第32話穴の底のリザ

 若葉が夏の到来を告げ、エメラルドに輝く丘。エインシェントエルフの一族の墓所が見える。丘にたたずむ太く大きな木は、風樹かぜのきと呼ばれていた。その木のそばには、墓守の小屋があった。空気を通すために開け放たれた窓からは、松明たいまつと火薬の入った箱が見える。最近は野盗のものらしき墓荒らしが横行していた。


 陽もすっかりとくれた頃、華奢きゃしゃな手をした一人のエインシェントエルフの娘が無表情に墓場を歩いていた。ひときわ立派な墓所の前で止まる。雑草も、芝もきれいに整えられている。代々の村長の墓である。

 人ならぬ身である少女は、髪を風になびかせ、一心に霊廟れいびょうの扉をこじ開けようとしていた。その髪は夜目にも鮮やかなプラチナブロンド。彼女は扉を開けてしまうと、とある墓石の陰に松明と小さな小袋を隠した。


 里を一望する風樹の丘にコウモリのような皮膜の翼持つ手長てなが足長あしながの怪物が飛来してきた。悪魔である。

 無言で天井を見上げる少女。月のない夜だ。彼女の瞳は真紅。

 何も持たずに悪魔と対峙する少女。彼女が歩を進めるたびに、ふさふさの毛を期待に膨れ上がらせる悪魔たち。手が膝まで届くほどあるのが手長でオスだろうか。ひどいしゃがれ声でわからない。一方、細長い足を空中でブラブラさせているのが足長だ。おそらくメス。

「心は決まったカ?」

 少女は緊張の面持ちでうなずいた。

「ようやく聖杯を渡す気になったノ? 待っていたわヨ」

「具体的にはなにをすればいいの」

 再び村長の墓まで来ると、手長と足長が、手柄を争って小突き合っている。くるりと背をむける少女。

「しかしわたくしは魔力も操霊術そうれいじゅつも使えない。一体どこを悪魔なぞに気に入られたものか」

「聖杯は長きにわたる夢。しかしエインシェントエルフの長が墓まで持っていったのでナ」

「それをとってこられるのは、実の娘のあんただけってことヨ」

 手長と足長はたえまなく目をクルクルと回して瞬き、全身を覆う毛を波打たせていた。尾がゆっくりと揺れている。


「エインシェントエルフの命、有効に使わないとネ」

「それでわたくしには力が手に入るのだな」

「確かに。しかし力を行使すればそれだけ対価を必要とするゾ」

委細いさい承知しょうちした」

 少女が墓守の印を墓石から外すと、封印が解けて中から光があふれだす。手長は長い腕で墓石をたたき割った。

「聖杯は奥だ。娘、おまえしかいないゾ」

「言われるまでもない」

「おお。とってきてくれるのネ。正直、我々ではエインシェントエルフの聖域には入りこめないのでネ」

 少女は無表情に墓穴ぼけつを見下ろす。中に階段があり、長の遺骸いがいに続いている。

「マイレイディ、この礼はすぐスルヨ」

「一族にるいは及ばないのだな?」

「どうだろうナ」

「それでは約束が違う!」

「あなたしだいということヨ。恐れなくてイイ」

 少女は足長をふりかえり、拳を握りしめ、にらみつけた。

「ああ、どうかしている。おまえたちが魔の眷属けんぞくだとわかっていたはずなのに。これ以上の茶番は遠慮したいものだな」

「まあ、我々は聖杯さえいただければなんでもイイ。そう、あなたしだいでネ」

「わたくししだいか……」

 見守る手長足長。少女は墓穴の中に収められていたひつぎから、装身具を引きちぎる。宝石のネックレスは年月が経っていたので、難なく手に入った。

 魔術師が生涯書き綴るという魔術書もある。書は著者の死と共に燃やされるのがしきたりだが、なぜかそのままの姿でそこに存在していた。

 積もった埃を払い、表紙を開こうとしたが、開かない。ベルトと鍵がかかっている。中にはさまれていた羊皮紙のようなものが見える。どうにかひっぱりだすと、そこには、

『我が娘リザに捧ぐ』

 と古代文字で書かれていた。

「うそつき……」


 ☆   ☆   ☆

 

 今から百四十年前のこと。

 産着にくるまれ、まだ目も開かぬプラチナブロンドの赤児がバスケットの中で泣いていた。一緒に入れられていた紙に「リザ」とだけ。

 碧眼へきがんの墓守がドアを開け、その大きなバスケットを手に墓守の小屋に入って来た。

「なぜ稀少種きしょうしゅのエインシェントエルフが子を捨てる?」

『我が愛娘リザ』と書かれた分厚い封書。おそらく、赤児の命の対価だろうと思われた。墓守が封を開けると、そこには意外にも、ちゃんとした手紙に悲しい事実が書いてあった。

『この子には魔力がない。おそらく未来もない。地に這いずるように長く生きるだけのできそこないであろうから』

「なるほどな。なら、ここで拾ったのも何かの縁。泣くな! これからはワシを親と思って言うことをきけ!」

 魔法で声を封じられ、ひゃっくひゃっくと嗚咽おえつするリザ。


 ☆   ☆   ☆

 

 墓守が守るのは墓であるから、リザのこの行動は決してゆるされず、次期墓守がすぐに発見するだろう。

 貴重な魔術書は高く売れるであろうが、彼女が墓を暴いたことがバレてしまう。そんなことは問題にならないくらいの高値はつくだろうが……。

 魔術書を手に入れ、小袋を墓石の陰からとり出し、中から黒い粉をとり出しまき始めるリザ。


     ×   ×   ×


 りんを燃やして松明に火を灯すリザ。風になびく髪を頭の高い位置で結い上げる。

 近くに気配を感じた!

 ハッとするリザ。

 まだ若い、新しい墓守が近づいてくる。

「ドラ息子がどうやらかぎつけてきたらしいな。おまえの父親は止めなかったのか。おまえは墓守にふさわしくないと」

「フッ、これはどうしたことだ。お嬢さん、どこでそれを手に入れたかしらないが……こちらへよこすがいい」

 若い墓守は、スラリとナイフをさらけだしてくる。

「放蕩息子。きさまが持っていても無用の長物。また裏で売りさばく気か」

 リザも常備しているナイフで持っていた魔術書のベルトを切り、ページを開くと、魔法陣が光り、火柱が立った。彼の足元へそのまま放るリザ。


「ヤレヤレ。これほど見事な魔術書を、使い捨てするかね?」

「これはわたくしにあてられ、書かれたものだ。初めて村長を親だったと知った」

 彼は肩をすくめた。

「おまえが普通の娘だったならば、長が好んで墓場を選んで捨てたろうか? なあ、異端児よ」

 リザは彼に平手を見舞う。

「異端であろうと、これはわたくしのものだ。おまえに口は出させない」

「どうぞどうぞ。あとでちゃんと墓を閉じたか見にくるぜ」

 くるり、と後も見ずに立ち去る若い墓守。リザは松明をおろし、燃える火を墓穴に放り、背を向けて宝石を握りしめた。

 燃えるたいまつの灯りをたよりに丘にのぼり、そこから村を見下ろすリザ。


 墓の前では「リザ」と書かれた手紙が黒焦げになっている。今、墓守は炎の鎮圧を試みているようだが、無駄だろう。あの魔術書に書かれていた魔法陣を解放したのだ。今頃は墓所全体に火が回っているであろうから。

 リザあての手紙は読まなかったが、おそらく魔力のない彼女が命を絶つためにつかえという意味の手紙。

「あいにくなことだ……」



 その夜のうちに処刑が決まったリザ。死んだ村長が守ってきた聖杯を彼女が悪魔に渡してしまったから。

 村人は怒り、悪魔と手を結んだリザを風樹の根元に埋めてしまえと要求するが、抵抗もしないリザ。村里の罪もない子供が石をもって彼女を打った。

 風樹の丘では夜明けの到来を告げる光の精が、今や三百五十歳となった墓守に使われている。それを見やるリザ。墓守は妖精たちと最後の打ち合わせをする。いばらのつるを持ってくるよう命ぜられ、リザの処刑の準備をする光の精。

「なあ、これも運命なのか……おまえ」

「運命などと、気楽に言ってくれるな、義父ちちよ」

「聖杯を持って行った悪魔は地下に逃れたそうだ。おまえの魔術書はワシが預かっていた。あと数十年辛抱すべきだったのだぞ」

「非は認める。抵抗もしない」

「両手を縛りますよ。と言っても、何の術も使えないのでしょうが」

 リザの手をいばらの蔓で、わざわざ後ろ手に縛る光の精。

「実際、おまえは辛抱強かった」

「もう、過去形なのか……」

 光る丘の向こうからやってきた風の精が深く礼。

「それではよろしいか?」

「ああ、頼む」

 あっさりと立ち去る墓守。光の精はリザを枝に吊るしながら、

「墓守さまもおつらいのです。ひきとって育てたあなたがこんなことになって……」

「陽の光とは、このようにまばゆいものだったのか……」

 リザが決して目にすることのなかった光景が広がっていた。赤や緑、オレンジ色の家々の屋根が、ぼんやりと眼下に淡く浮かび上がっている。だが、これから地獄へおとされるのだ。

「きっと墓守さまはあなたに涙を見せたくなかったのね。それ以上に泣かないあなたを見たくなかったの。義理でも親子ですものね?」

 そう言われても、朝の風も、ぬるんでいく大気も、苔むした大地も、初めて見たリザだった。

 ボコボコっと地面をえぐる音がして、その瞬間、

「葬儀を執り行いマス」

 墓地を守っていた地の精が哀し気な様子でリザの魔術書をもって、穴の中へ下ろされていく彼女を見下ろす。

「!」

「なんということでショウ。この方の身を守る魔法陣が燃やされていたので、刑の執行も葬儀もママなりません」

「この身を守る……だと? 一体どうして? これから殺されようというわたくしに!?」

「エインシェントエルフは冥府に行くにもこの世で一つきりの魔法「真名マナ」をもって行くのが掟……こちらでも大丈夫カナ?」

 それは焼け残った魔術書。

冥府めいふ真名マナを持っていないと悪魔の手に堕ちてしまいます。このままあなたを風樹に託すわけにはイキマセン」

 ふるふる震え、魔術書を強く持ち、ページをめくる地の精。

「この上は、これ一つ。名一つだけでも持って、やすらかに!」

「……いや!」

 荒っぽく穴を埋めにかかる地の精。パラパラとページが風樹の霊呪れいじゅにめくれながら、魔術書が穴の中へ落ちてくる。焼け焦げてよく読めないリザの真名マナ

「こんなもの!」

 土をかぶせられて汚れたリザの名前。浮かび上がる真名マナ

「やめて……やめて!」

 抵抗もできないリザの身体にまとわりつくように真名マナが巻きつく。ふと、リザは身体が自由になっていることに気づいた。

「どうして魔力のないわたくしに真名マナが存在するのか!? わからない。わからない!」

 穴の底でガバリとはね起きて、魔術書を踏みにじるリザ。何も書かれていないはずの白紙のページがめくれる。

「どうして? 両親はわたくしを捨てたのでしょう……?」

 羊皮紙の名の上に足を乗せるも、真名マナは完全に彼女の中に溶け込み、文字は消え去っていた。

「!」

 ぐらりと揺れる視界の中、彼女はつぶやきをもらす。

「わたくしは……愛されて生まれてきた……」

 魔力がなくても、異端であっても、生まれてくる前はいっこの命。この世に生じたことが愛されたが故の証しになるのではないかと、このとき穴の底でリザは思った。そう思えて仕方がなかった。

 言葉を封じられてから初めて、リザは声もなく涙を流した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る