ひとえまぶたの美女

「渋沢さん相互学習してみませんか?」


「相互学習?」


「相互学習というのは、日本人が中国人に日本語を教える代わりに、中国人から中国語を教えてもらう勉強法です」


 日本語ができる中国人を紹介するから、少しは自立しろ、ということなのかもしれない。


「渋沢さん一重まぶたの子、好きですよね」


「そういう人紹介してくれるの?」


「はい」


 ジャッキーは白い歯を見せて笑った。


「飄香亭の常連客で日本語が上手な子がいるんです。日本語のレベルを維持するために日本人の友達を探しているみたいですから」


「じゃあ、やってみようかな」


「中国語の上達には相互学習が一番です。明日の夕方六時ごろに店に来てください。ちゃんとアレンジしておきますから」


「とりあえず会ってみるよ」


 勉強となるとかったるいが、相手が女なら悪い気もしない。それに、嫌になったら止めればいいだけだ。


 俺たちはビールで乾杯し、いつものように泥酔に近い状態まで飲み続けた。


 翌日の夕方、待ち合わせの時間に飄香亭に行くと、ジャッキーはカウンターに座って待っていた。


 ジーパンに白いシャツ。短く刈り込まれた髪が細面の締まった顔に似合っている。


 ジャッキーは俺を包房に案内してくれた。包房というのは個室のことだ。ある程度の規模の飲食店にはたいてい包房がある。


 必ずしもVIPルームというわけではないが、飄香亭の包房には最低消費額二千元という、かなり高い条件が付いている。日本円で三万円だ。


 包房のソファには若い女が座っていた。ハーブティーのようなものを飲んでいる。


 女は俺と目が合うと明るく笑った。


 シャープな顔の輪郭。白い肌に濃く細く引かれた眉毛。一重まぶたの中国美人だ。確かに俺の好みの顔。ジャッキーは俺のタイプをおぼえていて、わざわざこの子を選んだようだ。


 黒のタンクトップから真っ白な腕がすらりと伸びている。最近はやりのタトゥーは入れていない。俺がタトゥーを入れた女が嫌いなのもおぼえていたのかもしれない。


 女の隣に座ると、セミロングのさらさらした髪から、シャンプーの微かな香りがした。


「宋詩瑶です。よろしくおねがいします」


 日本人と変わらない抑揚だ。


「渋沢祐樹です」


「渋沢さん何歳?」


「二十四。宋さんは?」


「私は二十一です」


「日本語うまいね、どこで勉強したの?」


「専門学校で勉強しました」


「何年くらい?」


「二年です」


「たった二年でそんなにしゃべれるようになるんだ。俺なんか中高で英語を勉強してたけど、いまだに日常会話もできないよ」


「電話番号を交換しましょう」


「ああ、いいよ」


 詩瑶はiPhoneを使っていた。若いのにジャッキーの店に頻繁に出入りしているのだから、こいつも「富二代」ってやつだろう。つまり金持ちの娘だ。上海で遊んでいる富二代は、日本の中途半端な金持ちよりもよほど裕福な育ちをしている。


「じゃあ、あとは二人で適当にやってください」


 ジャッキーはウインクして包房から出て行った。こういうキザな仕草がサマになる。今のジャッキーはそれだけの実力がある男だと認めざるを得ない。


「どうして日本語の勉強始めたの?」


「日本語でアニメを見たかったからです。渋沢さんはどうして中国語を勉強したいですか?」


「何となく」


「何となくで留学したんですか?」


「そう」


「すごいね。留学って面倒くさいでしょう?」


「手続きとか検査とかがすごく面倒。特に俺は検査で引っかかって大変だった」


 詩瑶の表情が急に変わった。


「何の検査?」


「血液検査」


「もしかしてエイズですか?」


「違うよ。血糖値がどうのこうのって言ってたみたいだけどよくわからない。検査しなおしたら問題ないってことになったからよかったけど」


「びっくりした。病気なのかと思いました」


「肝炎とかエイズの人にはビザが出ないらしいね」


「私もよく知らないですけど、中国は伝染病にはうるさいですよ」


 話しているとジャッキーが戻ってきた。ビールのグラスをふたつ持っている。


「これを空けてから食事に行きましょうか?」


「どこに行く?」


「品川」


 品川は四川料理の店だ。もう何度も行ったことがある。


「まだ早いですよ。もう少ししてから出た方がいいです」


「宋さん本当にただのお客さん? ジャッキーの彼女じゃないの?」


「違いますよ。ジャッキーには彼女がいます。私が知っているだけでも三人」


「それは俺も知っている」


 ジャッキーは苦笑した。

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