薄紅色の君へ

本栖川かおる

薄紅色の君へ

 君は元気にしているだろうか。そして、何をしているだろうか。同じ空のもとで何事もなく過ごしているだろうか。僕の空は薄墨うすずみかすみがいつもおおっていて、晴れているのに気持ちが悪いんだ。君の空はどこまでも高くたかく抜けていたのに。


 懐かしい空を想うと苦しくなって寂しい気持ちになるんだ。

 僕の空はもう、君のように高く青くなることはないのかな。


***



「明日。明日にしよう。卒業式が終わって、夜になったら抜け出してくればいい」




 高校に入学してすぐに君と付き合い始めたことを覚えてるかな? どちらかというと僕は華がないから、風向絶佳ふうこうぜっかな地にあこがれていたんだ。自分の住む場所――理想郷を探し当てたんだと、時を経ずして告白したことを今でも覚えているよ。雲一つない日の学校の自転車置き場で、君は嬉しそうにうなずいてくれた。一目惚れという言葉が合っているのか分からないけれど、君の周りだけが華やいで美しく見えたんだ。


しんと同じ大学に絶対行く!」


 僕が都内の大学へ進学すると決めた日に言ってくれたよね。とても嬉しくて抱きしめたくなったけど、君の父親が都内の大学への進学を認めなかった。「下宿や一人暮らしなんて許可できない。その程度の大学なら都内までいかなくても近くの私大でいい」というのが理由だった。

 親の意見なんて聞かない君は、僕が受験する大学に願書を出して二人で受験してしまった。親には私大を受けたと偽ったけれど、結局バレてしまって大変になってしまった――ごめんよ。


「僕は離れていても大丈夫だから、――毎週必ず顔を見に帰って来るから」


 そうやって何度言っても納得しない君はなんて頑固なんだと思った。離れてしまったら終わりになってしまうからと、絶対に引かなかった。

 これだけ自由恋愛が当たり前になっても、やはり君の家――この土地の名家と言われるものは世間一般と違うのだと痛切に感じたよ。折れなかった君が根負けして、やっと本心を話してくれたことが僕には信じられなかった。二人の交際を絶対に認めることはない、僕と別れるように父親から言われてたことを。きっと、君が僕と同じ大学に行けないのもそのことが原因なんだろう。


 ここは、地方の田舎町だ。東京へ行くとなると小旅行だと言ってもいい。さすがにこれだけ交通網が発達した現在では東京も近くなったけれど、それでも家を出て都内に入るまで早くても数時間かかってしまう。

 いまどきと思ってしまうけど、名家だの家柄だのを重んじる風潮がまだ根強くあるこの地域。ネット環境の整備によって都心と地方の情報速度の壁がなくなり、情報量も多く広い視野で色々と見ることが出来る時代になっても、昔からそこに住まう人々の視野は狭いままだった。


「シンが東京に行っている間に、絶対お見合いさせられると思う」

「お見合い!? 俺たちまだ十八だぞ?」


 正直、この現代に親が決めた相手と結婚をしなければならないなんて信じられなかった。君が嘘を言っているとは思わないけど、少し大げさに言っているんだと思ったんだ。僕について行くための理由付けにそう言ったんだと。


「お見合いを断ればいいんじゃないの?」

「そんなこと出来ない。出来るわけがない。シンはお父さんを知らなさすぎる。お姉ちゃんが高校時代につき合っていた彼氏と別れて、すぐお見合いしたの知ってるでしょ? あれ、本人抜きで全部決められてたんだよ。お父さんは、交際相手の家まで行って家柄が違いすぎるとか言っちゃう人なんだよ。私はそんなの絶対にイヤ!」


 君のお姉さんのことは覚えているよ。初めは君も状況を良く理解していなかったみたいで、何故お見合いしてまで早く結婚したいのか理解できないなんて言ってたけど、その後に事実が判ってお姉ちゃんが可哀そうって泣いたっけ。

 お姉さんの彼氏がどんな人だったのか良くは知らないけど、君のお姉さんのことだからきっと悪い人ではなかったはずだ。だから、お姉さんと同じようになってしまう、他人事ではないんだと君は言いたかったんだよね。

 たしかに、極々一般的なサラリーマンの家だ。僕の家柄が君のところと釣り合うとは到底思えない。


 しかし、そんなお父さんじゃ君がたとえ家を出たとしても僕の足跡そくせき辿たどればいずれ連れ戻しに来ることは目に見えている。結果がわかっているからこそ、いま家を出てこじらせることは控えて、たとえ反対されても根気よく説得を続ければいい。僕はどうしても君を親と絶交させることだけはしたくなかった。

 でも、君の懇願するような、絶望を見据えているような、とても寂しく悲しい目を見てしまったら「大丈夫。きっといつか分かってもらえるよ。だから、そのためにも君はここに残った方がいい」などと軽々しくは言えなかった。




「上りの最終電車が発車するのは、二十一時五分だ。それで一緒にこの街を出て東京へ行こう。二十一時に駅舎の外にあるベンチで待ってる」


 駅舎の左隣りに設置されているベンチ。半円形の広場の真ん中に水飲み場がある小さな休憩スペース。駅前はロータリーではなく少し広めの歩道になっていて、細い道が目の前を一本横切っているだけの小さな駅。

 一時間に二本も出ない町内を循環するバスのため、歩道に食い込む形で車道が広げてある場所にサインポールが置かれていた。

 そんな小さな駅に立派なサクラの木が一本だけ植わっている。今の時期は薄紅色の花びらが音もなくゆっくりとベンチの上へ降りそそぐ。


「本当に? ホントに一緒に行っていいの?」


 潤んだ瞳を僕に向け、君の嬉しそうに微笑んだ顔は今でも忘れられない。このときに、この先どうなるかわからないけど二人一緒に行けるところまで行ってみようと決意したよ。今、このまま君をこの場所に残しておく方が良くない気がした。


「シン! 絶対、絶対だよ。絶対来てよ。シンが来るまで私ずっと待ってるからね!」


 君は帰り際にそう叫んだ。僕が必ず来ると分かっていても訊かずにはいられなかったんだよね? 自信に満ちた君の問いかけに、僕は笑いながら大きく何度もうなずいて君が見えなくなるまで見送った。


 翌日の卒業式の壇上で卒業証書を受け取る君は少し笑えた。緊張しているのが良く分かったからね。何食わぬ顔で壇上を歩いていたけれど、手と足が同時に出てたよ。それを見て笑ってしまったけど、それが可愛くてとても愛おしく感じたのは確かだ。


 卒業式の帰り際、僕が君に言ったこと覚えてるかな?

 僕の問いかけに君は、「大丈夫。元々家を出たいと思ってたし、親にも未練はないから必ず行く」と何の迷いもなく返してくれた。


 君の答えは分かりきっているのに訊いたんだと思う。たぶん、僕はその言葉を聞きたかっただけなんだ。ここから先に待ち受けていることが不安で仕方がなかったと思ってもらっていい。君より僕の方が臆病風に吹かれていたのは確かだ。でも、サッパリとした君の強い返事を聞いて、僕も何があっても逃げずに受け止めようと思った。


 でもまさか、君が約束の時間に来てくれないなんて思ってもみなかった。


 僕は、待ち合わせの時間よりも少し早く着いてしまった。君を待っている間、もし父親が僕のところへ連れ戻しに来たらどうやって説得しようか、どうすれば二人の関係を許してもらえるか考えてみた。でも、やっぱりその場にならないと分からないと思ったよ。今、考えたところでどんな方法で来るのかも知れないからね。ただ、絶対に君を離さないように――離れてしまったら終わりになってしまう、そんな気がした。

 その他にも色々考えた。例えば、二十歳はたちになるまで親から逃げて結婚してしまえばいいとか、これからどうやって君を守っていこうかなど色々と。

 考えていたことを話したら、君は何ていうのか楽しみだった。喜んでくれるかな? チューしてくれるかな? などと考えて、早く話したくて待ちきれなかった。


 初めは、ただ遅れているのだと思った。次に思ったのは、やはり怖くなってしまって来ないのか。あるいは、家を抜け出すときに親に見つかってしまったのかとかを色々考えてしまった。


 二十一時五分。最終電車のベルが鳴り先頭車両が動き出すと、それに繋がったもう一両を離さないようにきしむ音をたてた。

 君が来ないまま発車時刻になってしまったと、腕にはめた時計を見たけれど暗くて良く見えなかった。だから、遠くにある街頭へと文字盤を向けた時、目の前の細い道を右から左へ赤いランプを回し音を鳴らしながら走る白い車が通ったんだ。その赤い光が一瞬だけ時を刻みつづける針を見せてくれたのに、時刻を――僕が時間の確認することをこばみ邪魔するかのようにサクラの花びらが文字盤に乗ってしまって、払い落とした時には暗くて見えなくなっていた。


 怒ってなんかいないよ。君が選択した答えなんだから、僕はそれを受け入れる。ただ、なぜ来れなかったのかの理由を知りたい。あの後、何度も携帯に連絡してみたけど、コールするばかりで君が出ることはなかった。待ち合わせ場所へ行かなかったことに負い目を感じて電話に出ることを躊躇ちゅうちょしているのかもしれないけど、君には出て欲しかった。

 約束の場所に来てくれなくて、連絡も来ないことが君の出した答えだと無理やりに納得して僕は翌日一人で東京へと出発した。


***


 大学から乗ったバスが多摩駅に到着し、ロータリーにあるバス停で空を見上げながら君への想いを振り返っていた。決して、手紙などに書くことはないだろう君への手紙。

 こっちに来てから一度だけ、君の携帯番号に電話をした。アナウンスが「現在使われておりません」と乾いた口調で流れただけだ。少し怖かったけれど君の自宅にも電話をしてみると、呼び出すコールが数回鳴った受話器の向こうで父親の声が苗字を名乗った。そして、僕が名前を言った途端に電話を切られてしまった。


 会えなかったことが父親と関係しているのか分からないけど、何の連絡もないまま君がいなくなるなんて思えなかった。未だに君からの電話がこないことを自分の中で処理できずにいて、あの日に約束の場所に来なかったなんてどうしても信じることができない。だけど、ここにいないのが現実なのだから君を忘れなければいけないんだと自分に言い聞かせるけれど上手くいかない。

 僕は今でも君のことが好きだ。だから、どんなに隣にいないことが辛く悲しくてもせめてこの薄墨が僕の空である四年間くらいは君からの連絡を待っていていいかな? 君の抜けるような青い空を好きでいてもいいかな? 心の中で誰ともなく僕はそんなお願いをした。


 陽が沈みかけたバス停で、テキストの詰まった蒼いショルダーバッグを掛け直す。僕はゆっくりとアパートまでの長い道のりを歩き出すと、どこからか薄紅色のサクラの花びらが一枚飛んできて僕の身体に纏わりついた。季節外れのサクラなど、どこにも咲いていないというのに――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

薄紅色の君へ 本栖川かおる @chesona

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ