第二十二話

 入学式翌日、今日から電車通学だ。昨日はお母さんが運転する車で登校したので、電車で登校するのは今日が初めてだ。

 私は一つの決心をしていた。それはいっくんと元通り仲のいい関係に戻ること。告白の返事は欲しいけど、まずはそこじゃない。自分が誤解していたことがわかって、とにかく関係を修復しなくてはならない。いっくんは優しいから、もしかしたら自分が私を傷つけたと思っているかもしれない。だから誤解が解けていることを伝えなくてはならない。


 乗った駅から一駅目で電車が止まるとその人は乗車した。わかっていたことだが、心臓が跳ねる。ここはいっくんの家の最寄りの駅だ。そう、乗車したのはいっくんだった。

 乗車したいっくんが私に気づいた。更に心臓が跳ねる。いっくんは気まずそうに目を逸らしてしまった。まずい、何か話し掛けなくては。


「おはよ」


 勇気を出して言った。その言葉にいっくんは再び顔を私に向けた。目を見開いている。いっくんの心の中を代弁するなら、


「俺に言ったんだよな?」


 ってところか。あなた以外この車内に私の知り合いはいないのだから当たり前だ。


「おはよ」


 いっくんはか細い声で挨拶を返してくれた。よし、第一段階クリアだ。次は何を話そう。「今日はいい天気だね」かな? いや、ここはまず「高校合格してたんだね。おめでとう」だろう。私は息を吸い込んだ。

 すると次の瞬間、いっくんは私に背を向け窓の外を見てしまった。


「あぁ……」


 これは私の心の声だ。いっくんは挨拶は返してくれたが、会話をする気はないようだ。この日は心が折れた。


 次の日も、その次の日も電車で会うたびお互いに挨拶をした。けど会話にまでは発展しない。

 やがていっくんは部活が始まり、サッカー部の朝練に行くようになった。なので、朝電車で会うことは少なくなった。校舎で会えば私から積極的に挨拶はしたが、クラスが違ったので会話をするような余裕はなくなかなか進まない。そんな日々が続いた。


 しかし幸運が訪れた。挨拶だけの関係を続けて1年。私は2年生に進級した。そして貼り出された新クラスの名簿。


 いっくんがいる。


 私はその場で気持ちが跳ね上がった。いっくんと同じクラスになったのだ。これはチャンス。いっくんとの関係を修復するチャンスだ。


 教室に入るといっくんはすでにいた。1人の男子と話している。その男子はシャープな眼鏡を掛けていて整った顔立ちをしていた。椅子に座り文庫本を開いたまま、目はいっくんを向いていて淡々と会話をしている。

 確か名前は、瀬古大輝君。去年もいっくんと同じクラスだったような。女子と話しているところは見たことがないけど、相当もてるらしい。


 いっくんは昨年3年生が部活を引退してから、新チームでレギュラー当確と聞いた。リサーチ情報なので本人から聞けたわけではないが……。更に可愛い顔立ちをしているいっくんなので、実はファンが多い。

 いっくんもやっぱりもてるのだろうか。胸がキュンと締め付けられる。いっくんに好きな人はいるのだろうか。ましてや彼女は……。いかん、いかん。とにかく私はまず、いっくんとの関係修復を考えなくては。


 私は瀬古君と話しているいっくんを見て「割り込んだら邪魔になるかな」と様子を窺っていた。するとそこへ、


「真子。やっほ。今年もよろしく」


 と声を掛けられた。声の主は野口由佳。去年も同じクラスだった女子生徒だ。


「あ、由佳。おはよう」


 私はこの日の朝は由佳とずっと話した。他にも女子が何人か入ってきて、ある程度大きな輪になっていた。話題は、瀬古君と同じクラスになれて嬉しい、と言うものがほとんどだった。私にとって男子はいっくんしか眼中にないのだけど。とは言え、そんなことは口にしない。


 この日、始業式を終えて教室に戻るとホームルームの後に新担任の近藤先生が言った。


「今から明日の入学式の準備するからな。まだ帰るなよ」


 教室中から顰蹙の声が上がった。


「かったりぃよ。そんなん生徒会に任せとけばいいだろ」


 野次を飛ばしたのは佐藤義彦君だ。素行が良くなく、黒い噂をよく耳にする生徒だ。近づかない方がいいと誰もが言う。


「文句は受け付けん。今から移動だ。旧校舎に行け」


 旧校舎? 入学式の準備で、なんで旧校舎が関係あるのだろう。ともあれ新学期早々、移動教室だ。私は他のクラスメイトに倣って立ち上がった。そしてすぐにいっくんを探した。移動の時間を利用して話し掛けられるかも。


 しかしいっくんは同じサッカー部の香坂元気君とすでに並んで教室を出たところだった。いっくんリサーチで香坂君のことは顔と名前が一致する。おそらくサッカー部の同級生なら全員。

 更に、菊川未来ちゃんが2人を追いかける。彼女はサッカー部のマネージャーと仲が良く、正式部員ではないがよくサッカー部を手伝っている。さすがにいっくんも香坂君も親しそうだ。いっくんと親しい女子……。


 いやいや、まずはあそこに割り込めるか、私。


「遅れるわよ」


 そうあたふたしていると声を掛けられた。振り返るとそこには飛び切りの美人がいた。新渡戸聖羅ちゃん。学年一の美人と評判の女子生徒だ。まともに話すのはこれが初めてだ。

 ブレザーの上からでもわかる張りのある胸にくびれた腰。そして細く長い脚。天は彼女に二物も三物も与えるのか。羨ましい限りだ。


「あ、うん。すぐに行く」


 私は慌てて教室を出た。その時最後まで教室に残っていた男子生徒がいた。えっと、津本君……だったかな。薄く笑っていて、物凄く近寄りがたいオーラがある。恐怖すら感じる。私は津本君を横目に小走りで女子の集団に追いついた。いっくんは結構先の方を歩いていて、あそこまで到達するのは難しそうだ。はぁ、また今回も諦めよう。

 今日、部活はないはず。明日の入学式はグラウンドが駐車場として開放される。それに向けて準備がされているから。帰りにでも声を掛けてみよう。もし誰かと遊びに行くようなら思い切って輪に入れてもらおう。


 旧校舎の脇には今ではもう使われていない裏門がある。その外側に大型バスが停まっていた。学校敷地内のこのエリアに近づいたことは数少ないが、あんな所にバスが停まっているのは珍しいような気がする。

 旧校舎の一番手前の教室。私たちは近藤先生の指示でそこに入れられた。なんだか甘い香りがする。最後に津本君が入室して、これでクラス全員揃ったようだ。先生は入室もせずどこかに行ってしまった。今から私達は何をすればいいのだろう。先生がいなくて誰が指示を出すのだ。


 すると突然、一人の女子生徒が倒れた。


 え……


 私は軽くパニックになった。しかし誰も騒がない。なぜ?


 そう思っていると、バタンバタンと何人もの生徒が倒れ始めた。


 どうしたの? みんな……


 胸がざわざわして辺りを見回すといっくんを見つけた。すぐに近寄ろうとした時、いっくんまで倒れた。その時、視界が霞み意識が遠くなってきた。


 どういうこと?


 動かない体。倒れゆくクラスメイト。どうなってるの? とうとう私も立っていられなくなりその場に倒れた。薄れゆく意識の中で、最後に津本君が倒れたのが確認できた。


 あぁ、最後に教室に入ったから。と言うことは、原因はこの甘い香りか。


 私は目を覚ました。真っ白な天井と明るい照明。ここ数日何時間も閉じ込められている部屋の1つだ。


「真子、起きたか?」


 声の方を向くとそこには床に座る男子生徒の姿が。どうやら私はこのキューブマンションに送られるまでの記憶を夢に見ていたらしい。今同じ部屋にいるのは私のかけがえのない人。大好きな人。心から愛している人。いっくんだ。


 このゲームでやっといっくんと話ができ、そしてなんと心が結ばれた。更には昨日、体も結ばれた。ミッションで中継されながらの行為は残念だったしショックだったが、その夜いっくんは、改めて私をたくさん求めてくれた。中継のされていない部屋で、2人きりで。

 嬉しかった。いっくんが与えてくれる愛情と、今まで感じたことがないほどの快感にすごく幸せを感じた。よくいっくんを想いながら一人、家のベッドで自分を慰めていたことを思い出す。その時の妄想が現実になった。こんなこといっくんには内緒だが。


「水飲むか?」


 いっくんが優しい表情で水の入ったペットボトルを差し出してくれる。私はそれにお礼を言って受け取った。水が喉の渇きを潤す。

 左腕の端末を見るともう夕方の6時だ。かなりの時間眠っていたらしい。いっくんの朝寝よりも私のお昼寝の方が長いではないか。けどいっくんがいるのだと思うと安心して眠れた。クラスメイトが死んだり、過激なミッションが発令されたりしなければいっくんと2人きりのこの部屋も悪くない。人が死んでいるので不謹慎ではあるが。


「いっくん、ギュってして」


 私がそうお強請りするといっくんは優しい笑顔でマットまで来てくれて、そっと私を横に倒した。そして強く抱きしめてくれた。


 あぁ、幸せだ。


 この人にこうされることをどれだけ望んだことか。私の中でいっくんは唯一無二で、この人以上の存在は家族以外にいないのだ。


「怖い夢、見なかったか?」

「うん、大丈夫」


 いっくんが優しく声を掛けてくれる。心配をしてくれている。私の頭を撫でるいっくんの手が心地いい。


「寝てる間は特に変化なかった?」

「あぁ。残念ながらと言うべきか、幸いと言うべきか」

「そっか」


 警報音は鳴らなかったみたいだ。まぁ、鳴れば目を覚ますと思うのだが。定時アナウンス以外では人の死を予感させる恐怖の警報音。火災警報器みたいな鈴の音を思わせる甲高い音。あれが鳴ると絶望的な気持ちになる。

 仲の良かったクラスメイトが死んだ。あまり面識のないクラスメイトも死んだ。まだ面識はなくてもこれから仲良くなれたかもしれないのに。本当に理不尽で悲しいゲームだ。なんで私たちがこのゲームに巻き込まれたのか。動機も、旧校舎で倒れるまでの経緯も全くわからない。突然私達の日常は奪われた。


 ゲームが始まって5日目。旧校舎で倒れた始業式の日からはもう6日目だ。世間はどうなっているのだろう。1つのクラスの生徒が丸ごと失踪した。これはニュースになっているはずだ。新担任の近藤先生はどうしているのだろう。家族もみんな心配しているはず。早く家に帰りたい。学校に帰りたい。戻ってきてほしい日常。

 そんな私の不安を読み取ったのか、いっくんが私を安心させようと額にそっとキスをしてくれる。少しくすぐったい。けど嫌いじゃない。早くこんなゲームから抜け出して、私はこの人の腕の中に好きなだけいたい。

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