第4章その3 ぷにぷにとモフモフ


「よ、よぉ、睦実ちゃん」


 私がノックをすると、キブェはぎこちない笑みを浮かべながらも部屋へ迎え入れてくれた。


「あの、シェマルに言われて、これ……」


「これ? あー、夕飯ね! 持ってきてくれたんだ。悪いね、わざわざ」


「いえ……」


(くぅ……! 落ち込んでるくせに元気な振りをする葵智嗣ボイス、最高かよ!)


 予想外の萌えをいただきながら、私はトレイを彼に手渡す。


「…………」


「…………」


 コミュ障ゆえに気の利いたセリフが何も浮かばず、私たちは曖昧な笑みを浮かべたまま黙り込んだ。


(えっと……、こういう場合、ソフィアならどうするんだろう)


『食べる間、お話ししてもいい?』

『一緒に食べてもいい?』


(いや、これ、ソフィアみたいな美少女が相手だから嬉しく感じる台詞であってだな。私みたいなモブ顔が目の前でボサーッと立っていても邪魔なだけ。だったら……)


『じゃあ、ごゆっくり』


(これで退散、それ以外の選択肢はない)


 そう思い、口を開きかけた時だった。


「やっぱ、怖いよな。俺のこと……」


「えっ……」


「獣の姿になっちまう上、それが豹だってんだからさ、ははっ……」


「…………」


「あ、怖いなら無理に俺に関わろうとしなくていいよ。夕飯持ってきてくれてありがとうな!」


 キブェの痛々しい微笑みに、胸が痛む。その声音には萌えるけど。


(キブェが怖いかと聞かれれば、答えは『怖い』だわ……)


 それは彼が獣人変化できるからじゃない。神絵師の手によって生み出された超イケメンキャラだからだ。


 三次元のイケメン怖い。


(でも……)


「豹の姿は怖くない」


「へ?」


「むしろ、豹の姿でいてくれた方が、私は安心できる」


「……ひょっとして、慰めてくれてんの?」


「…………」


「いやいや、いくらなんでもそりゃ言い過ぎでしょ!」


 キブェが空々しく大声で笑う。


「豹の姿の方がいいなんて、ないない。こんなの親兄弟でさえ嫌がって……」


「に、肉球……!」


「にくきゅう?」


「豹の姿の時の、手のここ……、ぷにぷにしてみたい」


「は……はい?」


「それから、豹の姿の時のここ、胸の辺りの毛を一度モフモフしてみたい」


「…………」


(何言ってんの、私は!)


 ついさっきまで知らなかったとはいえ、豹の姿はキブェにとってコンプレックスなのだ。それを面白半分にプニりたいだのモフりたいだの……。


「いいよ」


「!」


 キブェは立ち上がると、腕をぐるぐる回し、軽くストレッチを始める。


「ちょーっと待っててね。変身するの、結構気合い要るから」


「う、うん……」


 やがてキブェは大きく息を吸うと、ぐっと体に力を込めた。


(わ……!)


 布越しにも分かる。彼の筋肉が引き絞られ、そして岩肌のように盛り上がっているのが。


「…………」


 やがてその体が金色の光に包まれたように見え始める。金色の獣毛が彼の体を覆ってゆく。ついには頭の形も完全に豹のものへと変化した。


「……どう?」


 おどけた仕草で、キブェは片手を腰に、片手を私の方へと向けた。


 その手の指先に燦然と輝くのは……。


「っ! ふ、ふぉおおおお!」


「えっ?」


「ぷにぷに! ぷにぷにが!!」


 私は勢いよく、彼の片手に飛びつく。


「うわっ!? な、何、睦実ちゃん……」


「ぷにぷにだ……、本物の獣人のぷにぷにが……。おお、結構ザラザラしてる。でもこの弾力……おぉおお!」


 私は緩衝材をぷちぷちする手つきで、彼の肉球を高速でプニる。


「た、楽しいのかな? こんなのが……」


「楽しい!!」


「そ、そう……。ははっ……」


 キブェが完全に引いているのは感じ取っているが、そんなもの、獣人の肉球の前では些細な問題だ。


「ぷにぷに……最高……ふぉおおお……」


「……ふっ、くくっ……」


 手が小刻みに震えているのに気付き、私は顔を上げる。すぐ目の前に、笑いを堪える豹の顔があった。


(あ、怖くない……)


 獣人変化したキブェもイケメンだ。いや、イケモだ。けれど、人型のイケメンを相手にしている時のような恐怖は感じない。ついじっくり見入っていると、キブェが恥ずかし気に視線を逸らした。


「えぇっと、次は胸の毛モフモフだっけ?」


「!」


「どうする? 触る?」


「お願いします!」


 私は目の前にある白い胸の毛に、両手を埋める。


「ほわぁ~……」


 まるで湯船につかっている時のような、気の抜けた声が出た。


「あったかい……柔らかい……」


「…………」


 柔らかな毛に覆われた胸。私の手の下でトクトクと鳴る鼓動。


「…………」


「どうしたの、睦実ちゃん? 黙り込んで」


「あ、あの……」


「ん?」


「出来れば、胸のモフモフに一度顔を埋めてみたいなぁ、なんて……」


「えっ?」


(あ……!)


 ようやく私は正気に戻る。


「あっぶなぁい!! だ、駄目だ、それは、さすがにっ!」


「そ、そうだよ、睦実ちゃん。こんな姿でも一応、俺も男……」


「ミサの嫁にこれ以上のご無体をするわけには……!」


「は? 嫁?」


 私は慌てて彼から少し距離を置く。


「セクハラしてすみませんでした! 訴えないでください!」


「いや、訴えないけど……。何? 嫁って?」


「あぁ、えぇと……」


 私は自分の髪の先をいじる。


「実は私の親友が、キブェの、その、ファンと言うか、大ファンと言うか……」


「ええっ!? 俺の!?」


「なので、私が彼女を差し置いてこんな真似させてもらったことがばれたら、凄く嫉妬されるだろうし、いや、彼女は別に同担拒否じゃないけど、でも気を悪くするのは確かだろうし、ひょっとすると友情崩壊……、それはまずい……、それだけは避けたい……」


「そ、そうなんだ……。大変だね」


 キブェの肉球つきの手が、私の頭を軽くタップする。


「でも俺のこの姿を見て、こんな風に喜ぶのは睦実ちゃんだけだよ」


「いやいや! ミサもキブェの獣人姿に心の底から惚れこんでるんで! 1粒で2度美味しいって!」


「ひ、ヒトツブデニド……?」


「え、あー……」


 獣モードとマッシヴモードで2種類のエッチなシチュエーションが楽しめると、ミサは妄想していたわけだけど。


(さすがにそれは言えないな、はは……)


「獣人の姿で前衛を、人間の姿でブーメラン使って後衛をやれるあたり、キブェは戦闘時にすごくお役立ちだな、って」


「あぁ、なるほどねぇ。

……ん? あれ? ちょっと待って?」


 キブェが怪訝な表情になる。


「睦実ちゃんの親友が、俺のことそんな風に? 俺がここに来てから豹の姿になったのは、今日が初めてなのに?」


「へ? あ……!」


「親友って、俺がここに来た時、睦実ちゃんの側にいた女の子だよね? どっちがミサちゃんなのかな。オリーブ色の肌の背の高い子? 小柄な黒髪おかっぱちゃんかな?」


「ううん、あの2人はミサじゃないわ。背の高い方はディヴィカ、小柄な方は雪梅。ミサはまた別」


「へぇ、睦実ちゃんて友達多いんだ。いいなぁ」


(多くないよ! ミサがほぼ唯一の友達だよ!)


「まぁ、何にせよ君の友達が俺のこの姿に惚れてるってのは嘘だね」


「…………」


(嘘じゃ、ないんだけどなぁ……)


 信じてもらいたくても伝えられないもどかしさに、私は小さく溜息をつく。


「ま、睦実ちゃんが俺を元気づけようとしてくれた気持ちは、十分伝わったよ。それに、睦実ちゃんが俺のこの姿を気に入ってくれてることも、本当みたいだし。ありがとうな!」


 キブェの手が、私の頬に軽く触れる。


(ふぉおおお!! 肉球がほっぺに! 肉球が!)


「ははっ、睦実ちゃんはこんなので元気になるから、面白いな」


 ひとしきり笑った後、キブェは申し訳なさそうに頭を掻いた。


「あー、悪いんだけどさ。そろそろ人の姿に戻ってもいい?」


「え?」


「いや、お腹すいてきちゃってさ。でもこの口だと、サンドイッチは食べにくいんだよね」


「あ! 戻って戻って! 私のことは気にせず!」


「うん。で、さ、良かったら食べる間、俺の話し相手になってよ」


「えっ?」


「1人で食べるの、俺、寂しい。ね、睦実ちゃん」


「うぁ……、は、はい……」


(葵智嗣ボイスでリアルネーム呼ばれて、甘えたような囁き声でお願いされて、声ヲタの私が断れるわけがないだろう!!)


 私はギクシャクした動きで、ベッドサイドの椅子に座る。

 すでにキブェは人の姿に戻り、サンドイッチを頬張り始めていた。


「ん? これ、1人分にしては多いな。睦実ちゃん、夕飯食べた?」


「いえ、まだ……」


「んじゃ、これ多分2人で食べろってことだよ。ほら、食いな」


「っ!」


 いきなり口元にクロワッサンサンドを突きつけられ、反射的に真剣白刃取りのポーズで受け止めてしまった。サクサクのクロワッサンの表皮が、膝の上にパラパラと落ちる。


「あ~ぁ、勿体ない。普通に口開けてくれれば良かったのに。あ~ん、って」


(出来るか! そんな、こっ恥ずかしい真似!!)


 私は首を横に振り、受け止めたクロワッサンサンドの端を口に押し込んだ。


「あははは、変なの。さっきまで俺の手とか胸、嬉しそうに触りまくってたくせに」


「…………」


 それは豹の姿だったからだ。今の正統派イケメン姿に戻ったキブェに同じことは出来ない。


(大丈夫、触れなければVR……触れなければVR……)


 頭の中で呪文のように唱えながら、私は黙々とクロワッサンサンドを口に運んだ。


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