第16話 不穏な空気

 姉の美咲と大喧嘩してから数日がたった。

 喧嘩をしたその日に千春は美咲に謝る決意をしていたが、一向に美咲は帰ってこない。いつもなら終電間際に帰ってくるが、眠いのを我慢して待っても帰ってこない日が続いた。さすがに心配になり、学校から帰ってから、母に姉のことを聞いてみた。

「ママ、姉さん、また帰ってこないの?」

 スーパーのチラシを見ながら今日の夕ご飯を考えていた母は、チラシから目を離さなかった。

「帰ってこないわよー。最近忙しいからって大学近くに住んでる一人暮らしの友達のところにいるって連絡きてるわ。それがどうかした?」

「ほら……前に喧嘩したじゃん? あれ、ちょっと言い過ぎたかなって思って謝ろうとしたんだけど……」

 恥ずかしくなって下を向きながら千春は答えた。その姿を見た母はにっこりほほ笑んだ。

「いいことね。謝るならメールでもいいんじゃない?」

「なんかそれじゃよくない気がして。謝るなら面と向かってじゃないとなんかヤダ」

「千春は真面目ね~。帰ってくるって聞いたら教えてあげるわよ」

「うーん……」

 確かに今は携帯がある。メールなどでメッセージを送ればいい話だ。しかし、こちらが謝罪のメールを送ったら、姉は自分が正しかった、妹の方が先に謝ったのだからあちらが悪いと思うのではないか。そう考え、メールで謝るのは嫌だった。

 電話するというのも手だと思うが、あちらの授業がいつ始まっていつ終わるのかもわからない。電話に出ないということも考えられる。なのでやはり直接会って謝りたかった。

 自室へ戻った千春は悩んだ。

 謝りたくても謝れない。どうやって謝ろう。なんて言おうか。なんて言い返してくるだろうか。そして、仲良くすることができるだろうか。



 喧嘩してから一か月がたとうとしていた。その間まったく姉は家に帰ってこなかった。千春は本気で悩んだ。今までこんなに帰ってこなかったことはない。むしろ何があっても毎日家に帰ってきていた。友達の家にいるとは言ってももう一か月になる。下着は? 服はどうしているのだろうか。自分と会うのが嫌で帰ってこないのではないか。自分が何も言わなかったらこんなことにはならなかったのではないか。ただ姉に謝ろうとして反省をしていたのに、どんどん自分を責めて行った。

 勉強にも集中できず、何も手がつかないようになっていった。学校から帰ってきてはベッドで横になり、漫画を読んだり、スマートフォンをいじって過ごし、寝ては学校へ行く。母に何度も勉強するように言われたが、なにも手につかない。成績も少しずつ下がっていった。

 今日も学校から帰るなりベッドでだらだら過ごしていると、部屋のノック音とともに祖母が入ってきたので、千春は起き上がり、ベッドに座った。その隣に祖母も座る。

「千春、最近元気ないみたいだけど、どうしたんだい?」

 祖母はいつものやさしい声で聞く。祖母に心配をかけてしまっていることを知った千春は涙がこぼれそうになる。

「姉さんが帰ってこないから……」

「美咲の心配をしてくれてるのかい。お姉ちゃん思いの子だねえ」

「だって私がいろいろ言っちゃって、それで傷ついたんだよ、きっと。だから帰ってこないんだ。きっとそう」

 涙がポタポタとベッドに落ちる。泣き顔を見られるのは嫌であったので、体育座りをして顔が見えないように下を向いた。

「千春はどうしたいんだい?」

「仲直りしたい」

「それを美咲に伝えなきゃだね。でも、そこまで考えてるなら帰ってきたらすぐに仲直りできるさ。それに時間が解決してくれることもある。もう少し待ってみようね。だから今千春は、できることをしようよ」

 下を向いたままの千春の背中をゆっくりさすりながら祖母は言った。

「できることって?」

「勉強よ。美咲がいないせいで成績悪くなったなんて言ったら、美咲も困っちゃうよ」

「うーん……わかってるんだけどね……」

「まあ、落ち着いて勉強しなさいね。成績がよかったら、お小遣いあげちゃうよ」

「はは。まあ、少し勉強するよ」

 祖母はにこっとすると部屋から出て行った。

 自分が暗い表情をしていても家族に心配をかけてしまう。頭じゃわかっているんだけども、思うように体を動かすことができない。そんな自分が嫌になっていた。


 

 肌寒くなり、冬休みまであと一週間となるには、千春は学校をたびたび早退するようになっていた。

 熱はないが、気持ち悪くなり早退する。成績は一度下がったまま上がることなく、そのままの状態を維持していたので、千春の担任の教師もさぼりではないと考え、いつも心配している様子であった。

「また、早退? 病院行く?」

 専業主婦で基本家にいる母は、早く帰ってくる千春を叱ることはなかった。毎回顔色がよくなかったので、心配していた。

「いんや、熱もないしまた寝てればよくなるって」

「でもずっとその調子じゃない。そろそろ病院にも行った方がいいんじゃないの?」

「行くなら精神科な気がするよ。ほんとに気が滅入って仕方ない。体はどこも悪くないもん」

「あまりにも続くようなら連れていくわよ」

「もう少ししたら冬休みだし、休んでいい?」

「宿題は? 冬休みにでるんじゃないの? もらっておかないと」

「もう持ってる」

「なら休んじゃいなさい。先生には明日電話しとくわよ」

「んー」

 早退し、家に帰ってきてもただただ、ぼーっと過ごしていた。

 いくらたっても帰ってこない姉を心配するのと同時に、自分を責めて何もできなかった。

(自分のせいだ。なんで帰ってこない……)

 喧嘩をしたことを後悔した。


 それから千春は学校を朝から休み、ゆっくり過ごすことにした。

 スマートフォンには友人から心配するメッセージが届く。いつぞやの死んでしまいたいと言っていた友人からは特に心配しているようで、自殺なんてしないでねというような内容の長文が届いていた。

「おおげさだって……」

 メッセージを返信する気力もなく、一通り目を通すだけにした。

 毎日少しずつ学校の宿題をやっていく。それでもあいた時間は自分を責め続けていた。

 何日も友人からのメッセージに返信せずにいたら、さらに心配するメッセージが届くようになった。SNSも見るだけで何もつぶやくこともない。SNSでは千春が死んだのではないかというような噂もたっていた。

 両親も祖母も千春を心配したが、家にいる限りはいたって普通に過ごす。普通に起きてご飯を食べて部屋にこもる。話しかければ答えるし、食欲もある。1週間はやめの冬休みぐらいは許した。

(休みにしてもらったけど、正直やることも別にないんだよなー……)

 冬休みの宿題はあるけど、普通に終わるであろう量だ。別に急いでやる必要もない。そのため、日中はベッドで漫画を読んで過ごすだけで終わった。気がまぎれるし、部屋には漫画がたくさんあるためまる一日つぶせた。それを母がたまに見に来るが、何か言われることもなかった。

 そうやって過ごしているうちに、みんなより早めにとった冬休みの1週間はあっという間に過ぎて行った。

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