったですけど感謝してます」

「ほう、頭から血が抜けて素直になったか」

 貴文は苦笑し、陽介もそれを返した。

「素直ついでにもう一つだけ。お袋が監督のこと俺が尊敬してるって言ってましたけど、別にそんなことは無いです。俺はいつも自分が一番だと思ってますし。アレはお袋のただの社交辞令ですから」

「そんなことだろうと思ってたよ。さあ行け!」

「はい!」

 包帯の処置が終わるのと同時に、背中を叩いて貴文は陽介を『ワールド』に送り出す。

 陽介が治療している間にも試合は続いていたが、相手は『フラッター』が『反省』していたので、人数的には同じだった。

 そして陽介のいない間にも、松之助が汚名返上とばかりに追加点を挙げていた。

「このままいけますよね!」

「いけるか? じゃねえ、いくんだよ!」

 熱く、臭い台詞が当然のように口をついて出る。

 もはや貴文はベンチに座っていることさえできなかった。

「こりゃ本格的にヤバいっすね……」

「時間モ少ナイシアレヲスルベキダネ」

「いいんですか!?」

「TEAMガ一番ダヨ」

「……ホンマすんません」


 そしてこの日、試合は最後の転換期を迎えた。


「残り時間はあと数分か……」

「こう言うとき、ザバルもサッカーみたいにロスタイムがあればと思うんですけど」

「仕方ない。ザバルは忙しい社会人のために作られたとも言われている大人のスポーツだ。時間の正確さはむしろ美徳だ。だが、まさかジョンソンがあそこまでするとはな……」

 貴文は『ワールド』の様子を見て驚愕した。

 しばらくして『反省』している『フラッター』の変わりに控えの『フラッター』が入り、人数は同じになった。そこは問題ではない。

 問題なのはジョンソンの位置だ。

 ジョンソンは『スターリー』から大幅にポジションを下げ、『フロント後』あたりに収まったのである。ジョンソンが下がったことで『スターリー』はいなくなり、青海大学は全員で守る陣形を敷いた。

「まさかあいつが大学生の試合で、ドン引きした上に『スターリー』以外のポジションをやるとはな……」

「それだけこの試合に賭けてるんでしょうか。それとも変わった自分を監督に見てもらいたかったとか……」

「……そうだな」

 貴文はゆっくり頷いた。

「今までアイツと距離を取ってきたのは、ちょっと大人げなかったかもしれないな。この試合が終わったら酒でも呑んで、いろいろ話でもするか……」

「監督……」

「まあ当然勝者として上から目線で話してやるつもりだがな!」

「ふふ、はい、そうですね!」

 広子は力強く頷いた。

(しかしこれはどうやって突破する……)

 隆は相変わらず『シッカリ』としてジョンソンを完全にマークしている。だがポジションが後ろ過ぎるため、隆の存在が攻撃の邪魔になった。だからといって離れれば『ロングトレイン』もあり、迂闊に動けない。他の選手達はジョンソンがカバーしきれない場所を徹底して守り、前半から動き詰めで疲労が顕著な春樹や秋雄では、突破口が見当たらなかった。聡美にしても相手が密集してあまり動こうとしないので、うまく『芸術点』を稼げない。沙織のようなプレーができない聡美には、どうしても躍動する試合展開が必要だった。だからといって『マネ』を放棄すれば、逆に相手の『マネ』に失った『芸術点』を補充される。翔は言うまでもなく攻撃に参加できるポジションではない。必然的にキーマンは陽介ただ1人になった。

 計算上あと1回『トレイン』が進めば逆転出来るというのに、最後の最後で大きな壁が立ちはだかったのだ。

 陽介は唇を引き結び、『ライン』を駆ける。

「This is a dead end(ここは行き止まりだ)!」

「っく!」

 だがその度に、ジョンソンは大きな壁となって立ち塞がる。自分をマークしている隆でさえも利用し、陽介を抜かせない。

「Are you okay(まだやるか)!?」

「まだまだァ!」

 陽介はフェイントや『バンデレ』などもてる技術の全てを持って走るが、ジョンソンはそれ以上の引き出しと身体能力で陽介をねじ伏せる。

 チームメイト達は自分のことに精一杯で、陽介に手を貸すことはできない。

 ――いや、陽介がジョンソンと一対一で戦えているこの状況こそ、チームメイトによる最大限の協力だった。

 何度も弾かれているうちに、時間は過ぎていく。

 もはやカップラーメンを完成させる余裕さえない。

「っくそ!」

 貴文はベンチで歯ぎしりをした。

 こんな時に的確な指示が出せない自分が本当に恨めしい。

 まるでワールドカップの時と立場が逆になったかのようだ。

 あの時貴文はジョンソンを翻弄したが、今度は教え子がジョンソンになり、ジョンソンは貴文になっていた。これではまるで趣味の悪い意趣返しだ。記憶の奥に封印していた光景がまざまざと蘇る。


「――そうだ!」


 そしてそこに答えは隠されていた。

 今まで目を背けていたが、この戦いを通して真っ正面から向かい合うことができ、ようやくそこにたどり着くことができたのだ。


「小森! 向かって右から全力で抜け! 当たっていいから真っ直ぐだ!」

 ジョンソンに聞こえるのも構わずに叫ぶ。

 ワールドカップの時、貴文はジョンソンの体幹が左に傾いていることを察し、散々彼の右から攻めた。つまり陽介から見てが弱点だった。


 それを


 掛け値無しのスーパーザバリストであるはずのあの男が――。


 だとしたら、今は必ずそちら側を武器にしている。活路は逆側しかない。

 貴文から出されたほぼ初めての明確な指示に、陽介は身体で返事をした。

 もう時間は10秒を切っている。

 ここで止められたら、振興大学の敗北は確定する。

 陽介のただならぬ決意に、ジョンソンは深く腰を落とす。

「Come on a little wolfe!!!」

 直感的に抜かせないことより、倒されないことにウエイトをシフトしたのは、超一流のザバリストならではであった。

 陽介は最後の力を振り絞り、入部試験の時とは比較にならないほどの速さで『ワールド』を走る。

 傍目には真っ正面から両者がぶつかるように見えた。

「うおお!」

「!?」

 それまで密着マークしていた隆が最後の力どころか、空になった入れ物ごと力尽くで振り絞り突然ジョンソンの前に出、その視界を塞ぎながら走ってきた陽介と交差する。

「『クロスイリュージョン』!?」

 それはザバルにおいてプロでも滅多に成功しない、あまりに高等なコンビネーションプレーだった。そもそも貴文は教え子達にそれができるスキルがあるとは思っていなかったので、『クロスイリュージョン』を教えてすらいない。

 それをこの土壇場で見ることになるとは。

 これほどすさまじい『カワッチ』を貴文は未だかつて見たことがなかった。

「Shit!」

 ジョンソンの身体が大きく歪む。

 これはジョンソン以外の全員が知らなかった事だが、彼の右側には『たんたんトラップ』が仕掛けられていた。

 もし貴文がジョンソンを侮りワールドカップと同じ攻めを指示していたら、その時点で試合は終わっていただろう。

 それでもジョンソンは諦めずに身体を傾け、陽介を止めようとした。


 しかし彼の力をもってしても、『ワールド』に流れた流星を捕まえることはできなかった。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!!」


 歓声で揺れる観客席。

 

 流れる風。


 飛び上がる監督と『ホスト』。


 この時貴文も、誰もが振興大学の勝利を確信した。

 だが、冷徹なザバルの神は流星の輝きを一瞬しか許さなかった。

 

「――!?」

 不意に陽介の身体が傾く。

 どこか故障したわけではない。

 皮肉にも、隆のマークがあまりに強烈でたんたん草が禿げてしまい、むき出しになった土に足を取られたのだ。

 マークが弱かったらジョンソンは抜けない。

 ジョンソンを抜ければ土に足を取られる。

 ザバルの神はあまりに残酷な現実を振興大学に突きつけた。

「あ……」

 陽介が頭から転がり周り、立ち上がった瞬間審判が試合終了の笛を鳴らす。


 子犬たちの戦いはここで終わった。

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