第一章・その2

『まもなく久屋大通、久屋大通。お出口は右側です』

 翼たちの乗った電車は鶴舞線との乗り換え駅、丸の内に停車した後再び発車し「翼の降りる駅」久屋大通駅に間もなく到着しようとしていた。立ち上がろうとする翼を、少女は止める。

「言ったでしょ、追っ手を撒かないといけないの」

「そんな、追っ手なんているのか?」

「いるわよ、例えばあそこの、黒い帽子をかぶった外国人の男よ」

 翼は少女が目配せした相手を見る。確かに、少し離れたところに外国人と思われる、がたいの良い男が黒い帽子を被って座っている。

「彼はCIA所属で、主に日本国内での対象尾行に活動の中心を置いているの。──尾行のプロよ」

「プロ相手に、負けないと?」

「プロ相手だからこそ、負けないわ。今池で勝負するから、黙って付いてきて」

 その今池がどんな駅か、知らないんだけどな。そう翼は思ったが口には出さなかった。

 久屋大通の後高岳、車道と停まる。CIAだという外国人の男も動きを見せない。車道駅を発車した後アナウンスが入る。

『次は、今池、今池。東山線をご利用の方はお乗り換えです』

「勝負の、今池ね」

「勝負って、どうやってするんだ?」

 翼が聞く。

「今池駅の乗り換えルートは大きく分けて二つあるの。今池北交差点地下から南へ桜通線ホームが地下四階に、東に東山線ホームが地下二階に伸びていて、乗り換え通路は地下三階にあるんだけど、そちらは主流じゃない。たいていの乗客は西改札口のある地下一階を経由するの」

「どういうこと? 昇り降りが少ない方を普通選ぶんじゃ」

「エスカレータが西改札口と桜通線ホームを直接つないでいるのよ。だから連絡通路は人が少ない、プラス、小さな昇り降りもあるから見通しが良くて、ほどほどに悪い」

「そこで、撒くのか」

「ご名答」

 軋みを立てて、列車がカーブを曲がる。

『まもなく、今池、今池。お出口は右側です』

 少女は、席から立ち上がった。

「行くわよ」

 翼も無言で、立ち上がる。

 電車が停まり、ホームドアとともに扉が開く。と同時に、二人は飛び出す。階段を駆け上がり、地下三階フロアへ。南改札口を横目に見つつ先を急ぐ。

 天井に取り付けられた蛍光灯が六列から四列、そして一列と先に進むにしたがって少なくなると同時に通路の幅も狭くなっていく。

 そして通路は、数段の上り階段を上がった後右へと直角に折れる。折れた後また数段上がり、まっすぐな、殺風景な通路が伸びていく。

 少女は、立ち止まった。

「……行かないの?」

「時がくれば、動くわ」

 翼の問いに少女は返す。

「時、って?」

「……行くわよ」

 少女は歩き出す。人が三人並んで歩けるくらいだろうか、聞こえるのは狭い通路に反響した二人の足音のみ。

 数段の下り階段の後左に折れ、少女は走り出した。階段を駆け上がり東山線ホームへ。ちょうど二番線に到着していた高畑行き電車へ乗り込む。

 扉が閉まり、電車が動き出す。

『本日は市営地下鉄東山線をご利用いただきまして、ありがとうございます。この電車は栄・名古屋方面、高畑行きです。次は千種、千種』

「で、成功したのか?」

「尾行が一人だったらね。彼は単独での尾行を好むし、今回は大丈夫なはず」

「絶対撒けるとか言ってなかったか?」

「そう?」

 誤魔化すつもりだ、と翼は思った。

「次は栄で降りるわよ。ちょっと用事があるから、付いてきてね」

 この乗り換えに果たして意味はあったのか、と翼は感じるが声には出さない。この少女は自分なんかでは想像できない思考の遥か上を行っている、そうも感じたからだった。

 千種、新栄町と進行方向左側の扉が開く駅が続き、予告アナウンスが入る。

『次は栄、栄。名城線・名鉄瀬戸線をご利用の方はお乗り換えです』

「すぐ、行けるわ。大丈夫。付いて来れやしないわ」

 まるで自分に言い聞かせるかのように、少女は呟く。

「情報屋よ、私は」


   * * *


 栄駅で電車を降りるとエスカレータを上がり、改札を出た。少女は、まっすぐ進んでいく。

「どこに行くんだ?」

「オアシス21。立体公園よ」

「立体、公園?」

 名古屋の土地勘がない翼には、想像がつかない。

「そこで人と待ち合わせているの。あなたも会っておいて損はないと思うわ」

「僕と関係あるのか?」

「いずれ、ね」

 いずれ、とはどういうことだ。翼は不思議に思う。

 地下街を通り抜け、突き当たりを左に。これまでのクリーム色系の配色から、青と白ベースの配色へと色彩の雰囲気が変わる。

 少女は立ち止まり、翼の方へ振り返る。

「そういえば言い忘れてたわね。──ようこそ名古屋へ。ようこそ、因果の交叉点へ」

 微笑みとともに口にするその言葉を、翼は真っ直ぐには捉えられなかった。

 東区東桜に位置する栄公園・オアシス21。元々NHK名古屋放送会館や愛知県文化会館のあった久屋大通沿いの一等地を再開発する形で二〇〇二年に完成した、ガラス製の大屋根「水の宇宙船」・なだらかな傾斜で久屋大通とNHKや愛知芸術文化センター二階を結ぶ地上公園・半地下式のバスターミナル・地下の銀河の広場や店舗などから成る四層構造の複合施設である。

 楕円形のガラス屋根に覆われた、巨大な吹き抜け空間の下を、翼達は通り抜けていく。

(しかしインガノコウサテンって、どういう意味だ?)

 吹き抜ける風とは対照的に、翼の頭の中はそんな疑問が滞留していた。

 少女は吹き抜けの中ほどにあるエレベータの前で立ち止まり、ボタンを押す。

「想像と比べて、名古屋はどう?」

 少女は翼に問いかける。

「色々な意味で、予想外だよ」

「面白い街でしょ?」

「面白いというより、打ちのめされているっていうか……」

 色々なことがこの短時間で起きて混乱している、というのが翼の正直な感想だった。

 エレベータが到着し、二人は乗る。少女は「R」のボタンを押す。

「待ち合わせている人って、どんな人なんだ?」

 ふと、翼は聞く。

「会ってみてのお楽しみよ、種を明かしたら面白くないわ」

「面白くないって……」

「それだけ、愉快な人ってこと」

 目的の屋上階にエレベータは止まる。エレベータを降りると、翼はその光景に驚きを隠せない。

 「水の宇宙船」と名付けられた屋上階は、同時に吹き抜け空間にかかるガラス製の大屋根でもある。外周に通路が設けられていることに加え、内側には水が張られており、地下空間に向けて水のゆらぎを作り出す。

「あれがテレビ塔。昔は、あそこからテレビの電波を出していたのよ」

 緑の中に建つ、銀色に輝く鉄塔を指差しながら少女は歩く。翼も無言で、外周を回る。半周ほど回り、少女が立ち止まっていた人物に声をかける。

「クロスフィア研究所のアキさんね」

 長い茶髪の女性らしき人物はそれに反応し、顔を上げた。

「はい、そちらは海部セーラさんで間違いありませんか」

「ええ、そうよ」

「お連れさんは、どなたでしょう」

「別に大した子じゃないわ。それで、お話とは何かしら」

 アキは微笑みを浮かべ、警戒心を解こうとしながら話し始める。

「別に大仰な話ではなく、ただ、この世界をどう思うか聞きたいのです」

「素敵な世界だわ」

 少女は即座に、たった一言で答えた。

「そうでしょうか」

「ええ、この世界は素敵だわ。素晴らしい世界、とまでは言えないかもしれないけども」

「なるほど」

「だから──あなた達にこの世界は奪わせないわ」

 一瞬、アキの顔がこわばる。が、次の瞬間元の微笑みに戻った。

「さて、何のことでしょうか」

 アキは考えの外であったかのように言ったが、少女は、はっきりと断言する。

「クロスフィア研究所なんて、この世界には存在しないわ。この宇宙にはね」

「しかし、わたしはクロスフィア研究所のアキと申します。あなたもおっしゃったじゃありませんか」

「あなた、この世界の人間ではないわよね、榊原亜紀さん」

 アキは硬直。イニシアティブは少女の方にあることを実感したようだった。

「……さすが、知らない情報はないと言われる方ですね」

「知ってることだけしか知らないわよ? ここではない『もう一つの世界』。それを維持するためこの世界に干渉し『選択』をさせようとしている。それがクロスフィア研究所よね」

 アキは、無言を貫く。

「私はこの世界を守るわ。あなた達の思い通りにはさせない。──しかし、なぜ私に接触してきたの? どうして?」

「……詳しいことは、私にも」

「教えられてないか。じゃあ質問を変えるわ。──それは本当にフェアかどうか、考えてみたことある?」

「と、言われましても」

「しょうがないわ、ここまでにしましょう。さよなら、アキさん」

 最後アキは無言で、二人を見送った。

「さて、あなたのお家に向かうわよ」

 エレベータで下に降りると、少女は翼に言う。

「なんで筒抜けなんだ、僕の情報は」

「私は情報屋よ。そうね、これくらいで調べられるわ」

 少女は四本指を立てる。

「四日で?」

「四分よ。情報屋をなめないで」

 四分で情報を特定できるなんて並大抵ではないだろう。翼はそう思うが口には出さない。

「とにかく行きましょう」

 オアシス21から、久屋大通下に広がる地下街へと二人は抜ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る