4限目 2.ファンタジー論 創作神話


 えーとこんにちは五代です。ファンタジーってか神話って広すぎってことに反省しましたすいません。

 というわけなので、気分を改めて、普通にファンタジーの作品ガイドに徹することにします。とはいえ、作品ガイドといってもこりゃまた広うおますので、とりあえず今回は、「創作神話系ファンタジー」ということで拾っていきましょうか。



 たいていのファンタジー、特に異世界を舞台にしたハイ・ファンタジーだと、たいてい神々がいて、神話体系があったりしますが、ファンタジーの中には、そもそもその神話的内容を、オリジナルの作品として形にしたものがあります。

 トールキンが『指輪物語』を書くときにエルフ語からなにから全部作ったというのは有名な話ですが、実際彼が、エルフ族の神話体系、というかあの世界における神話的歴史、エルフ族の歴史書として作り上げたのか、『シルマリルの物語』(評論社)です。

 指輪物語やホビットの冒険は読んでいても、こっちまで目を通している人ってわりと少ないのではないかと思うのですが、どうですかね。



 唯一神エル・イルーヴァタールは、自らの思考から御使いである種族「アイヌア」を生み出し、彼らに音楽の主題を与えました。

 彼らの調和は美しいものでしたが、その中にひとり、もっとも力あるアイヌアであるメルコールは、自分の考えを音楽の中に織り込むことを望み、その調和を乱しました。二度三度にわたってエル神は音楽を与え、その不調和をかき消しました。

 この第三の音楽によって、イルーヴァタールの子らと呼ばれる種族、すなわちエルフと人間族の存在が明らかになりました。また、存在する世界「エア」が生み出され、唯一神イルーヴァタールは、望むものにはその世界に下降することを許しました。ただし、下降したものは二度ともとの天空には戻れないという条件つきで。

 これ以降、イルーヴァタールは実在する世界からは断絶し、ただ一人、王となったアイヌア、マンウェだけが、心の中にイルーヴァタールの声を聞くことができました。時のはじめに降りたマンウェは、いずれ現れるエルフ族と人間族のために風や空気を作りだし、風の王と呼ばれました。



 地に下ったアイヌアたちのうち、強力なものはヴァラールと呼ばれました。ヴァラールたちはマンウェを王にいただいてヴァリノールと呼ばれる国を作り、生まれてきたエルフ族を迎えましたが、メルコールは自らの兄弟であるマンウェの業績を執拗に妨害し、エルフ族に対して害をなしたので、メルコールは捕縛されました。

 しかしマンウェは悪というものを知らなかったので、メルコールがへりくだって謝罪すると、彼を許して釈放してしまいました。

 釈放されたメルコールは、もっともすぐれたエルフであるフェアノールが作り上げた三つの大宝玉、シルマリルに対する欲望と嫉妬に燃えて、フェアノールとヴァラール、フェアノールとその兄弟たちのあいだに不信の種をまきました。

 この不信によって一時祖国を離れていたフェアノールがヴァラールたちの招きで帰還し、マンウェの宮で祝祭が行われているとき、蜘蛛のような怪物ウンゴリアントを連れたメルコールが祝祭の場に現れ、エゼルローハルの丘の二本の木、銀の木テルペリオンと金の木ラウレリンに忍び寄って、これを滅ぼしました。

 木に宿っていた光はもはやシルマリルの宝玉の中にしか残っていません。マンウェは木をよみがえらせるためにフェアノールにシルマリルを差し出すように要請しますが、その頃すでに、メルコールはフェアノールの父であり、最初のエルフの一人であるフィンウェを殺して、シルマリルを奪い去っていました。このことによってフェアノールはメルコールをモルゴス(黒き敵)と呼び、これ以降、メルコールはひとりめの冥王モルゴスとして称されるようになります。指輪物語に登場する冥王サウロンは二人目の冥王です。

 


 このあと、モルゴスの讒言によるエルフたちの不和と分裂、ノルドールの反乱、フェアノールの死、人間族の登場、半エルフである英雄エアレンディルの出生、大宝玉シルマリルの奪回、冥王モルゴスの追放、第一紀の終わりなどが続きますが、トールキンの創作神話とはいえ、その生涯を傾けて作り上げられたエルフの神話と歴史は膨大で、主に創世およびシルマリルにまつわる部分をまとめた「シルマリルリオン」と呼ばれる部分を中心に構成された部分が『シルマリルの物語』、その他のこまかいメモや未完の遺稿などは『終わらざりし物語』(上下・河出書房新社)として刊行されています。



 唯一神が御使いを創造し、音楽を奏でさせるというのは、中世キリスト教から顕著な思想です。カトリック神学の祖である聖アウグスティヌスはその名も『音楽論』という著書を著し、古代ギリシャの思想とキリスト教思想を融合させて、「天体のすべてが神の名のもとに完全なる調和を満たした音楽を奏でている」としました。

 トールキン世界における天使であるアイヌアのなかでもっとも力あるものだったというメルコールが驕り、神に反抗しようとするのも、キリスト教におけるルシフェルの驕慢と堕天を想起させますね。

 アウグスティヌスの音楽論によれば、「魂の働きには内奥の善に向かうものと、外面に傲慢に拡張するものとがある。そして、外面に傲慢に拡張する魂の働きというのは、自己自身の下に他の魂を所有しようという欲求であり、この場合、魂は他の魂に対して作用を及ぼすための手段として、リズムと運動を用いて名誉と賞賛を求める」とのこと。

 難しいですが、つまり「他人と愛し合い調和するのではなく、傲慢に自分の優位性を押しつけ、他人の賞賛を求めて支配しようとすることは、神の心に背いて堕落を招く」くらいの意味でしょうか。神に並ぶものとしておごり高ぶった結果、反乱を起こして天界を追われたルシフェルの神話が、そのままこの強きアイヌア、メルコールの堕落に(世界を構成する音楽という思想を加えて)引用されているといえます。

 トールキンはこの神話体系の構築に関してよく知られたケルト神話だけでなく、フィンランドの口承による神話・英雄伝説『カレワラ』に大きく影響されたといわれていますが、(音楽や歌による創造、神秘的な力を持つ宝の製造と強奪・奪回など)やはりキリスト教徒である以上、キリスト教の影響は強く残ったようですね。



『シルマリルの物語』はちょっと膨大すぎて(ほとんど本物の神話並に複雑で長くてしかもかなり読みづらい)、作品として読み通すのはよっぽどの指輪物語オタクでもないかぎり正直言って少々つらいのですが、普通に小説作品として読める創作神話として、ロード・ダンセイニ『ペガーナの神々』(ハヤカワFT文庫)があります。

 


 まだこの世がはじまらない前の、ふかいふかい霧のなかで〈宿命〉と〈偶然〉とが賽をふって勝負を決めたことがあった。そうして勝負に勝ったものは、霧を超えて、マアナ=ユウド=スウシャイのそばに近づき、こう話しかけた。

「さあ、わしのために神がみをつくってもらおう、わしは賽にふり勝ち、勝ちびとに渡されるものを手に入れたのだから」

 その賭けに勝ったのはだれで、また、この世がはじまらない前のふかいふかい霧を超えて、マアナ=ユウド=スウシャイに話しかけたものが〈宿命〉だったのか〈偶然〉だったのか──それを知っている者は、ひとりもいない──



 これは冒頭部分のまるまる引用。こういう断片がいくつもつながって、ペガーナの神々の業績を伝える幻想が織りなされていきます。

 マアナ=ユウド=スウシャイは神々を作り上げたあと、また眠り込んでしまいます。放っておかれた神々は、退屈まぎらしに「われわれも手慰みに、世界というものをこしらえようではないか」と沈黙の中で考え、そして世界が誕生します。

 この『ペガーナの神々』が、いわゆる普通の神話と大きく違うところは、作者であるダンセイニのいだいているある種の厭世観、現実と論理に背を向け、幻想と夢を好む夢想者の意向が込められていることでしょう。

 アイルランド人であるダンセイニの死生観やものの考え方は、日本人の持っている無常観、すべては空であり虚妄であるという観念と、どこか似ているように思います。

 神話とはふつう、それを生み出した人々が自分たちをとりまく世界について何か説明をつけたり、英雄の業績を語ったりするために自然と作られるものです。

 ところが、ダンセイニによる創作のペガーナの神々は、最初から〈宿命〉と〈偶然〉が賭けをして、それでたまたまできたものだというのです。しかも、〈宿命〉と〈偶然〉のどちらが勝ったのかも不明で、世界にしても神々がただ退屈まぎらしに作ったものにすぎず、その神々でさえ、眠るマアナ=ユウド=スウシャイの夢の一片でしかない、と。

 すべての出来事は〈偶然〉と〈宿命〉の賭けにすぎず、そもそもどちらが勝ったのかも定かでなく、あらゆることは眠るマアナ=ユウド=スウシャイの夢であって、彼が目を覚ませば一切のものは消え失せ、〈死〉も、〈時〉すらも存在しなくなる──ちょっと空恐ろしくなるような虚無感ですね。


 もちろん黎明の王女インザナや夢の司ヨハルネト=ラハイ、時間の破壊者シシュ、神でも獣でもないものトログウル、叡智の神フウドラザイ、進行とうつろいの神ルウンなど、さまざまな神格があり王や預言者なども登場するのですが、みなどこかぼけている、というか遊びの中で風にふかれたしゃぼん玉のように、きらきらとはじけて消えていきそうな不思議な存在です。そして最後にマアナ=ユウド=スウシャイの眠りを守る鼓手スカアルが手を止めれば大神の眠りは醒め、一切は「まだこの世がはじまらない前の、ふかいふかい霧のなか」へと解け失せてしまうのです……



 ところで創作神話といえばクトゥルー神話をまず思いつく人もいるでしょうが、とりあえずあれはあれでもう一ジャンルになっているので、そっちはそっちで独立してまたとりあげるとして、このダンセイニの『ペガーナの神々』の設定や名前の響き──ちょっと詳しい人なら聞き覚えがあるのではないでしょうか。

 クトゥルー神話はもともとH・P・ラヴクラフトおよび友人の作家たちが断片的に作ったものを、のちに編集者で作家のオーガスト・ダーレスが体系化し、整理したものですが、そのクトゥルーの神々の中に、〈アザトース〉といわれる神格があります。

 本来、クトゥルー神話はさまざまな創作によって解釈が違ったりもするのですが、現在、TRPGなどで通用しているだいたいの設定では、このアザトースは「狂気に満ちた宇宙の真の造物主」であり、「飢えと退屈に悶える白痴の魔王」「存在のすべてはアザトースの思考によって創造される」とされています。

 また、「心を持たない無形の騒がしい踊り子の群が、常に取り巻いて踊り狂いながら太鼓の連打と魔笛の音色で、常に乾いているアザトースの無聊を慰めている」とか……

 鼓手スカアルの太鼓を聞きながら眠り込み、神々を含めたすべての存在という存在を夢に見ている大神マアナ=ユウド=スウシャイとそっくりですね?


 ラヴクラフトはクトゥルー神話の創出にあたって、彼が大きく影響を受けた数人の作家の名前を書簡の中であげています。エドガー・アラン・ポオ、怪奇幻想小説を多く書いたアルジャノン・ブラックウッド、アーサー・マッケン、アンブローズ・ビアスなどに並んで、このダンセイニの名前も挙がっています。

 クトゥルー神話の神格名はみな独特な響きを持っていますが、おそらくその音の基本は、このダンセイニによる創作神話『ペガーナの神々』を読んだラヴクラフトが、その印象をまねて作ったものとみてよいでしょうね。



 ダンセイニの幻想系の短編は現在、この『ペガーナの神々』も含めたすべてが、河出文庫から四冊の文庫として出ています。(『夢見る人の物語』 『世界の涯の物語』『最後の夢の物語』『時と神々の物語』)

 調べると『時と神々の物語』だけ品切れでバカ高い値がついているので、(たぶん『ペガーナの神々』が収録されているからだと思いますが)『ペガーナの神々』だけ読みたい場合はハヤカワ文庫版で、あと三冊は普通に買えるのでそちらをどうぞ。

 


 タニス・リーの話もしたかったんだけど、長くなったのでこのへんで。

 授業で時間があったらちょっと話して、残りはまた来週。んじゃまた-。

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