5限目 1.エンタメ論 ミステリ編3 クイーンとカー

 はいこんにちは五代です。もう五月も終わろうとしてますが2017年ももう半年かよはええな! と思うトシヨリです。いやあ自分が四十代だとかとかしかももうすぐ五十になるとかむかーしは考えてもみなかったなー。いまでもえっ誰のことて感じではあるけど(なんせ小学校の時からやってることがほとんど変わってない→本を読むかアニメ見るか小説書くかの三択)



 まあそんなわけで先週の続きのお話です。

 先週はポオ、ドイルのあとを受けて、探偵推理小説を書いた代表的な作家を数人紹介しました。チェスタトン、ルブラン(ルブランは正確には探偵小説ではなく悪漢小説と呼ばれるべきでしょうが)、アガサ・クリスティ、ドロシー・L・セイヤーズと、今でもわりと作品の手に入りやすい作家を優先して紹介しましたが、これらは(ルブランを除いて)全員イギリスの作家です。


 推理小説の始祖であるポオはアメリカの作家ですが、どちらかというとヨーロッパ的な感性を持っていた作家といえます(だからこそ生前は不遇だったのでしょうし、探偵オーギュスト・デュパンものはすべてパリを舞台にしています)

『英国本格推理小説』というのはいまでもかなりブランド品です。その他のお国の作家とは一線を画した、知的で禁欲的、階級意識が強くて皮肉なユーモアがきいていて、ちょっとお高くとまった、イギリスとイギリス人というお国の性格をよく表した作品が多いのですが、20世紀、1900年代に入って、新しい国アメリカから、探偵推理ミステリの新しい潮流が起こりました。エラリイ・クイーンの登場です。



 実際のところ、アメリカではその前にS・S・ヴァン・ダインによる、名探偵ファイロ・ヴァンスのシリーズが生み出され、今でも一定の評価を得ていますが、最初の数作を除くと、多少の古くささと技巧的な稚拙さが目立ちます。第一作の『ベンスン殺人事件』、さらに評価の高いものとして『グリーン家殺人事件』『僧正殺人事件』があげられますが、素人探偵ファイロ・ヴァンスのキャラクターはポオのデュパンをそのままアメリカに持ってきたようなディレッタントで、あまり起伏のあるものではありません。

 ヴァン・ダインは療養中にミステリを読んで、「こんなくだらないものなら俺にも書ける」と書いたそうなんですが、やっぱこう、トリックやプロットには凝っていても、小説技巧がいまいちついていかず、マザーグースの見立て殺人を扱った『僧正殺人事件』なんかはわりとおもしろいんですけど、小説的にどうなの、といわれるとちょっと辛い。


 で、そのヴァン・ダインの影響を受けて出てきたのが、エラリイ・クイーンです。

 エラリイ・クイーンというのは、実は二人の作家の共同執筆のペンネームです。一人はフレデリック・ダネイ、もう一人がマンフレッド・ベニントン・リー。

 調べたらダネイは1982年、リーは1971年まで生きてたようで、1970年生まれのわたくしちょっとびっくり。そうかあ、わたしこの人たちと生きてた時代ある程度重なってたのかあ。とちょっと感慨深い。


 この二人が共同で小説を書き、ミステリの女王と呼ばれるアガサ・クリスティほどの物語性や一般的な人気はないものの、ミステリ・マニアにとってはけっして落とすことのできない、仕掛けと遊び心に満ちたたくさんのミステリを書きました。


> なお共作の手法は、まずプロットとトリックをロサンジェルスに住むダネイが考案し、それをニューヨークに住むリーに電話で伝え、2人で議論を重ねたあとリーが執筆した。2人がこの創作方法をとるようになったのは、プロットを思いつく能力は天才的ながら文章を書くのが苦手なダネイと、文章は上手いがプロットが作れないリーの2人の弱点を補完するためであった。(※wikiより)


 だそうでありまして、当時、エラリイ・クイーンが二人の共同ペンネームであることは読者には伏せられていたので、クイーンの別ペンネームである「バーナビー・ロス」と「エラリイ・クイーン」がそれぞれ覆面をつけ(もちろん片方はダネイ、片方はリーなので、実質自作自演というかクイーンのひとり芝居に近いんですが)、いかにも対立しているかに演技して、公開討論会など行っていたそうであります。いかにも大衆的なアメリカっぽいエピソードというか、遊び心満載なおはなしですね。


 エラリイ・クイーンの推理探偵小説は、まず、主人公である探偵が、当の作家と同じ「エラリイ・クイーン」である、という点が特筆されるでしょう。

 作家ではなく、小説内のキャラクターのほうの「エラリイ・クイーン」は、「探偵かつ推理作家」で(日本でいうと有栖川有栖の火村英生シリーズで、主人公のパートナー役が作家の有栖川有栖(というキャラ)だったりするようなものでしょうかね)、父親リチャード・クイーンがニューヨーク市警の警視である、という設定で、さまざまな事件に首をつっこんでいきます。

 上でクイーンとロスのひとり芝居的な討論を読者の前で演じて喜んでいた、というエピソードをあげましたが、クイーンの第一作『ローマ帽子の謎』では、なんと『読者への挑戦状』というページが登場します。

「ここまでで事件の解決に必要な手がかりはすべて提示した。さあ読者よ、犯人を当ててみたまえ」と書かれたページがでんと出てきて、さらに容疑者一覧までついてきます。ものによっては読者がメモをとれるように、欄外に余白を取った作品まであります。すごく至れり尽くせりな長い推理クイズを読んでいた、という体裁になります。

 純粋推理を愛するミステリ・マニアにとってはたまらない趣向で、小説的興趣はおいていても、とりあえず「あっやられた!」「そうきたか!」という、知的遊戯としての純粋ミステリを思う存分楽しめます。

 この形式は日本の本格派といわれる作家にも愛され、高木彬光(『人形はなぜ殺される』)、島田荘司(『占星術殺人事件』)、有栖川有栖(火村英生シリーズ)、綾辻行人(館シリーズ)などにも、多かれ少なかれ受け継がれています。


 クイーン名義で書かれた探偵エラリイ・クイーンの(えい、ややこしい。つまり探偵役として、キャラであるエラリイが登場するところの)国名シリーズ、『ローマ帽子の謎』から以下『フランス白粉の謎』『オランダ靴の謎』『ギリシア棺の謎』『エジプト十字架の謎』『アメリカ銃の謎』『シャム双生児の謎』『チャイナ橙の謎』『スペイン岬の謎』『ニッポン樫鳥の謎』と、すべて国名がタイトルについているのですが、


 探偵エラリイは、これまでペダンティックで気むずかしい人物、あるいはクセのある人物が多かった探偵役を、ニューヨークという都会を背景にした、活動的、都会的でさわやかな親しみやすい青年として描き出したところが新機軸でした。

 クイーン(以下、作家のほうはクイーン、キャラのほうはエラリイと表記します)がお手本にしたヴァン・ダインのファイロ・ヴァンスは、まあだいたいポオの描いた知的ディレッタントの類型を脱していませんでしたし、これといった人間的な深みもない人物でしたが、エラリイはハーバード大学卒の明るく陽気なアメリカ青年で、人当たりもよく、父親がニューヨーク市警警視ということもあって、手がかりの入手にも捜査への介入も特に障害はありません(内田康夫の浅見光彦シリーズがこのパターンですね)。

 エラリイの明るいキャラクターは、20世紀を迎えたアメリカという現代の新社会にぴったりな探偵像を提供しました。渋くて重厚、人間ドラマとしても濃い英国産ミステリとはまた違った、純粋知的遊戯としての明るく楽しいミステリを生み出し、現代に至るまで、幅広い読者と多くのフォロワーを獲得したのでした。


 まあ個人的な好みでいうと、エラリイのシリーズはあまりにも遊びがすぎてて私はあんまり好きじゃないんですけど(こっそり)。エラリイのキャラはかわいくてほほえましいんですけど、小説読んでていきなり【読者よこの謎を解いてみたまえ!】とかどかんと入れられると一気にさめるたちの私は、唯一そういうのが出てこなくて、ミステリというよりサスペンス味の強い『シャム双生児の謎』が国名シリーズの中では好きなんですが、マニアが選ぶクイーン作品のランキングの中ではこれ、ちょっと順位が低いんですよね。まあ好みの問題って言ったらそれまでですが。

 ほかには長編ランキング一位を獲得している『ギリシャ棺の謎』(大学を出たてのエラリイが初々しくて可愛い)、おなじく三位の『エジプト十字架の謎』(T字型のエジプト十字をあちこちに配した道具立てがおもしろい)などが推薦できるでしょうかね。


 当初、完璧な超人的探偵であったエラリイは、作品を重ねるにつれてしだいに人間的な悩みや迷いを抱えるようになり、ライツヴィルと呼ばれる架空の街を舞台にした一連の作品(『災厄の街』など)では、特にその傾向が顕著に表れます。

 純粋論理遊戯としてミステリを愛するマニアの人の中では、このエラリイの変化を例にとって「後期クイーン的問題」などとと言われ、「探偵小説の中で探偵が解き明かす真実が果たして唯一なのか」「探偵が登場人物の運命を決定することの是非はどうなのか」という問題(※詳しくはこちら→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%9C%9F%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%B3%E7%9A%84%E5%95%8F%E9%A1%8C)が論議されていますが、どうなんでしょうね。

 こういった論義は綾辻行人はじめ、有栖川有栖、法月綸太郎、我孫子武丸 麻耶雄嵩 京極夏彦、森博嗣など、新本格派と呼ばれる一連の日本作家の作品にも大きく影響しています。こういった論義を形にしたものとして、メタ・ミステリ、アンチ・ミステリと呼ばれる、ミステリのお約束を逆手に取ったようなミステリも書かれています。なんか、こういう形式のミステリってどうやら日本独特のものらしいですね。



 上でバーナビー・ロスをクイーンの別名義として紹介しましたが、こちらのシリーズ探偵はドルリー・レーンといいまして、耳が聞こえない白髪の元シェイクスピア役者、という設定です。全部で四作の長編に登場していますが、日本ではみんなエラリイ・クイーン名義に統一して訳出されています。

 私としては、エラリイよりもこちらのレーン探偵のほうが好き。元シェイクスピア役者、ということで古風な服装と物腰の銀髪の紳士、という英国タッチに寄せた人物像がすてき(ドルリー・レーンという名前も、ロンドンの劇場の多い通りの名前からとられています)ですし、作風もどちらかというと英国ミステリ寄りで、『Xの悲劇』『Yの悲劇』『Zの悲劇』『レーン最後の事件』と、どれも人間的な心理の隙をついたトリックがおもしろく、特に『Xの悲劇』『Yの悲劇』は、ミステリ史上でも非常に評価が高く、何人かの作家が模倣作を書いているほどです。

 私は旧家を舞台にゴシックな味のある『Yの悲劇』が好きですが、満員電車の中での殺しという都会を舞台にした連続殺人事件『Xの悲劇』も傑作ですので、どちらを読んでも損はないと思います。



 えーい、カーまでいっちゃうかな。時間なかったら次回し。とりあえず簡単に。

 ジョン・ディクスン・カー(カーター・ディクスン)は、クイーンよりも少しあとに出てきたアメリカの推理作家です。こちらはかなり英国調に、誇張したキャラ設定と、少し皮肉でユーモラスな書き味、それに、御大ポオの小説を思わせる、ゴシックな怪奇趣味の状況と、現代的な論理的推理を並列させる作風で人気です。

 探偵は初期のアンリ・バンコランものから、中期~後期のギデオン・フェル博士ものとヘンリ・メリヴェール卿もの(カーター・ディクスン名義)に大きく分けられますが、やはりクイーン後の作家というか、トリックへのこだわりも相当なもので、長編『三つの棺』では、探偵ギデオン・フェル博士が、「自分たちは探偵小説の登場人物であるのだから、そのつもりで公正にふるまわなければならない」と驚愕のメタ発言をかまして、そのまままるまる一章、探偵小説の密室トリックの分類・解説に突入します(上記の後期クイーン的問題への一解答ともいえますね)。

 この部分は『密室講義』として、単独でミステリ・アンソロジーに採録されるほど有名ですので、ここだけ読んでも古典的ミステリ・トリックについても充分学ぶことができます。『三つの棺』自体も名作ですので、一読もよろしいかと。


 だいたいゴシックで怪奇趣味な作品が好きな私はカーの作品もたいてい好きで、変人だけどユーモラス、時々ギャグ寸前のドタバタまで行きそうになるフェル博士(でっぷり太った赤ら顔の陽気な紳士でビール大好きな酒豪、マザーグースのコールの王さまによくたとえられる。名前もマザーグースに由来)や、H・Mことヘンリ・メリヴェール卿(こちらも大デブのハゲちゃびんで苦虫をかみつぶしたような顔の紳士、辛辣な不平家で猥談大好き、一見偏屈だけどほんとは心優しいおじさん)も愉快で大好きです。

 都会的でさわやか、きまじめなクイーンと、怪奇的なゴシック趣味と皮肉なユーモアのカー。対照的な二人の作家ですが、どちらも現代まで続く本格ミステリの根っこを作った大ミステリ作家として、代表的なものには一度目を通しておくのもよいかもしれません。


 ああもうまた乱歩までたどりつかなかった。

 次回は乱歩からスタートして日本のミステリ界をざっと一望し、警察小説と社会派ミステリをざっと見して、それから夏までにハードボイルド(一回)、冒険小説(一回)、サスペンス(一回)、コージー・ミステリと日常の謎(一回)、そしてホラー(ジャンル分けして三回か四回ほど)へと移動していきたいと思います。いけるかなー。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る