03話 キレたら負け。男爵の護衛を完遂せよ。

「それで、依頼の内容って言うのは?」

場所はガムの自宅の応接室、という名の居間。大柄、黒髪ツンツン頭のガムはテーブルを挟んだ反対側のソファに座る老年男性に問いかけた。男性は黒スーツにモノクル、まじりっけ一本ない白髪をオールバックに撫でつけていた。彼はクロノス王国の男爵の執事をしている人物で、名をシシリアンと言った。

「明日に我が主人、ゴーベド様をマクシミリアン領まで護衛いただきたい」

マクシミリアン領とはクロノス王国の国境を東に越えたところの領地だ。その領地に行くには山と森を一つずつ越えなければならない。

「それは急な話ですね。それで、報酬の方は?」

「護衛完了後に、現金でこれだけ」

彼が提示した額は、相場よりかなり良い金額だった。

「ぜひ、引き受けましょう」

「火急の用でなければ、このようなみすぼらしい傭兵所には頼まないのだが」

「……賢明なご判断であったと、証明して見せましょう」

内心かちんと来るものがあったが、そんなことはおくびにも出さないガム。

「失礼します」

一礼し、黒髪ツインテールの少女、サキが応接室に入る。トレイに乗った紅茶の入ったカップをシシリアンに差し出す。

「よろしければどうぞ」

そのサキを頭からつま先まで値踏みするように、シシリアンは観察する。

「……ふん。汚らしいガキだな」

そして彼は紅茶を一瞥すると

「おまけに安い紅茶だ。いらん。下げろ」

と言って、サキに向けて手を払うような仕草をする。サキはトレイを両手で抱えるようにしてわなわなと震えている。

「なによあんた偉そうに……!」

「サキ。紅茶を下げろ」

今にも食ってかかりそうなサキを手で制止するガム。

「でも!」

「黙って言うことを聞け」

「……っ! …………失礼しました」

サキは紅茶をシシリアンの前から下げ、応接室を出て行った。

彼は胸ポケットからハンカチを取り出し、臭いものから身を守るように鼻を抑えていた。

「君は助手のしつけも出来ないのかね?」

「申し訳ありません。後できつく言っておきますので」

頭を下げるガム。シシリアンはハンカチを胸ポケットにしまう。

「……まあいい。君は明日我が主人の護衛をしさえすればいいのだからな。では明朝七の刻に東門に来たまえ」

「承りました」

「では失礼する」

ソファから立ち上がり、応接室を後にするシシリアン。ガムは彼の姿を見送った後、台所に移動した。そこではサキがものすごい剣幕でティーカップを洗っていた。

「……なんなのよあのジジイ。男爵の執事か知らないけど偉そうにして……眠っている間にナイフで額に肉って刻んでやろうかしら……!」

「サキ、声に出てるぞ」

ガムの呼びかけに我に返るサキ。

「なによ!」

「八つ当たりはよせ」

「ガムも情けないじゃない! あんな言われっぱなしで!」

ガムは小さくため息をついた。

「客だって色々だ。たまにああいう傲慢な人間もいるんだ。でも、金払いはいいぞ」

サキに受け取った契約書を見せるガム。それを見てサキはティーカップを落としそうになった。

「……なにこれ。桁が一つ多いんじゃない? あのジジイ耄碌もうろくしてる?」

「滅多なことを言うな。あんなでも客だ。この任務が完了したら好きな服でも買ってやるよ」

「え、いいの……?」

戸惑いつつも、嬉しそうなサキ。サキが着ている綿の白ブラウスと茶色のスカートは、彼女かここに来た当初にガムが買い与えた物だ。しかし既にところどころツギ当てをしている状態である。サキは自身の生い立ちもあって服装に頓着していなかった。しかし年頃の女の子がこれではまずいんではないか、とガムは思っていた。

「ああ。それに今回の依頼は、お前にも来てもらうからな」

「え? そうなの?」

「ああ。マクシミリアン領への道は山越えと森越えがある。それ自体はなんとかなりそうだが、野生の獣への対処が問題でな。お前の力が必要だ」

ガムは依頼で何度もマクシミリアン領への護衛は経験済みだ。その時は知り合いの同業者の協力を得ていた。

「わたしの、力……」

以前、サキはガムに頼んだ。力の使い方を教えて、と。

「お前さん向きだろ?」

「…………うん!」

サキは力強く頷いた。しかし後にガムとサキはこの依頼を「割りに合わねー」と思い知ることになるのだった。


◆◆◆


執事のシシリアンが傲慢なのだから、彼の主人であるゴーベドも傲慢なのだろうと予想していたが、果たしてその通りだった。いや、それ以上だった。

「さっさと歩かんか! この愚民が! 高貴なるわしをイラつかせるな! 今日中に着かなかったら貴様を鞭で百叩きにしてやるからな!」

マクシミリアン領への道を先導するガムに、一頭引きの馬車の中のゴーベドから罵詈雑言ばりぞうごんが飛んだ。その態度にガムはうんざりしていた。

時間は遡って早朝、クロノス王国の東門でガムとサキは依頼人のシシリアン及びその主人であるゴーベド男爵と合流した。彼は小柄で小太り。頭頂は禿げ上がっており、両耳の上あたりから角のような毛が生えていた。身に着けいているローブは上等の絹でできていたが、長すぎるため地面に引きずっていた。

「お初にお目にかかります。ゴーベド男爵殿。この度あなたの護衛を務めさせていただくガムと申します。そしてこちらは助手のサキと申します」

促され、一礼するサキ。ガムがゴーベドに握手を求める。ガムの装備は革鎧に大剣という、護衛任務の時の装備だ。サキも革鎧を身に着け、戦闘用のナイフ二本を腰にいていた。背中には護衛に必要な諸々の物資が詰まったザックを背負っている。

「……ふん。よろしく頼む」

ゴーベドはガムの手を無視する。

「行程につきまして、諸注意があります。第一に……」

「うるさい。高貴なるわしに意見するな。時間が惜しい。早く出発だ」

「いや、しかし大事なことですので」

「うるさいと言っておろうが! 高貴なるわしの時間を奪うな愚民が!」

有無を言わさず会話を断ち切るゴーベド。それにシシリアンが

「そういうことだ。行くぞ」

と続く。

馬車に乗り込むゴーベドとシシリアン。しょうがなくガムとサキもそれに続いた。

そして現在。東門を出て、しばらく何事もなく平原を進んだ。隊列としてはガムが先頭、馬車の御者としてシシリアン、馬車の中にゴーベド、しんがりをサキという並びだ。馬車は後方が開いており、サキからはゴーベドの様子が伺うことができた。馬車の中には弓矢や剣など護衛用の武器や毛布、いくらかの食料が積んであった。その中に、布に覆われた箱のようなものもあったが、中身が何かは分からなかった。

そして山越えをするため、山のふもとから登り始めると、当然移動速度が落ちる。それにイラついたゴーベドが癇癪を起し始めた。

「落ち着きください、ゴーベド様。大声を出されれば、落石もあり得ますので」

普段からこうなのか、シシリアンもゴーベドをなだめるので手一杯である。

「そうですぜ、ゴーベドさん。そんなに喚いてちゃ、体にも障りますよ?」

ガムが馬車の中のゴーベドに声をかける。

「無駄口を叩くな愚民が! 貴様はわしの進路の障害を取り除いておればいいんだ!」

「へいへい」

マクシミリアン領へ行き来している回数はガムの方が多いためか、ガムは多少強気に出ているようだった。しかし相手の機嫌を損ねても仕方ないので、軽口は最低限にとどめている。そんなガムの様子を伺いつつ、サキは馬車の後ろをついて行く。

「……執事が執事ならその主人も主人ね」

ぼそっと呟くサキ。

「何か言ったかメスガキ?」

サキを振り向き睨むゴーベド。

「……なっ、メスガキって何よ!」

「メスガキはメスガキだ。動物風情が高貴なるわしと対等にしゃべるな。しかしこんなメスガキを高貴なるわしの護衛に付けおって。何を考えているかわかったもんじゃない」

吐き捨てるゴーベド。

「ぐっ…………!」

金持ちってみんなこうなの!? わたし達を動物のように見下して……!

「サキー。護衛に集中しろー」

後方の騒ぎに気付き、ガムが声をかける。サキはなんとか冷静さを取り戻した。

「はあ……先が思いやられるわ」

サキが天を仰ぐ。目線の先には切り立った崖。その縁で大きな鳥がこちらに向かって鳴いていた。あれはヤマワシだったっけ……、とサキがぼんやり考える。

それを聞いて、ゴーベドが馬車から前方に顔を出した。

「おいガムとやら! あの鳥はなんだ!? こちらを狙っておるのではないか?」

「ああ、ヤマワシですね。あれはほっとけばいいですよ」

振り向きもせずにガムが答える。なおもヤマワシは一行に向かって鳴き続けている。その声はだんだん激しくなっていった。

「何を呑気なことを……!」

ゴーベドは馬車の中の弓矢を手に取った。そして馬車から身を乗り出してヤマワシに向かって弓矢を構え、弦をギリギリと引く。

「おい、やめろ!」

その音を聞き、ガムがゴーベドに向き直った。構わず矢を放つゴーベド。

矢はヤマワシの脇をすり抜けた。

「何やってんだ!」

もう遅かった。ヤマワシは崖から飛び立ち、一直線に馬車めがけて降下してくる。その狙いは呆けて身動きの取れないゴーベドだ。鋭い嘴が彼に迫る。ゴーベドは身を竦め、目を閉じた。

「……ひぃっ!」

ヤマワシの嘴がゴーベドをついばむ直前。ヤマワシの首をナイフが一閃した。血しぶきがゴーベドを濡らす。切断されたヤマワシの首と体が地面に落下した。

ゴーベドが恐る恐る目を開けると、そこにはサキの姿があった。彼女の持つナイフは血に塗れていた。彼女がヤマワシを葬ったのだ。ゴーベドが自身を汚した血に気付き、喚く。

「な、なんだこれは!? 血でべとべとではないか! 汚らわしい! おいシシリアン。すぐに拭き取れ!」

ゴーベドの言葉に、シシリアンが従う。大き目のナプキンを取り出しゴーベドの顔を拭う。

ゴーベドを間一髪のところ救ったサキは興奮しているのか、息を荒げている。その顔はどこか誇らしげだった。

サキはこちらに駆けつけようとしたガムに向かい

「……やった。わたし、やったよ!」

と嬉しそうにガムに言った。

ガムはサキをみて、苦虫を嚙み潰したような顔をして「……先を急ぐぞ」とだけ言った。

「……ガム?」

戸惑うサキ。馬車が動き出す。しばらく呆然と馬車を眺めていたサキだったが、慌てて駆け出した。


◆◆◆


山の中腹、勾配がきつくなってきたため、いよいよ馬車の歩みが止まりそうになった。

ガムは先頭から馬車の後ろに回り、サキとともに馬車を押すことにした。台車に荷物、人二人乗せている馬車の重量は相当なものになる。ガムとサキは汗だくになりながら一所懸命に馬車を押し上げている。そんな二人の苦労も知らず、ゴーベドは二人を罵倒する。

「遅いぞ! もっと力を入れんかこののろまども! 亀でももう少し速く動くわい! 鞭でケツを叩きでもせんと動かんというのなら、そうしてやろうか!?」

ゴーベドはガムの頭を掴み、顔を上げさせた。

「この役立たずが! 誰のおかげで日々暮らせてると思っている?」

「そりゃ、ゴーベド様のおかげですぜ」

へらへらと答えるガム。

「ほぉ、わかっておるじゃないか」

言ってゴーベドは立ち上がり、ガムの頬を足蹴にする。

「ガム!」

悲鳴を上げるサキ。ガムは口の中が切れたらしく、血の混じった唾を吐いた。ゴーベドがガムの前で仁王立ちする。

「わかってるなら、死ぬ気で高貴なるわしに尽くさんか!」

「…………わかってますとも」

へへっと笑いながら呟くガム。

「ちょっとあんた! いくらなんでもひどいんじゃない!?」

サキがゴーベドに抗議する。

「なんだと?」

「やめろ、サキ」

「ちょっと金持ちだからって、調子に乗ってんじゃないわよ!」

直後、ぱんっ、という乾いた音が峠に響いた。

サキが地面に崩れる。ゴーベドの平手がサキの頬を打ったのだ。

「……クソガキが、高貴なるわしに意見するな」

「……うぅ」

呻くサキ。口からは一筋の血が流れていた。

「あのぅ。ゴーベドさん」

ガムがゴーベドに呼びかける。

「ん? なんだ愚民が」

「……うちの助手に手を出すのだけはやめていただいてもよろしいでしょうか……?」

満面の笑顔で言う。そのガムの表情に、ゴーベドは一歩後ずさった。サキを抱き起すガム。「立てるか?」

「…う、うん。大丈夫」

再び馬車を押す二人。

「……ふん。手を抜くんじゃないぞ。愚民が」

ゴーベドは馬車前方に座りなおした。

しばらくして、峠を越えた一行は、昼食を摂るため休憩することにした。

ガムとサキは山道のに座って持ってきたビスケットと干し肉、林檎などを食べていた。

一方のゴーベドは、馬車の外にテーブルと椅子を用意し、パンや果物、瓶詰の魚や肉を食し、更にはワインを飲んでいた。もちろん給仕はシシリアンにさせている。ガムとサキはその様子を憮然と眺めていた。

「布に覆われてた荷物はあのテーブルと椅子だったのか」

呆れたように言う。

「重いはずだわ。余計なものを乗せんじゃないわよ」

不満たらたらのサキ。そんな二人はどこ吹く風で、ゴーベドは「山の上でランチを嗜むというのも乙なものじゃ」などと言っている。「そうでございますね」とシシリアンが調子を合わせる。その後、ガムとサキは食事を続けたが、特に何もしゃべることがなかった。だがしばらくしてサキがガムに聞いた。

「ねえ、ガムは嫌じゃないの?」

「ん? 何がだ?」

「この依頼」

「一言で言うのは難しいが……まあ、最悪ではない」

「最悪?」

「ああ、この場合は理不尽なうえに報酬が最低だということだ」

態度は理不尽だがゴーベドは金払いがいい。そこがせめてもの救いだった。

「……あの、ガム」

言いづらそうに、サキが俯く。

「なんだ?」

「あの、さっきは、ごめんなさい」

ん? と言って、何を謝られているのかわからないガム。

「あの、ヤマワシの……」

それを聞いてガムはピンときたのか

「……ああ、あれか。お前さんは依頼主の身を守った。よくやったよ」

と言った。

「でも、ガムは嫌そうな顔してた……」

んー、とガムは思案気な顔をする。

「依頼者の身の安全が第一なんだが、他にも事情があって」

「事情って?」

とサキが聞いたところで

「いつまでだらだらと休んどるんだ! さっさと出発するぞ!」

とゴーベドの声がかかった。

「依頼主がお呼びだ。行くぞ」

ガムが腰を上げ、尻の誇りを手で払った。

「う、うん」

サキもそれに続いた。


◆◆◆


山道を越え、一行は森の中を進んでいた。再びガムが馬車を先導する。昼下がりでも日の光の届かない森の中は薄暗い。人々がよく通るため道は最低限の整備はされているものの、足元には背の低い草が生い茂っている。注意して歩かなければ転倒しそうだった。

森の中の進行も順調とはいえず、馬車の中にネズミが侵入したり、蛇が侵入したりした。その度にゴーベドは悲鳴を上げ、サキが追い出すという場面が続いた。面倒くさいので、もういっそのことサキを馬車に同乗させたらいいんじゃないかとガムは思ったが、ゴーベドが同意するとは思えないので言わないでおいた。

森の行程も残り少しになったところで、ガムは異変を感知した。

今まで聞こえていた鳥や虫の声が聞こえなくなっている。まるで何かに怯え、隠れるように。代わりに断続する息遣いの音。鼻をかすめるかすかな獣の匂い。そしてこちらに向けられる興味の視線とわずかな敵意。

「……ついて来てるな」

馬車の周りに多数の気配。この森に生息するハイイロオオカミの群れがガム達をつけてきていた。

ガムは振り向き、御者のシシリアンに声をかける。

「シシリアンさん。オオカミが馬車を取り囲んでいる。とりあえずこのまま進んでくれ」

「わかった」

二人のやりとりを耳聡く聞きつけたらしく

「オオカミに取り囲まれているだと!?」

と叫ぶゴーベド。ガムはゴーベドに向けて「静かに」と人差し指を口に付ける。

「刺激しないで。やつらはこっちを見定めてるんだ」

狩れる獲物か、そうでないか。

ガムはそのまま馬車の後ろに交代すると、サキに声をかけた。

「サキ、ザックから松明と燃料を出してくれ。歩きながらな」

言われてザックから松明と燃料を取り出すサキ。そして燃料を松明の先端の布に塗り込む。

ガムが松明をサキから受け取る。

「よし、いいぞ。次に火打石を」

徐々に一行に忍び寄るオオカミの気配。ざわざわと茂みをかきわける音が重なっていく。

サキが火打石を手に持って、松明に火を付ける直前。ゴーベドの悲鳴が森に響いた。

「く、来るなケダモノがっ!!」

ガムが馬車の中を見ると、ゴーベドが道の脇に向けて弓矢を構えていた。ハイイロオオカミの一匹が馬車に接近し、並走している姿が道の脇にちらちら見える。

ガムが声を荒げてゴーベドに言う。

「やめろ! 奴らを刺激するな!」

恐慌に駆られたゴーベドにガムの声は届いていなかった。そしてゴーベドはオオカミに向向かって矢を放った。矢はオオカミの胴に命中し、オオカミはその場に倒れた。

馬車を取り囲む殺気が膨らんだ。オオカミ達は完全にこちらを敵とみなしたようだ。

「……ったく、面倒な。サキ、もういい」

言って、ガムはサキを抱き上げ、そのまま馬車の中に放り込んだ。よろけながらも着地するサキ。その行動にゴーベドが非難の声を上げる。

「愚民が! 動物風情を高貴なるわしの馬車に乗り込ませるとは何事だ!」

持っていた弓矢をサキに構え直すゴーベド。その手に火打石が命中し、弓矢を取り落とす。火打石を投げたのはガムだった。どうやらサキから取り上げていたらしい。

「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ、男爵殿」

ガムが馬車に乗り込む。ガムはゴーベドを脇にのけるようにシシリアンのところまで移動する。

「シシリアンさん。走らせてくれ。オオカミを振り切る」

「わかった」

馬に鞭を入れるシシリアン。馬車が加速する。ガムはサキの方を振り向く。

「サキ、屋根に登れ。馬を守ってくれ。アレ、持って来てるな?」

無言で頷くサキ。すぐさま馬車の後ろから屋根に登り、進路の後ろを向き、身をかがめて武器を構えた。

ガムは背の大剣を構え

「……すまねえ、許せ」

と言って、馬車の後ろで進路の後方を向いて立った。

「な、何をしている愚民が! 高貴なるわしの馬車で勝手は許さんぞ!」

「男爵殿」

ゴーベドに背を向けたままガムは言った。


ケツ咬まれないようにオムツしてなよ


と。

次第に馬車に接近する十数匹のオオカミの群れ。そのうちの数匹が殺気を剥き出しに馬車のすぐ後ろに迫る。そしてガムめがけて馬車の中に飛び込んで来た。

ガムは大剣を振るい、オオカミを剣の腹で吹き飛ばす。勢いそのままに、道の脇の木に叩きつけられるオオカミ。その景色が高速で後方に吹き飛んでゆく。

しかしまだオオカミの追撃は止まない。馬車の後方についていたオオカミが馬車の左右両方に回り込む。

「サキ! 両側二匹行ったぞ、頼む!」

屋根の上のサキに呼びかけるガム。

「まかせて!」

サキは両手に持った矢尻の様な三角形の鋭い金属を構える。矢尻の根元は紐で結ばれており、紐はサキの袖の中に伸びている。この武器はサキが暗殺に用いていた暗器だ。

サキは両手でそれぞれ馬車の左右両側下方に勢いよく投擲とうてきした。矢尻はそれぞれ、オオカミの前足に命中した。手ごたえを感じた直後、紐を引き上げるサキ。矢尻がサキの手に戻る。前足を矢尻に貫かれたオオカミはたまらず、ずるずると後退していった。

「いいぞ、サキ」

なおも馬車に飛び込んでくるオオカミを打ち倒すガム。サキも、続々と馬車の両脇に回り込むオオカミ達の前足に、正確に矢尻を打ち込んだ。一匹、また一匹とオオカミが姿を消していく。

そこに突然、道の脇の茂みから、オオカミが勢いよく飛び出してきた。オオカミの向かう先は、馬だった。その牙が馬の首元に突き刺さる。その直前。

サキの矢尻がオオカミの目を刺し貫いた。矢尻を引き戻すサキ。オオカミが宙に投げ出される。目玉ごと、矢尻がオオカミの体から抜ける。サキは何事もなかったかのように、矢尻から目玉を振り払った。目玉は馬車の中のゴーベドの元へと落ち、彼に悲鳴を上げさせた。しかしその悲鳴はオオカミの咆哮と疾走する馬の蹄の音にかき消された。

馬車を追いかけていた数匹のオオカミが徐々に走る速度を落としていく。どうやら一行を襲うのを諦め始めたようだ。

なんとか振り切った……。

サキが安堵した瞬間。馬車の上に伸びた木の枝がサキの体を打った。

しまっ……!

なすすべなく宙に投げ出されるサキ。馬車が猛スピードで前方へ走り去る。おいて行かれる。サキという獲物に気色立つオオカミの顎。迫る地面。

そして衝撃。

しかし、それは地面に落下したものではなく、馬車の中に落ちた衝撃だった。

とっさにガムがサキの足を掴み、馬車の中に引き入れたのだった。

「……いったあ~~。……もうちょっと優しくしてよ」

「すまん。……よくやった、サキ」

頭をさすりながら、ふふふ、とサキがほほ笑んだ。


◆◆◆


オオカミの追撃を振り切った後、一行は森を抜けた。夕暮れが訪れ、マクシミリアン領へ到着しつつあった。平原の先に黒っぽい建物の群れが見える。ここまでくれば危険はほぼないと言ってよかった。

護衛風情に同乗されたという失態に、ゴーベドは憤懣やるかたないようだった。そんな雰囲気の車内に残れるわけもないというよりは、馬への負担を減らすため、ガムとサキは馬車を降りた。再びガムが先導し、サキがしんがりを勤めている。領地へ続く街道を進んでいると、茂みの脇から一つの影が飛び出した。

「と、とまれっ! でてこいゴーベドっ!」

それは十歳位の男の子だった。黒ずんだぼろぼろのシャツとズボンに、手には小ぶりなナイフが握られている。急な闖入者ちんにゅうしゃに馬車を止めるシシリアン。

「何事だっ!」

馬車の中からゴーベドが叫ぶ。

「母ちゃんのかたきだ! かくごしろっ!」

馬車に向かって走り出す少年。身のこなしも、武器の持ち方も全然なっていない。ガムは少年のナイフを叩き落とし、少年を地面に組み敷いた。

「は、離せっ!」

「なんだ? 物騒だな」

騒ぎを聞きつけ、サキが駆けつける。

「ガム、この子は?」

「いや、知らん」

ガムの下でじたばたと暴れる少年。

「母ちゃんのかたき……! ゴーベド、ころす!」

ゴーベドが馬車から降り、少年の顔を覗き込む。

「なんだクソガキ。高貴なるわしの馬車を止めおって。殺されたいのか?」

うっぷんを晴らすように何度も少年の顔を蹴り上げるゴーベド。沈痛な表情でその光景を見続けるサキ。

痛みに耐えきれず、少年が泣き出す。その顔面はところどころ靴で切れていた。

「う、うええ…………。か、母ちゃんのかたき……、ぼくが、とる……」

「仇?」

ガムが聞き返す。

「か、母ちゃん、ご、ゴーベドのところで召し使い……、はたらいてた……。で、でも、お皿割っちゃって……。そ、そのばつで、母ちゃん、ころされた……。う、うぅ、リィナ母ちゃん……」

ぐずりながらしゃべる少年。顔が血と涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

「あー。貴様、リィナのガキか」

「ううぅ、母ちゃんを、返せ」

「どういうことですか?」

ゴーベドに問うガム。

「なあに。つまらんことだ。このクソガキの母親は昔、高貴なるわしの屋敷で召し使いをしておってな。ある日、高貴なるわしの大事にしとった皿を割りおった。だから見せしめのために、他の召使いの見ている前で、高貴なるわしの自慢の飼い犬にかみ殺させたのだ」

まるで、教師がいたずらをした生徒を廊下に立たせるような感覚でしゃべるゴーベド。

「あんた……、なんてことを……!」

サキが憎悪の念をゴーベドにぶつける。

「何を憤っているんだメスガキ。ドブネズミが高貴なるわしの宝を壊したんだぞ? 害獣は死んだ方が世のためってもんだ」

「…………!」

サキは、怒りを通り越して何も言えなかった。

「おい、ガムとやら。このクソガキを殺せ。報酬は倍にしてやる」

「……本気ですか?」

「ああ、高貴なるわしは気前がいいからな」

「……わかりました」

ゆっくりと立ち上がり、背中の鞘から大剣を抜き、両手で構える。

「ちょっと! ガム、何考えてるの!?」

サキがガムに非難の声をあげる。

「何って、俺は傭兵だ。金さえもらえりゃ依頼主の命令はなんでも聞くさ」

「だからって、こんなひどいこと!」

「サキ、お前は甘いな。世の中は金を持ってるやつが回してるんだ。俺らはそのおこぼれにあずかって生きるのが得策ってもんだ」

その言葉にゴーベドは感心する。

「ガム君は愚民の中でもわきまえておる方だな。それでいいんだ」

「男爵殿。このガキの血で高貴なるあなたが汚れるといけないので、俺の後ろにお下がりを」

「苦しゅうない。特等席でこのクソガキの処刑を見届けてやるわ」

ガムの後ろに下がるゴーベド。

「ガキ、恨むならお前の運命とやらを恨むんだな」

背後から夕陽に照らされ、少年からはガムの表情は暗くてわからなかった。

立ちはだかる大剣を構えた死神。少年の顔は恐怖に貼り付き、指先ひとつさえも動かせなかった。ガムが大剣を振りかぶる。

「ダメぇっ!!」

悲鳴のようなサキの叫び声。

横薙ぎに振られたガムの大剣が、少年の首をね飛ばす。

はずだった。

少年を空振りし、そのままぐるりとぶん回される大剣。ガムの後ろに立っていたゴーベドに大剣の腹が直撃した。

鈍い衝撃音とともに、街道の向こうに吹っ飛ぶゴーベド。頭から茂みに突っ込んだ。数秒して茂みからのろのろと出てきた。

「ぐ、愚民が……! 高貴なるわしにこのような非道な仕打ちを……」

「余計なことしてんじゃねえよ」

ぴしゃりと言い放つガム。

「な、なんだと?」

「あんたは知らなさすぎる」

「…………?」

「ヤマワシはこの時期子育てで気が立ってるんだ。あいつはこっちに来んな、って俺らに警告してたんだよ。ほっときゃ何にもしてこないんだ」

「…………」

「ハイイロオオカミは火を怖がる。松明を掲げて進めば、一定の距離以上は近付いてこない。森の中を進むときの常套手段だ」

「け、ケダモノなぞ皆殺しにすればよかろう!」

「それが知らなさすぎるって言ってんだろうが!!」

ガムの怒声がびりびりと響く。

「ヤマワシだってハイイロオオカミだって、人間が怖いんだ。だから旅人は、人間が怖くない生き物だって知らせるために、なるべく刺激しないようにしてんだ。それを今日は何匹殺したと思ってる? 今まで築いた信頼関係がパァだ。これであいつらはまた人間が怖い生き物なんだって思っちまった。この先しばらく旅人は襲われ続けるぞ。その責任は俺とあんた達にあるんだ」

「…………!」

サキは思い至った。ヤマワシを仕留めたときなぜガムが苦虫を潰したような顔をしていたのか。知らなかったとはいえ、自分は人間とヤマワシとの信頼関係をぶち壊してしまった。それを、依頼人を守った誇らしさと勘違いした。サキは今更ながら恥じ入った。

「そ、そんなこと貴様は一言も……」

ゴーベドは言い訳しようとしたが

「朝、あんたは聞こうともしなかっただろうが」

ガムは、行程に当たっての注意点をゴーベドに伝えようとした。だが、ゴーベドは時間が惜しいからと聞かなかった。

「俺は後悔してる。ひっぱたいてでもあんたに聞かせるべきだった。だがそれも俺の責任だ」

「……貴様。高貴なるわしに偉そうに説教を……!」

「あんたはこの先もそうやって好き勝手生きていけばいい。金持ちなんだからさ」

「…………!」

「だけど、金ですべての人間を好きにできると思うな」

「……シシリアン! こいつらをころ!」

言い終わる前に、ガムの投げた石ころがゴーベドの頭を直撃した。そのまま気絶するゴーベド。

その光景に少年も、サキもあっけに取られている。

御者台の上のシシリアンが、あんぐりと口を開けている。数秒後、我に返った彼は、ガムを非難した。

「ななななななな何をしてるんだチミは!」

「強いて言えば、掃除かな」

大剣を片手に、ぽりぽりと後頭部を掻きながら言うガム。

「きさまぁ……よくも我が主を……! これは重大な契約違反だぞ?」

「ああ。だから、いらねえ」

「なに?」

「だから報酬だよ」

「な、なんだと?」

うろたえるシシリアン。

「報酬さえもらえば依頼主の命令を聞くのが傭兵だ。報酬いらねえから依頼主の命令も聞かねえ。これでチャラだ」

「ぐぐぐ……、貴様というやつは…………!」

憤懣やるかたないようなシシリアン。

「それより男爵殿を医者に連れて行かないとまずいんじゃないか。今からマクシミリアン領の街に入れば、まだ診てくれるだろ」

「くっ、覚えていろ……」

シシリアンはゴーベドを馬車に回収し、そのまま発車させた。その姿はどんどん小さくなって、やがて見えなくなった。

残されたガム、サキ、少年の三人。

「ボウズ。怖い思いさせて悪かったな」

少年の腕を持ち、立たせるガム。サキはザックから取り出したガーゼで少年の顔を拭き、頭に包帯を巻いた。ガムがしゃがみ、少年と目線の高さを合わせる。

「ボウズの境遇には同情する。だけど、復讐なんてやめとけ」

「でも、母ちゃんは……母ちゃんは……」

再び泣き出しそうになる少年。ガムはズボンのポケットからハンカチを取り出し、少年の顔を拭ってやる。

「ボウズ。父ちゃんはどうした?」

「……、父ちゃん、いる。いっしょに、くらしてる……」

「父ちゃん好きか?」

「…………うん」

「なら、帰れ。きっと心配してる」

「…………うん、かえる」

ガムは少年の頭にぽん、と手を置いた後、少年を見送った。

残ったのはガムとサキ。

「あーあ。骨折り損のくたびれ儲けだな」

「バカじゃないの?」

サキが心底呆れたように言う。

「すまん。報酬がパーだ」

「そんなこと言ってんじゃないわよ」

「じゃあ、なんだ?」

「心臓に悪いったらありゃしないわ。あの子を殺すって、全部お芝居だったの?」

「ん、まあな」

ふぅー、とため息をつくサキ。彼女にガムが申し訳なさそうに言う。

「服。もうちょっと待ってくれ」

サキは思い出した。自分がガムからもらった服を、ほころびては縫い、破れてはツギを当てながら着ていることを。

「……いいわよ。あの服、気に入ってるから」

そう言ってサキは苦笑した。


           ―――キレたら負け。男爵の護衛を完遂せよ。―――END

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