不夜城

 俺たちはアメリカ領事館に近い品川というレストランで食事を済ませ、東平路の飲み屋街に向かった。品川から東平路へは歩いて行ける距離だ。


 空は暗いが歩道は立ち並ぶ店のイルミネーションで猥雑な色に染まっている。人通りはそれほど多くはない。


 路上には新宿歌舞伎町の活気とは違う妖気のようなものがある。上海が魔都と呼ばれるのは、こういう雰囲気のせいだろう。


「宋さんのニックネームは何て言うの?」


「エイミーです」


「じゃあ、これからはエイミーでいい?」


「もちろんです」


「中国人はどうしてみんな英語名使うの?」


「外国人と付き合うときに便利だからです。欧米人は漢字わからないから」


「なるほどね」


 俺たちは東平路と衡山路の交差点近くにある広いバーに入った。


 ここには何度も来ているが店の名前は知らない。客の半数以上は外国人。日本人らしき姿もよく見かける。


 俺は店全体にそれとなく目を走らせた。


 入り口付近のテーブルに与沢がいた。


 俺と同じ大学の留学生だ。向かい合って座っているのは与沢と同棲している藤堂。相変わらずギャル系の派手な服装だ。パーマのかかった茶髪が目立っている。


 あいつらも東平路にはよく来るらしい。


 二人とも俺と同様の不良学生。授業には出ていない。そのせいか、与沢は俺を自分の同類と勘違いしている。


 目が合えば馴れ馴れしく近づいて来ることは分かっている。幸いあいつらは話に夢中で俺に気が付いていない。


 俺はできるだけ奥の席を選んで座った。


 俺とジャッキーはいつものようにバドワイザー、エイミーはシンガポールスリングを注文した。


 注文した品が届く前にエイミーはケントを吸い始めた。


「タバコ吸うんだ?」


「渋沢さんは?」


「俺は吸わない」


「吸ったことないんですか?」


「俺の親父は鍼灸師なんだ。健康オタクなんだよ。俺は小さい頃からタバコはがんのモトだと言われて育ってきたせいか、タバコを吸いたいと思ったことは一度もない」


「そうですよね。タバコは吸わない方がいいですよ、体に悪いから」


「だったらどうして吸うんだよ?」


「痩せるためです」


「タバコなんか吸わなくても痩せられるよ。ジャッキーみたいにジムに行けば?」


「実は僕も吸うんですよ」


「本当? 今まで吸っているところを見たことないけど」


「僕の場合は付き合いです。中国ではタバコを吸わないと商売ができません」


「どうして?」


「中国ではタバコを配るのがあいさつ代わりなんです。タバコを差し出されたときに、僕は吸わないなんていうと、白けちゃうんですよ」


「ジャッキーも意外なところで頑張ってるんだな」


「もちろんですよ。中国では人間関係が全てですからね。タバコくらい我慢です」


「ジャッキーでも人間関係を気にしてるんだ?」


「上海で人間関係に一番気を使っているのは僕ですよ。商売をしていると政府の役人とか同業者との付き合いがいろいろと大変なんです」


「やっぱりそういうのがあるんだ」


「当然あります。日本にもあるんじゃないですか」


「あるかもしれないけど、具体的な話は聞いたことがないな」


「中国では常識ですよ」


 酒が届いたので俺たちはグラスを合わせて喉を潤した。湿度が低いせいか、いくら飲んでもうまい。

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