ダルマ伝説 と 鴨蛋人

「宋さんは、この店のお客さんだったんですけど、今は友達。同じ湖北省の出身なんです」


「湖北省って、どんなところ?」


 俺はビールに口をつけた。冷えていてうまい。


「湖北省は広いですから、地方によっていろいろですね」


「二人の出身地は近いの?」


「すぐ隣です。最初聞いたときはびっくりしました。上海で同郷の人に会うなんて滅多にないですよ」


「二人の故郷って、どんなところ?」


「宜昌(ぎしょう)ってわかりますか?」


「わからない」


「王昭君の故郷です」


「王昭君って誰?」


「中国四大美人の一人ですよ」


 詩瑶が言葉を継いだが、俺は中国四大美人なんてものの存在すら知らなかった。


「宜昌は長江に面した港町です。宜昌自体は都会ですけど、僕たちの故郷はそこから車で五、六時間くらいの所です。農村ですよ」


 ジャッキーは俺の隣に座ってビールをひと口流し込んだ。グラスのビールが半分近く減る。この飲みっぷりが清々しい。


「渋沢さん、ダルマって聞いたことありますか?」


「選挙のときに目を書くやつ?」


「それじゃなくて、人間のダルマ」


「人間のダルマ?」


「そうです。けっこう有名なホラー話なんですけど……」


「ああ、それなら聞いたことがある。よくおぼえてないけど」


「それ、どういう話でした?」


 詩瑶は中国語で何か話し出した。雰囲気から想像すると「そんな話をするな」と言っているようだ。


「大丈夫、問題ないよ」


 ジャッキーは眉をしかめている詩瑶の顔をのぞき込んで笑った。


「確か……、香港に新婚旅行に行った夫婦の話だったよな?」


「渋沢さんが言っているのは、香港バージョンですね。ブティックの試着室で奥さんがいなくなる話でしょう?」


「そうそう。それで何年か経ってどこかの見世物小屋で腕と脚がない人間ダルマを目撃することになるんだけど、それが行方不明になった奥さんだったという話」


「それが一番有名な話ですよね。他にも雲南省バージョンやベトナムバージョンがあるんです。どれも似たような話ですけどね」


「単なる都市伝説だろう?」


「そうとも言い切れませんよ。火のない所に煙は立たぬ、と言うでしょう?」


「まさかダルマの話を信じているんじゃないだろうな?」


「そのまま信じているわけではありません。現代の中国には生きた人間を晒し者にする見世物小屋なんてありませんからね。ですけど……」


 ジャッキーは残りのビールを喉に流し込んだ。


「ダルマ自体は本当にありますよ」


「嘘だろう?」


「本当です。ダルマの話の発祥地は僕の故郷ですから」


「あれは香港の話じゃないのか」


「違います。香港の怪異談は、大陸にルーツがあるものが多いんですよ。映画で有名になったキョンシーも湖南省の話がベースになっているんです」


「ダルマの話は、もともとはどういう内容なの?」


「僕らの地元ではダルマは鴨蛋人と言うんです。手足がない人を日本ではダルマと言いますけど、僕らの故郷では鴨の卵。だからダルマは鴨蛋人です。鴨蛋人を見たという話はたくさんありますよ」


「例えば?」


「例えば雨が続いて崖崩れが起きたときに、埋められたばかりの鴨蛋人がたくさん見つかったとか、山菜取りに行った人が山の中で小さな小屋を見つけて、中をのぞくと鴨蛋人が並んでいたとか」


「さすがに作り話だろう」


「作り話にしては、話の内容が細かいんです。鴨蛋人にされるのは、ほとんどが子供だとか、遠方からさらって来た子供が鴨蛋人にされるとか……」


「何のためにそんなことをするんだ?」


「それはわかりません。邪教の儀式だという噂もあるし、呪術の一種だという話もあります」


「あくまで噂だろう?」


「ただの噂ならいいんですけどね」


 ジャッキーの表情からは冗談なのか本気なのか判断できない。


「おなかすいた。もう行こうよ」


 さっきから困った顔をしていた詩瑶がジャッキーの肩をゆすぶった。


 時計を見ると七時を過ぎている。そろそろ東平路界隈のバーにも客が集まっているころだ。


 俺たちは店を出てタクシーを拾った。

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