いちゃりばちょーでー-5

「いよいよ結婚式、そして披露宴の日がやってまいりました……」

「なあ霧島、なんで太陽って毎日昇るんだろうな」

 朝起きた瞬間からこれほど気が重くなったのは、松永と同じクラスだと判明した高三の始業式の次の日以来だ。


「毛利くんが現実逃避してる……」

「そりゃしたくもなるわ。なんで俺まで……」

「だから、そのほうが受けよさそうだからだってば。毛利くんが頑張ってくれないと、私の三線は直らないかもしれない。ガンバ」

 古い言い回しに突っ込む気力さえも出ない。

 もうこうなったら、ちゃっちゃと終わらせて帰るに限る。

 そんな投げやりにも似た感情で、俺たちは津嘉山三味線店に向けて午前中の道を歩いていた。十時を過ぎるとかなり暑い。


 結婚式の後の披露宴、それも霧島(と俺)が三線を弾くカチャーシーの時間枠は披露宴のラスト三十分前から二十分前くらいの間だと言う。

 まず店に行って、置いてきた紫檀の三線を再度借り、それから晟二さんの車に乗って昼ごろ現地に到着、食事を頂いてから披露宴の会場に入るというわけだ。


「もう俺には飯を食うことしか今日の楽しみが見出せないな」

「そう言わない。カチャーシーは楽しいよ。たぶん」

「だから、カチャーシーってなんだよ?」

「……見れば分かる」

 問いに対してそういうあいまいな答えは、あまり気にくわないのだけど。




 やってきてほしくない時間というものほどあっという間にやってきてしまうもので、気がついたら俺たちは披露宴の会場の座敷に身を置いていた。

 すでに一通りの挨拶などは済んでいて、会場は和気あいあい、なごやかな空気だ。

 が。


「おい……なんだよこの人数、八十……いや百人くらいいないか?」

 気が滅入るほどの人間の数。この人数の前で俺(と霧島)は演奏しなきゃならないのかと思うと急に腹が痛くなってくる。

 車の中で晟二さんは「披露宴って言っても厳密には披露宴の二次会ですし、二次会に参加しないで帰っちゃう人もいるんスよ。だからまあ規模は小さいですしそこまで人も来ませんし、だいじょぶですって」なんて言っていた気がするのに。


「晟二さんの嘘つき……」

 俺は無意識に彼を呪う言葉を吐いたら、そばにいた本人はバツが悪そうに頭を掻いて苦笑いした。

「いやホント、これでも小さい方なんですって。大人数となると三百人超えることもありますよ?」

「……そうなんですか?」


 俺が疑惑気味に聞いてみると、霧島は「うちなんちゅ、嘘つかない」とまた得意げに言いやがった。お前にじゃねえよ、と頭に軽くチョップしてやると、借り物の三線を入れたケースで思い切り殴られた。

 晟二さんはそんな俺を見て笑い、それから腕を組んで説明してくれた。

「いちゃりばちょーでー、あんまり関係ない人でもめでたいからって来てくれるのが沖縄のいいとこっス。もちろんみんな招待状は持ってますけどね」

「……あの、そのいちゃりばちょーでーって……」


「すみません」

 俺が言葉の意味を聞こうとしたとき、眼鏡をかけた細身の男が俺たちのほうに――いや、三線を持った少女のほうに歩み寄ってきた。

「カチャーシーをやってくれるのは、こちらの三線を持っている方でよろしいでしょうか?」

 標準語で話しかけてきたこの人は、この一連の結婚式で司会を務めていた人間だと俺は記憶していた。

 霧島はこくんと頷いてから、俺を指さす。


「はい。それと、この人も」

「この人も?」

 司会者の声が裏返った。悪かったな俺もやることになってて。俺だってやりたくねえよ。

「あ、いえ、失礼いたしました。では、そろそろ準備のほどお願いいたします。舞台、空けておきますので」

 慇懃に頭を下げて司会者は去っていった。


「じゃ、毛利くん行こう」

「ちくしょう……今ここに隕石落ちないかな……」

「結婚式で不吉なこと言っちゃダメ……」

 半分引きずられるようにして、俺は霧島とともに舞台に上った。




 上がったはいいものの、誰もこちらを向こうとはしない。

 みんなそれぞれが自分の目の前にいる相手とのおしゃべり、もしくは食べ物に夢中で、俺たちが舞台に上がったことなど気がついていないようだ。

「ど、どうすんだよ、この状況」

「だいじょうぶ。弾けばみんな気づく」

「お、俺は今、かつてないほど緊張してるんだが」

「私は全然……」

 そりゃお前はな。むしろ逆にこいつが緊張するときというものを見てみたいものだ。


(いよいよ胃が痛くなってきた……いや、これ盲腸じゃないか? 盲腸が痛んでるんじゃないのか?)

 俺の緊張は臨界点まで達し、現実逃避も最高潮に昇ってきた。

「はい、毛利くん構えて」

 そんなこと霧島はお構いなしに要求する。仕方なくまずは一人で構えると、彼女はすっと身を寄せて俺の左手をどかし、自分の手を棹にあてがった。


「じゃあ、私が横で上とか下とか言うから、それに合わせて弦を弾いて」

「分かったよ……」

(こうなったら、もう腹くくるしかないよな)

「……じゃ、いく。……上。下。中、中、上」


 霧島の声に従って、俺は三つの弦を選んで弾いていく。

 それに合わせて、彼女が指をずらして弦を押さえる。

 ざわつく会場に、そっと音が流れていく。

 一人、また一人と三線の音に気がつき、視線がこちらに向く。

 それが徐々に増えていき、会場の全ての目がやがて俺たちに集まっていく。

 手拍子が聞こえた。

 ピーッと指笛の鳴る音が聞こえた。

 それから、聴衆の中から一人の人間が立ち上がって踊りだしたとき。

 その場の空気が、一気に変わった。




 一人が踊りだす。少し離れたところでもう一人が踊る。

 踊っていた人に手を引かれて、そばにいた人も踊りだす。

 踊らない人も三線の音色に合わせて思い思いに歌を歌い、指笛を鳴らす。

「上、下、上、弾かない、上、中、弾かない、下……」

 横にいる霧島の囁く早さが上がってきた。俺もピッチを上げて弦を弾く。

 聞こえてくる手拍子がどんどん早くなってきている。霧島はそれに合わせているのだろう。


 不思議と俺は落ち着いてきていた。

 先ほどまでの緊張が嘘のように、弦を弾いて音を奏でているとびっくりするほど気持ちが平坦で。

 なにがあっても怖くないような、そんな感じだった。

 単に霧島の声を聞き漏らさないように全神経を傾けていて、それ以外に気が回らないだけかもしれないけれど。


「毛利くん、顔上げて」

 曲がひとつ終わって霧島にそう言われてはっと気づいた。ついつい、弾く弦を間違えないようにとうつむいていたのだ。

 目線を前にやると、会場の空気が弾き始める前とは打って変わっているのがわかった。

 先ほどは客のそれぞれがいくつかのグループを作って各所で楽しそうな雰囲気を出していたのが、今では全ての空気が一つに混ざりあって俺たちを包んでいる。


(これが、カチャーシーというものか……)

 きまった形などない、でも不思議とみんなが一つになって踊っている。

 楽しそうに、嬉しそうに、自由に踊る――。

 そしてそうさせているのは、三線を弾いている俺たちだ。

 俺たちが、場の空気を支配している。


(この空気が盛り下がる前に、次の曲を……)

 そう思って霧島を向いたら、むこうもこちらを向いていて。

「……うん」

 俺の言いたいことを理解したかのように、力強く頷いた。

 その表情かおは、不敵に笑っている。

 今まで一度も見たことのない、霧島の本気だった。

(よし、とことんまでつきあってやる!)




 いつしか、俺は無になっていた。

 何曲演奏したのかも、会場がどんな空気なのかも分からず。

 周りが信じられないほどの大音量で騒いでいても、まるで気にならなかった。

 ここでこうしていることが当然で、霧島の隣で演奏しているのが自然で、この沖縄までやってきて三線を弾くということさえ必然だと思っていた。


 無我の境地というのか、明鏡止水というのか。

 そんな精神状態にいて、霧島のそばで三線を弾いていて、俺はふと理解した。

(そうか、俺は……)

 今まで分からなかったこと、不思議だったこと、心に引っかかっていたこと。

 こいつと一緒にいるときの自分が、何者だったのか。

 俺は霧島の、なんだったのか。


(俺は、霧島のパートナーだ。三線という楽器でつながった、こいつのパートナーだ……)


「毛利くん、毛利くん」

「…………ん、あ、なんだ!?」

 霧島の声で我に返ったとき、彼女は穏やかな笑顔で俺を見つめていて。

「……終わった」

「おわっ、た……?」


 会場に目をやった。

 一様に満面の笑顔、鳴りやまぬ拍手と指笛、まだ踊り続けている人が数人。

 ぼうっとした頭で、考える。

(俺が……俺たちがここまで、盛り上げたのか……?)

「……やった」

 手の甲で汗をぬぐう霧島は、今まで一度も見たことのない心地よい疲労の色をあらわにしていた。

 俺は彼女から会場にもういちど視線を移し、いまだ冷めやらぬ興奮を目と耳と肌で感じた。


「……すごいな」

 そして、無意識に言葉が漏れる。

「三線って、すごいな……こんなにも人の心を、動かせるん……だな……」

「うん、すごい」

 霧島も俺の隣で、会場に目をやって。

 盛り上がっている会場とは正反対の、静かな落ち着いた声で言った。

「だから私は、三線が好き」




 翌日。

 朝早くから、昨日の披露宴で疲れ果ててしまった俺をゆさゆさと揺する者がいる。

「毛利くん、毛利くん」

「うー、なんだよ……」

 俺は布団の中でわずかに動き、抵抗を示した。

 あのときの俺は三線を弾くのもほぼ初めてだったし、演奏を披露したのも初めてだったし、ましてやあんな大勢の前でやったのも初めてだ。人間、慣れないことをやると疲れるのだから、今日くらいゆっくり休ませてほしい。

 それなのに霧島はおかまいなしに、俺の身体を揺すって起こそうとする。


「あーてぃーはーてぃー(急いで急いで)。早く、早くお店に行く」

「う……?」

(……そっか、思い出した……)

 披露宴に出て大成功をおさめた俺たちに、店主は約束通り彼女に八重山黒木の棹を提供してくれると言っていた。

 店主とその息子はあのあとすぐに店にとって返し、棹を胴に取り付け、それから一晩で調整を行う――と聞いた。

 そして、その三線がもうできているはず。

 だから霧島はこんなにも興奮しているのだ。


「分かったよ……起きりゃいいんだろ起きりゃ……」

「早く行かないと、誰かが買っちゃうかもしれない」

 それはないだろう、お前のオーダー品なんだから。

 ともあれ俺は疲れた体を起こし、着替えて顔を洗って、おばあの作ってくれた朝食をいただいて、歯を磨いて家を出た。その間、ずっと霧島がそばで「早く、早く」と言い続けていたことも付け加えておく。というか、なんで俺も行くんだよ。お前一人で店に行ってもらってくればいいだろうが。


「走って。毛利くん、ダッシュ」

 言われるまま俺は走り出す。当然俺と霧島では圧倒的に速力に差があるので二人の距離はぐんぐん広がり、彼女は大慌てで俺を止めた。

「と、止まって……毛利くん、ストップ……へーさんやー(速いよ)……」

「なんだよ、お前が走れって言ったんだろ」

 自由すぎる彼女に呆れ、それでも俺は霧島に合わせて歩いてやった。


 歩いて二十分かかる道のりを、彼女の早足で十八分。

 たどり着いた店のガラス戸を開けて、霧島は「三線!」と叫んで中に入った。八百屋で「野菜くれ!」と言ってるのと同じような気がする。

「あ……」

 彼女の探し物は、すぐに見つかった。

 三線が並んでいるガラスケースの横にもう一つ三線があって、綺麗な白い布がかぶせられている。かけられた布越しにも、それはスタンドで立たされた三線だとわかった。

 霧島はつかつかと歩いてその布を取り払うと、そこにそれはあった。


「わあああ……!」

 歓喜の悲鳴、と言うのだろうか。

 高い声を上げて、両手で口を押さえて、霧島は喜んだ。

 艶のない、黒くて重厚な色合いの棹の三線が、霧島のことを見つめ返している。

 あのかんざしのようなムディさえ、それと同じ材質で作られていた。

 胴は今までの彼女の三線と同じで、棹だけが挿げ変えられている。


 しかし、まるでこの三線は最初からこの棹であったように、見た目もしっくりきていて違和感がない。

 棹を取りかえること自体はすぐできると店主も言っていた。だとしたら、一晩かけたというのはその辺の調整かもしれない。

「わあ……!」

 霧島は屈んで、震える手でそれを手にし、ぎゅっと抱きしめた。


「私の三線だ……生まれ変わった、私の三線……」

「あれ、もう気づいちゃいました?」

 そのとき、作業場の奥から若店主が顔を出して、三線を抱く霧島と俺を見て言う。俺は軽く頭を下げ、挨拶した。

「おはようございます」

「はよっス。……ふああ、眠い。親父と徹夜してなんとかできたんですが、いかがでしょ?」


 大あくびして彼は訊くが、依頼主の答えは明白だ。

 なにも言わなくても、こんなにも嬉しそうに三線を抱いているのだから。

 そうしたら、今度は作業場から老店主が顔を出した。

「うきてぃー(おはよう)」

「あ、おはようございま……うっ!」

 彼に朝の挨拶をしようとした俺を後ろから突き飛ばし、霧島は三線を持ったまま老人に抱きついた。


「おじいー!」

「だあ、よしよし。瑠那ちゃん、うりは気に入った?」

「うん、うん……!」

 喜びをこれでもかというほど全身から迸らせ、霧島は何度も頷いた。

 それから晟二さんが「せっかくだから一曲お願いします!」と言ったので、霧島は早速生まれ変わった三線を構え、深呼吸して弾き始めた。


「おお……」

「うんうん……」

 職人たちが感嘆する。最高級の八重山黒木の棹が奏でる音は、やはり素人の俺には『少し違うな』くらいにしか思えないけれど、さすがにそれをこの場で口に出すほど俺は空気が読めなくもないので黙っていた。


 それでも、懐かしくて優しく、どこか切ないのは変わらない。変わらないどころか、それら心に訴えかけてくるものが強くなった感じだ。これが材質の違いだろうか。

「お、この曲は。そう言えば瑠那ちゃんのお父さんも、これが一番得意だって言ってましたねえ」

 晟二さんが曲の名を言い当てると、老店主も頷く。


(……そういう曲名なのか。そう言えばこの曲、こいつが今までで一番多く弾いてた曲だな)

 町中で、駅前で、毎回一回はこの曲を聴いていた。俺と最初に出会ったときにも、そう言えばこの曲を弾いていたような気がする。

 演奏が終わって、霧島は照れくさそうに顔を上げた。


「どう……かな……?」

「いいっスねー。こんないい音出せる人に八重山黒木えーまくるちの棹を使ってもらえたら、そりゃ三線職人冥利に尽きるってもんっス。ね、親父」

「いー」

 老人はそれから少し黙ってから霧島に歩み寄り、彼女の持っている三線の棹にそっと触れた。


「この棹はね、もともと瑠那ちゃんのために作った棹なんさ」

「私の……?」

 驚いて訊き返す霧島に、老店主は深く頷く。

「瑠那ちゃんのたーりーは、三線が好きだった。メンテナンスしにしょっちゅう来てくれて、一緒に来てくれたおてんばな女の子も、メンテが終わってじゃあ一曲、ってなときだけ、おとなしく聴いてた。だから、わんやいつも訊いたよ。『三線、好きかー?』って」

「…………」

 霧島は黙って、彼の言葉を待っている。


「瑠那ちゃん、いつも同じこと言ったさね。『うん、好きさー!』って。でーじいい笑顔でさ。でもそれからしばらくして、たーりーも瑠那ちゃんも、このうちなーで見なくなった」

「それは……」

 説明しようとした彼女に対し、店主はゆっくり首を振った。

「言わなくてもいい。つらいことがあったんさーね。折れた棹を見ればなんとなくわかるよ。けどね、瑠那ちゃん」

 彼はまた言葉を切ってから、目を細めて続けた。


「あの時から思ってた。いずれ瑠那ちゃんも自分で三線を弾くようになる。どんなになっても、どんなに苦しくても、瑠那ちゃんは三線を弾き続ける。だってあんなに、三線が好きって言うんだから。わんぬ店に来てくれたお客さんはたくさんいたけど、瑠那ちゃんほど三線が好きなんはいなかった。もし三線を弾けなくなっても、三線が好き、三線を弾きたい、という気持ちは残るはずだって。そのときのために、わんや最高の棹を用意して待っていようって。たまたま昔の知り合いからもらってずっと寝かせてた八重山黒木えーまくるちも、瑠那ちゃんのために削って棹にしようって」

「おじい……」


 涙ぐむ霧島の頭に、しわだらけの、それでも長年職人をやってきた力強く大きな手が乗せられる。

「今でも、三線が好きなんさね。ずっと弾いていて、壊れちゃって、それでもまた三線を弾きたいから、その気持ちだけで内地からうちなーまで来てくれたんさね。昨日の披露宴も、三線の大好きな瑠那ちゃんだからこその演奏やたん」

 こくこくと、霧島は何度も頷く。


「……うん、三線好き……私は、ずっと三線が好き……」

「いー。だから、あの披露宴の演奏を聴いて、うりは瑠那ちゃんにあげていいって思った。だから、うりは瑠那ちゃんのものさー。誰よりも三線を好きな、瑠那ちゃんのものさ」

「おじい……ありがとっ……ありがとう……」

 三線を抱きしめ、霧島はぼろぼろと涙を零す。


(よかったな……霧島……)

 俺はそう思った。

 そうとしか思えなかった。

 ただただ、自分のことのように嬉しかった。

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三線のみちびき 千石柳一 @sengoku-ryu1

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