02話 浮気?本気?チギリとエウァのデート

「チギリなんか、だいっきらい!!」

ゆるふわウェーブの銀髪少女、エウァがチギリの頬を思いっきり平手で打った。

夜の居酒屋の前に乾いた音が鳴り響く。

それを見ていた観衆が何事かとざわつく。エウァは踵を返し、その場を走り去った。残されたのは呆然とするチギリと、チギリを後ろから抱くグラマーな金髪美女だった。

チギリは思った。どうしてこうなった、と。


◆◆◆


「そりゃお前が酔い潰れてデイジーに抱きついたからだろ」

開口一番、見下げたようにチギリに言い放つ大柄、黒髪ツンツン頭のガム。

「違う! デイジーには介抱してもらってただけだ!」

それに対して必死に弁解する金髪碧眼の美青年チギリ。

二人が話しているのはガムの自宅だった。三か月前の大きな依頼を達成した報酬がかなりの額だったので、以前の貧乏小屋から少しましな家に引っ越した。ガムは傭兵業をやっているので、自宅に業務のための応接室を設けている。といっても、居間の内装を小ぎれいにしただけだが。一応テーブルとソファは設えてある。そのテーブルを挟む形で、ガムとチギリが話していた。そこに黒髪ツインテールの少女が入ってくる。

「お茶でも飲めば……じゃなくて、お茶でもどうぞ」

トレイから紅茶の入ったティーカップを手に取り、チギリの前に差し出す少女。彼女は名前をサキという。

「あ、ありがとう」

「用があれば、呼びなさいよね……じゃなくて、お呼びくだ、さい」

言って、部屋から出ていくサキ。彼女が去った方をしばらく眺めるチギリ。

「サキ、って言ったっけあの子? なんで君のとこにいるの?」

「色々わけありでな。うちで雇うことにした」

「命を狙われたのに?」

「そういうのも乙だろ。そのうち事情は話すから気にするな」

「ますます君の将来が心配になるよ」

「俺のことより今はお前のことだろ」

「ああ、そうだ」

チギリが紅茶を一口飲む。今日、チギリは遊びではなく、依頼でガムの元を訪れた。

用件はエウァの誤解を解いてほしい、というものだった。

エウァというのはクロノス王国の名家であるグロピウス家の跡取り娘だ。年齢は十三歳。グロピウス家は表向きクロノス王国の中枢で代々要職に就いているが、裏の顔は『構造部の一族』という世界に影響を及ぼす力を持つとんでもない家だ。裏の顔を知っているものはクロノス王国では国王を除いて数人しか知らないとのことだ。

チギリが言うには、ことのあらましは以下のようなものだ。

先日、チギリは騎士団の修練後、同僚と『鯛の釣り針亭』を訪れた。上司への不満からチギリとしては珍しく酒が進み、完全に酔い潰れてしまったという。そんなチギリを夜風に当てるために店のウエイトレスであるデイジーが外に連れ出した。するとチギリがふらついてデイジーに覆いかぶさった。デイジーがチギリの体を抱えて起こそうとしたところをエウァに目撃された。そしたらエウァに平手を食らったということだった。

「要はタイミングが悪かったんだな」

まとめるガム。

「そうなんだ。僕は決して浮気なんかしてないということを伝えてくれないか」

「自分で言えばいいじゃないか」

「言おうとしたんだが、会ってもくれないんだ」

「じゃあ、諦めろ」

ガムは困った友人ににべもない。

「そんな投げやりな。友人の恋路がどうなってもいいっていうのか」

いかにも不満げな顔を浮かべるチギリ。

「諦めろっていうのは、誤解を解くのを諦めろってことだ」

「どういうことだ?」

「誤解を解こうと必死になれば、相手は余計に浮気してるんじゃないかって疑うもんだ。お前が今しなきゃならんのは、デートの予約を取り付けることだ」

「……そうなのか?」

「ああ、お前の相手はエウァだけだっていうことが伝われば、誤解なんぞ自然に解ける。言葉じゃなくて行動で示すんだ」

「……そういうものか」

「手紙でもなんでもいいから、一方的に日時と場所を決めてデートを申し込め」

「でも、エウァの予定も聞かないと下手すると会えなくないか?」

「お前はまだエウァの事がわかってないな。あいつは俺達よりよっぽど優秀だ。お前とデートするためなら、他の予定なんて片付けて駆けつけるよ」

「そうか……、そうだな。早速やってみるよ」

残りの紅茶を飲み干し、応接室を後にするチギリ。そのままガムの家から出て行った。しばらくするとサキが入ってきて、空になったティーカップを回収する。

「傭兵業って、恋愛相談も受けるの?」

「今は国同士の情勢は落ち着いてるからな。傭兵の仕事はほとんどない。だからこんな相談でもやらないと食っていけないんだ」

「思ってたのと違うなあ。もっとこう、スリリングな仕事が多いのかと」

「社会に出ればそんなもんだ。専門職ならまだしも、傭兵業なんて何でも屋みたいなもんさ。それに、チギリの依頼はまだ終わってない」

「どういうこと?」

「あいつのデート当日になればわかるさ」

サキは納得いかないような顔をした。そこで玄関から「ヴォータンさーん」という声が聞こえた。ガムが出迎えると、隣人の男性が玄関に立っていた。どうやら引っ越すらしく、ガムに挨拶に来たようだった。


◆◆◆


チギリのデート当日。天気は快晴。クロノス王国の城下、中流以上の家庭が集まる西の住宅地の一角。その中でもひときわ大きな、グロピウス家の屋敷がある。

チギリは待ち合わせ時間のきっかり十分前に現れた。彼は白のチュニックに革のベルト、焦げ茶色に染めた綿のズボンに革のブーツという、カジュアルながら清潔感のあるいでたちだ。

左胸のあたりが膨らんでいるが、騎士の習慣で、何か防具でも仕込んでいるのだろうか。

グロピウス邸のはす向かいの邸宅の塀の陰から、チギリの姿を見たガムが呟く。

ガムの格好は未晒しの綿のシャツに茶色の綿のパンツという、クロノス王国では庶民の標準的な服装だ。そして頭には茶色のキャスケット帽をかぶっている。

「……よし。今回は服装に問題はないな」

以前、チギリがエウァと初デートしたときの話を聞いたガムは呆れたものだった。がちがちのスーツに身を固めて花束片手に出向いたというのだ。「お前エウァの父親に『娘さんを下さい』とでも言うつもりだったのか」とデートに失敗し憔悴したチギリに言ったのを覚えている。

チギリは腕時計とグロピウス邸の門を交互にみながらそわそわしている。

「なんでわたし達まで来る必要があるの?」

ガムの後からサキが問う。サキの格好もガムと同様だった。一点異なるのは、サキのシャツの胸の部分に花柄の刺繡が入っていることだ。群衆に紛れれば目立ちにくい服装、ということでガムがコーディネイトした。

「結論から言えば俺達の生活に関わってくるからだ」

サキの質問にガムが答える。

「生活? なんで?」

「グロピウス家はお得意様だ。定期的に俺に仕事を振ってくれる」

以前、ある依頼でガムはエウァとチギリと旅をしている。依頼は成功し、グロピウス家の信頼を得たガムは、現当主のドゥイズから仕事が貰えるようになった。

「チギリの悪評は下手すれば俺の悪評につながりかねん。チギリとエウァの仲を取り持つことが、

間接的に俺達の評価につながる。ついて来たのは今日のデートでチギリが下手打ったときにフォローするためだ」

「大人って面倒くさいのね」

「チギリが面倒くさいんだ」

チギリは見た目はいいし、礼儀正しいし、社交性もある。しかし幼い頃から宮廷騎士団での修練に明け暮れてきたため、女性関係にはめっぽう弱い。エウァと付き合うようになるまでデートなどしたことはなかった。二十六歳からの恋愛保健体育だ。

約束の時間。エウァはまだ出てこない。チギリが何度も腕時計に目をやる。時間が間違っていないか確認しているようだ。

普段のエウァならば時間に遅れるということはまずない。これは浮気をした(実際は浮気ではないが)チギリへの無言の抗議だろうか。

それから更に半刻後、玄関扉が開き、一人の少女が出てきた。肩口で揃えられたゆるふわウェーブの銀髪。銀縁の眼鏡。フリルのついた白いシャツ。黒を基調としたスカートといういでたちの少女だ。

サキがガムに聞く。

「あの子はこの屋敷の召使い?」

「あれがエウァだ」

「え? まだ子供じゃない。チギリってロリコンなの?」

「ああ、ロリコンだ」

正確にはチギリはロリコンではなかったのだが、三か月前、なりゆきでロリコンになってしまった。

エウァは玄関から庭を通り、門から出てチギリと落ち合った。

「おはよう、エウァ」

「……おはよう、チギリ」

髪の毛はところどころ跳ね、目の下にはくまを作り、むすっとした様子で挨拶するエウァ。やはり怒っているようだ。

「君からの手紙に行先が書いてなかったけど、今日はどこに連れて行ってくれるんだい?」

エウァがチギリを見上げて言う。その声音と表情はやや硬い。まるで圧力をかけられているようだった。

チギリは一瞬ひるみかけたが、先日のガムの言葉を思い出した。

―――いいかチギリ。エウァがふてくされているようでもお前は堂々としていろ。お前は何も悪くない。弱みを見せれば、浮気をして申し訳なさそうにしているように見えてしまうからな。そんでもって―――。

「それは行ってからのお楽しみさ。おいで」

―――デート中は手をつなげ―――。

言って、チギリは強引にエウァの手を取って歩き始める。

「え? どこに行くの? えっ?」

いきなり手を取られて、エウァは困惑した。恋愛ごとには不慣れのはずのチギリが手をつなぐという積極的な行動に出るとは思わなかったからだ。デートが始まって数十秒だというのに、さっきまでの硬い表情が嘘のように、エウァの口元が緩んでいる。

「ちょろいな……」

ガムがほくそ笑む。

「悪趣味」

サキが突っ込む。

チギリとエウァは町の中心に向かって歩いて行く。それに気付かれないように、一定の距離をおいて、ガムとサキは尾行を開始した。

……あの女、なんか腹立つ……。

ガムの後ろでサキがぼそっと呟く。

「ん? なんか言ったか?」

「……別に」


◆◆◆


チギリとエウァがやって来たのは町の中央広場。今日はマルシェが催されていた。衣類や雑貨、野菜や果物などを扱う色とりどりのテントがところ狭しと並んでいる。すでに大勢の人が集まっており、広場は賑やかだった。物珍しいのか、エウァはきょろきょろとテントの中の商品に目をやっていた。ガムとサキもチギリ達の姿を見失わないようについて行く。

チギリはその広場のある一角にエウァを連れて行った。

そこに猫や犬や猿、大型のねずみやラクダなど様々な動物がいた。どうやらキャラバンが各地の動物を集めて見世物にしているようだ。動物のいる一角は四方を木の柵で仕切られており、動物達はその中で放し飼いにされている。

「エウァは動物が好きって前言ってただろ? ちょうどいいと思って」

「うん。好き!」

動物を見たエウァの目が輝いた。さっそく猫に近寄る。

「触ってもいいからねー」

キャラバンの一員らしき中年の女性がエウァに言う。

エウァはしゃがんで、その白黒柄の猫の頭に恐る恐る手を伸ばす。すると、猫の方から頭をエウァの手に擦り付けてきた。その感触にエウァはひゃっ、と小さく驚いた。しかし何度も擦り付けられるうちにくすぐったくなったのか、ふふっ、とほほ笑んでいた。

「ねえ、可愛いよ。チギリも触ってみなよ」

「へえ、どれどれ」

促されてチギリも猫の顎を撫でる。すると猫は気持ちよさそうに目を細めた。

「猫は顎を撫でられると気持ちいいんだ」

「そうなの?」

エウァも猫の顎を撫でる。先ほどと同様に猫は目を細め、なーん、と細い声で鳴いた。

「ふふっ、かーわい」

楽しんでいるエウァの様子を見て、チギリは安堵していた。今日はこのまま何事もなく過ぎればいいんだが。

チギリとエウァは、次はラクダの元へ行った。

「チギリ。この動物なんていうか知ってる?」

「え、えーと……」

チギリはラクダを見たことがなかった。ラクダはもともとクロノスからは遠く離れた砂漠の動物である。このような機会でもなければお目にかかることはまずない。

どう答えたものか。知らないにしては年上としては何か答えないとまずいのでは……。

そこで再びガムのアドバイスが頭をよぎった。

―――いいか、チギリ。エウァは俺達なんかよりよっぽど知識が多い。何かわからないことがあれば、正直にわからんと言え。そしてエウァに聞け。そして答えてもらったら褒めろ―――。

「いや、初めて見るからわからない」

エウァはこほん、と咳払いし

「この子はね。ラクダって言うんだよ。砂漠で生きる動物なの。背中のこぶの中には脂肪が詰まってるんだ。砂漠は過酷だから、飲み食いしなくても何日かはその脂肪のおかげで生き延びられるんだ」

と、得意げに言った。

「すごい。エウァは物知りだね」

「えへへ。本で読んだんだ」

顔をくしゃっとほころばせ、照れるエウァ。

ガムとサキは少し離れたミルクティー屋のテーブルで、ブラックタピオカ入りミルクティーを飲みながら二人の様子を眺めていた。ガムはむっつりとした顔をしていた。

「……なんかうまく行き過ぎてて腹立つな」

「……これすっごくおいしい」

サキは初めて飲むミルクティーとブラックタピオカの食感に夢中になっていた。ガムの言葉は耳に入ってなかった。

「ところで何か言った?」

「なんでもねえよ。しっかり味わえ」

うふふ、と言って嬉しそうにミルクティーを飲み続けるサキ。

その後もチギリとエウァは動物との触れ合いを楽しんでいた。犬を抱き上げ、頬をぺろぺろとなめられくすぐったがるエウァ。それを見てほほ笑むチギリ。

また、カットされた人参を馬にあげようと必死に背伸びをするエウァ。そして彼女を後ろから、馬の頭に手が届くところまで抱え上げるチギリ。エウァはチギリの行動になにやら文句をつけているようだが、その顔は本気で怒っていないどころかむしろ嬉しそうだ。

二人を見て、ガムが呟く。

「いい感じだな。なんて言ってるんだ……?」

「『もう、子供扱いしないでよ。ボクだってその気になれば馬の餌やりくらい一人でできるんだから』『ごめんよ、ついつい』」

サキが棒読みでガムの疑問に答える。

「わかるのか?」

「ええ。読唇術はマスターしてるから」

おそらく暗殺を行う準備段階としての諜報活動のために身に着けたのだろうが、こんなところで役に立つとは。いや、役に立っているといっていいのだろうか。

「でもあの女、自分のことをボクって言うのね。気持ち悪い」

「容赦ねえな……」

と、そこでガムの後ろで、ぐしゃっという音とともにミルクティーが飛び散った。中に入っていたブラックタピオカがガムとサキに降り注ぐ。不審に思ったガムが振り向くと、一人の男が握りつぶした紙コップを手に、血の涙を流しながら立っていた。

「あの天使のような娘の笑顔を独り占めにする害虫をどうしてくれようか……!」

いや、血の涙は流していないがそんな勢いである。

全身を黒いスーツに身を包んだ大柄な体躯に、オールバックになでつけた銀髪、そして整えられた口髭。目には黒いレンズがはめられた眼鏡をかけている。ガムはその人物に見覚えがあった。グロピウス家の現当主でエウァの父、ドゥイズ・グロピウスだ。

「ここ数年、あんなにはしゃいでいる娘を見たことがない……! おのれ妬ましい」

「あんたこんなとこで何やってんだ」

「妬ましい……、恨めしい……、腹立たしい……!」

どうやらドゥイズにはガムの声は届いていないらしい。

ドゥイズはクロノス王国の要職に就く名家グロピウス家の職務に忙殺されており、まともに娘のエウァに構う余裕がない。エウァも父の職務の重要さは分かっているので、父に無理は言わない。

しかしドゥイズとしてはそれは寂しいし、本当なら構ってあげたいのだが叶わないのが実情だった。その寂しさが妬みに変わってチギリへと向かっている最中のようだ。

「……おお、ガム君じゃないか。奇遇だな」

初めてガムの存在に気が付いたようにドゥイズ。手からはいまだにミルクティーが滴っている。

「どうもドゥイズさん。いつもお世話になっております」

ガムは極めて社交的に挨拶をした。

ドゥイズはサキに目を向ける。

「おや? こちらの可愛らしいお嬢さんは?」

「紹介が遅れ失礼しました。彼女はサキと申します。先日雇ったうちの助手です。ほらサキ、挨拶しろ」

「……、初めまして。ガムの助手でサキと、申します。よろしくお願い、します」

ぎこちなく挨拶するサキ。

「ああ、よろしく」

鷹揚な態度で紙コップを持ってない方の手でサキに握手を求めるドゥイズ。サキもそれに応え、握手をする。

「ドゥイズさん。ところで今日はどうしてこんなところに?」

ガムが尋ねる。ドゥイズがガムの隣の席に着く。

「今朝娘の様子を見たら妙にそわそわしててな。どうしかしたのか妻に娘のことを聞いてみると、チギリ君とデートするとの事じゃないか。だから居ても立ってもいられなくなって様子を見に来たというわけだ」

もう一度言うが、ドゥイズはクロノス王国の要職に就いている。その職務は多忙を極める。

「……他にも職務がおありでしょうが、大変ですね」

「そんなものは全部キャンセルだ」

娘のことになるとどうしようもないなこのおっさんは、とガムは呆れた。

初めて会った時より親バカ具合が増しているようだ。子を持つ親にしかその気持ちは分からないのかしらん、とガムは思った。

そうこうしているうちにチギリとエウァはキャラバンの柵から出て行った。

「おや、移動するようだぞ、ガム君。追いかけねば」

ガムが二人を尾行しているのを知ってか知らずが、ドゥイズは当然のようにガム達についてくるようだった。

「ドゥイズさん。その恰好では……」

「ああ、似合っているだろう。最近いい仕立て屋を見つけてな。店主はマッチョの変わり者だが、腕は一流だ」

そうじゃなくって、ただでさえ大柄な男が黒スーツにサングラスで目立つことこの上ないのでついて来ないで下さい。ということを言えるはずもなく、ガムは渋々とドゥイズに同行することにした。


◆◆◆


広場を離れて、街の西側へ向かうチギリとエウァ。この辺りは閑静な住宅街である。中流階級以上の者が住んでいるため、通りに並ぶ家はどれも大きなものばかりだ。手をつないで歩く二人、住宅街の一角にある店に入った。そこはクロノス王国でも有名なベーカリーだ。数軒離れて尾行するガム、サキ、ドゥイズにもパンの焼き上がる香ばしい匂いが届いていた。

「くそう、腹が減ってくるぜ」

「……ガム、わたしも食べたい」

「だめだサキ。あのベーカリーは金持ち相手の高級店だ。俺らに手出しできるもんじゃない」

くぅぅぅ、と腹の虫で返事をするサキ。恥ずかしそうに俯いた。

「あそこは我が家がよく利用するベーカリーだ。おのれ害虫め。我が家の食卓の味に潜り込もうという腹か」

ドゥイズが毒づく。

「ドゥイズさん。仮にも俺の親友を害虫とか言わんでください」

「おお、すまない。つい」

しばらくすると、二人が店から出てきた。エウァは紙袋に入った、自分の身長より長いバゲット落とさないように必死に抱えている。

「なんでうちの娘にあんな重そうなものを持たせているんだバカモンめ!」

チギリに対してドゥイズがわなないている。

「『いつも母様がバゲットを買ってきてくれるから、今日はボクが買って帰ってあげるんだ』だそうよ」

「エウァよ、いつの間にか立派になって……!」

涙ぐむドゥイズ。

世界を救うという、もっと大層なことをやってのけてますよあなたのお嬢さん、とガムはドゥイズに突っ込まなかった。

ガムはハンカチを取り出してドゥイズに手渡した。ドゥイズは勢いよく鼻をかんだ。

「それ、よろしければ差し上げます」

「そうか? すまんな」

チギリとエウァが歩いていると、横合いから黒いスーツに身を包み、サングラスをかけた二人組の男が飛び出した。背の高い痩せた男と、小柄な男である。突然の出来事に身構えるチギリとエウァ。

「なんだありゃ!?」

ガムが驚く。

「安心したまえ。ガム君」

「え?」

「あれは我が家の護衛だ。なに、チギリ君に嫌がら……、ゴホン、チギリ君の愛情を確かめようと思ってな」

あんたの頭の方が安心できねえよ。と思ったが、ガムは当然口にはしない。

「ここでチギリ君が戦うのか、逃げるのか。さて、どうする……?」

どうしよう。チギリより目の前のオッサンのほうが面倒くさい。とガムは思った。サキがガムの肩をぽんと叩く。

「ガム。ここは我慢の一手よ」

サキは読心術も使えるのだろうか。

チギリ達の方を見ると、黒服の男達は因縁をつけ始めた。

「よお兄ちゃん。可愛い娘連れてんじゃねえか」

と背の高い方。

「お嬢ちゃん。俺らとも付き合ってくれよ」

と小柄な方。

チギリがエウァの前に乗り出し、黒服達の前に立ちはだかる。

「去れ。君達が触れていい人じゃない」

「てめえにゃ聞いてねえんだよ、この金髪野郎」

と背の高い方。チギリがピクリと反応する。ガムはまずい、と思った。チギリは『金髪野郎』と言われるとキレる性質を持っている。チギリは頬をぴくぴくさせながら言った。

「もう一度言う。去れ。今なら痛い目に合わずに済む」

その言葉に背の高い方が

「ちょっと顔がいいからって、調子に乗ってんじゃねえぞ!」

と、拳をチギリに繰り出す。その速度はグロピウス家の護衛を務めるだけあって、かなり早かった。が、宮廷騎士団最速を誇るチギリがよけられないほどのものではなかった。

しかし、その拳はチギリの腹にめり込んだ。

「どうだ? この俺の拳は……」

自慢げな男のセリフに、チギリは微動だにしなかった。

「……今、何かしたか?」

「って、てめえ! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」

さらにチギリは顔に、腹に数発の拳を食らったが、多少のけぞる程度で、耐え続けた。しまいには黒服の方の息が上がっていた。

「て、てめえはいったい……」

その様子を見てドゥイズが

「なぜ、反撃しない?」

と言った。

「たぶん、エウァの婿になる覚悟を決めたんでしょう」

ガムが答える。グロピウス家は政治の世界の家である。その中で物を言うのは知略、貴族や王族とのつながりなど、人たらしの才能が必要だ。騎士の持つ力、いわば暴力で解決できることは一切ないのだ。

「チギリ君がそこまでの覚悟を……」

「やるじゃん、あの金髪」

ドゥイズとサキが感嘆の声を上げる。ガムも親友としては誇らしい思いだった。

「これが最後だ。今すぐ僕の目の前から去れ」

チギリが黒服達を威圧する。その迫力に、小柄な方が

「おらっ、さっさと来るんだよっ!」

と言って、エウァを連れ去ろうとその手を掴んだ。

「いたっ! やめて……」

苦痛に顔を歪ませるエウァ。持っていた紙袋がバゲットごと地面に落ちる。

次の瞬間。

チギリの拳が小柄な男の顔面にめり込んだ。はるか後方へ吹っ飛び、ごろごろと転がって止まった。小柄な男は痙攣していた。

えええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー?

お前、そこで殴っちゃうのかよ。

ガム、サキ、ドゥイズの三人が心の中で叫んだ。

そしてチギリが背の高い方に向き直る。

「エウァに手を出す奴は僕が許さない……。今すぐあのチビを連れて僕の目の前から消えろ」

「ひ、ひぃっ! すみませんでした!」

チギリに威圧され、背の高い方は倒れている小柄な方を背負い、ふらふらと走りながらその場から去っていった。

チギリは服のほこりをぽんぽんと、払った。

「エウァ、ケガはない?」

「う、うん。チギリこそ大丈夫?」

「僕は平気……って言いたいとこだけど、さすがに痛いや」

地面にへたり込むチギリ。エウァはハンカチを取り出し、チギリの切れた頬に当てた。白いハンカチが血に滲む。

「ありがとう、チギリ。ボクを守ってくれて」

「君を守るのが、僕の役目だからね」

はにかみながら、チギリが言う。

「それより、バゲットが」

チギリが地面に落ちたバゲットを指さす。エウァがバゲットを拾い上げ、チギリに向き直る。

「チギリは三秒ルールって知ってる?」

「三秒ルール?」

「落ちた食べ物は三秒以内に拾えばセーフってルールだよ」

「でももう、とっくに三秒なんか」

「んもう、やだな」

エウァは腕組みし、精一杯踏ん反りかえって


ボクを誰だと思ってるの? 『時の番人』の次期当主だよ。いつ三秒経ったかはボクが決める。


と言った。そのセリフにチギリは数秒あっけに取られたあと、「はは。確かに」と笑った。

「チギリ、今日は遅れてごめんね」

チギリは一瞬わからなかったが

「ああ、待ち合わせの時間の事?」

と答えた。こくりと頷くエウァ。

「今日までにどうしても片付けておかないといけない仕事があって、それを前倒ししてやってたら時間に間に合わなかったの……」

髪の跳ねているのも、目の下にくまができているのも、そのせいらしかった。

「ううん。僕の方こそ、強引に日にちを決めてしまってすまない」

謝るチギリ。二人の間にぎこちない空気が流れた。

「……チギリ、その胸はどうしたの?」

エウァが指さした先には、不自然に膨らんだチギリの胸元。

「ああ、これか」

服の中に手を入れ、胸からあるものを取り出すチギリ。それは包装紙に包まれた細長い小箱だった。先ほどのいさかいのせいでところどころへこんだり曲がったりしている。

「エウァにプレゼント。それと、僕にも」

「? チギリにも?」

「開けてごらん」

包装紙を破らないように、丁寧に開けるエウァ。中の小箱の蓋を開けると、中から銀色の腕時計が出てきた。それも二本。

「……ペアウォッチ」

「うん。何かお揃いのものの方がいいかな、と思って」

「ありがとう、チギリ。……あ、割れてる」

「え!?」

慌てて確認するチギリ。ペアウォッチのうち小ぶりな方、つまりエウァに渡すつもりの方の文字盤を覆うガラスにヒビが入っていた。

「しまった……、さっきの喧嘩で……」

「ねえ、ボクにつけてよ」

「え?」

「いいから」

促されるまま、ひび割れた時計をエウァの左手首に巻くチギリ。

エウァは腕時計を太陽にかざすように左手を上げ、それを見上げる。

「壊れてるのに、いいの?」

「チギリがボクを守ってくれたって印だから」

エウァは、えへへ、と嬉しそうに顔をほころばせた。

「ほら、チギリも」

チギリは今までつけていた腕時計を左腕から外した。そして新しい腕時計をエウァにつけてもらた。

「お揃いだね。ふふ」

「うん。そうだね」

二人はそのままどこかへ歩き出した。

幸せそうな二人の様子を物陰からその様子を見ていたガム達三人。

「なんとか収まったみたいだな……」

胸をなでおろすガム。

「しかし殴ったのはまずかった……」

ちらりとドゥイズを見やるガム。そのドゥイズはハンカチを噛みしめ、

「おのれチギリ……わが娘から手厚く看護されおって……。どうしてくれようか……!」

と、呻いていた。チンピラ(グロピウス家の護衛)を殴ったのは、特に問題になってなかった。

「次はそううまくはいかんぞ。覚えていろ……」

すっかり悪の組織の親玉のようになってしまったドゥイズ。次の瞬間、真顔に戻ると

「ガム君。今日は付き合ってくれてありがとう。またよろしく頼むよ」

と言った。

「ええ。お世話になりました。今後ともよろしくお願いいたします」

仕事の方で。と心の中で付け加えるガム。ドゥイズはチギリ達がいるのとは反対の方へ去っていった。仕事はキャンセルしたと言っていたが、これから大量の仕事の山と格闘しなければならないのだろう。

「一件落着したようだし、あいつら今日は大丈夫だろ。帰るぞ、サキ」

ガムがサキに声をかけると、彼女は口元を手で押さえていた。もともと色白の顔が、今は青ざめて見える。倒れそうなサキの両肩をガムが掴む。

「どうしたサキ? 大丈夫か?」

「……気持ち悪い。吐きそう……」

「今日は暑かったからか……? 無理させたな、すまん」

ちょっと辛抱してくれよ、とガムはサキを背負って家路についた。朦朧とする意識で、サキは呟く。

今日は暑かったから……? そうじゃない。私はあのエウァとかいう女を見てると反吐が出そうになる……。


◆◆◆


後日、エウァがガムの自宅に訪ねてきた。

「こないだチギリとデートしたんだけど、とても楽しかったんだ」

「そりゃ重畳だ」

応接室のテーブルをはさんでソファに座るガムとエウァ。

「チギリはお前と喧嘩してるって言ってたが?」

「ああ、あれはボクの誤解だったよ。頭ではわかってたんだけど、チギリがきれいな女の人と一緒にいると、なんでか目の前が真っ赤になっちゃって」

「血は争えねえな……」

「え?」

「何でもない」

そこにサキがトレイに紅茶の入ったティーカップをを乗せてやって来た。

「よろしければどうぞ」

エウァの前のテーブルに、たんっ、ときつめにカップを置くサキ。紅茶の中身が数滴、テーブルに飛び散った。

「サキ、もうちょっと丁寧に置け」

「あら、ごめんなさい」

ぺこりと頭を下げると、サキはさっさと部屋から出て行ってしまった。

「あの子はガムの親戚?」

「いや、こないだ雇った俺の助手だ」

「へえ、きれいな子だね」

「お前と同い年だ」

「きれいな子だね……!」

言葉にとげを仕込むエウァ。彼女は手に持ったカップの取っ手を砕かんばかりの力を加える。どうやら自分の幼い容姿にコンプレックスがあるようだ。

「お前の家と違って食器は貴重なんだから壊してくれるなよ」

「ボクが怒ってるとでも? そんなわけないじゃないか」

まずいと思ってか、ガムは話題を変えることにした。

「その腕時計、どうしたんだ?」

エウァの左手首を指して言うガム。

「これ? チギリにもらったんだ」

エウァは話した。デートの時にチギリからペアウォッチをもらったこと。その前に暴漢に襲われて喧嘩になったこと。その結果時計の文字盤を覆うガラスが割れてしまったこと。

「でもいいんだ。チギリがボクを守ってくれた印だから」

愛おしそうに腕時計に目を落とすエウァ。

「じゃあ、デートは上手くいったんだな?」

ううん、と首を振るエウァ。

「途中でひったくり犯に出くわしちゃって。チギリが捕まえに行ったきり戻らなくて。結局その日はそれでお開きになっちゃった」

目を離した途端これかよ。ガムはひとりごちた。

「ん? 何か言った?」

「いや、何でもない」

二人はしばらく他愛もない話をして過ごした。帰り際にエウァが紙袋をガムに渡した。

「これ、お父様から。ハンカチのお礼だって。ハンカチってなにがあったの?」

「ああ、以前ちょっとな」

「ふうん。まあいいや。またね」

言って、席を立つエウァ。ガムが部屋の外に声をかける。

「おーい、サキ。お客様がお帰りだ。お見送りしろ」

しかし、返事はなかった。

「…………?」

ガムは不審に思ったが、そのまま自分がエウァを玄関まで送り出した。

エウァを見送ったあと、ガムは台所にサキを探しに行ったが、サキはいなかった。

「おかしいな……。寝室か?」

ガムは寝室の前に行き、扉を開けた。サキは部屋の隅で膝を抱えてうずくまっていた。

「サキ?」

ガムの声にサキが振り向く。その顔は蒼白だった。

「どうした? 気分が悪いのか?」

ガムがサキのそばに行き、腰を下ろす。

「ガム……わたし……」

「どうしたんだ?」

「わたし……あのエウァって女が大嫌い……! あの女は、わたしと違って、すべて持ってる。みんな、みんな私にはないものだ……。あいつを見てると、ほんとうに、いらいらする……!!」

家。親。当たり前のものを持ってないサキは、きっと羨ましくて、妬ましくて、寂しくて、悲しいのだろう。

「どうしてなの? どうして私たちはこんなにも違うの? わたしはお父さんを殺されて、お母さんもぼろぼろになって。わたしのお父さんが何か悪いことした? わたしのお母さんが何かひどいことした? わたしだって、何も悪いことなんてしてない。でも、わたし達はばらばらになった。でもあの女は裕福で、両親からも愛されて、何不自由なく暮らして。

どうして、どうして、どうして?…………」

サキが答えのない問いを投げかける。ガムの中にあの苛烈な女の言葉がよみがえった。

世界は搾取する。弱いものから何もかも。

世界は淘汰する。弱いものを真っ先に。

そう言って、彼女は永遠の闇の中に落ちていった。この世界に哄笑を残して。

確かに、この世は理不尽だ。富める者はますます豊かになり、下の者が現在の地位を上げることは容易でない。ガムも同じような目に遭ってきた。だから、彼に言えることもある。

「サキ、お前に降りかかった理不尽の原因はお前や、お前の両親のせいじゃない。でも、現実を受け入れなきゃならない。それが、どんなに理不尽でもだ」

「…………」

「そこから、どうやったら自分が幸せになれるかを考えよう。俺も一緒に考えるから、な?」

言ってガムはサキの頭にぽん、と手を置いた。

「………………うん」

「少し寝ろ。疲れたろ?」

「………………うん」


◆◆◆


サキが目を覚ますと、部屋の外からいい匂いがした。泣き疲れたせいか、腹も空いている。ベッドの上でけだるい体を起こし、のろのろと立ち上がる。ふらついた足取りで寝室を出て、台所に顔を出す。するとテーブルにはスープや豆の料理が並んでいた。

「起きたか。もうすぐ夕飯だから呼びに行こうと思ってた。まあ、座れよ」

ガムに促されるまま、サキはテーブルにつく。

「喜べサキ。今日はとっておきがあるんだぜ?」

「とっておき?」

「これだ」

ガムが取り出したのは、昨日ベーカリーで見たバゲットだった。先ほどエウァがガムに渡したものだった。

それを見た瞬間、サキの目が輝いた。

「えっ? なんで? えっ?」

「昨日のハンカチの礼だそうだ。ドゥイズからのな」

言ってみればグロピウス家からのプレゼントになってしまうから、エウァを嫌いなサキが嫌悪感を示さないかとガムは心配した。しかし

「それっ、わたしっ、食べたいっ、早く!」

と非常に素直な反応を見せた。それを見てガムは思った。

どんな小さなことでもいいから、サキにこれからいいことがいっぱいありますように、と。


            ―――浮気?本気?チギリとエウァのデート―――END


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