第8話 頼もしき同級生の母


 次の日優衣が目を覚ますと、丁度看護師が朝食を用意するところだった。お礼を言って軽く頭を下げると目が合ったが、何故か看護師は一瞬優衣を見て驚いたような表情をする。そのまま目を逸らし慌てるように出ていってしまった。


(な、なにいまの?)


 自分の顔に何か付いていたのだろうか? 手で顔を撫でるが何も付いてはいない。ああそうだ、鏡を見ればよいのだ、トイレに行ってみよう。


 トイレは部屋を出て傍にあった。

 

 そして、鏡を見た……!



『おはようございます。優衣ちゃん起きてるかしら? 入っても大丈夫?』


 まだ午前中だが菖蒲あやめが面会に来た。着替えを持ってきた身内だと言って入れて貰ったのだろう。


 優衣からは返事がない。

 ベッドを見るとシーツの中でうずくまる優衣の姿があった。

 何かあったのか? すぐさま着替えを置くとベッドに近寄る菖蒲。


「優衣ちゃん?具合悪いの? 看護婦さん呼ぶ?」

「………」


 優衣はシーツの中で動かない。

 まさかと思い菖蒲はシーツをまくり上げた。


「優衣ちゃ…」


「…………」

「…………」 



 優衣の髪は真っ青に変わっていた。顔は真っ赤に泣き腫らし、目がうつろである。恐ろしさで体が小刻みに震えていた。


(……驚いたわ。まさかこんなに早く、こんなはっきりと症状が出るなんて!)


 菖蒲は急いで部屋に鍵を掛けると、優衣を後ろから抱きかかえ諭すように静かな声で語りかける。


「優衣ちゃん、まずは落ち着いてね。そしてよく聞いてちょうだい」


 これ以上ショックを与えないように、ゆっくりとした声で話し始めた。


「あなたは先日、山に住む妖怪に襲われたのだと思う。そのせいで霊障れいしょうにあってその症状がでてきたのね」


「………私………死んじゃう…の……?」


 か細い乾いた声が優衣の口から聞こえた。


「大丈夫、死んだりしない。私が必ず元に戻してあげる。立って歩ける?」


 少しふらついているようだが何とか一人で立つことができた。


「昨日お医者様から聞いたのだけど、体はどこも異常はないみたいよ。午前中にもう一度診察してから退院できるわ。髪のことは私からうまく説明しておくから何も心配しないでね」


 一体どう説明するというのだろう?

 昨日病院で髪を染めましたとでも言うのか?


『山ノ瀬さーん、具合はいかがですか? もうすぐ先生の診察になりますねー』


「じゃ、私は先に外で待ってるからね。着替えはここ。大丈夫、大丈夫」


 優衣の頭を撫でると看護師と入れ替わるように菖蒲は出ていった。



 病院の外に出ると菖蒲がタクシーをつかまえて待機しているのが見えた。吸い込まれるように優衣が乗ると走り出す。そのまま菖蒲の家……つまり北上家へ向かうというのだ。


「本当は家で休んで貰いたいのだけど、こういうのは早い方がいいからね」


 タクシーの中で優衣は髪のことばかり考えていた。髪の色が戻らなかったら園江になんて説明しよう。友達と遊んでいてノリで染めてみた、と言えば信じるだろうか?


 そういえばさっき診察の時、医者は髪のことを何も訪ねなかった。それどころか院内ですれ違う人からも特に視線は感じなかった気がする。北上の母、菖蒲とは一体何者なのだろう?


 タクシーは八汐市を抜けて更に走る。ああ、そうだ。北上は電車で通学していた、随分と遠くから来ていたものだ。そう思いながら優衣は料金メーターがグングン上がるのをぼーっと見つめていた。

 やがて二つ隣の桜町に着くと一軒の平屋の前でタクシーは止まる。後で半分支払いますからと優衣が言うと


「気にしないで、押し付け合いは無しにしましょ」


と小粋な大人の言葉で返されてしまった。


 家に入り居間に通される優衣。菖蒲がお茶を入れてくている隙にぐるりと見渡してみた。きちんとした家、というよりは余計なものが一切無いといった感じだろうか。額縁や絵画はおろかテレビが無かった。一見優しげだが、京から聞いた通り固い考えの持ち主に違いない。


「すぐに始めたいのだけど、どこか具合悪かったりはない?」

「……ぁ……はい」


 気が付くと目の前に菖蒲がお茶を入れて座っていた。


「よかった……でもうちに女の子が来るっていうのはなんか新鮮ね」

「はぁ……あっあの」


「どうかしたの?」

「いえ……その……今からカウンセリングみたいのをするんですよね?」


「カウンセリングとは違うけど、似た感じのものと考えてもらっていいわ」

「そういうのってお金かかりますよね。私、今収入の当てがないので……」


「特別に無料」

「でもそれじゃぁ……」


 思えば病院でも入院費用は菖蒲が貸してくれたのだった。知り合いの親とはいえ、まだ交際の浅い人からお金について世話になりっぱなしというのは嫌だった。


「京は学校でどんなだったかしら? 私が思うに友達は一人もいなかったと思うの」

「え」


「原因は私……都合で小さい時から引っ越しの連続だったし。いつの間にか不愛想でとっつきにくい子になってしまっていたわ」


「そっそんなこと……」


 そう言いかけたが優衣は知っていた。京はいつも一人だった。顔を合わせる部活動の時も一人で練習をしていたのをよく憶えている。話しかける人間も優衣以外にいなかった。「よくあいつと話ができるな」とからかわれた時もある。


「あの子、進路も就職先も全く考えて無くてね。あまりにも言う事を聞かないから先日山へ置き去りにしてきたの」


「あっ! それ、それですよ!」


 今まで元気がなく、気の利いた返事もしなかった優衣が突然声を張り上げる。


「いくら親子でも山へ置き去りなんて酷過ぎです! 死んじゃうじゃないですか!」


「世間の目からすればそうね。でもこれは私と京の問題、誰にも口を挟まれたくないの。京を心配してくれてるのはありがたいのだけどね。……それとも京は置き去りにされて子供みたいに泣き叫んでいたの?」


「いえ、それは……」


 山で倒れていた京は、起き上がると至極当然の様に振る舞っていた。


「小さい時から訓練させたわ。だから言う事を聞かない子なりに私も信頼してるの。自分で育てた子ですものね」


 今一つ納得はいかないが、こう言われてしまっては何も言い返せない。


「緊急の連絡先を教えていたけど一度もかかってきたことはなかった。それが初めて京から連絡が来てこう言うのよ。『同級生がヤバい。救急車が来れるかわからないからすぐ来てくれ』ってね。らしくもなく相当焦っていたみたいね」


「北上がそんなことを……」


「ふふっ、想像つかないでしょう? しかも着いてみればベンチで寝てたのは女の子。これはもしかして京の大切な子なんじゃないかなって……」


 そう言いながらじっと優衣の顔を見る。


「そういうのではありません」

「それは残念、でも嬉しかったわ。久しぶりにあの子の人間らしい一面が見れたもの。なんにしても、京があなたを特別と考えているのは間違いないわね」


「え……、そう……なんでしょうか」


 北上が自分を大切に思っている? 優衣は今までそんなことを思ったことも考えたこともない。北上はいつだって一人でいたし、それが優衣にとっては話しかけやすかった。それでいて不思議と話もはずんだ。一方的に優衣が喋っていることも結構あったが……。


 改めて考えてもピンとこない。

 だがそれがもし……。


 ここで恥ずかしくなり、顔が火照っていく優衣。


「きっとそうよ。そして京にとっての特別は私の特別。特別なお客様からお金は貰えないわ。だから今回は無料ってことにさせてね」


「……色々すみません。お世話になりっぱなしで」

「大丈夫、大丈夫。……すっかり話し込んじゃったわね、すぐ始めましょう」


 京の母親、不思議な人だ。とても頼もしく感じるせいか、初めて会ってからずっとペースを握られてばかりだ。母親というものは皆こういうものなのだろうか。

 山に捨てられるのは御免だが、少しだけ京が羨ましく感じた。


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