第24話 パーフェクトヒューマン

 毎日仕事に追われる父。専業主婦の母。冬は主に休んでいる祖母。そして学生生活を送る千春と美咲。代々続く農家の5人の家族に問題が起きた。


「うぎゃー!! 無理無理! まじ無理!」

 寒い冬の日の夜。たまたま家に早く帰宅してお風呂に入っていた美咲が浴室で叫んでいる。その後すぐに、浴室から呼び出す音が鳴った。その音を美咲以外の家族がリビングで聞いていた。

「んもう。何よ、もう」

 しぶしぶ母が浴室の方へ向かう。何やら話して1分もしないうちに母が戻ってきた。

「ねえ、大変……もう、大変よ」

 暗い顔をしながら母は言う。誰も何が大変なのかとは聞かなかったが、母は続ける。

「お風呂が、壊れた……」

「ええ? どゆこと?」

 千春のイメージするお風呂が壊れたというのは、お湯をためられないようなヒビが入ったということしか想像できなかった。しかし、それなら姉がお風呂に入ろうとしたときにわかるはずである。姉が入浴してからまあまあ時間が経っているから違う気がする。

「シャワーがでないって。でなくなる前に、お湯が急に水になったらしくて、叫んだみたいよ」

「水はしんどすぎる! そりゃ叫びたくなるなあ……シャワーが出ないってことは、湯船のお湯で全身を洗えってこと? なんだかなあ……」

 家族の人数が少ないのであればそれでもかまわないが、5人家族にもなると最後に入浴した人は、汚れた湯で洗わなくてはならない。気が進まない。

「そうだわ! 脱衣所のところの洗面台で頭を洗うこともできるんじゃないかしら? 洗面台の深さもあるし、お湯もでるわよね?」

「そりゃ、無理だな」

 父は母の案をすぐ否定した。そしてその理由を語る。

「洗面台と風呂場は元の栓が一緒だから、今洗面台を使おうとしても、水もでないだろうよ」

 冷静に言った。そんな父に、母は少し怒ったように言う。

「じゃあどうするっていうのよ? みんなで温泉にでも行くの?」

「外でなんか起きてるんじゃないかえ?」

 今まで黙って聞いていた祖母が口をはさんだ。外とは何か。千春にはわからない。

「そうだなあ。外のポンプが悪いんだろうな。ちょっくら行ってくるかー。千春、風呂であったまりたいのなら、懐中電灯持ってついてこい。すぐ直るから」

「そりゃあったまりたいし。もう……行けばいいんでしょ、行けば」

「すぐ直るのね? 美咲にしばらくそのまま湯船に浸かって待ってるように言っておくわ」

 母は再び浴室へ向かう。千春はリビングにあった大きい懐中電灯を持って、父の後を追って外に出た。


「寒い! 寒い!」

 雪は降っていないが、息を吐けば白くなるような寒さだ。家の中でぬくぬくと温まりながら過ごしていたので、温度差に驚いて声がでる。父も白い息を吐きながら歩いていく。暗いがあかりがなくても人の姿を認識できる暗さである。父についていってたどり着いたのは、脱衣所の裏であった。

「ほれ、電気つけい。んで、こっちを照らして」

 父にせかされ、もっていた懐中電灯のスイッチを入れ、父の方を照らす。父の前にはポンプがあった。

 千春はこのポンプの存在は知っている。さすがに自分の家の敷地内にあるものくらいはわかる。

「これのここをあけて、それでこうして、こうして……」

 何やら言いながらやっている父だが、千春はただ棒立ちしてみるだけ。寒いから早く家の中に入りたかった。

「終わった。おい、美咲! もうシャワー使えるんだろ!?」

 家の中まで聞こえるように美咲に声をかけた。家と家が離れているので、ご近所迷惑にはならない。

「でたー!! でた、でた!!」

 お風呂の中から美咲の喜ぶ声が聞こえた。

「あー寒い。戻ろっと」

 千春と父は寒い寒いと言いながら、リビングへ戻った。


「あれの調子が悪いなら、もういっそのこと修理業者に頼んじゃえばいいじゃんか」

 リビングに戻り、ストーブの前で温まりながら、ソファーでくつろぐ父に言った。父は新聞を見ながら答える。

「業者なんて知らないし。あれつけたの俺だし。直せば使えるんだし、いいの。でも、ちょっと古いからなあ……部品買ってきてつけるか」

 ポンプを付けたのは父であった。仕組みはよくわからないが、父はいつパーツを買ってくるかで悩んでいる。

「パパにできないもの、あるの?」

「ないな」

 即答であった。料理も一般的なレベルでできるし、魚をさばくこともできる。先ほどのような、ポンプを修理することもできる。少し前にはトラクターの修理をしていた。

 千春も父自身も、父ができないことがわからなかった。そんななんでもできる父が好きであった。

「あ、家の裏の方の塀あるじゃん? あそこさー、ガキのときに野球のボール投げで練習してたら、ヒビ入っちゃってさー。やばいと思って、それを直したんだよ」

「ああ! あのへんな風になってる塀あったね。パパがやって直したんだ……そのころからなんでもできたんじゃん……」

「できたんだなあー。なぜか」

「じいちゃんに教わったの?」

「親父か? 覚えてないなあ」

 父はとぼけた顔をしている。亡くなった祖父か祖父の父、千春にとっての曽祖父にでも教えてもらったのだろう。それにしてもハイスペックな父である。

 祖父が何かを修理している姿は見たことがない。農機具の調子が悪いと、父がどこが悪いのか調べて修理していた。歳をとったから、修理もできなかったのかもしれない。若いころはなんでもできたのかもしれない。ハイスペックな祖父を見ることはできなかった。

「千春も結婚するなら、パパみたいななんでもできる人にした方がいいわよ」

「いやいや、ずっと先でしょ、それ」

 今までの会話をすべて聞いていた母がお茶を飲みながら会話に入ってくる。

「でも本当にこういう人と結婚しなさい。楽よ」

 祖母はトイレに行っているようでリビングにはいなかった。さすがに祖母がいるときにはそんな話はしない。

「結婚するなら、ゴキブリと戦える人にするわ」

「お前、ゴキブリもたたけないのかよ。姉ちゃんを見習えよ。あいつは捕まえようとするぞ」

「無理無理。とりあえずゴキブリでたら姉さんに頼むや」

 姉の美咲は生き物には強い。庭にでた蛇を素手で捕まえては、猫と遊ばせたり、田んぼでおたまじゃくしの卵をとってきて、虫かごに入れて観察していた。カタツムリも拾ってきて飼っていたし、ペットショップでイモリを買ってきたり、野生のヤモリを学校帰りに捕獲して持って帰ってきたこともある。最近では学校の解剖実験で使ったと言って、同じ種類の蛙を買ってきた。要するに美咲は変わっているのだ。

「千春は弱いなあ。虫ぐらいとればいいのに」

「虫は無視する」

 虫についてトークしていたら、お風呂から美咲がでてきた。

「パパ、蛇飼いたい」

「それだけは許さん。無理。やめてくれ」

 修理も料理もなんでもできる父ではあるが、唯一嫌いなものが蛇。どんな生き物を飼っても何も言わなかった父だが、美咲の蛇を飼いたいということだけは許さない。

「じゃあ、今度違うもの買お~」

 すぐに蛇はあきらめ、何やらるんるんしながら、美咲は自分の部屋へと向かっていった。その姿を見ながら、父も母も千春もあきれた顔をした。



 翌日にも問題が起きた。

 今度はトイレの調子がよくない。一度水を流すと、そのあと止まることなく水が流れてしまうのだ。幸いにも父がまだ会社へ行くよりも前にそのことがわかったので、昨晩同様、父による修理が始まる。

 トイレのタンクを開け、何かをいじる。それだけで水は止まった。

「トイレはもうだめだなあ」

 父は直している父を見ていた。

「なんで? 古いから?」

「トイレはもう古いから、買い替え時だよ。うん」

「ふーん」

「とはいっても今のトイレって結構大きいよなあ。入ればいいけど」

 千春の家は築40年は経っている。家を建てたときから使われているトイレはもう寿命であった。お風呂場に関しては、1度リフォームをしている。

「直せないものもあるんだね」

「一応いじれば水は止まるから直せてるでしょ。ただ、トイレに入るたびにこんなのやってちゃ手間かかるし、水道代が馬鹿高くなるからな。新しくするかあ……」

 父はぼやいた。

「週末にでもホームセンターにトイレを見に行くぞ。選びたかったら来るんだな。でも、大きさが小さくないと無理だから」

 昔ながらの家なだけあって、トイレのスペースが狭い。それにトイレの扉は、普通のドアノブが付いた扉ではない。すりガラスになっている扉であった。

「ドアも変えられないの?」

「洗面台あるから無理」

 トイレの前にも洗面台があった。脱衣所にある洗面台とは違う洗面台だ。これがあるので、普通の扉を使うことができない。

「いいでしょ、この扉。これ、お風呂場に使う扉なんだぜ? それにトイレの中が透けないようにシールを張ったのはパパだから。ママがどうしても貼ってくれっていうから貼ったし」

「だからか! 他の人の家でどうもこんなトイレの扉を見ないわけだ。お風呂の扉って言われたら、なるほどって思う……」

 お風呂のガラスは中に人がいるのがわかる。トイレでもよくわかってしまう。嫁入りした母はさすがに見えているのは嫌だったようだ。

「もはや、パパは何者……」

 小さな声でつぶやいた。千春は今日も飽きれたが、なんでもできる父が自慢でり、父のことが好きである。昨日母に言われた通り、結婚するなら父のような人としたいと思った。

結局トイレのリフォームが終了したのはこれから1ヶ月も経った頃。それまでの間、何度も水が止まらなくなり、水道代が高かった。

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