第2話 矢文と牛男

 とある島のとある迷宮。ここに住む牛角うしづのの少年、アステリオスはいつも通りキングサイズのベッドの上でダラダラと過ごしていた。

 今日も今日とてお菓子を片手に読書に勤しむ。どうせ読んでいるのはマンガとかであろうが。


 もう一口と、お菓子の袋に手を伸ばしたその時であった。

 ヒュンッと風を切り裂く音が彼の耳に入ってきた。刹那、お菓子の袋に一本の矢が突き刺さっていた。あと数センチ手を伸ばしていたら穴が空いていたのはアステリオスだっただろう。


「な、なんだ⁉︎」


 矢の飛んできた方に目をやると、そこには一人の少女が弓をたずさえ立っていた。テセウスである。


「言われたとおり弓矢を持ってきてやったぞ!」


 テセウスはドヤ顔で言う。


「いや、まあ、確かに言ったけどさ……。これ持ってきたってことは君一回外に出たってことだよね? 昨日の今日でよくまたここまでこれたね」


 慣れている配達員でさえたまに出られなくなる大迷宮なのに。大したものだ、とアステリオスは素直に感心した。


「外? 一回も出てないぞ」


 テセウスはキョトンとした様子で言う。


「出てないだって? そんなのありえないだろ。じゃあ、一体どうやってその弓と矢は用意したのさ」

「この迷宮は便利だな! 迷路の行き止まりのところに宿屋や武器屋があるなんてな! 他にも色々と店があって驚きだ!」


 アステリオスの問いにテセウスは胸を張って答えた。

 えー、そんなことになってんの。この部屋だけで生活してたから全然気づかなかった。というかここ、一応は僕ら王族の所有物なんだけど……。勝手に住み着いて都市を作るなよ。


「それで、今日は一体何の用? また僕を射る気ならどうぞ気の済むまでやってよ。あ、もちろんその距離からね」


 アステリオスはお菓子袋に刺さった矢を抜く。


「言われなくてもそのつもりだ。ただ、その前に昨日の話の続きだ。その手に持っている矢を見ろ」


 言われてアステリオスは矢を見てみる。矢には折られた紙がくくり付けられていた。


「それは昨日お前に見せることのできなかった絵だ。開いてみろ」

「ああ、昨日失敗した紙ヒコーキね」


 アステリオスは面倒臭そうに紙を広げる。


「昨日も言ったが今一度言わせてもらおう。その顔の者たちを忘れたとは言わさないぞ!」


 アステリオスは顔を近づけ描かれた人物を一人一人確認する。家族以外の人間は配達員の兄ちゃん以外知らないアステリオスだが、絵の人物たちは以前見たことがあるような気がした。はて、どこで見たのだろう。


「……あー、思い出した」


 ここに描かれているのはこの迷宮に来た人間だ。アステリオスにとっては思い出したくのない人間たちだ。


「そうだ! お前の生贄として犠牲となった者たちだ! この人喰いの化け物め!」


 また僕のこと化け物呼ばわりして……ん? 生贄?


「ちょっといいかい」

「なんだ! 命乞いなら聞かないぞ!」

「命乞いじゃないから聞いてよ」


 コホンと咳払いをし、アステリオスは声を整える。


「君は勘違いをしている。僕は確かに普通の人と違って角が生えてるけどそれ以外は身体機能も違いはない。それに人間を食べるのであればこうやって話なんかせずにすぐさま君を襲っているはずじゃないか」

「ふむ、確かに言われてみればそうかもしれない。でもお前はそうやって油断させてるだけかもしれないじゃないか!」

「それだったら昨日君が紙ヒコーキを作っているときにでもやってるよ」

「ならどうしてこの者たちはいつまでたっても我が国に戻ってこないんだ!」

「我が国? そういや昨日も言ってたね。もしかして、君はこの国の人間じゃないのかい?」


 アステリオスはテセウスに訊いてみる。


「そうだ! 私は隣国の人間だ! お前を討ち、我が国の民たちの哀しみを晴らすためここまで来た!」


 アステリオスに向け、テセウスは弓を構えた。


「ちょいちょいちょい。まだ話は終わっちゃいない。道理で僕のことを知らないわけだ。この国の人間なら僕の悪口だとしても化け物だなんて言ったりしない。僕が化け物ではないということを知っているからね」

「そんなこと言われて信用できるか! 仮にお前が化け物ではないとして、その者たちが帰ってこないのは事実だ! お前が殺したんだろう!」


 テセウスはアステリオスをキッと睨みつける。


「そのことについても誤解がある。彼らがこの迷宮に来たのは事実だ。だけど僕は彼らになんもしちゃいない。むしろ、僕の方が彼らに迷惑していたくらいだ」

「なに? それはどういうことだ」

「一言で言うと彼らはこの迷宮に引きこもっている僕を外に連れ出そうとしたんだ」


 十人ほどの同い年くらいの男女が部屋に入ってくるなり、出ようとしないアステリオスに向かって『アステリオスくーん、あーそーぼー!』と一斉に言ってくる。それが一年に一度、アステリオスの誕生日に必ずだ。大方、王ミノスに頼まれたからであろうが、思い出しただけで気分が悪くなってくる。


「まあ、僕は意地でも出なかったけどね。そうすると、諦めてみんな帰っちゃうのさ。だから、彼らのその後は僕は知らないよ」

「嘘をつくな!」

「参ったなあ……話聞く耳持たないよ……」


 どうしたもんかと、アステリオスは思った。昨日は上手いこと帰ってもらえたが、なんとかならないだろうか。

 アステリオスが悩んでいると、テセウスは再び矢を引き、弓を構えた。


「無駄話はこれで終わりだ。覚悟しろ」


 テセウスが矢から指を離そうとしたその時であった。


「あー、お客さんここにいたか!」


 二人のではない声が部屋に響いた。


「む、武器屋の店主か。何か用か? 私は今からミノタウルスを倒すところなのだが」


 テセウスは弓と矢を下ろす。


「それがお客さんね、矢を一本忘れていったからね。はい、これ」


 武器屋の店主と言われた男はテセウスに矢を渡した。


「おお、わざわざすまないな」


 テセウスは深々と頭を下げ礼を言う。


「ん、あの顔どこかで……」


 何かに気づいたアステリオスは手元の紙に顔を近づける。


「そこのあんた、武器屋の店主とかいうあんただ。少しいいかい?」

「何か用かい、アステリオスくん?」


 男はアステリオスの方を向く。どうやらアステリオスのことを知っているようだ。


「なんとなく予想はできるけど……この顔に覚えはないかい?」


 アステリオスは男に紙を広げて見せる。


「覚えも何もそれは俺たちじゃないか!」

「やっぱりね」


 アステリオスは納得した様子でうなずく。


「そこの彼女に聞いたけど君たち隣国の人間だってね。他の連中はどうしているんだい?」

「みんなで一緒に迷宮の中で暮らしてるよ」

「国に帰ればいいのになんでそんなことを……この迷宮、一応僕の家ってことになってるんだけど」

「ミノス王はもう帰っていいって言ったけどね。隣国に比べてここは暮らしやすいからそのまま居座ることにしたんだよ。で、住む場所探すの面倒だったから君みたいにこの迷宮で暮らすことにしたわけさ。ミノス王にも許可は貰ってるよ」

「許可貰ったのか。というか君らの親が心配すると思うんだけどなあ……」


 そんな二人のやりとりを見てテセウスは「え、え?」といった様子だ。


「それじゃあ、俺は仕事があるからもう行くよ。君もたまには部屋から出ないと身体に悪いぜ」


 男は手を振り部屋を後にした。アステリオスも男に向かい軽く手を振る。


「そういうわけでわかったかい? 僕は彼らに何もしてないってことが。というか直接彼らの顔見ているのによく気付かなかったね君。逆に感心するよ」


 男の姿が見えなくなると、アステリオスは皮肉混じりにテセウスに言った。


「う、ぐ……また来るからな! ミノタウルス!」


 テセウスは顔を真っ赤にし、逃げるように部屋を出ていった。

 ……なんか久しぶりに他人と長話をしたら疲れたな。

 アステリオスは大きな欠伸あくびをすると、そのまま眠りについたのだった。

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