第23話 父の休みなんてなかった

 いつもの週末を迎えようとした金曜日の夜。それは突然にやってきた。

 お風呂からあがってリビングのソファーで千春と一緒にテレビを見ていた父が、いきなり言い出した。

「明日、海いくぞ」

 今は2月。海水浴なんてできる季節ではない。もっと言えば、千春の家の人たちはみんな海なんて好きではないし、行かない。それに千春は泳げない。この父はついに頭がおかしくなったのかと思った。

「そんな目でこっちを見るなって。ほほいのほいっていけるじゃんか」

 千春は冷たい視線を父に送っていた。すぐに海にいけるようなところに住んではいない。というより住んでいる県に海はない。何を言っているのか。

「だってママが行きたいっていうんだもん」

 母は今入浴中だ。父はいつも母の尻に敷かれるように過ごす。テレビの主導権も母。買い物行ってきてって言われたら、二つ返事で行ってくる。夫婦喧嘩をしているところは見たことない。

「いってらっしゃーい」

「行かないのかよ」

「行かない。いってらっしゃーい」

 冷たい視線を送ったまま手をひらひら振る。もともと外出は好きではない、面倒くさいと思う千春は、行きたくなかった。

「うまい魚食えるぞ? あ、ここに行くんだよ」

「いや、魚とか好きじゃないし。こんな人いっぱいいるのやだし」

 テレビで魚市場を紹介していた。人にあふれている。

「俺も行きたくなんかないわ……でもママがさ……」

「何よ? ママがなんだって? どうしても行きたいのよ」

 本音を言えば行きたくなかった父は母のことを愚痴ろうとしたとき、お風呂から上がった母に見つかってしまった。母は笑顔ながらも、文句は言わせないような雰囲気を醸し出している。

「さっ、明日行くんだから早く寝るの。千春も行くなら連れてくわよ、パパが。ママはもう寝るわ。でもパパは道とか調べてよね」

「何? 車で行くの? 電車で行けばいいじゃんか」

「電車なんて嫌よー。パパの運転で行くの」

「パパかわいそー」

 父は黙っていた。母も免許はあるし、自分用の車がある。しかし、父がいるときは父が運転していた。会社で疲れているであろうに、父の運転で数時間かけて海まで行くようだ。電車の方が父にとっては楽である。運転するのが嫌で行きたくないのかもしれない。

「はいはい……朝4時起きだぞ……もう」

 農作業で早起きするのとは違う。早起きしてずっと車を運転しなければならない。落ち込んだ様子で母に連れられてリビングを去っていった。

「明日の夕ご飯はごちそうだ……」

 暗い父の背中と、るんるんしている母の姿を見てつぶやいた。

 翌日の早朝。車がでていく音が聞こえたが、ベッドからでることなく再び眠った。


 8時になると、千春は祖母に起こされた。朝食の準備ができたらしい。父も母もいないので、今朝は祖母の作ったご飯だ。

「おはよう。ご飯はなあに?」

「白菜の漬物と野菜炒めよ。これうちでとれた白菜漬けてみたんだけどどうかい?」

 リビングへ行くと祖母はご飯をよそっていた。その後、冷蔵庫からボウルに入った白菜をお皿に出していく。冬には白菜がとれるので、鍋だったり漬物だったり、シチューにも白菜が出てくる。その季節にあった野菜が嫌というほど食卓に並ぶ。千春が記憶にあるうち、一番嫌になったのは春のジャガイモだった。ある年に、種イモを5キログラム買った。その種イモを半分に切ってまくので、大量のジャガイモがとれたのだ。初めて収穫したときは、ジャガイモをふかして食べて満足していたのだが、だんだん食卓に並ぶジャガイモ料理が増えた。カレーには大きめに切られたジャガイモを。味噌汁にもジャガイモ。次の日にはポテトサラダ。また次の日にはコロッケ。といったように毎日ジャガイモ料理になったのだ。しばらくジャガイモは見たくなくなった。

 それに比べて白菜ならまだましである。ジャガイモのように数多くできるわけではないからだ。

「寝てる美咲は後で勝手に食べるだろうし、先に食べるよ」

 祖母と2人で朝食をとった。白菜はまだ漬けてからそんなに日がたってないような味がした。


「千春、暇なら手伝ってくれないかい?」

「暇してるよ。今日は何するの?」

 祖母はお茶を飲み、千春が自分と祖母の食器を洗っていた。

「伸びきった木を切らないとねえ」

「私はなにするのさ?」

「切ったくずを裏に運んでおくれ」

「はーい」

 しばらく放置していた木の形を整えることになった。農家の家なだけあって庭が広い。木も茂っている。


 片づけも終わり、汚れてもいい服を着て祖母の手伝いをしに外へ出た。いつも何気なく見ている木は、よく見るといびつな形であった。

 祖母は木を切るための大きなはさみと、青いビニールシート、そして一輪車を用意していた。

「んじゃ切ってくから、たまったら適当に一輪車に乗せて運んでね」

 そう言って祖母は千春に軍手を手渡し、ビニールシートを広げ、チョキチョキと木を切る。もう手慣れているようで、時にはバッサリと切っていく。千春はもらった軍手をつけて、大きな枝は手づかみで、小さな枝はホウキを探してきてまとめて一輪車に乗せていく。そろそろいっぱいになったかなと一輪車を持ち上げる。そこまで重くないがバランスをとるのが難しい。捨てる場所まで細い道を進む。途中でよろけながらもなんとかこぼさずに運んだ。

 この一輪車を父も祖母もよく使う。何キロもある肥料をいくつかのせて運ぶのだ。今千春が運んだ枝と比べれば、もっと重いしバランスもとりにくい。一輪車なんて余裕だと思っていたが、筋肉もない、運動もしない千春にとって重労働であった。

 始めてから2時間ほどたっただろうか。最後の枝を運び終わった。

 枝が伸びきっていたサルスベリの木は、とても短くなっていた。

「こんなに切っちゃっていいの?」

「枯れたら枯れただ。 きっと大丈夫だ」

 なぜか自信がある祖母は使った道具を片づけ始めた。千春も手伝う。

 すっかり見違えるほどスッキリした木を見て、何をしているのか見に来た姉の美咲はポカーンとしていた。


その後祖母は買い物へ行き、やることもなくなった千春は、ポカンとしていた美咲とともにテレビを見て過ごしていた。

「お前、どこに進学するん?」

 唐突に姉に質問された千春は、姉の方を見ることなく、さらっと答えた。

「理系。国立は無理だから私立だけど。そういう姉さんは就職どうすんのさ?」

「就職? しないしない! 院いくわ」

「まじでか。初耳」

 大学院に行くということを初めて聞いた千春はぎょっとして姉を見た。姉は普通に話す。

「ふつうじゃね? 別に。結構いるし」

「へえー……学費は?」

「しらね」

 お金のことは何も考えていないようだ。姉とは仲直りしてからよく話すようになり、最近では姉の言葉遣いがうつってきていた。よく深く考えてしまう千春とは逆に、どうにかなると楽観的な考えの姉の美咲。正反対だからこそ、お互いにやっていけるような気がした。


 夕方6時すぎ、両親が帰宅した。リビングで出迎える。

「ケツ痛いーもう、眠いし、ママは隣で寝るし」

 帰ってきて父はふかふかのソファーに座る。とたんにあくびがでる。

「ただいまー。買ってきたわよ、おさかな。あーおいしかった」

「おかえりー。ママ寝てたんだ」

「仕方ないでしょ。運転しないときは眠いのよ、早起きだったし」

「パパ寝てるけど」

「あらあら。さ、ご飯にするわよーばあちゃんも美咲も呼んできてちょうだい」

 寝ている父を放置し、2人を呼びに行く。

 2人が来たら無理やり父を起こしてみんなで夕食。

 今日の父は食事を終えるとすぐお風呂に入り、9時には寝た。翌日の父はきっちり6時に起き、また田んぼへ向かう。1日寝るだけで、父は疲れがとれる。だから、毎日働いていられるのかもしれない。

 タフな父を見習って、早寝早起きを千春はやってみたが、早く起きた分、学校の授業中に寝てしまい、1日でやめた。

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