第25話 二人の距離
★
受注期間は五年で、受注金額はなんと日本円で一兆二千億円。破格な契約だけに、総括責任者には取締役が任命されているけれど、実際に計画を策定したり現地で指揮を執ったりするのは今岡さんの役目。
優秀なのはもちろん、アメリカでの生活が長いこともあって社内でも「国際派」で通っているみたいで、社運を左右する重要プロジェクトを任せられるのは「今岡さんしかいない」ってなったみたい。やっぱりできる人は違うよね。
総合商社のお仕事については「ラーメンからミサイルまで」なんていうキャッチコピーを聞いたことがあるけれど、「総合」なんて言うだけあって手掛ける事業は本当に多岐に渡っている。
川下にいる消費者は、生活に必要な物を小売店で購入するのが一般的だけれど、川上では総合商社が絡んでいることが結構あって、小さい物だからと言って専門商社に任せているわけじゃないの。その業務を手掛けることによる効果――短期だけじゃなくて長期の効果も視野に入れて、参入の是非を判断する。実際、
「では、コンビニでミサイルを販売することもできるんですね?」
いつだったか、麻耶がそんな質問をしたことがある。もちろん、いつものクールな顔で。
「うん。ニーズがあるなら、僕が
「販売促進の観点から、花火の棚の隣はどうでしょうか?」
本気とも冗談とも取れる、麻耶の一言に、今岡さんは涙を流して笑っていた。
★★
最近まで、F国は民族独立運動を発端とした、政府軍と反政府軍による内戦が続いていて、テレビや新聞でも戦闘で犠牲になった人のことがよく報道されていた。
今岡さんの話では、ここ数年、国連の平和維持活動の動きが活発化して、今年の初めに終戦協定が締結されたことで国として機能し始めたらしい。当初何件か発生した、きな臭い事件もここ半年は一件もなく、治安はかなり良くなっているみたい。
F国の首脳は、戦火により自国の経済発展が遅れていることを重く受け止め、終戦を契機に「近代化五ヶ年計画」を策定して近代化に向けた取り組みを行っていく意向を示した――その政策の設計から必要な施設の建設まで一連のプロジェクトを支援するパートナーを募集したのが一年前。
その分野で実績のある、総合商社、投資銀行、コンサルタント会社など、二、三十社が名乗りを上げて、テーマごとにプレゼンが行われた。その結果、
麻耶は、長い間、戦争をしてきた発展途上国が、なぜ一兆円を超えるキャッシュを準備できるのか不思議でならなかった。借金をするにしても、国債なんか発行できるわけがないし、
でもね、今岡さんの話を聞いて納得したの。F国の領土にはほとんど手付かずの膨大な化石燃料が眠っていて、それが近代化への起爆剤――同時に、民族紛争の火種。
ちなみに、このプロジェクトを成功させることで
今後、F国が次のステップに向けた、新たな計画を策定するとき、
プレゼンは昨年末から今年三月にかけて三回行われたけれど、今岡さんは秋頃からプロジェクト受注のための作戦会議のメンバーを兼務して、
でも、プロジェクトの話をするときの今岡さんはすごくうれしそうで、その表情がとても印象に残っている。だから、今岡さんがサン&ムーンを退職するっていう話を聞いたとき、麻耶はクールに見送ろうと思ったの。
四月に入ってすぐ、今岡さんは、事業環境の確認と拠点整備のためにF国入りして、六月末に一時帰国した。現地事務所の開設が十月末ということで、九月には再び現地入りして現在に至っている――「落ち着いたら連絡する」って言っていたけれど、F国はもちろん日本でもほとんど寝る時間もない忙しさで、ここ数ヶ月は電話はおろかメールも来なくなった。
十月以降は、半年に一度帰国して取締役会に経過を報告するらしいけれど、日本でのスケジュールは人気アイドルみたいに忙しいから、たぶん会えないと思う――でも、麻耶はそれでもいいの。だって、一国家の未来を担うプロジェクトにブレインとして参加できるなんて、一生に一度あるかないかのビッグチャンスだもの。今岡さんの夢が叶うんだから、麻耶は心から応援する。会えなくたって、声が聞けなくたって我慢する。五年なんてあっという間だから。
勘違いして欲しくないんだけれど、麻耶は「今岡さんを独占したい」なんて思っているわけじゃないの。
何度も言うようだけれど、今岡さんは東京からやって来た人――そこは、麻耶が小さい頃から憧れていた「非日常の世界」。今岡さんは、文字通り、麻耶とは住む世界が違う人なの。だから、麻耶の世界・仙台にいるときだけ、麻耶のことを見ていてくれたらそれでいい。
これまで「好き」っていう言葉はどちらからも言ってはいない。でも、麻耶は全然気にしていない。麻耶が今岡さんに会いたくて、今岡さんが麻耶に会いたいっていう気持ちがあれば、「言葉」なんてお飾りは必要ないもの。
★★★
「秋津流水館」の玄関から中を
時刻は六時前。バスを下りてから三十分以上が経っている――久しぶりだったこともあって、ノスタルジーに浸りながら、いろいろなところをゆっくり回ったからかな。
フロント係は、麻耶がよく知っている人。目が合って軽く会釈をした。
でも、麻耶が「こんばんは」って言ったのに対して「お帰りなさいませ」はないよね。いくら麻耶が常連だからって、メイドカフェじゃないんだから。
カウンターの上に備え付けられた宿泊カードに名前を書くと、麻耶はトートバッグの中から予約票を取り出して、宿泊カードといっしょにフロント係へ手渡したの。すると、フロント係は、麻耶の顔と宿泊カードを交互に見ながら
「予約した桜木ですが、何か不備な点でもありますか?」
クールな麻耶が少し語気を強めて言ったら、フロント係は奥歯にモノが挟まったような、おかしな言い方をしたの。
「はい。存じております。ご予約いただいた桜木麻耶様ですね。いつもありがとうございます――予約票の提示も宿泊カードの記入も、チェックインのときだけで結構でございます」
フロント係が何を言いたいのか理解できなかった。
確かに半年以上のご無沙汰ではあるけれど、麻耶はチェックインのやり方を忘れたわけじゃない。仕組みが変わっている様子もないことから、今更説明するのは「釈迦に説法」のようなもの――ひょっとしたら、フロント係が麻耶と誰かを間違えているのかもしれない。
「もしかしたら『桜木麻耶』という、私と同姓同名のお客さんがいるのではありませんか? 私は部屋も指定してあります。三〇三号室です。窓から滝が見える部屋です」
丁寧に説明をする麻耶に、フロント係はカウンターの下から一枚の宿泊カードを取り出すと、麻耶が書いたカードのすぐ横に並べてみせたの。
その瞬間、麻耶は言葉を失った――そこには、同じ筆跡で書かれた、まるでコピーしたかのような二枚の宿泊カードがあったから。一枚には「三〇三号室案内済み」という、フロント係の走り書きがされている。
心の中で、狐につままれたような顔をする麻耶。
すると、フロント係が笑顔で言ったの。
「桜木様、三十分程前にお部屋にご案内したこと――憶えていらっしゃいますよね?」
つづく
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