第3話 署名と牛男

 とある島のとある迷宮。牛角の少年、アステリオスは真昼間からキングサイズのベッドで両手を広げて眠っていた。その寝顔は実年齢よりも幼く見える。アステリオスが丁度寝返りを打ったときだった。


「来てやったぞ! 怪物ミノタウルス!」


 バァンと、扉を蹴破けやぶりアステリオスの部屋に何者かが入ってきた。テセウスだ。男子の格好をしてはいるが、れっきとした少女である。


「ああもう、なんだよお……」


 眠い目をこすりながら、アステリオスは身体を起こした。


「む、まだ寝ていたのか。起きるのが遅いんじゃないか? もう昼だぞ」

「普段ならもっと早く起きてるんだけどね。昨日、一昨日と君と話したから疲れてんだよ」


 アステリオスは伸びをしながら言う。


「で、今日は何の用だい? 君の言っていたことは全て勘違いだったって昨日わかったと思うんだけど」


 アステリオスは嫌味っぽくテセウスに言う。ちょっとからかってやればすぐに顔を真っ赤にして帰るだろう、そう思ってのことだ。


「ああ、そうだな。確かにあれは私の早とちりだった。その点に関しては謝ろう」


 アステリオスの想像とは違い、テセウスは深々と頭を下げた。


「だが!」


 テセウスはすぐさま顔を上げると、アステリオスに人差し指を突きつけた。


「それでも私の目的は変わらない! 覚悟しろ!」


 テセウスは背中から弓と矢を取り出し、アステリオスに向けて構えた。


「ええ……。ちょっと待ってよ」

「なんだ? 言い残すことがあるのか? 冥土の土産に聞いてやる」

「それだと君が死ぬことになるんだけど……。僕の誤解は解けたんだよね?」

「そうだな」

「なら、なんでまだ僕を殺そうとするのさ」

「そんなことか。これを見ろ」


 そう言って、テセウスはそのままアステリオスのベッドに向けて矢を射った。

 矢はアステリオスの枕に突き刺さる。矢には昨日と同じで折られた紙が括り付けられていた。


「その紙を広げろ」


 アステリオスは言われた通りに内容を確認する。


「……たくさんの名前が書いてあるね。これがどうかした?」

「それはお前を倒して欲しい者たちの署名だ」

「どうしてそうなるのさ。僕はここの名前の人間なんて知らないし、何もしてなんかいない。そもそも僕はこの迷宮から一歩も出てないよ」

「だからだよ」


 テセウスは軽く溜め息をついてから言う。


「お前が何もしてないから処分するよう改めて頼まれたんだ。私の国ではなく、この島の住人たちからな」

「なんだって……?」

「考えてみろ。お前は王族でしかも男だ。それなのに政治など国の仕事に関わりもせず、こんなところで引き篭もって遊んでいる。お前を食わすのにこの島の住人の税金が無駄に使われているんだ」


 それはそうかもしれない。だが、あまりにもいきなりすぎる気がする。


「それに、この署名を集めていたのは他ならぬミノス王だぞ」


 なんだって? アステリオスは署名を再び確認する。

 見ると、三回に一回は父、ミノスの名前が書かれているのが確認できた。凄い嫌われようである。


「わかったらとっとと覚悟を決めろ。なに、楽には死なせてやらんから安心しろ」

「そこはせめて楽に死なせてよ」


 まあ、でも仕方がないか。今まで自由気ままに引き篭もってきたんだ。それに何だかんだ言ってもそもそも自分はそこまで生に執着している訳でもない。働けど食うのに困る奴隷に比べれば幸せな人生だっただろう。

 アステリオスはそっと目を閉じた。


「もう一度言うよ? せめて楽には死なせてよ」

「……良いだろう。その潔さに免じて一撃で仕留めてやる」


 ああ、これから自分は死ぬんだ。唯一の心残りと言えばお気に入りの漫画の最終回が読めないことだが、そこは割り切ろう。


「さらばだ、怪物」


 アステリオスの眉間に向けて矢が放たれようとする、その時だった。


「な、なんだ⁉︎」


 突如、地面が揺れ始めたのである。テセウスの矢はあらぬ方向へ飛んで行った。


「お、収まったか……?」

「……どうやらそのようだね」


 ベッドにしがみつきながらアステリオスは言う。


「それじゃ、揺れも止まったしとっととやっちゃってよ」

「わ、わかった」


 アステリオスにうながされテセウスは再び弓を構える。だが、何度やっても射ろうとする直前に地面が揺れ、矢はアステリオスに命中することはなかった。

 結局、矢は全てなくなってしまった。


「……またくるからな」

「ああ、うん。ばいばい」


 テセウスはとぼとぼとアステリオスの部屋から去って行った。

 それにしても、さっきのは一体何だったのであろうか?

 疑問に思いながら、アステリオスは再び眠りについた。

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