16 不穏。

数週間後、私は二度目の月末会に参加していた。


車の上から、リューの例の挨拶が始まる。


「さあさ、お揃いでよろしいですか。──えぇ、皆さん今日もこの『月末亭』にお集まりいただきありがとうございます! 私リューが、腕によりをかけて作る品々、どうかご堪能くださいませ」


「メニューはいつものようにお手元に。どうぞお開きくださいオーダーお決まりの方から承ります。ご遠慮なくお呼びください。それでは、今夜の月末会、始まり始まりでございます」


そして恭しくその場で紳士の礼をする。面々からは拍手喝采が沸き起こり、宴会が始まった。


みな一様に大声で酒を注文し始める。


「博士、私たちも飲み物頼みましょうか。メニュー持ってきますね」


瀬上さんが私の後ろを離れ、輪の中心に向かっていく。


すると、入れ替わるように末がヌルリと顔を出した。


「博士さん、しばらくぶりですねぇ」


「おいおい、何故お前がいるのだ、末?」


「何故とはご挨拶な。上月さんの一件以降全く音沙汰も無くて、僕は寂しいばかりでしたよ」


相変わらず気味の悪いニヤニヤとした笑みを浮かべている。


「ああ、上月か」


「ええ、あの時ぶりですよ。知ってますか? あの後しばらくして、上月さん学校辞めちゃったんですよ」


「そうか」


「おや、全然興味無さそうですね」


「あんな女のことなど、知ったことではないさ。それより、何故お前はここに?」


「いやぁ、もしかして今月もやってるかなぁと思って来てみたんですよ。そしたら皆歓迎してくれましてね。へへへ。実はあの後もちょいちょい村の人たちと顔合わせてたんですよ」


「なるほど。前回もお前はあの輪の中で人気者だったな」


「そうなんですよ、気に入られてしまいましたかねぇ」


「ちょいちょい顔を合わせていたとは言うが、一体何をしていたんだ? こんな何もない村で」


「ヤマさんとかコウさんとか、その他色んな人のお手伝いをしたりお酒を飲んだりってとこですかね。瀬上さんのお父上とも何度か一緒に働きましたよ」


「ほう、そんなことが」


未成年のはずだが、という指摘なもうすまい。


「あ、末くん、今日も来てたんですね」


瀬上さんが戻ってきて、私にメニューを手渡した。


「呼ばれもしないのに勝手に来たんだそうだ」


「まあ」


「博士さん、それはヒドいですよぉ。いえ、麗しの瀬上さんに会おうと思ったんですよ」


「学校でいつも会ってるじゃないですか」


「そんな野暮なこと言わずにぃ。特別な場所で会うのがいいんじゃないですか」


「気味の悪いことを言うのはそのくらいにするんだ、末」


メニューに目を落とそうとすると、輪の反対側にいるリューと目が合った。すると、リューが大声で私に声をかけた。


「博士くんは何にするー?」


あの男はあそこから声をかけて、私が大声で答えると思っているのだろうか。


まだ決めていない、と合図しようと思ったところで、私は異常に気づいた。


村人の楽しげで騒々しい声が、ピタリと止んだのだ。


奇妙な視線を浴びせ、目が合うと苦笑いをする者もいる。チラチラと横目で私たちを盗み見、こそこそと何か噂話をしている者もいる。その様子は、私に集団社会のグロテスクさを強く思い出させた。


「なんだ?」


「博士さん、何か嫌われるようなことでもやらかしたんです?」


末が無邪気に問う隣で、瀬上さんが押し黙るのがわかった。


「まあ、大抵において私は嫌われ者だが」


「心当たりでも?」


「まあな」


輪の中でワイングラスに口をつけるコウの姿を見据えて答えた。


「どうやら、私は招かれざる客のようだな」


「そんなこと」


「いいのさ、瀬上さん。田舎では噂話が一番早く、一番影響の大きい情報源だ」


「一体何をやらかしたんです?」


末が嫌味たらしく訊く。


「教えてやろう、末。なに、簡単なことさ。先日、私はあそこにいるコウと口論になってな。おそらく、その口論が後を引いているのだ」


「ははあ、それを口づてにそれを聞きつけて、それで皆さん博士さんを毛嫌いムードだと」


「そういうことだろうよ」


「そういうことなら、僕もそれに巻き込まれちゃ敵いませんねえ」


そういって末は楽しげな輪の中に駆けていった。


「まったく、末くんは遠慮がありませんね」


「まあ末だからな。快楽主義者のすることだ。だが、利口だよ。私と一緒にいると瀬上さんたちもその内迫害を受けかねないぞ」


「そんなことは起きませんよ。父上だって、あそこで皆と話しているじゃないですか。馬鹿なこと言ってないで、私たちも飲み物を頼みましょう」


瀬上さんが話を切り上げるように手を上げると、サングラスを掛け直しながらリューが注文をとりにきた。


「やあ、博士くん、瀬上さん」


「こんばんは、リューさん」


「博士くん、ご注文は何に?」


「エールを」


「はいはい。瀬上さんはミルクで?」


「はい」


「オッケー、了解だ。すぐ持ってくるよ。ところで博士君」


「何だろうか」


「何かやらかしたのかい?」


「まったく、あなたも末と同じことを訊く」


「え、末くんと同じかい? それは──いや、なんでもない」


客の悪口は言わないポリシーでもあるのか、リューはほとんど言いかけた言葉を飲み込んだ。


「皆、なんだか今日は君と距離をとっている気がしてね。前回とは打って変わって。それで訊ねたのさ」


「いいだろう、話してやろうじゃないか」


「博士、やめておきましょう。嫌な気分になるだけですよ。あなただけじゃなく、私も」


「……そうか、では、やめておこう」


「そうかい? それは残念。まあ今宵も長い。また後で聞かせておくれよ」


リューはそれ以上何も訊ねることなく、飲み物を作りにいった。


「まったく私はどうもお騒がせ者だな」


「反省してください」


「反省といっても、私は悪事も悪戯も働いていないぞ」


「そうですか? あれだけコウさんを怒らせておいて」


私は瀬上さんの言葉に首を振った。


「言っておくが瀬上さん、あれは私のせいではない。コウが怠惰な労働をしていたのが悪いのであって、私はそれを指摘しただけだ」


「博士はもっと、人に理解される努力と人に配慮する努力をしないと、この先大変ですよ」


「人生を未成年に諭されるとは」


「コウさんも似たようなことを博士に言われて怒ったんです」


「まあ、若造に好きなように言われて腹が立つのは理解できる。年齢以外に根拠の無い矜持が配慮に値するかどうかは別として」


「あんなに怒ったコウさんは初めて見ましたよ」


「その割に全く動じていなかったような気がするが?」


「博士こそ、ワインをかけられても全く動揺してませんでした」


何故か悪戯な秘め事を画策しているような気分がして、二人して向かいの輪に聞こえない程度に声を潜めて笑った。


「しかし瀬上さん、冗談ではなく、私のそばにはいない方がいいと思うのだが。世間の目があるだろう。そしてそれは、君たちにとっては懸念に値する重要事項のはずだ」


「そういう配慮をコウさんにもすべきでした、博士」


「わかった、すまなかったよ。もう許してくれ」


「ふふふ。まあ、心配しなくても大丈夫です。きっとお父さまが上手くやってくれますから」


「紳士が?」


「ええ」


私は改めて、盛り上がる声の方へ目を向けた。輪の中心には瀬上父もいる。


「娘のわたしが言うのも何ですが、お父さまの存在は皆にとって大きいものです。博士のちょっとした悪評くらいではビクともしませんよ」


「ちょっとした、ね……。それは頼もしいものだ」


好きで各農家の手伝いをしている紳士は、村の面々にとっては貴重な労働力だ。彼を手放したくないと思うのは、冷静に考えてみれば当然だ。


「しかし、本当に誰もこちらに話しかけて来る様子は無いな。なんともグロテスクだ」


「末くんがいたじゃないですか」


「あいつは例外さ」


「寂しいですか?」


「そんなわけはないさ。人間の有様を呪っているだけだよ」


「なるほどねえ」


誰も居ないはずの背後から声がした。


振り返ると、いつの間にやら回り込んでいたらしいリューが、グラスとマグカップを持って木陰から顔を出した。


「何がなるほどだ、盗み聞きとは趣味が悪い」


「いやあ、ごめんごめん。はいコレ。エールとミルクね。……いやしかし、そうか、コウさんとトラブったのか」


それぞれグラスを受け取った私と瀬上さんは杯を合わせた。


「下らない話さ」


「君には下らなくても、彼にとっては下らなくなかったんだろう?」


「そのようだな。まったく、共同体社会ゲマインシャフトもいいことばかりではない。結局その構成員の多くは同調圧力の餌食だ」


「人の口に戸は立てられないからね」


「人の噂も七十五日、とも言いますよ」


「そうだね。まあ、取り戻す機会はあるだろうさ。博士くんにその気があれば」


「む? 取り戻すとは、何をだ?」


「信頼をさ。決まってるだろう」


「誰が決めたのだそんなことを。私は別に彼らからの信頼など欲してはいない。彼らから信頼されるとは即ち、彼らと同種になるということだ。残念ながらそれは私の魂が許さない。価値を見出せない怠惰な労働に消耗する日々を送るつもりは無いのだ」


「ははーん、君はそう言ってコウさんを怒らせたんだろう」


「いかにも。ご名答だ」


「いやいや、胸を張るところじゃないだろう」


「本当ですよ」


瀬上さんがリューに加勢した。


「反省してくださいと言ったはずですよ」


「そうだったな。すまない」


「彼女の前では君も形無しだな、博士くん?」


「ああ。瀬上さんには助けてもらってばかりだからな。それに──」


それに、彼女の労働と他の労働とでは類が違う。そう言おうとして、瀬上さんの手前私は口をつぐんだ。


「それに?」


「いや、なんでもないさ。余計なことは言うまい」

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漱石物語 やまだ。 @ymd_

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